第56話 信頼・3

第五十六話 ・3


「ようやく気付いたか! もう遅い! アイツ等は今頃、白鳥撃ちの真っ最中よ!」


 濃灰色の機体が吼え、敵操縦士のドウェイン・ウォーはまるで自身のあだ名である岩石熊ロックベアの咆哮のような大声を出す。


(しまった……まさか自分を囮にして仲間をスワンの所へ向かわせるなんて!)


 ユウは目の前の敵にしっかりと向き合う。迂闊だったと内心では反省するが、今となってはどうしようもない。とにかく、この窮地を脱してホワイトスワンの下へと戻らなければ。


 他の機体よりも一回り大きいゴールスタの体格に抱きかかえられるようにして捕まえられたアルヴァリス・ノヴァは必死に振りほどこうとするが、相手のパワーは凄まじく一向に離れることが出来ない。相手はオーガ・ナイフの一撃で片腕を失っているが、それでもなおこの出力だ。むしろ両腕で締め付けられた場合、それこそ一呼吸のうちに操縦席ごとサバ折りにされてしまっているだろう。


 ユウはアルヴァリスの膝を相手の腹部に蹴り込む。しかし、密着状態からの膝蹴りでは十分な威力が得られず、分厚い装甲の表面をいくらか削るだけだった。


「くそっ! 早く抜け出さなくちゃいけないのに……!」


 今もアルヴァリスの胴体部からは金属が泣くかのような音が響いている。胸部から腹部、背面の装甲と内部骨格フレームが凄まじい圧力に耐えかねて悲鳴を上げているのだ。それに気のせいでなければ、操縦席も少し歪んでしまっているようだ。


 ユウは眼を閉じて操縦桿を強く握りしめる。自分の身体、その全身の筋肉を総動員する意思イメージを固め、その意思イメージをアルヴァリス・ノヴァと同期シンクロさせる。自分の身体がアルヴァリスで、アルヴァリスが自分の身体。自身は機体の一部、機体は自身の一部。ユウとアルヴァリスの境界線が融けて混じり合うような、元々二つの存在は一つの存在だったような気さえしてくる。


「スゥ……ハァ…………!」


 ユウは呼吸を整え、静かに目を開く。


(このドウェインって人とゴールスタ、噂通りの強敵だ。全力のアルヴァリスでも互角……いや、操縦士が持つ経験の差で僕が負けている)


 戦闘における経験と勘、こればかりはいくらユウでも簡単に覆らない。しかし。


(だからどうした。今すぐホワイトスワンの所へ戻らなくちゃ、みんなが、先生が危ないんだ!)


 そう、敵がどれだけ強いのかは関係がない。


 だから。


「あなたに! ここで負けるわけにはいかないっ!」








 突然、光の奔流が視界を埋め尽くす。純白の機体はすっかり輪郭程度にしか見えなくなってしまった。


「な、なんだ?! この光……!」


 ゴールスタに乗るドウェイン・ウォーは未知の現象を前にただ驚くばかりだ。しかしそこは歴戦の戦士、敵機アルヴァリスを締め付ける力は少しも緩めはしない。


「何をしたのか分からんが、この程度でワシは怯みはせん!」


 ドウェインは大きく息を吸い込み、ゴールスタの人工筋肉へとより一層の理力を送り込む。分厚い装甲の下、肉の塊と言っていいほど膨れ上がった人工筋肉がさらに膨張した。


「貴様はなかなかの強者つわものだが、人を殺める覚悟が無い! そんな者に戦士であるワシには到底勝てん!」


 金属同士が強く擦れ、少しずつ損壊する嫌な音が響き渡る。しかしそれと同時にどこからか、何かが高速で回転するような高音も聞こえてくる。この妙な発光現象と音はこの純白の機体の仕業かとドウェインは訝しむ。


「僕は……戦士なんかじゃない! そんなものにはなりたくはない!」


「ユウと言ったな! そんな腑抜けた事を言うようでは戦場に来る資格はないぞ!」


「僕は! 人を殺めたり、傷つけるためにアルヴァリスに乗っているんじゃない! 誰かを……いや、僕は僕の仲間を助けるために戦うんだ!」


 ドウェインはユウの青臭い理想を鼻で笑おうとする。しかし、心のどこかでそれは出来ないと思った。何故だが彼自身にも分からないが、その理想を笑う事は相手を侮辱する事だと感じてしまった。


「……ならば、力を見せろ! 戦士でも無い者がここ戦場で理想を唱えるには相応の力を周囲に見せつけねばならん!」


「言われ…………なくても!」


 両者は改めて全力を振り絞る。ゴールスタの残された太い右腕が万力のように締め付ける。しかし、少しずつ純白の機体は輝きが増していき、ゴールスタとの間には隙間が出来つつある。


(まさか、このゴールスタが力比べで負けるだと?!)


