幕間・6

幕間・6


『ネーナのアルトスぶらり旅』



 ホワイトスワンがケラート奪還作戦のため、そしてアルヴァリスの修理のためにアルトスの街に戻った時の事である。


「はえ~、ここがアルトスですのね……」


 深紅の髪をツインテールにした少女が感慨深く呟く。彼女の目の前には大都市、都市国家アルトスの街並みが広がっていた。




 数ある都市国家群において、産業、経済、軍事とそれぞれ中心的な存在であるアルトスはその人口も多く、その賑やかさは近隣の都市国家のなかでも上位である。


「……と、書いてありますけど」


 ネーナは手元の本と、街並みを見比べる。


「あんまり人が居ませんのねぇ」


 彼女が読んでいる本は帝国で出版された、アムリア大陸の様々な土地、国について記されたガイドブックである。その表紙と装丁から、リンゴの本、アップルガイドなどと呼ばれ、とある著名な旅行家がその生涯で回った多くの街について紹介したものである。ネーナは世界を回ると決めた時からこの本を何度も何度も繰り返し読んでいた。そのお陰で、主要な部分はだいたい暗記してしまったくらいだ。




 現在のアルトスはかつての賑わいが失われつつある。一番の原因は、もちろん戦争によるものだ。


 帝国軍の一斉侵攻によって、街周辺には敵の理力甲冑や兵士がうろつくようになってしまったので、それまで騒がしかった街道も今では護衛をつけた隊商くらいしか行き来しない。旅人などは論外だ。


 それに輪をかけ、近頃では住民の疎開が始まっていた。戦況はさほど深刻なものではないものの、今後はどうなるか分からない。そう考えた住人の一部は戦火が及んでいない東の地域へと住処を移したのだった。


 それまで街の経済、農業、商業を回してきた人間たちが少しでも居なくなれば、他の住民たちの生活に大なり小なりでも影響はでる。そうして新たに別の町へと移り住む人間が出てくる。その連鎖はある程度まで続き、現在でもアルトスに残っているのはこの街を守る軍人や古くからの住人、引っ越す余裕の無い者。他の町に親類縁者がいない者。店や広大な畑を持っている為、簡単には離れられない者。そういった人間たちだった。






 ネーナは人の通行が少ない大通りを街の中心に向かって歩き、目的の大きな建物の前へとたどり着く。ここは教会で、高い尖塔と時刻を告げる大きな鐘が有名だ。


「たしか、こちらの都市国家では帝国とは異なる神様を信仰しているんでしたわね。古くから伝わる、土着の神様、でしたっけ」


 教会の中に入ると、厳かな雰囲気と静かな空気が張り詰めている。壁には神々を象った石像がいくつか並び、その中央には主神らしいひと際大きな像が設置されていた。


 その人物は鋭い眼差しをしており、髭をたっぷりと蓄え、不自然なまでに筋肉質な体を見せつけるようなポーズを取っている。右手には剣を、左手には鎌を持っており、それぞれ武力と豊穣を象徴している……と、ネーナが持っているガイドブックには書かれていた。


「……かなり古いものなんでしょうか。こういうのを見ると歴史を感じますわね」


 石像もそうだが、教会自体もかなり年季が入っている。ここが建てられたのはかなり古いらしく、正確には分からないが街の成立と同時期ではないかという話だ。


(でもそれが本当なら、千年くらい昔からあることになりますわね。まぁ、何度か建て替えたのでしょうけど)






 途中、この教会の僧侶に挨拶をしたり、奇抜な石像や古い言い伝えの残るというよく分らない石碑を眺めたのち、ネーナは昼食がてらに教会の外へと出た。丁度、真上では正午を報せる鐘が鳴る。


「さて、アルトスの名物料理は、と……」


 件のガイドブックをパラパラとめくり、目的のページを探す。何度も読み返したので、すぐにたどり着いた。


「えーと、なになに? ここ、アルトスでは新鮮な野菜や豊富な小麦粉を使った料理が多い……特に野菜の煮込み料理や豊富な種類のパンが美味しい、ですか」


 そういえばこの周辺は広大な畑が広がっていたことを思い出す。ただし、今ではすっかり戦争の影響で荒れ地となってしまっていたが。


 アルトスの街は円形に拡がっており、ネーナが今いる中心には教会の他に軍本部や議会場など、重要な施設や高級住宅地がある。その周囲を取り囲むように商店や市場などの商業地区、さらにその周囲は一般の住宅地が並んでいるのだ。


