第59話 守防・3

第五十九話 守防・3


 先生が難しい顔をしている。


 ここはホワイトスワンの格納庫、先生は備え付けの起重機クレーンに吊り下げられたアルヴァリス……のようなものを眺めていた。今やアルヴァリスは全身の装甲を取り外され、ほとんどすべての人工筋肉を取り除かれた状態、つまり、内部骨格インナーフレームが剥き出しとなっている。


 前回の戦闘で、アルヴァリス・ノヴァは謎のガス攻撃を受けてしまい、その結果として全身の人工筋肉が損壊してしまったのだ。なので、こうして先生は新たな人工筋肉の換装作業中だったのだが。


「どう考えても在庫が足りないデス!」


 そう、ホワイトスワンに備蓄していた人工筋肉の在庫が圧倒的に足りなかったのだ。


 通常、理力甲冑に使用される人工筋肉はその消耗度と経年劣化によって定期的に交換されるのが常である。そのため、理力甲冑を運用する基地や工房ではある程度の在庫を保有していた。ホワイトスワンもその例外ではなく、レフィオーネやステッドランド・ブラストの運用の為に一定量の人工筋肉を備えていたのだ。


 しかし、アルヴァリスに使われているのは人工筋肉ではない。かつて、先生がクレメンテで新たに開発した新型の人工筋肉なのだ。


 この新型人工筋肉は従来のものより筋線維が太く、長く、引張強度と収縮力に優れる反面、原料となる魔物ネマトーダの養殖方法が確立されていないため、量産化には今一歩及ばずにいる。そのため、理力甲冑の一部部品などはレオやリディアが所属するレジスタンスから補給しているが、この新型人工筋肉だけはどうしても手に入らないのである。


「うーん、これは一度連合に戻らなきゃいけないデスかね……?」


 先生の脳裏にはこのアムリア大陸の地図が浮かぶ。ホワイトスワンの現在地は帝国領内、連合との国境線にそれなりに近い、大陸の中央付近である。このまま東に向かえば数日もしない距離に都市国家連合でも大きな都市の一つであるアルトスの街があるはずだ。


「一度クレアに相談しなきゃいけないデスね……」


 限られた戦力しか保有していないホワイトスワン隊において、理力甲冑が一機でも戦闘不能というのはなかなかに痛い状況だ。ネーナのカレルマインが加入したことで取れる作戦の幅も増えたこともあり、今更三機体制には戻れない。独立遊撃部隊としての意味合いの大きい同部隊が有する機体はどれも一対多を戦える

高性能機だが、やはり一度に相手に出来る数には限界があるのだ。









 骨格だけの状態で吊るされたアルヴァリスはひとまず、そのままにしておいて先生はクレアがいるであろうブリッジに向かう。本来ならばこのように重量物を吊り下げたままにしておくのは工房などの現場における安全作業に反するのだが、先生はたまにそういうことは無視してしまう悪癖があった。とりあえずホワイトスワンは移動する予定もなく、リディアが理力探知機レーダーで周囲の索敵を行っている為、大丈夫ではあろうが。


「クレアーいるデスかー?」


 作業の為、一つ結びにしていた長い髪をほどきながら先生はホワイトスワンのブリッジに入る。そこにはいつものブリッジメンバーであるボルツ、リディア、レオの三人に加え、クレアがいた。


「……? 一体何してるデス?」


 クレアは何やら書類のようなものを読んでいた。チラリと見える文面は何かしらの暗号なのだろうか、それはおよそまともな文章で構成されていなかった。何かしらの作戦指示書ならば、どうやってここまで届いたのだろう。移動するホワイトスワンには伝書鳩などはたどり着けない。だとすれば、レジスタンス経由だろうか。


「……ああ、悪いわね、ちょっと連合から指令文が届いてね。それで、どうしたの先生。もしかしてアルヴァリスは直りそうなの?」


「いやぁ、全然駄目デス。全身の人工筋肉がやられてしまってるデス。全部交換しようにも、スワンに積んでる新型のは予備が全然足りないんデスよ。だから……」


「だから、一度連合に戻る? 丁度良いというか、悪いというか……」


「ん? どういう事デス?」


 クレアはその手に持っていた書類をヒラヒラとさせる。


「本部からの指令では、陥落したケラートの街を奪還するために近々大規模作戦を展開することになったので、ホワイトスワン隊はアルトス、または近隣の町に帰還せよ、って」


「ああ、なるほどデス……アルトスに戻れるならアルヴァリスは元通りに修理できるデスが、その後の奪還作戦には絶対参加、という事デスね。まぁ、しょうがないデス」


 クレアは何とも微妙な顔をしている。おそらく、ケラート奪還作戦についての内容について納得していないのだ。その作戦とは、至って単純明快なものである。


 それはホワイトスワン隊を中核とした少数精鋭を以ってケラート守備部隊を打ち破り、速やかに街に侵入。その後に帝国軍が築いた本部を制圧するといったものであった。事前に大多数の部隊が陽動の為にケラート周辺に展開するが、それでもホワイトスワンの重要度、危険性が高いことには変わりがない作戦だ。


(確かに、私達ホワイトスワンはそういう作戦に持ってこいだけど……)