 ドウェインは思わず目を見張る。他のどんな機体と操縦士が束になっても敵わないほどのパワーを誇るゴールスタが、目の前の華奢な理力甲冑に力で負けるという事実を受け入れられなかった。


「き、貴様ぁ!」


「押し通る!」


 アルヴァリスは胴体との間に出来た隙間へ両脚を潜り込ませた。そして全身のバネを使うようにして思い切りゴールスタを蹴り飛ばす。


 そして鈍い、金属特有の音。それと何かが引きちぎれるような音が響いた。


 ボタボタと液体がこぼれる。人工筋肉を保護するための防腐液が流れ落ちていく。ゴールスタの右腕が肩口から引きちぎれていた。


 空中で一回転してから着地するアルヴァリス・ノヴァ。その軌跡には薄っすらと光の粒が残る。


 対峙する二機の理力甲冑。片方は両腕を失った濃灰色の巨躯。もう片方は全身に大きなダメージを負った白く輝く影。どちらも未だ闘志は衰えず、互いを見据える眼に光を失っていない。そして、もはや両者の間に言葉は要らなかった。


 あと、一撃。それでどちらかが倒れるだろう。






 風が、両者の間に吹いたような気がした。


 ドウェインは機体を小さく屈ませ、目の前の敵に頭からぶつけようとする。例え両腕を失ったとしてもこの重量は脅威となる。この体当たりで純白の機体はバラバラになるだろう。


 両脚を大地に叩きつけ、殆ど倒れ込むようにして敵機に飛び込む。





 ユウはアルヴァリスの右腕に意識を集中させる。すると光の粒子が集まり、まるで刃のような形になった。如何なる原理か、その光の刃は切っ先が鋭く敵に向けられる。


 右腕を小さく構えて、敵機へと斬り込む。






 二つの機体が交差した。そして。


 白く輝く光の粒子を右腕に集めたアルヴァリス・ノヴァが静かに振り返る。そこには胸部を大きく抉られたゴールスタが倒れ込んでいた。


 装甲を軋ませながらアルヴァリスは一礼すると、光の粒子をその場に残して大きく跳躍した。まるで影の如く、一瞬で見えなくなってしまう。


「…………まったく、なんてヤツだ」


 機能停止し、真っ暗な操縦席には斬り裂かれた装甲から外の光が差し込む。


「人を殺めるつもりはない……か。無茶を言いおるわ」


 ドウェインはゆっくりと状況を把握する。自分の身体は無事だ。ゴールスタが倒れ込んだ際に少し体をぶつけたが、それくらいで彼の頑強な肉体は痣にもならない。


 ゴールスタを再起動しようにも、うんともすんとも言わない。どうやら胸部を破壊され、大量の人工筋肉が破断したせいだろう。こうまで損傷しては例え再起動したとしても、まともに立ち上がれない。


「ユウ・ナカムラと言ったな、あの操縦士。ふむ、ワシの考えが正しければ……奴は別の世界……から召喚された人間か」


 ドウェインは何かしら、召喚について、別の世界について心当たりがあるようだ。しかし本来、それは誰もが知ることでは無い。クレアやヨハンでも詳しくは聞かされていない知識。


「であれば、皇帝陛下にお伝えせねばならんか」


 彼は今後の事とユウ・ナカムラという操縦士の事、そしてエベリナ義娘に無茶をした経緯について小言を言われるだろうと想像し、深いため息を吐いた。










「あれ? 無線が繋がらない?」


 ユウは先ほどからしきりに無線機を弄っているが、ガリガリとうるさいノイズしか聞こえない。あまりに機体へ負荷が掛かったので無線機の送受信機アンテナが破損してしまったのだろうか。


 アルヴァリスの全身からはすっかり光の粒子が見えなくなっている。それでも背部の理力エンジンは高回転を維持し続け、各スラスターは間断なく圧縮空気を吐き出す。


「…………スワンはこっちか」


 なんとなく、スワンの位置が分かる気がする。確か、最後に聞いた無線ではネーナやヨハン達がいる方角へと進路を向けていたはずだ。ユウは操縦席の端に取り付けられた方位磁石に目をやり、南西に向かって跳躍を繰り返す。


 と、急にアルヴァリスは進路を少しずらす。ユウはこの先の森の端、敵がいるような気がしたのだ。


(なんか、変な感覚だな。敵の居場所が……見える?)


 イヤな気配がするところを避けつつ、スワンを追う。どうしてだか分からないが、敵とは遭遇しない。


「でも、スワンの気配を感じるって事はみんな無事ってことだよな?」


 確信は無いが、何故だか不吉な予感はしない。ユウはその殆ど直感ともいえる不確かなものを信じる。そしてアルヴァリスは今一度、大地を強く踏みしめて大きく跳んだ。









「あっ! 先生! ホラ、アルヴァリスだよ! この反応!」


 ホワイトスワンのブリッジではリディアが大声を上げて先生を呼ぶ。


「ようやく戻ってきたデスか! ボルツ君! 少し速度を落として! アルヴァリスを収容するデスよ!」


「了解しました。ついでに格納庫のハッチも開けます」


 あくまで冷静なボルツはポチポチとハッチを開閉するボタンを操作しながら少しずつホワイトスワンの速度を調節する。


「ヨハン、聞こえる? ユウが帰ってくるから格納庫を空けておいて! クレア、周囲に敵機はいないけど、引き続き警戒お願い!」


 ブリッジの窓、そのすぐ向こうには水色の機体が見える。レフィオーネは低空飛行でホワイトスワンに並行しながら周囲の警戒をしていたのだった。


「……見えたわ! かなりボロボロみたいだけど機体の動きからして、まだ大丈夫そうね」


「さっさとこの場から逃げるデスよ、落ち着いた場所じゃなきゃ修理も満足に出来ないデス!」


 先生は皆に指示を飛ばしていく。どうやら、全員無事に帰ることができたようだ。心の中で安堵する。













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