 ネーナは適当に飲食店が連なる通りを歩く。ガイドブックで紹介されている店もあるが、あえて自分で入る所を決める事にしたのだ。ここらはどうやら街の住人が昼食や夕食に利用するような地元密着型の店が多いようだ。


「そうそう、こういう所のが美味しいお店があるんですのよね」


 と、これは本で得た知識で、実際にはこういう一人で外食は初めてだったりする。


「む? ここは……」


 ふと、年季の入った佇まいのする食堂が目に入った。少し痛んでいるが、手入れがきちんとされている……ように見える建物。窓から見える店内は数人の客が料理を食べていた。


わたくしの直感を信じましょう!」


 扉を開けると、小さな鈴が可愛らしい音を立てて来客を知らせる。


「お、いらっしゃい。席は空いてるとこ座りな」


 店主らしき初老の男性が店の奥から顔を覗かせる。ネーナは壁際の席に座り、メニューを探す。


「壁に並んでるアレがメニューですのね」


 そこには料理名が木の板に書かれたものがいくつか吊られていた。


(シチュー、スープパスタ、エンドウ豆のスープ、グリルした鳥肉……あら、塩漬けしたお魚もあるんですのね。それにジャガイモパン、クルミパン、それと普通の白パン)


 他にもいくつか。こぢんまりとした店にしてはなかなかの多さだ。


「どれにするか決めたかい?」


 いつの間にか店主がネーナの席にやってきていた。


「えっと、それじゃあ、あの定食……というものを頂けますでしょうか」


「あいよ、ちょっと待っててくんな」


 少し待っていると、料理が運ばれてきた。暖かいエンドウ豆のスープ、塩漬け肉のロースト、みずみずしい野菜サラダ、そして柔らかい白パン。


「わぁ……美味しそう……」


「ごゆっくり」


 とりあえずサラダを口に運ぶ。シャキシャキとしたキャベツと、初めて味わう酸味のあるドレッシングがよく合う。次にほんのり緑色をしたエンドウ豆のスープを啜る。スープのちょうど良い塩気、豆といくつかの野菜の甘味が心地よい。


「お次は……」


 一度、パンで口の中をさっぱりとさせ、メインとなる肉を切る。これはどうやら豚肉のようだ。一口大に切り分けた肉を口に運ぶと、少々固めだが食べ応えがある。それに掛かっているソースの甘味と酸味、それに肉の塩気が程よく合わさりなんとも言えない美味しさが口に広がる。





「ふぅ。ごちそうさまでした」


 あまりの美味しさに、一気に料理を平らげたネーナは一息つく。


 ネーナが食べている間に他の客は一人しか来なかった寂れた店だったが、その味は貴族暮らしで肥えた舌にも満足できるものだった。素材などは流石に一級品ではないようだが、恐らく店主の腕でそれを補っているのかもしれない。それにホワイトスワンで生活していくうちに慣れてきたが、大衆料理というものは色々と奥深いと改めて体感出来た。


「ありがとね、またのお越しを~」


 値段がピンと来ないので彼女には高いのか安いのか分からない金額を支払い、食堂を後にした。暖かいスープで温まった体を外気で冷ます。


「さて、あとはどうしましょうか」


 腹ごなしを兼ねて、商店の軒先を眺めつつ歩く。こうした街を出歩くというのも初めてなネーナにとってはどれも新鮮に映る。金物屋では鍋や包丁を、雑貨屋では可愛らしい犬の置物を手に取って眺めた。




「あら、猫ちゃん」


 突然、ネーナの眼の前に黒い何かが落ちてきた。音も無く地面へと着地したソレは真っ黒い毛並みの猫だった。


「ニャ」


 その黒猫は短く鳴くと、ネーナの足元へとすり寄ってくる。そして前足で靴をテシテシ叩き始めた。


「人懐っこい子ですわね。飼い猫かしら」


 首元には赤い革製の首輪が付けられていた。どうやら今は散歩の時間らしい。


「……ニャア」


 つぶらな瞳がネーナを見つめる。一体何を訴えているのだろうか。


「あ、もしかしてご飯でしょうか。申し訳ありません、わたくし、いま何も持っていないんですの」


 しゃがんで頭を撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロ鳴く黒猫。柔らかい毛はとてもフカフカ、モフモフだ。思わず実家の絨毯じゅうたんを思い出してしまう。


