第41話 暗雲
第四十一話 暗雲
「全く、休む間も無いな?」
広い部屋の隅々までしっかりとした張りのある声が響き渡る。言葉の割にはあまり疲れた様子は無く、それどころか新たな仕事を歓迎しているかのような調子だ。
豪奢な装飾の家具に調度品が並ぶこの部屋は白を基調としている。窓の外に見える白く美しい街並みと相まって一種の荘厳さを演出しているようだ。質の良い木材を使った執務机は利便性を追求しながらも所々に優美さを忘れない、この国でも一、二を争う職人の作だ。その机に向かうのはジョナサン゠アル゠ラント゠オハラ゠オーバルディア。オーバルディア帝国第十三代皇帝その人だ。
上品な銀髪は後ろに撫で付けられ、もうすぐ六十近くになる年齢にしては皺の少ない整った顔をしている。その銀眼は普段、柔和に見えるがその瞳の奥にはギラギラとしたものが感じられる。そしてその口元にはたっぷりと蓄えられた髭が威厳を醸し出す。
今は椅子に座っているため少々分かりにくいが、その体つきは非常にしっかりとしたものだ。身長は成人男性の平均を大きく超え、他の者と並ぶと頭一つ飛び出る。若い頃には一通りの剣術、馬術、武術に射撃術を修めていたといわれ、現在でもそのコートの上から筋肉質な体型がよく分かる。もちろん、理力甲冑の操縦にも優れ、彼の武勇伝を紐解けば多くの魔物退治の話が出てくる。
もちろん武人としてだけではなく、知略にも優れている。数々の侵略戦争の指揮から国内の政策までその手腕を奮い、帝国の発展に寄与してきた。特にここ近年の国民の生活を重視した政策は国内外から高い評価を得ており、周辺諸国がそれを参考にするほどだ。
今しがた、朝から長く続いた会議が終わり執務室へと戻ってきたところ、部屋の前に文官が何人か待ち構えていたのだった。彼らは報告すべき事案をいち早く皇帝の耳に届け、その是非をすぐさまそれぞれの部署に持ち帰る。このところ、ずっとこのような状態が続いている。朝の執務中、昼の会議前、夕方の会談後と、まさに休む間などありはしない。
一人の文官が進み出て
「皇帝、連合に対する侵攻作戦の草案が軍部から上がってきました。明日の軍議にて検討するとのことなので目を通しておいて欲しいとの事です」
「ずいぶん分厚い書類だな。要点は?」
一抱えもある紙の束を受け取ると、パラパラとめくって概要の項を探す。
「この前のシナイトスと同様に電撃的に軍を展開し、連合領内に複数の
「連合の理力甲冑については? 確か、連中もステッドランドの量産に入っていた筈だが?」
「間諜によれば、性能はほぼ帝国軍のものと同等という事です。生産数もひと月ほど前から安定しているらしく、一か月の生産台数は我が国の1.5~2倍は見込めるのではないかという報告がありました」
再び資料をめくり、必要なデータを探し当てる。予想される連合の戦力をまとめた項には様々な数値がびっしりと書き込まれていた。
「現段階での総生産数は……ふむ。これくらいか。やはり早いな。戦力比でいうと……五対一、程度。時間を掛けると厄介だな、なんとか工房を叩けないか?」
「軍部もその事は承知しているようです。しかし、連合もその事を理解しているのでしょう。量産の殆どを連合領内でも東部の工房で行っているので、なかなか手が出しにくいと思われます」
今やこのアムリア大陸は西半分をオーバルディア帝国、東半分を都市国家連合が占めている。人口や経済力で同等な二者だが、理力甲冑の数と単純な軍事力で帝国に劣る連合は一刻も早く軍備増強を図りたい所だろう。そのため、理力甲冑の量産は比較的、侵攻されにくい東部に集中させたのだ。前線に配備されるまでに輸送の時間が掛かるだろうが、これは当然の事だろう。
「それについては軍の技術部が開発した高速輸送機を活用する案が出ています」
別の文官が発言する。先ほどの書類の半分ほど、それでも十分に重い紙の束を机の上に差し出す。
「ふむ、あの宙を飛ぶ奴だな? どんな案だ?」
「甲式
「つまり防衛線を飛び越えて敵地深くまでの侵攻を今までにない速度で行える訳か、面白い作戦だな。そうなると、その部隊の損耗率が気になる所だな。ただの自滅になれば意味がない……作戦案と数字はこの資料にあるのか?」
「はっ、実戦による運用と実験を繰り返してデータを取得しております。状況別にいくつかの作戦案と共に、それぞれ想定され得る戦果と損害を出しています」
