第62話 奪還・1

第六十二話 奪還・1


「スバル! 早く立ち上がらんか!」


 道場に響く怒声。


「は、はい!」


 幼い顔立ちの少年が急いで立ち上がる。汗でびっしょりの髪は額に張り付き、息もかなり上がっている。胴着の裾から覗く四肢は傷でいっぱいだ。


「もっと気合を入れんか! そんな事では兄のようにはなれんぞ!」


 その言葉に思わずスバル少年は肩をびくりと震わせる。怒鳴られたことによる反射的反応もあるが、なにより彼が怖かったのは兄という単語に反応したからだ。


 道場の向こうでは、木刀で一心不乱に技の型を練習している兄の姿が見える。しかし兄は怒鳴られているスバルの事など気にも留めず、ひたすらに木刀を振るうだけだった。


「お前には覇気がない」


 剣の師匠である父親にいつも言われる言葉。スバル自身もそう感じる所がある。必死に修行はしているが、熱心ではない。何故なら、この道場と流派は兄が受け継ぐものだから。


 常に優秀な兄と比べられ、劣等感を感じる日々。スバルは兄の事がたまらなく嫌いで、家族が嫌いで、剣の修行が嫌いで、なにより、大人たちの言いなりになる自分が嫌いだった。





 スバルの実家は一言でいうと、古風な家だった。


 なんでも古くから続くという、実践的な剣術の流派を伝える家系の次男に生まれたスバルは幼い頃から剣の修行を義務付けられていた。そして両親の言う事は絶対。周囲の大人の考えに異を唱えてはいけなかった。


 テレビはあるが、自由には見られない。漫画やゲームは禁止。地方の山奥なので遊ぶような場所も無い。


 朝早くから木刀での素振り、基礎体力作り、実戦さながらの打込み稽古。近年のスポーツ科学に真っ向から喧嘩を売るような精神と根性論を掲げるその修行は過酷を極めた。


 殴る蹴るは当たり前、弱音を吐けば食事を抜かれ、同い年の友達と遊ぶ時間もない。そして休む間もなく一日中剣を握り続けなければならなかった。


 明らかに異常ともいえる修行だが、それに疑問を持つ者は誰もいなかった。スバルの母も祖母も、師範である父と祖父も。道場で同じく修行に励む兄も。


(なんで兄さんはあんなに頑張れるんだろう……)


 幼い頃からスバルはその修行に疑問を持っていた。いや、両親の言う事は理解できる。スバルや彼の兄がこの流派を受け継いでいかなければ、すぐに消滅するであろう現代には不要な技術だ。だからこそ、こうまでして存続させなければならないモノ伝統なのかと、同時に思うのだ。


(ひとごろしの技術を練習し続けるなんて……絶対におかしいよ)







 数年経ち、スバルは青年と呼べる年齢になっていた。この頃には十分な自分の考えを持てるようになっており、スバルは実家を飛び出して街で独り暮らしを始めていた。彼なりの実家への反抗、とでも言うのだろうか。


 純粋に人斬りの技を学ぶことが嫌だったということもあったが、なによりスバルは勉強をしたかったのだ。とりあえず義務教育は受けさせてもらったが、それ以上の高等教育は不必要と切り捨てられた。なので彼は大学というものに興味を持ち、出来れば通ってみたかった。


(予備校でもなかなか楽しいものですね……バイトとの両立は大変ですが、あの修行に比べればなんてことないです)


 毎日、予備校で勉強し、夜遅くまでバイトをして生活費と学費を稼ぐ。そんな生活が一年ほど続き今の生活にも慣れ、友人と呼べる人間も何人か出来た。


 毎日が大変で、毎日が楽しかった。普通の暮らしが何より新鮮だった。


 あの日までは。




 ある日、スバルがバイトから帰ると、借りていた安アパートの部屋の前に父が居た。住所は両親にも教えていなかったが予備校などに問い合わせたのかもしれない。


「……何の用ですか」


 実家から、剣の修行から距離を置いていたスバルにどのような用事があったのか、見当もつかなかった。一体何なのかと訝しむスバルに、父親は短く要件を伝える。




 事故で兄が死んだ。だから、道場と流派はお前が継げ。



 その話を聞いた瞬間、スバルの頭は真っ白になってしまった。


「兄が死んだ」


「だから、お前が代わりに」



 一体、自分は何なのだ。


 優秀な兄の代わり? どうして? なぜ、自分が?





