第36話 彷徨

第三十六話 彷徨


 ユウがアルヴァリス単騎で街道の警備部隊と大立回りを繰り広げている頃。


 ホワイトスワンのブリッジにはユウを除いた全員が集まっているにも関わらず、誰一人として言葉を発せずにいた。


「……」


 そんな暗い雰囲気の中、リディアは一人悶々としていた。


(なんで誰もユウを助けに行こうとしないんだよ?! 見捨てるなら見捨てる! 助けたいんだったら行けばいいじゃない! もうこんな嫌な空気、耐えられないよ!)


 どうもユウはレジスタンスの作戦に怒り、街道の人たちを助けるために飛び出したらしい。ホワイトスワンから警備の注意をそらす作戦として街道を行き交う荷物の中に爆弾を紛れ込ませ、それを一番混む地点で爆破させたために現場は混乱し多くの死傷者が出たはずだ。


(そりゃ、何人も死んだかもしれないけど、ユウ達だって戦争してるんじゃないの? 一般人を標的にするのはちょっと卑怯くさいかもしれないけど、そんなに怒ることなのかな?)


 ブリッジを見渡すと、各自はそれぞれ自分の作業に没頭している。先生はじっと理力探知レーダーを見つめている。街道を突破したからといって、まだ気を抜けないのだろう。ボルツはホワイトスワンの操艦に集中しており、視線はずっと前方から動かない。


 ヨハンはこの周辺の地図を開いてしきりに何かを考えているようだ。本来ならボルツに地形やルートをナビゲートしなければならないはずなのだが。それにあの女……クレアは一人、壁に備え付けられている小さな椅子に座り、ずっと下を向いている。彼女はこのホワイトスワン隊を率いる隊長としてユウを見捨てる決断を下した。どうやらそれに耐えられず、自責の念にかられているようだ。そんなに後悔するくらいなら、見捨てなければ良かったのに。


(お兄ちゃ……レオはさっきから何を考えているのかな)


 壁に寄りかかり、腕を組んでいる。昔からこの兄が考え事をする時はいつも同じ格好をする。その表情はいつもより険しく、眉間にしわが寄っている。


(全く! みんなして!)


 


 そうは思うが、なかなか口に出せない。ここの人達とはまだ付き合いが浅いから言いたいことはハッキリ言えるはずなのだが、どうにもリディアの頭と心では考えが違うらしい。


 おそらくここの人たちはみんなユウを助けに行きたい筈だ。それなのに誰も言い出さない。任務がどうとかいって言い出せないでいる。大の虫を生かす為に小の虫を殺すことはよくある。よくあるのだが、どう見てもみんな任務よりユウの方が大事のように感じる。


(あのクレアはムカつくけど……あんなに落ち込んでたら言うに言えないよねぇ……)


 チラとクレアの方を見ると相変わらず俯いていており、その表情はうかがい知ることが出来ない。あそこまで落ち込んだ人間というのは見たことがない。今は人前に出れるような精神状態ではない筈なのだが、隊長としての立場もありここに留まっているのだろう。


 ホワイトスワンに搭載されている大型理力エンジンの唸り声しか聞こえない。普段はただうるさいだけの音も今日はどこか物悲しく感じる。


「…………」











「あの……」


 突然の事に全員が声の主に注目する。


 声の主――レオは少し困ったような顔をしてしまう。


「どうしたデス、レオ?」


「いえ、ユウさんの事で……」


 。息を呑む音が聞こえる。場の空気がさらに張り詰めた。


 レオは静かに話し出す。


「一度、ホワイトスワンを停めてください。私はこれからユウさんの所に向かおうと思います」


「何言ってるデスか! これから行ったってオマエ一人じゃ何も出来ないデスよ!」


 先生の言葉にリディアが何か言おうとするも、レオが目で制する。


「……ユウさんは無事だと思います。何も希望的観測で言っているわけではありません。まず、街道の警備部隊ですが、事前に説明したように彼らの実戦経験は豊富というわけではありません。ユウさんの強さなら十分に蹴散らすでしょう」


 レオの言うことはまぁ、理解できる。別の世界から召喚された存在のユウは桁外れの理力を有している。さらにステッドランドを遥かに上回る性能のアルヴァリスには操縦士の理力を増幅させる理力エンジンが搭載されているのだ。並みの操縦士と理力甲冑では十機くらいは簡単に倒してしまうだろう。


