第51話 困惑・1

第五十一話 困惑・1


 操縦席から見える空はどんよりと曇っている。風も強くなってきたし、この様子ではそろそろ雪が降るかもしれない。


 そんな事を思いながら理力甲冑・ティガレストに搭乗しているクリス・シンプソンは機体を制御する。ティガレストの背面から聞こえてくる甲高い音――――理力エンジンが稼働している音がよく響いてくる。


 クリスは視線をずらし、モニター画面の端にいくつか備え付けられた各種計測器のうちの一つを見る。その針は少し小刻みに震えながらも、緑色の安定を示す圏内に収まっていた。つまり、理力エンジンの回転数が安全な状態である事を示している。


「今は……三千回転か。非戦闘時だとこんなもんだな」


 クリスは無線機を操作し、とある人物を呼び出す。


「おい、サヴァン。聞こえているか? 理力エンジンは今のところ回転数に異常はない」


 少し間が開き、ノイズ混じりに返答が聞こえてきた。どこか眠たそうな声なのはこの際、無視する。


「……んあぁ、そうか。もし計器の針が大きく振れだしたり、危険領域レッドゾーンに入りそうになったら緊急停止しろよ。ふあぁぁ、眠たい……」


 無線の相手はサヴァン・ロートン。彼は帝国軍で理力甲冑の開発を担当している技術者で、今は理力エンジンのチームを率いている。つまり、クリス達の部隊からしてみれば上司ボスに当たる人物だった。


 サヴァンが寝不足でかなり眠たそうにしている、いや、眠り始めたのは昨日まで徹夜で作業をしていたからである。建前上、開発チームとなってはいるが、理力エンジンを実際に開発したのは先生だ。彼らはその事を国の内外で誤魔化しつつ、かつ先生が残した資料や試作品から実用化に耐えうる理力エンジンをしなくてはいけなかった。その為、帝国内で一番完成品オリジナルに近い試作型理力エンジンを搭載したティガレストで実験を繰り返し、集まったさまざまなデータを纏めなければならなかった。要はその締め切りが昨日だったわけで、しかも今朝は補給部隊護衛に同行しなければならず、その準備に時間が掛かってしまったのである。


「技術屋というのはみんななのか……?」


 無線の向こうから馬車の車輪がガタガタなる音と彼のイビキが合わさって聞こえてくる中、クリスは大きなため息をついた。今日の曇り空のような気分を変えるために、機体の首をぐるりと回して部隊の様子を確認する。


 補給部隊の馬車はあまり大きくない街道を一列に長く続いている。その間隔は馬車一台分ずつきっちりと空いており、突然の事で馬車を停止や回避させるために必要な距離だ。それがきっちりと同じ間隔が続いているのは、この補給部隊の練度の高さを伺わせる。その馬車の四方には護衛兼、馬車の整備、馬の世話係である歩兵が数人ついていた。彼らは歩兵用の半自動小銃を携えているが、あまり使用したことはないだろう。それほど汚れや傷がついていない。


 そして、車列の前方に位置するクリスのティガレストをはじめとした理力甲冑ステッドランドが馬車からいくらか離れた所をゆっくりとした速度で歩いている。理力甲冑は歩幅が大きいので、普通に歩くと馬車を簡単に追い越してしまう。なのでこうして馬車の速度に合わせているのだ。


 時折、先頭にいるクリスは後方の馬車や理力甲冑が遅れていないかを確認する。このような行軍では後方の部隊が遅れやすいので先頭の隊長格は時々車列の速度を調整しなければならない。また、帝国軍では千鳥列と呼ばれる配置で車列に対して左右交互に一定の間隔で理力甲冑を配している。長い車列を少ない機体で左右どちらにも対処でき、有事の際には集結しやすい並び方だ。