「猫ちゃん、可愛いですわね~。お名前はなんていうのでしょう?」


 と、急に黒猫はその場から走り出し、見事な跳躍を見せて屋根へと登ってしまった。そして何事も無かったかのようにスタスタと去ってしまう。


「自由気まま……私も、あんな生き方に憧れますわね」




 少し陽が傾きかけた頃、ふと子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。街に人が少ないのでネーナは余計に気になる。子供が集まるような遊び場でもあるのだろうかと辺りを見渡す。


 声のする方を探していると、古めの建物へと行きついた。


 庭、というか、広場になっている部分には数人の子供たちが思い思いに遊んでいる。追いかけっこをする子もいれば、隅っこの方で木の枝を振り回している子もいる。年齢もバラバラで男の子も女の子も一緒くたになっていた。一番小さい子は四、五歳に見えるが、大きい子はネーナと変わらないくらいの身長も……。


「あら、あれはもしかして……?」


 一番年上に見えた少年はよく見るとヨハンだった。彼も今日は一日休みということで朝からどこかへ出かけていたが、こんなところに居たのだった。


「ヨハン様?」


「へ? ネーナ? なんでこんな所に?」


 まとわりつく子供を引きはがしつつ、ネーナの下へと駆けよるヨハン。それを言いたいのはコチラだとは思いつつも口に出さないネーナ。


「あの、ヨハン様、ここは一体……?」


「ああ、ここは孤児院だよ。ほら、オレはここの出だから帰省みたいなもんかな。……ま、軍に入ってからは滅多に帰れないんだけど」


 ヨハンによると、たまの休日はこうして孤児院の子供たちと遊ぶために帰ってきているらしい。どうりで子供もヨハンに懐いてるわけなのだ。こうしている間にも小さな子供たちに引っ張られて服が伸びそうになっている。


「なーなー? このお姉ちゃんだれー?」


「ああ、この人はな……」


「もしかしてヨハンニイの彼女?!」


 一人の女の子が急に声を上げる。それにつられて他の子供たちも「彼女?!」とざわつき出した。


「まぁ!」


「へ?!」


 慌てて弁解するヨハンとその隣で顔を赤くするネーナ。何故かまんざらでもない様子のネーナにヨハンは戸惑ってしまっている。




 どうにか誤解?を解いた後、ネーナも子供たちと一緒になって遊び始めた。最初は鬼ごっこだったはずが、いつの間にかネーナのカラテを真似て道場みたいになってしまっている。


「イチッ! ニィッ! そこ、もっと足を肩幅に広げて!」


「なんでそんなに厳しいの……? というかオレまで……?」


 正拳突きの練習をさせられているヨハンが困惑気味に呟く。そこへさらにネーナの厳しい指導が入ってしまう。




「ふはー! 疲れましたわ! 子供の体力を舐めていました!」


 孤児院の軒先に設けられたベンチへと腰かけるネーナ。すっかり日が暮れてしまい辺りは真っ赤に色づき始めたが、まだまだ子供たちは元気に駆け回っている。


「はい、お疲れ様」


 そこへヨハンが飲み物が入ったカップを手渡す。冷たい水が渇いた喉を潤す。


「悪いね、せっかくの休みなのに」


「いえ、とても楽しかったですわ。それにヨハン様の知られざる一面というか、そういうのも見れましたし……あの、ここの孤児院出身ということは、その、ご両親はもしかして……?」