「しかし、いくらそのユウさんでも万が一、ということもあります。その場合でも余程の事がない限り、命の心配はないでしょう」


「どうしてそう言い切れるんスか?」


 ヨハンが訝しむ。


「いくつか理由はありますが、大きなものは爆破事件の情報源となり得るから、でしょうか。帝国が本気で調べればあの爆弾を仕掛けたのが我々レジスタンスだと分かるでしょうが、それまでは爆発と共に現れたユウさんが一番犯人と思しき人物です。もし仮に帝国に捕まったとしても、事件の重要参考人としてしばらくの間は身の安全が一応確保されるでしょう。そうなれば、あの近場で厳重な牢はないので私一人でも侵入可能です」


「そりゃ、そうかもしれませんけど……」


「……ユウさんはレジスタンスの作戦に憤りを覚えてあの場に残ったと聞いています。いってしまえば我々の責任です。だからこそユウさんを置いていくわけにはいきません」


 再びブリッジは静寂に包まれる。先生やヨハンはレオの提案にすがりたいのだが……。


「…………」


 クレアの事を気にしているようだ。レオの説明は聞いているはずなのだが、下を向いたままで何の反応も示さない。


「ハァ……レオ、リディア。ちょっとこっち来るデス」


 先生は二人を連れてブリッジから出て、少し離れた所まで来た。


「クレアは見た通りデス……下手にこの事を蒸し返すのは良くないでしょうから、レオはすぐにスワンを降りてユウを助けに行くデス。リディアはレジスタンスと連絡を取ってレオのバックアップするデス」


 二人が頷くと、先生は顔を曇らせる。


「……レオ、さっきはクレアを気遣って言わなかったんデスよね? ユウが無事だなんて保障、はっきり言ってどこにもない。だから……」


 今にも泣きそうな声で。


「万が一、万が一にユウが……ユウと一緒に返ってこれない場合は……アルヴァリスを破壊して下さい」














 夜の森を巨人が歩く。一歩、また一歩と進む度に近くの木が揺れる。秋も深まり、すっかり紅く色づいた葉がはらりと落ちたが、わずかな月明りではそれもよく見えない。


 鎧甲冑を模した白い装甲は土埃やススなどで汚れていてうっすらとくすみ、その足取りは重くゆっくりとしている。あてもなく歩く姿はまるで家を失った子供のようにも見えた。


「……で、レオさん。ほんとにコッチで合ってるんですか?」


 ユウはアルヴァリスの大きな手のひらに乗せた人影に向かって尋ねる。


「ええ、このまま真っすぐ進んでください。距離的にはもう少しなんですが……」


 この暗がりではレオの表情は読めないが、恐らくいつもの良く言えば冷静な、悪く言えば無表情なのだろう。


「そう言って、もう三回目なんですけどね……」


 ユウとレオが宿場町から逃げ出し、およそ丸一日が経とうとしていた。追手が差し向けられると思い、周囲を警戒しながらここまで来たがどうも杞憂のようだった。それもそのはずで、すぐにユウ達を追える距離にある部隊は街道の警備隊くらいなもので、その部隊もユウが壊滅させたばかりだった。


 レオによるとホワイトスワンは街道から西に進んだ森の中に潜んでいるとの事だったが、一向に見つかる様子はない。少し前に休憩したばかりだが、ユウの額に汗が浮く。疲労感が全身の感覚を鈍くする。


「やけに……疲れるな……」


 宿場町を逃げ出してから、いや、クリスとの戦闘中からやけに疲れやすくなった気がする。理力甲冑に乗り始めたころ、アルトスの街でオバディア教官にみっちりと訓練した時によくこの感覚は味わった。これは理力の使だ。しかし、なんで急に? 最近はそんなことなかったのに。いつもは聞こえてくる理力エンジンの音がしない事と関係があるのだろうか。


「……早くみんなの所に戻らなくちゃ……」


 倦怠感が全身を支配するが、今は一刻も早くホワイトスワンと合流しなくては。






 焦りと疲労。後悔と無力感。そして葛藤。


 街道で起きた一連の出来事。レジスタンスが主導し、多くの一般市民に死傷者を出した作戦を見たユウはその瞬間に頭が真っ白になった。


 人が死んでいる。多くの人が。


 ユウにとっては見ず知らずの赤の他人だが、それでも人が死ぬという事実は彼の心をざわつかせた。クレアとヨハンの態度も気に入らなかった。言葉ではレジスタンスを非難していたが、その声からはという諦めの感情があった。


 仕方がない。


 自分たちが街道を突破するため。グレイブ王国へ向かい、理力エンジンを量産するため。そのためには仕方がない犠牲だ。そう割り切る。割り切るだって?


