第59話 守防・2

第五十九話 守防・2


 少し荒れ気味の街道を理力甲冑の一団が進む。一番先頭には真っ黒な装甲と長大な槍を携える機体、グラントルクだった。


「やっぱり敵が出てこないのはつまらないな」


 その操縦士であるシン・サクマは無線機越しに話しかける。


「出てこないほうがいいだろ! ……情報によると、この周囲には帝国の前線基地はないらしいから大丈夫とは思うが、万が一の事もあるんだ。気を付けてくれよ」


 同僚の操縦士は自分で言ってて少し変な感じになる。気を付けてくれ。相手はシンだ、一体だれに心配をしているのかと思うと自分で自分の発言がバカらしくなってしまう。


「へいへい、分かりましたよ」


 シンの声はどことなくやる気が感じられないが、グラントルクの歩き方を見ればそれはということがよく分かる。今、漆黒の機体には隙が全く無いのだ。


 人間は歩行する際、いくらか個人差があるが必ず左右に揺れる。一部の武道ではその揺れに隙を見いだし、迫り来る敵を打ち倒す考えもあるそうだ。しかし、今のグラントルクはまったくブレない。まるで背中に一本棒を入れられたような、操り人形が歩く格好をしつつ横に流れるような、とにかく体幹がしっかりとしており左右に揺れないのだ。


 シンによれば特殊な歩方という事らしいのだが、それを真似しようとしても逆にぎこちない歩き方になってしまい、余計に隙ができただけだった。その点、彼の歩方は見事なもので武道という観点では素人の操縦士仲間でも、あまりの隙の無さに感服するばかりだ。


「まぁ、アルトスまでもう一日の距離だ。そうすりゃ、いくらでも帝国の奴らと戦えるから我慢しな」


 シンの小隊はそれぞれ気合を入れる。いずれもクレメンテが誇る一騎当千の猛者達だ、なんだかんだ言ってもこの数日の間に一度も戦闘が無いのはのだろう。







 一行はその後もアルトスを目指して南へと向かう。途中、後続の馬車や歩兵などの別部隊と合流し、その日の行軍を停止して夜営に入る。予定よりもいくらか早く、前倒しの行程なので目的地であるアルトスには昼前になるだろう。シンたちはそれぞれの理力甲冑を二機ずつ距離を離して膝立ちに駐機させてある。万が一、敵の襲撃などでまとめて撃破されないようにするためだ。


「……?」


「どうした、シン。そんな明後日の方を向いて」


 機体の簡易な点検と食事も済み、後は寝るだけになったのだが、不意にシンは森の方を見ている。


「……おいサイラス、みんなを叩き起こせ。敵だ」


「なんだと?! 周囲は哨戒も出ているんだぞ、確かか?!」


「この感じ、理力甲冑じゃないな……多分、魔物だろう」


 サイラスと呼ばれた操縦士仲間は一瞬戸惑いながらも、シンの言うことを信じて他の仲間のところへと走る。シンはその場で同じ方向をじっと見続けていたが、舌打ちをしてからすぐにグラントルクへと向かっていった。


「なんなんだよ、この感じ……敵の気配を感じるってヤツなのかよ」


 ここ最近、敵の動きや居場所がやけにハッキリと感じることがある。


 感覚が鋭くなることは槍の修練中や立合ではよくあった。しかし、それは集中力をすべて槍の一点に向けているからである。それに相手の動きと攻撃の先読みは経験と勘によるところが大きい。


 だが、シンの感じているソレは違った。頭のなかにどことなく、敵意のようなものを感じるのだ。特に理力甲冑同士の戦闘中においてはよりハッキリと感じるのである。


 そう、どこか、生物が持つ本能的な……。


「自分自身の力以外はあんまり頼りたくねぇんだがな……」


 グラントルクを起動させつつ、ポツリとつぶやく。しかし、今は非常時だと直感が告げる。この直感は昔から信じられるものなので、先程から感じるこの奇妙な感覚もとりあえずは信じておこう。


月明ツキアカリ……お前は信じられる。お前は良い槍だ」


 グラントルクは地面に突き立てていた愛用の剛槍を引き抜くと、石突に着いた土を払うかのようにクルリと一回転させる。


「さて、それじゃあ寝る前の準備運動といくか!」









 シンの小隊はそれぞれ自分の機体に乗り込み、魔物の迎撃に移る。シンによると、魔物の数は少ないらしいが。


「ヤバいな……」


 誰ともなくそう言うが、それに反論も異論も上がらない。明らかに異常なのはシンでなくとも周囲の気配で分かる。普段は虫や獣の鳴き声が聞こえる筈の森からは何も聞こえないからだ。夜の風が少しばかり鳴く程度だ。