「後で目を通しておくとしよう」
「それで、理力エンジンについてですが……」
「例の新型機関か」
何度か報告に聞いていた
「は、内部機構の解析が進んだ事で想定出力の80%を達成しました。しかし小型化に関しては難航しており、現時点では当初の計画を修正して輸送機用の機関としての運用に集中するべきかと」
「やはり小型化は難しいのか? 現に
「は……あ、いえ、私は技術的な面について詳しくないのでなんとも……担当している技術者からの報告書を信じれば、小型化するためには加工や
「……そうか……そればかりはどうにもならんな。その
皇帝自身、理力エンジンの開発者の事はあまり知らないし、知らなくても良い情報だった。出来上がったものが有効であればそれで良し、そうでなければ別の才ある者に置き換えれば済む話だ。実際、その開発者の功績によってこれまででは考えられもしなかった新型輸送機を帝国は手に入れることが出来た。この輸送機の登場によって兵站の常識が覆るだろう。それはつまり、戦争が変わるという事だ。これほどの発明を成し遂げた傑物は帝国広しといえど、そうはいないだろう。
帝国は他の国に対して理力甲冑を始めとした様々な点で優位に立っている。しかし対連合戦において、最も警戒すべきは持久戦に持ち込まれることだ。軍事力、技術力では勝っているものの、豊富な物的・人的資源は戦争が長引けば長引くほど帝国を不利にしていくだろう。
その為に政治、交易で徐々に周辺の都市国家を弱体化させようと苦慮したものだが、向こうにもこちらの意図を早期に見抜いた者がいたのだろう。結果として連合に戦力を整える時間を与えてしまった。しかし新型輸送機を上手く使えば再び帝国の優位は大きなものとなる。
「それで……その亡命した開発者なのですが、最近、それらしき人物がグレイブ王国へと向かっているとの報告がありました。どうやら例の街道の騒動にも関わっているようです」
一枚の写真……だろうか、白黒の粗い画質だがよく見ると森の中を走るホワイトスワンの姿が写っている。
「これは? いや、待て。この機体は確か……亡命する際に破壊されたと聞いた筈だが?」
「それがどうも、開発に携わっていた技術将校が事態を重く見て独断で情報の統制を行っていたようで。結果的に開発者は失踪、開発データや成果の殆どが実験中の事故というのが世間的な発表になったようです」
「研究成果を持って連合に亡命か……せいぜい、いくらかのデータだけかと踏んでいたが、これほどの成果を手土産にとはな。それで? この機体にその開発者が乗っていると?」
「この機体は完成しているとはいえ、試作の域をでないとの事でした。こうして実際に運用するには開発者が自ら手を加えないと難しいため、また連合にあれほどの技術者は少ないだろうとの事から十中八九、搭乗していると」
「カリャンの町から西にグレイブへと向かう各地でこの機体が何度も目撃されています。その近辺の理力甲冑部隊が謎の敵に襲われたという事件も恐らく、この一行の仕業とみて間違いないでしょう。そして、例の街道ではこの機体が現れると同時に爆破事件が発生したとみられています。この件には国内のテロリストグループが関与しているとの疑いがあります。両者になんらかの協力関係があるのかもしれません」
「……グレイブか。まぁ、恐らく理力甲冑の技術提供を持ちかけたのだろうな。シナイトスが我が手中に堕ちた以上、他に頼れる所もそうあるまい」
「間諜もそのように分析しています。詳細は掴めませんでしたが、何かしらの兵器量産と新型理力甲冑の開発に関する書類の写しを入手したとの事です。しかしながら不確かな情報が多く、偽装工作の可能性もあるのでハッキリとした事は現時点で不明ですが」
「それについては引き続き調査しろ。特に連合の戦力に繋がりそうな事は念入りにな。それと外交筋からグレイブに圧力をかけろ。多少は無理をしても構わん、なんなら
「承知致しました。
「当面は捨て置け、今からでは何も出来まい。しかしそうだな、念のために動向は監視しろ。なんといっても理力エンジンの開発者だ、放っておくと妙な物を作るやもしれん」
帝国の総意としては、対連合戦に長い時間を掛けるつもりはない。それはつまり、連合がグレイブ王国と協力して新たな理力甲冑を開発しようとしたところで、この戦争には間に合わないだろう。