 ユウはその割り切るという考えに怒りを覚えた。この作戦を実行したレジスタンスに。作戦に便乗したホワイトスワンに。そして自分にも。


 自分にも怒りの矛先が向いた瞬間、ユウはなるべく考えないようにしていた事が脳裏をよぎった。人が死ぬということ。今までユウもアルヴァリスで戦ってきたなかで、少なからず


 理力甲冑同士での戦闘はお互いに顔が見えない。それ故にユウは自分が剣を、銃を向けている相手が人間だという実感がほとんど湧かなかった。人間が操縦している、頭ではその事を理解しているが、それを実際の感覚として心は捉えられなかった。目に映るのは機械の巨人、血の通わない理力甲冑のみ。


 いや、それは言い訳だ。ユウは理解していた。目の前にいる敵の理力甲冑にも、自分と同じように人が乗っている事を。


 しかし、剣で斬りかかられ銃で撃たれる恐怖を感じた。同様に相手の理力甲冑が見せる恐怖に怯えた動き。自分も敵も関係なく、死の恐怖を感じている。そんなことは否応なく分かっていた。それを考えないようにしていたのは、この世界に召喚され理力甲冑に乗って戦えと言われたから。


 戦わなくては、理力甲冑に乗らなくてはこの世界にユウの居場所が無い。だからといって元の世界にも戻りたくない。ユウの居場所は


(だから僕自身も心のどこかで、仕方がないと割り切っていたんだ)


 正直、今のままでホワイトスワンに戻っても自分は戦えるのだろうか。自分が死ぬのはもちろん嫌だが、他の誰かが傷つき死ぬのはもっと嫌だ。それが例え、敵であっても。しかし、自分はこうしてアルヴァリスに乗っている。もし、今ここに敵が現れたら迷いながらでも戦うしかないだろう。


 敵とは戦うしかないが、誰も死んでほしくない。二律背反。


 ずっと悩んでいるが、一向に答えが出ない。自分はどうすればいいのか。恐らく、理力甲冑に乗ることから逃げ、戦うことから逃げれば楽になるのだろう。何も考えなくてもいいのだろう。しかしそれは出来なかった。辛くても逃げたくなかった。


「……どうしても同じことを考えちゃうな……」


「どうしたんですか、ユウさん?」


「いや……大丈夫です」


 小さく呟いたつもりだったが、レオに聞かれてしまったようだ。


 しばらくの間、会話も無くひたすらにアルヴァリスは進む。ユウがもう一度、これで進路が合っているかを聞こうと思った矢先、周囲の違和感に気付いた。やけに木の葉と枝が落ちており、地面が荒れている気がする。じっと目を凝らすが、この暗さではよくわからない。


「ユウさん、気を付けてください。恐らく戦闘の痕です」


 その言葉を聞いて一瞬で気を張り詰める。まだすぐ近くに敵はいるのだろうか、ホワイトスワンは無事だろうか。不安と心配、焦りと恐怖がユウの内側を染めてゆく。


「……どうやら戦闘から時間が経っているようですね。位置からして、ホワイトスワンが襲われたのかもしれません」


 レオはアルヴァリスの手のひらからするりと地面に着地すると、しゃがみこんで辺りを調べ始めた。幽かな月明りを頼りに何が見えるのだろうか。とりあえずユウは周囲の警戒をすることにした。よく観察すると、辺りの木の幹に銃痕と刀傷が見て取れる。その高さといい、傷のつき方といい、敵は恐らく帝国軍の理力甲冑で間違いないだろう。


「近くに残骸が無いから……みんな、無事に逃げたのかな。ん? そうなると……」


 そうなると、ユウ達はホワイトスワンと合流出来ないのではないか? 今、みんなはどこにいるのだろう。少し危険だが、無線で呼びかけてみるか?


「ユウさん、スワンの向かった先が分かりましたよ!」


 足元からレオの声が聞こえる。ユウはアルヴァリスをしゃがませ、操縦席から降りた。


「どっちに行ったかなんて分かるんですか?」


「ええ、帝国の理力甲冑の足跡からどの方向へ攻撃を仕掛けたかが分かります。ちょうど西の方向に向かって伸びているのでスワンはそちらに逃げたようです。ただ、その後で進路を変えたらお手上げなのですが」


「一度無線で呼んでみましょうか?」


「……襲った敵部隊が近くにいるかもしれません。しばらくは止めておきましょう」


 なら急ごうとばかりにユウは操縦席へと戻ろうとするが、レオに止められてしまう。


「もう夜も更けてきました。一度ここで野宿しましょう」


「でも、スワンと早く合流しないと!」


「ユウさん、自分の体調を考えてください。だいぶ疲労が溜まっているはずです。そんな調子じゃあすぐに動けなくなりますよ」


 一応は操縦による疲労を隠していたつもりだが、普通にバレていたようだ。ユウは反論しようとしたが、上手い言い訳が思いつかなかった。疲れからか、少し頭がぼんやりとしてきたのかもしれない。