 今回、彼らが護衛するのは馬車五十台からなる中規模な部隊だ。主に食糧と弾薬が積まれており、これだけで中隊規模の人員三週間分の量だ。小麦に塩漬け肉や干した肉、さまざまな野菜に果物、魚の燻製に飲料水と兵士の士気を上げる為のアルコール。他にも下着や石鹸といった生活用品も含まれている。


 ついでに、周囲の地形と手持ちの地図を見比べる。いま進んでいる街道は緩やかな斜面の一番谷の部分になっている。左右にはなだらかな草原が少しばかり続き、その向こうは森が広がっていた。今日の曇り空と合わせて、森の中は欝蒼としていて何かが潜んでいても見分けがつかないかもしれない。


 クリスは出発した時間と行軍速度からおおよその現在地に見当をつけ、地図と周りの地形を照らし合わせる。今のところは計画通りの順調な行軍だ。あと少し行ったところで昼の休憩を取り、夕方には最初の野営地に到着するだろう。


「…………」


 クリスは何かを感じ取ったのか、操縦席に映る映像を注意深く見ていく。しかし、そこには不審なものはなにもない。広がる草原と森。そして自分たちは低所に位置している。待ち伏せにはちょうどいい場所、というやつだが……。


「理力甲冑各機と補給部隊の全員に告ぐ。敵がいるぞ。各自、警戒を厳に」


 周囲には何の異常もない。しかし、クリスは自分の直感を信じた。


 彼の言葉に補給部隊の面々は多少訝しんでいるが、クリスの部下である理力甲冑部隊はすぐに手にした小銃を構え周囲を警戒する。一瞬でその場がピリピリとした雰囲気に包まれてしまう。


「車列を止めるぞ。各馬車は三十秒後に停止」


 クリスが命令すると、馬車はきっかり三十秒後に停止する。それと同時にそれぞれの理力甲冑は車列を背に、敵が潜んでいるであろう南北の森に小銃を向ける。


 冷たい風が足元の草をサラサラと揺らす。立ち止まった馬がいななく。


 攻撃の気配はおろか、敵がいる様子はどこにも見受けられない。クリスの勘違いだったのだろうか。





 瞬間、一機のステッドランドの腹部に大きな穴が空き、くの字に吹き飛ぶ。運悪く、倒れる方にいた馬車はその巨体に押しつぶされてしまった。


「敵の砲撃かっ?! 誰か発射点を見たか?!」


「九時の方向! 北の森、中腹です!」


「隊長! 南側から所属不明の理力甲冑が!」


 北側の森からの砲撃によって護衛の戦力を削ぎ、南側から理力甲冑で補給部隊を叩く算段なのだろうとクリスは予想する。地形を利用した、基本的な作戦だ。


「北側の敵は放っておけ! 砲兵の数は少ない! 今は南の理力甲冑を迎撃しろ!」


 この襲撃者の数は少ないとクリスは一瞬で見抜く。こういう場合の砲撃は、一気呵成に多くの砲門で敵をすりつぶすのが定石だ。しかしこの砲兵は一門しか持っていないようで、しかも次の砲撃までそれなりに時間がある。それならば何の脅威でもない、そうクリスは判断したのだ。


「各機、動き回れ! 敵の砲撃は乱戦に持ち込めば用を為さない!」


 ティガレストが全身の人工筋肉を膨張させると同時に、背部の理力エンジンの回転数が徐々に上がっていく。そのエンジンが奏でる高音は、まさにアルヴァリスのものと全く同じだった。


 クリスは南から来る敵の理力甲冑三機を迎撃するため、ティガレストを駆けさせる。その加速度は順調に増していき、すぐにトップスピードへと到達する。その動きはまるで野生の魔物さながらで、従来の理力甲冑よりも機体のバネが強いのか、しなやかかつ力強く全身が躍動している。


「む……? あの機体はまさか?!」


 敵の理力甲冑が隠蔽用の迷彩塗装を施した外套を脱ぎ去った。その機体の一機は純白に特徴的な赤のラインが入っている。そしてこの距離からでも分かる、あの顔。


「アルヴァリスッ! ユウかッ!」








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