戦争とはそれまでに行ってきた事の集大成だと誰かが言った。兵の鍛練から各種兵站の備蓄、外交による圧力や他国の動向調査に至るまで。様々な要素が絡む中、より多くの準備をしたほうが勝つ。その意味では帝国が他国に劣る理由がない。
そう、オーバルディア帝国は誕生してからのこの約二百年もの間、準備を進めてきた。他国には秘密裏に、時には自国民や忠臣にも隠しながら。
(アムリア大陸の統一、それこそが我が王家の宿願の一つ、それこそがオーバルディア帝国が存在する理由。二百余年、十三代目の儂でようやくそれが見えてきた、な)
オーバルディア帝国は比較的若い国だった。今から約二百年前、首都イースディアがある付近にあった古い王国を打ち滅ぼして出来た小国だったのだが、その急成長ぶりは世の歴史学者をして
その中でも長さや重さといった単位の統一、地域毎に存在した複数の古い言語を廃止し現在の公用語を制定、教育制度を見直して貴族から農民まで一律に学べる学校を開設したことがよく評価に上がる。これらの改革により、識字率は大幅に上がり今では文字の読み書きはほぼ全ての国民が行える。また身分に関係なく平等な教育は科学技術の向上や経済発展の後押しになり、正確な単位系を扱うことは工業、建築を効率的にし、そのほかにも多くの恩恵をもたらした。
しかも驚くべきことに、これらの政策・改革はオーバルディア帝国初代皇帝の代で行われたということである。これまでもに名君や賢君は数多くいたが、これほど先見性のある王は歴史上でも稀だろう。そのおかげで統一言語や単位はアムリア大陸全土に広く普及し、今に至る。それだけでも大陸の文明を百年は推し進めたとさえ言われる。
その一方で、初代皇帝は何かと秘密が多い人物だったとも言われている。まず、その来歴が詳しく残っていない。滅ぼされた旧王国の地方貴族の嫡男だった事は判明しているが、幼少期の記録が全く残っていないとされる。はっきりとした資料は帝国の樹立後からで、一部の記録は誇張、または捏造されているとの見方すらある。そのすべてを知っているのは直系の王家のみで、たとえ王族の血筋といえど情報は厳重に管理されているという噂だ。
また初代皇帝を建国より以前から支えたという腹心がいるのだが、詳細がほとんど見えない謎の人物だった。男性か女性か、年齢、出身地、人相その他すべてが不明。いつ頃から初代皇帝に仕えたのかも資料によってバラバラで、そもそもそのような人物がいたのかすら今だに議論の対象になっている。一説ではこの腹心に該当する人物は複数人だったのでは、と真剣に研究されているくらいである。
これほどの謎に包まれた皇帝も珍しいが、それが問題にならなかったのは上述の優れた政策を断行した政治手腕と旧王国の腐敗があったからだ。帝国建国について纏められた書物には、旧王国の腐敗と当時の暴君に虐げられる民草を救うべく初代皇帝が兵を挙げたと書かれている。しかし、その一方で
そう、初代から現在の第十三代皇帝に至るまで、一つの目的の為に周辺諸国を時に軍事力で侵略し、時に政治的圧力で併合していったのだ。そしてその王家一族の悲願の
オーバルディア皇帝はその後も文官たちの報告を聞き、それについての指示を飛ばす。今日はいつもより報告が多かったため、予定していた執務時間を半分以上も過ぎてしまった。
工業国家シナイトスを下し、オーバルディア帝国の傘下へ収めるために様々な部署、役人に貴族が東奔西走の激務をこなしていった。そしてつい先日、両国家の間に正式な調印が交わされた事によりシナイトスという国は地図の上から消滅し、その地域はオーバルディア帝国の版図となったのだ。本来ならば一連の発表を国内外へ向けて大々的に行うのだが、そんな余裕は今の帝国に無い。
都市国家連合との間に次の戦雲が渦巻く。しかし窓の外にはそんな事を感じさせない、どこまでも澄みきった青空が広がっていた。
「ぬわぁんデスってぇ~!?」
どこまでも澄みきった青空の下、先生の怒りとも呆れともつかない叫び声がこだまする。ここはグレイブ王国へと続く関所の前。ホワイトスワン隊はこの旅の終着点を目の前にして思わぬ足止めを食らっていた。
「グレイブ王国への
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