「私がやるのでユウさんは休んでいて下さい。ずっと歩いてないから体力は余ってるんですよ」


 レオがそういうのでユウは操縦席のシートにもたれ掛かって体を休めることにした。眼下で何か作業をしているレオの姿は見えないが、音だけでテキパキと野宿の準備をしているのがわかる。少し明るくなったので、焚火の火が熾ったのだろう。


(こんな短時間で焚火って出来るもんなのかな?)


 そんなことを考えながらボーっとしていると眠気が襲ってきた。やはり溜まった疲労は少なくない。


「ユウさん、降りてきてください」


 いつの間にか眠りかけていたところでユウは起こされた。どれくらい時間が経ったのだろうかと口元を拭いながらアルヴァリスから降りた。


 焚火の傍には枯葉が集められており、簡易的なベッド代わりになっている。それに僅かだが赤い木の実のような物もあるではないか。いつの間に用意したのだろう。


「木の実なんてあったんですね?」


「ええ、これはヤマボウシです。ちょっと小さい種があって少し食べにくいですが、甘くておいしいですよ」


 皮を剥いてかじってみると確かに甘い。これはマンゴー? いやバナナ? に似た甘さだ。ぶつぶつした見た目だが、なかなかおいしい。


「疲労回復にも効果があるといいます。それに今日は殆ど何も口にしていなかったですからね」


 レオが持っていた水と少量の乾パンみたいな携帯食料を食べただけだったので、その甘さは体に染み渡るようだ。多くはないが、それでも空腹感はかなりマシになった。


 簡単な食事を済ませると、ユウはアルヴァリスの操縦席から何かを取り出してきた。手のひらサイズの小さな包みを開くと、中にはシートが入っていた。いわゆるエマージェンシーブランケットというやつだ。理力甲冑のシート裏などに備え付けられており、寒冷地の行軍や今みたいな不慮の野宿などに活用される。


「予備含めていくつかありますからね。はい、これはレオさんの分」


 ブラケットを体に巻き付けると、周囲の寒気が遮断されて少しずつ暖かくなってくる。少し前に出くわした猛吹雪に比べればまだマシだが、それでも冬を目前に控えた秋の夜はかなり冷える。一息つくと再び眠気がユウを襲った。


「先に寝てていいですよ。私はもう少し火の番をしていますから」


 促されて目を閉じると、そのままユウは静かな寝息を立てはじめた。その様子を見ていたレオは大きな音をなるべく立てないように焚火へと新しい薪をくべる。出来るだけ乾燥した枝などを集めたつもりだが、これはまだ少し湿っているようでなかなか燃え移らない。


 レオはユウの寝顔をチラリと見る。


(このどこにでもいそうな少年が……)


 ごくごく普通の少年が街道の警備部隊の理力甲冑二十機を撃破して見せたなどと、誰が信じるだろうか。しかも、自身はほとんど無傷に近い状態ながら、敵の操縦士を傷つけずに機体だけを行動不能にさせたというオマケ付きで。


 それだけに人が傷つく事に耐えられない繊細な心を持っている事が不釣り合いに思える。レオが知っている軍人や理力甲冑の操縦士は訓練の過程でそういう悩みと折り合いをつける術を身に着けていたし、レオ自身もそれを学んだ。人を殺めることに慣れはしていないが、いちいち悩む事は無くなった。


 だからだろうか、レオが多少の危険を省みずにユウの救出を提案したのは。レジスタンスのあの作戦を目の当たりにして、ユウだけがはっきりと怒りを表した。その事にレオは一種の敬意を覚えたのだ。うまくは言えないが、なんとしても助けに行かなくてはという感情に駆られたのだ。


「私が出来る事は少ないですが、サポートは惜しみませんよ」


 その言葉に答えるかのようにユウは寝返りをうつ。よっぽど疲れていたのだろう、すっかり熟睡している。


 先ほどまで見えていた月が雲に隠れると、辺りはいっそう闇が濃くなった。ホワイトスワンとの連絡が取れない以上、どこにいるのかも分からない。そんな状況で果たして合流が出来るのだろうか。レオは胸の内の不安をかき消すかのように焚火に次の薪をくべると、火の粉が弾け上昇気流に乗って宙に舞う。


 明日も早い。ユウからもらったブランケットに包まり横になると目を閉じた。











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