第61話 激浪・3

第六十一話 激浪・3


 先ほどの激しい攻防とは打って変わり、静かな戦いが始まった。



 二つの機体は同じ構えのまま、じりじりとあしで移動している。まるで周囲の戦闘音や爆発、土煙が気にならなくなってしまったかのように相対していた。


「……スゥ……ハァ……」


 深呼吸をして感覚を研ぎ澄ませるスバル。周囲から色が消えて見える。耳に入ってくる音も少しずつ聞こえなくなり、最後には自分の呼吸と心臓の鼓動だけになってしまった。


 視野の端では仲間のステッドランドが帝国の機体と激しく切り結んでいる様子が見える。どちらも実力は伯仲しており、何度も剣を打ち合って互いの隙を伺っていた。その向こうにはどこからか飛んできた砲弾が地面を抉り、掘り返された土砂が辺りに飛び散る。それらの動きがスバルにはとてもゆっくりに感じられた。


(……この感覚……久しぶりですね……)


 過去、このような感覚が鋭くなる事は何度かあった。そのどれもがスバルよりも実力は勝っていた相手との立ち合いだ。そして、その全ての立ち合いできた。




 紫紺号の動きがピタリと止まる。そして、上半身をブレさせず、下半身のバネだけで敵へと迫った。その動きを機敏に感じ取った角付きは、手にした小太刀を真っすぐ突き出す。刃渡りが短い小太刀は間合いが狭い分、取り回しに優れている。


 スバルは紫紺号の左手、万象を下から掬い上げるように振るって角付きの小太刀を逸らせる。しかし、角付きは手首を巧みに返し、突きの速度を緩めずに万象を躱す。角付きの操縦士の技量はおそらく、スバルよりも数段上だ。


 このままでは森羅の一撃が入る前に、角付きの小太刀が紫紺号の胴体へと突き刺さるだろう。両者の速度、重量、足運び、そのどれもが回避も防御も困難なことを示していた。


「ッ!」




 瞬間、スバルの脳裏には師匠からの言葉が浮かんだ。


 ――――お前は場が膠着すると、すぐに攻めたがる。時には待つことも必要だぞ――――


(やっぱり、師匠の言う通りだった……焦った結果がこれですか……)


 ギリ、と思わず歯を食いしばる。しかし、もうどうにもならない。眼前に迫る小太刀の鋭い切先が眩く煌めく。その動きは相変わらず緩慢で、体感時間だけが引き伸ばされている。




 敵の角付きの向こう、ケラートの方向。激しい戦闘で周囲の大地は抉れ、土煙がモウモウと立ち上がる。いつの間にか天気は崩れてきており、昼過ぎというのに薄暗い。


 砲弾の硝煙と、海特有の生臭さ。スバルは初めてケラートに訪れた時のことを思い出した。


(あのときと、海の匂いは変わりませんね。ここが異世界だろうと、海の匂いは同じ。そういえば、子供の頃は滅多に海へと連れて行ってくれませんでしたっけ)


 脳裏には過去の記憶が浮かんでは消え。一刻、また一刻とスバルの死に近づいていく。


(結局、私は自らの役割を果たせなかった……も逃げ出すばかりで、何も成せなかった……この異世界でも逃げてばかり……)