 と、森の暗がりから何かがこちらへとやって来る音が聞こえだした。背の低い木を踏みつぶしているのか、バリバリと派手な音を立てている。


「そこそこ大きいな……、だが一匹だけのようだ」


 茂みが揺れ、その威容が姿を現す。夜営の灯りでその体表の鉱物がヌメリと反射した。


 巨大な体躯。二本足で立っている為、その大きさがよく分る。太い脚、黒々とした体毛が鉱物と鉱物の隙間から覗いている。ギラギラと光る眼に鋭く伸びた牙と爪。


「……! ロックベア岩石熊……だと?!」


「そうか、春になったから冬眠から目覚めたのか!」


「でもこんな所にいる魔物じゃないぞ?! 一体どうして!?」


 動揺する仲間を尻目に、一機の理力甲冑が前に出る。漆黒の槍を携えたグラントルクだ。


「……」


 シンは目の前の魔物を見据える。通常、ロックベアは理力甲冑より一回りほど小さいのだが、この個体は特に大柄なようでグラントルクと同じかそれ以上はあるようだ。全身が分厚い筋肉と硬質な鉱石で覆われているため、体重で言えば重量級のグラントルクをさらに上回るであろうこの巨大クマを倒すのは一筋縄ではいかない筈だ。


 ロックベアが爛々と輝く眼をシン達に向け、大きく吼える。それだけで辺りの空気が震え、理力甲冑の操縦席までその衝撃が伝わってくるようだ。


 しかしシンは真っすぐに構えた剛槍――銘を「宵闇月明ヨイノヤミツキアカリ」という――の鋭い刃をロックベアの喉元へと向ける。その動きはとても静かで、シンが冷静かつ気後れしていないことを示していた。


「……!」


 次の瞬間、グラントルクは駆けた。その分厚い装甲と見た目から鈍重に見えがちだが、内部には多くの人工筋肉が使用されており、操縦士のシンの膨大な理力と操縦技術が合わさることで並みの理力甲冑よりも素早い動きが可能となっている。


 グラントルクの右足が大地にめり込み、それと同時に槍を持った右腕を前方へと押し出す。下半身と上半身の動きが合わさることで、まさに目にも止まらない程の速度で槍が闇夜を切り裂いた。断面が正三角形をした刃は、狙いをあやまたずにロックベアの喉笛を――――


 貫かなかった。





 ピタリ、とその直前で止められたのだ。


 他の操縦士は今の一撃で仕留められたはず、と思いながらも誰一人として口を挟めずにいた。


 当のロックベアも、この僅かな時間で何が起きたのか理解出来ていなかったようだ。まるで時を止められたかのように微動だに出来なかったが、数瞬の後、その大きく重い後ろ脚を一歩下げた。


「お前は腹が空いただけなんだろう? 見逃してやるから、とっとと何処かに行きな」


 魔物相手にシンは穏やかな声で語りかける。人間の言葉が魔物に通じるという事実はないが、まるでシンの意思が伝わったかのようにロックベアは思わず二歩、三歩とさらに後ろへと下がってしまう。


 その様子を見たシンは槍を下し、ロックベアに背中を見せながらその場を立ち去ろうとする。ロックベアはまるで放心したかのように、口を開いたままだった。


「お、おい、シン。大丈夫なのか……?」


 そうサイラスが声を掛けようとした瞬間、ロックベアの眼が再び獰猛な光を宿した。全身の筋肉を膨張させ、背中を見せているグラントルクへと覆いかぶさるようにして飛び掛かったのだ。


「シン!」


 誰もがグラントルクの上半身がひしゃげて潰れるのを想像した。ロックベアの前腕にはステッドランド程度ならば簡単に鉄クズに変えてしまうほどの膂力が備わっている。いくら重装甲が自慢のグラントルクといえど、この不意打ちは耐えられない。


 漆黒の機体が漆黒の魔物に包まれる。金属よりも硬いと言われる爪がグラントルクの肩にめり込んだ。このままグラントルクは木切れのように無残にも吹き飛ばされてしまうのだろうか。





 が、突然ロックベアは全身の力が抜けたようにして崩れ落ちた。巨大な体躯が地面とぶつかり、辺りに地震かと思うほどの揺れを引き起こす。


 グラントルクはロックベアに背後から襲われるその一瞬のうちに槍の石突を上に向けていたのだ。そのままロックベアが覆いかぶさることで石突は胸骨に、刃は地面にそれぞれ突き刺さり、自身の重量でより深くめり込んでいったのだ。


 そしてその重量にとうとう胸骨は耐えきれず、堅牢な骨で保護していたはずの心臓を押しつぶしてしまった。


「シ、シン?! 無事か?!」


 漆黒の機体は肩に僅かな傷を負っただけで、どこにも異常はないようだ。


「ああ、俺はなんともない……まったく、無駄な殺生させやがって……」


 無線機越しなのでその表情はうかがい知れない。が、しかしサイラスにはシンの胸中が分かるような気がした。


(いや、分かる気がするだけだな。時々、シンは俺たちとは違う考えをしているように思える……)


 本来ならば、強力な魔物であるロックベアを単機で討伐したとあっては大歓声を持って迎えるべき大健闘である。しかし、シンの様子はそんな空気を少しも感じさせない、どこか虚しいものだった。











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