 連合軍上層部もホワイトスワン隊の戦力、単独行動力、そしてこれまでに成し遂げてきた数々の作戦を鑑みての決定である。そのことはクレアも理解はしている。


(それにしても、ちょっと無茶な作戦過ぎない? 一体誰がこんなのを立案したのよ……)











「ぶぇっくしょい!」


 くしゃみの勢いで何枚かの書類と地図が机の上から落ちてしまった。それを一枚ずつ丁寧に拾い上げている。


「おや、オバディア殿。花粉症ですかな? それとも最近の陽気に騙されてきちんと布団を被らずに寝ましたか」


「……誰かが噂してんだろ、それより、ケラート周辺の偵察はちゃんとしてんだろうな」


「ええ、それはもちろんバッチリ。現在も三つの偵察部隊が張り込んでおります」


 アルトスの街にある、連合軍本部庁舎の一室、そこにはオバディアと長身瘦躯の若い男性が居た。


 その男は黒髪を短めに刈りこんでおり、その表情はとても柔らかいものだ。しかし眼光は鋭く、彼が常人ではない雰囲気を醸し出している。そして痩せ気味の身体に見えるが、本当に痩せこけているわけではなかった。無駄な筋肉と脂肪がない、言ってしまえば鍛え上げられた長距離走者マラソンランナーのような引き締まった体型なのだ。





 彼らはここで来るべきケラート奪還作戦の為、詳細な打ち合わせと予想される敵戦力の行動を検討していたのだ。その為にアルトスの街には余所の街から招集された理力甲冑をはじめとした各部隊が続々と集まっている。


「ところで作戦に参加する筈の部隊が揃っていませんが。昨日クレメンテからの部隊は全て合流、東部からの部隊も本日中で全て到着する予定ですが、このホワイトスワン隊というのがまだです。それどころか連絡が着かないというのはいささか問題なのでは? 予定日までそう時間は残されておりません」


「ああ、このホワイトスワンは現在、特殊任務中だ。合流には時間が掛かる。ま、なんとかなるだろう」


 オバディアは全然気にした様子は無く、間に合えばそれでいい、くらいにしか見えない。


「ケラートは今後の戦況に大きく影響を及ぼす街ですよ? 分かってますか?」


「ああ、分かってるさ。だからだろ、クレメンテからは黒騎士の異名を持つシンサクマ佐久間を呼んでいるし……」


 オバディアの目が長身の男に向く。


スバルナガタ永田、お前ら二人が居れば大抵の作戦は成功するさ。異世界から召喚された人間がもいれば、な」


 スバルと呼ばれた男性はハァとため息を吐く。


「そりゃあ、私も一対一の戦闘には自信がありますがね? これでも異邦者召喚された人間なので。それにようやく私の理力甲冑も修理が完了したみたいですし。しかしたった一機、二機の理力甲冑が戦略、いえ、戦術にすら及ぼす影響は微々たるものです。あまり過大な期待はよして欲しい」


「そう言うない。現に、このホワイトスワン隊にいる奴らは良い所までいっているぞ?」


「彼らの事は報告書で知っています。それでもせいぜいが戦術レベルですよ。長期的な視野でみれば特に大きな影響は皆無です。ああ、いえ、理力エンジンの量産化については彼らの功績でしたね。とにかく……」


 スバルは手にした書類をトントンと綺麗に纏めていく。


「間に合うなら間に合うで、もしそうでないならそれぞれに対応した作戦を練り上げなくては。今回の作戦の肝心要はこのホワイトスワンの機動力なのですから」


「ま、心配しなくてもアイツ等は間に合うさ」


 オバディアの根拠のない自信にやれやれといった風に肩を竦めるスバル。


「私にとっては雪辱戦ですからね、少しでも成功する確率は上げておきたいのですよ」


 この部屋からでは見えない、遥か南にあるケラートの街。スバルはそちらの方をじっと見据える。


 この世界に召喚されて間もない頃にそこへ赴き、街の守備隊として理力甲冑を駆っていた。しかし、帝国の進撃によりケラートはあっけなく陥落、少数の部隊と住人を引き連れて逃げ出したのだ。彼は表情や態度には出してはいないが、その事を気にしているきらいがあった。


 スバルがどういう経緯を経てこの世界の住人に力を貸したのかは定かではないが、少なくとも街の防衛という任を果たせず敗走したという事実は彼の心の内をいくらか占めているのだろう。オバディアはスバルとの付き合いは短いが、彼が心に潜ませている物が悪い影響を及ぼさないか若干の心配ではあった。普段通りに振舞っているからこそ、内に秘めたものが激しいという事もある。


(ま、多分大丈夫だろうが)


 オバディアは年長者としてスバルを心配してはいたが、理力甲冑操縦士としては何の心配もしていなかった。時折、自分の事をひどく冷静に見つめられる性分の人間がいる。そういう奴は大抵の苦難を持ち前の客観性を持って切り抜けるものだと思うし、スバルがそういうタイプの人間だと直感的に感じるのであった。







 この戦争は次の局面へと進んでいく。果たして、三人の異邦者たちが一カ所に集うことで何が起きるのだろうか? それとも何も起きないのだろうか。そればかりはその時にならなければ分からない。


 確実なのは、彼らの行くところには必ず戦火が上がっているという事だけだ。










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