 こちらに呼ばれる前も、呼ばれてからも。何一つとしてやり遂げられなかった。唯一、それなりに自信のあった剣術も目の前の敵には到底及ばない。


「そういえば、ユウさんにも負けてしまいましたっけ……」


 もう二週間前、いや二十日前か。ユウの実力を測ろうと模擬戦を挑んだ。彼はスバルの予想を遥かに超えた技量だった。それに戦闘というものに慣れている。


 結果は引き分け。いや、あれが実戦ならばスバルは負けていただろう。



 ユウに負けた事。


 自らの役目を果たせない事。


 何度も逃げ出して来た事。


 そしてなにより、目の前にケラートの街があるにも関わらず、こんな所で死ぬなんて。それこそ死ぬほど






 甲高い金属音と共に、紫紺号の胴体部を角付きの小太刀が貫く。もともと薄い装甲では鋭い刺突を防ぐ事は出来ず、背中からはその切っ先が覗いていた。


 角付きの機体は小太刀をゆっくりと引き抜こうとする。手強い相手だったが、それでも彼の敵では無かった。


「……動きに迷いがあるうちは私の小太刀術を止められん」


 敵の濃紫色の機体は立ち回りこそ油断ならなかったが、動きにはキレが無かった。動きに精彩さを欠いては勝つものも勝てない。それがこの小太刀使いの信条だ。


「……?!」


 と、機体の両腕に妙な違和感を感じる。突き刺さった小太刀が


 そればかりか、濃紫の機体は完全に停止していなかった。胴体部からは人工筋肉の保護液がこぼれ落ちており、確実に機体の操縦席を貫いたはずだった。


 ゴボリ、と保護液が泡立ち、さらに流れ出す。


「人工筋肉で刃を締め付けている……のか?!」







 視界が真っ赤に染まる。右の半身には激痛が。


「グッ……」


 口からは生暖かい液体が溢れて、まるで鉄を頬張ったような嫌な感覚になる。


「まだ、生きてますね……」


 スバルは血まみれの顔を痛みで歪ませながら、操縦桿を握る力を緩めなかった。




 カウンター気味に小太刀の突きが入る直前、スバルはとっさに機体を捻ったのだ。そのお陰で小太刀の刃は操縦席をわずかに逸れた。しかし完全には避けられなかったので操縦席は大きくひしゃげ、飛び散った破片や部品で身体のあちこちに傷を作ってしまっている。


(息苦しい……肋骨が折れているかもしれませんね……)


 呼吸する度に胸の辺りが激しく痛んだ。それに右手の感覚も鈍くなっている。


(意識も……朦朧としてき……!)


 だんだんと頭もぼんやりとしてきたスバルは唇を噛み、目をしっかりと開く。ここで意識を手放しては駄目だ、まだ戦闘は終わっていない。




 両手の刀をその場に落とす。紫紺号は腹部に小太刀が刺さったまま、角付きをガシリと抱き抱えた。最後の足掻きかと角付きは膝で蹴り返すが、紫紺号はその腕の力を少しも緩めない。


 激しい衝撃が紫紺号の操縦席を揺らす。その度に視界がぐらつき、霞んでしまう。それでもスバルは歯を食いしばり、右側の操縦桿に取り付けられたとあるスイッチへと指を掛ける。


「本当は、純粋な剣の戦いで……勝ちたかったですが……これは理力甲冑同士の戦闘です」


 そう言うと、紫紺号の右肩を角付きの胸部へとぶつける。そしてそのスイッチを思い切り引くと、機体の肩部装甲が左右に勢いよく開いた。


 直後、角付きの機体は不自然に痙攣した。そして、その胸部には八本の杭が。


 肩部短槍発射装置。紫紺号の両肩には鋼鉄製の杭を射出する内蔵武器が隠されていた。短い杭は火薬の炸裂により発射され、近~中距離においてその貫通力はすさまじい威力を発揮する。その杭が今、角付きのステッドランドの装甲を容易く貫いたのだ。


「もう……一撃!」


 スバルは殆ど叫びながら機体の左肩を前方へと突き出し、左側のスイッチを引く。幾つかの小銃を一斉に発射したような炸裂音と共に、鋭く研がれた杭が角付きをさらに穿つ。胸部から腹部にかけて無数の杭が生えたステッドランドは一種、異様な姿へと変貌してしまった。






 硝煙の匂いが操縦席まで漂ってくる。モニター画面も死に、操縦席には歪んだ装甲から漏れる光しか明かりはない。辺りからは断続的な地響きと、激しく金属同士がぶつかる音が聞こえる。戦闘はまだ、続いている。


「早……く、連絡を……ホワイトスワンに……」


 痛みと疲労でぼんやりした頭を振りつつ無線機へと手を伸ばす。が、震える手では上手く無線機を操作できない。敵側の角付きエースを戦闘不能にした今、一気に攻め込むチャンスが出来ているはずだ。それを一刻も早く友軍に伝えなければ。


「今こそ……ケラートを……」






 そして、スバルの意識はそこで途切れてしまった。










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