 スバルは気が付けばアパートを飛び出していた。どこをどう走ったのか覚えていない。普段、バイトへと向かう道だったか。それとも駅に向かう道だったか。何か眩しい光が見えた気がする。そしていつの間にか、周囲の景色は見慣れた街並みから開けた森になっていた。


 こうしてスバルは、異世界ルナシスへと召喚されたのであった。











「……どうして……あの時の事を」


 全身が痛む。頭がボゥとする。


 暗い操縦席に一筋の光が差し込んでいる。機体に突き刺さった敵の小太刀がすぐ横にあった。




(私は気絶していたのか……どれくらい……?)


 スバルは操縦桿を握ったままの両手に力を込める。しかし、彼の理力甲冑・紫紺号は停止したままだった。


 激しい振動と爆発音がスバルの身体を容赦なく震わす。近くに砲弾が落ちたのかもしれない。割れた装甲の隙間から操縦席へ硝煙と土煙が侵入してくる。


 ケラート奪還作戦はどうなったのだろうか。そのことばかりが頭に浮かぶ。いや、先ほどまで見ていたをかき消すように、必死に別の事を考えようとしているだけかもしれない。


「……ザ……ザザ……」


 突然、無線機から雑音のようなものが聞こえた。どうやら無線はまだ生きているらしい。


「……こちら、スバル。応答願い……ます」


 呼吸の度に痛む胸を押さえながら、どうにか声を絞り出す。誰か応答してくれればいいのだが。


「……ザ…………バルさん?! もうす……に着きます! 待っててくだ……」


 途切れ途切れだが、この声はユウだ。彼が近くに来ている。


「……ユウさん、あとは頼みます……」


 スバルは今なら分かる気がした。どうして一度は離れた剣を、再びこの地で握ったのか。どうして角付きとの勝負で負けたくないと思ったのか。


 彼は嫉妬していたのだ。


 兄に。


 優秀な兄と比べられるのが嫌だった。だが、それは言い訳だったのだ。本当は、ただただ両親に褒められる兄が羨ましかっただけなのだ。ちゃんと自分を見て欲しいと、一言いえば良かったのだ。自分はこんなに頑張っている、努力している。だから、自分も褒めて欲しかった。


 しかし、誰もスバルを認めてはくれなかった。皆、口には出さなかったが、元来聡明なスバルには理解できた。なのでスバルは家を出たのだった。剣で認めてくれないのなら、別の何かで両親を、兄を見返してやりたかった。


 だから兄が死んだとき、父親からこの先ずっと兄の代わりとしてしか見てもらえないと悟ったとき、スバルは絶望した。


 この世界で理力甲冑に乗り始めたのは殆ど自棄ヤケだった。突然の召喚という出来事に混乱しているという事もあったし、状況にも流されていた。


 だがこうして巨大ロボットに乗って戦えば、いずれ死ねるだろう、そう思えたのだ。何の因果か、家族のいないこの世界で果てるにはちょうどいいと思った。


 そして理力甲冑に乗って魔物や帝国軍と戦っていくうち、ケラートの住人に感謝されることが増えた。同僚の理力甲冑操縦士と色んな話をするようになった。その内、何人かで酒を飲むようにもなった。


 スバルは初めて剣を握る理由を見つけた。この異世界ルナシスでようやく誰かに認められたと感じた。必要とされた。それがただ、嬉しかった。


 だからこそ、スバルはケラートの奪還に拘っている。自分を必要としてくれた人たちを助けたい。その一心であの日から理力甲冑に乗り込んできた。それを阻むならどんな敵でも打ち倒してやる。たとえ実力で敵わなくても、この身がいくら傷つこうとも。











「スバルさん?! スバルさん?! 駄目だ、返事がない!」


 ユウが無線に向かって叫ぶ。


「もうすぐスバル小隊の交戦地点だよ! 紫紺号っぽい機体の反応はまだあるから、スバルは生きてるハズ!」


 無線機からリディアの声が聞こえる。おそらく理力探知機レーダーの反応から判断しているのだろう。


「早く早く! いっそ、アルヴァリスで走っていくか……!」


「ユウ! 焦っちゃ駄目デス! 今飛び出したら、いくらアルヴァリスでも危険デス! スワンの全力でもこんなに荷物を積んでちゃ、いつもより遅くなるのは仕方ないデスよ!」








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