「ああ、うん。親の事はは良く知らない。なんでも赤ん坊の頃にここへ捨てられてたんだってさ。ま、色んな事情があったんじゃないかな」


 あっけらかんとした表情で答えるヨハン。それを聞き、少し込み入ったことを訊ねてしまったと思い、いくらか後悔してしまうネーナ。


「あの、すみませんでした……」


「ああ、別に大丈夫だよ。だって赤ん坊の頃の話だしね、父親も母親も顔すら覚えてないもん。オレにとってはここで皆といるのが普通だったから」


「…………」


 ネーナは思わず父の顔を思い出す。最後に見たのはもう三か月ほど前だったか。そして、母の顔はぼんやりとしか思い出せない。


(お母様……私が生まれる時に亡くなられて……だから、お顔は屋敷にある肖像画でしか知りませんわね)


 ネーナの母親は彼女を出産すると同時に死んでしまっている。なので、彼女は母親の顔を直に見た事はなく、その愛情も知らずに育った。幸い、父親がその分の愛情を注いでくれたおかげで、ネーナはすくすくと成長した。母親代わりの乳母もいた。多くの従者が身の回りの世話をしてくれた。何一つ不自由な事はなかった。


 それがいつから窮屈に感じるようになり、そしてそこから抜け出したくなったのだろうか。はっきりと自覚したのはあの事件の時だが、おそらく、それより前から鬱屈としたものが溜まっていたような気がする。


(それでも……お父様には感謝しなくてはいけませんわね。ちょっと過保護でしたけど、それも私の事を想ってくれての事。この旅がひと段落着いたら一度、家に戻ったほうが良いのかもしれません) 




「だから、さ」


 ヨハンがポツリと呟く。


「ネーナもさ、いつかは自分の家に帰った方がいいよ。たぶん、親ってのは近くにいるとありがたみってのが分かりにくいもんだと思うんだ。オレには両親はいないけど、なんとなく……そう思う」


 どう言ったらいいのか分からないのか、ヨハンはゆっくり、自分の考えていることを言葉で表そうとしていた。それをネーナは静かに聞いている。


「クレアの姐さんやユウさん、ホワイトスワンの皆と一緒にいると、こういうのが家族に近いのかなって時々思うんだ。だから、きっと……ネーナが急に居なくなって、君のお父さんも心配してるはずだよ。オレだってスワンの誰かが急に居なくなったら嫌だし」


「……ヨハン様……」


 突然、ネーナはヨハンの手を取る。驚くヨハンの顔を覗き込んでいると耳まで真っ赤にしているのが分かる。


「分かりましたわ、ヨハン様。私、いくつかの街を巡ったら実家に戻ります。そこでもう一度お父様に私の気持ちを、やりたいことを話しますわ。今度は一方的にではなく、ちゃんとお父様の言い分も聞いて、お互いが納得できるようにしますわ!」


「お、おう」


「それに、お父様にヨハン様を紹介しなくてはいけませんしね!」


「ああ、うん……へ? オレ? なんで?!」


「なんでって……もう、全部言わせる気ですか?」


 そう言うとネーナはポッと頬を赤らめる。


「ちょっ! まっ! 一体なんの話?!」


「ふふふ、照れなくても良いですのよ? ヨハン様のお気持ち、私と同じですから!」


「あー、ふたりとも、お顔がまっかっかー!」


 向こうで遊んでいたはずの子供たちがいつの間にか、二人の近くに来ていた。


「いや、これは……」


「やっぱりこのお姉ちゃん、ヨハン兄ちゃんの彼女だったんじゃん!」


「かのじょ! かのじょ!」


「だぁぁぁ! だから違うって!」


 さらに顔を赤くして必死に否定するヨハン。しかし、それを見てさらに子供たちははやし立てる。


「もう、ヨハン様ったら、そんなに恥ずかしがらなくても……」


 ヨハンの様子を見て楽しそうに微笑むネーナ。


(やはり、あの時、私を連れ出してくれたのがヨハン様で良かった……)


 ネーナがホワイトスワンに乗り込む切っ掛けとなったあの出来事。鬱屈とした毎日を、閉塞的な壁を文字通りぶち抜いて現れた同い年くらいの少年。口ではああ言っているが、自分の事をよく見ていてくれていると感じる。


 そんなヨハンに、ネーナは仲間としての信頼以上の感情をいつの間にか抱くようになっていた。




「もしかして、最初からでしょうか?」


「何? どうしたの?」


「ふふ、なんでもありませんわ!」


 勢いよく立ち上がるネーナ。その表情は明るく、どこまでも真っすぐだった。








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