第三章 苦悩 〜異世界人は過去の夢を見るか〜
第27話 夢現
第二十七話 夢現
夕焼けが窓から差し込む。この時期の夕日はやけに眩しくて嫌いだ。
ユウは冬服である学ランを着ているが、教室の中は少し肌寒い。窓と扉を閉め切っていはいるが、学校の外はずいぶんと寒いのだろう。枯れ葉がどこからか風に飛ばされていく。
教室の中は静まり返っている。ここにはユウしかおらず、いつもなら聞こえてくるはずの運動部や吹奏楽部の練習する音がしない。
「そうか、今はテスト期間だっけ」
普段とは違い、この時間に残っている生徒は少ない。いたとしても図書室で自習勉強している何人かくらいだろう。
「……帰るか」
そのまま残る理由もない。カバンを手に教室を出て、いつもの見慣れた廊下を歩く。やはり誰とも出会うことなく下駄箱まで着き、靴を履き替えた。履き古した靴は少しくたびれている。そろそろ買い換えるか。
いつも通りの道をいつも通りに歩く。ユウの家は学校から比較的近く、徒歩で通学している。いつもの住宅地を抜け、小さな橋を渡った先だ。しかし、今日はやけに人と出会わないな。夕方のこの時間にしては買い物帰りの主婦や友達と遊ぶ子供の姿が見えない。
橋を渡る前から目的地は見えてきた。再開発の一環で建てられたマンション群のうち、一番手前の棟だ。老朽化、という程ではないがやはり古臭さを感じる。ユウの生まれる前に完成したらしいので、もう築二十年以上になる。もうすっかり見慣れているので違和感は感じないが。
大きなエントランスフロアーに入るといつものように郵便受けを確認する。……何もない。
エレベーターの昇降ボタンを押すと、すぐに扉が開いた。自宅の階と閉じるのボタンを押してユウは壁にもたれ掛かる。
「なんか……今日は……疲れたな」
全身に疲労感がある。それに筋肉痛のような痛みが少し。
「今日は体育で……あれ?」
そういえば今日はなんの授業受けたっけ。体育もあったか? それに今日は何曜日だ?
学ランの内ポケットに入っているスマホで確認すればいいのだろうが、いまはどうでもよかった。
味気ない電子音が鳴り、目の前の扉が開く。目的の階に着いたのだ。ユウは重い体を起こしてエレベーターを出る。廊下の一番向こうの部屋がユウの家だ。
廊下の蛍光灯が一つ切れかかっている。ジジ、と鳴りながら明滅するのが少し鬱陶しい。何日か前に、このマンションの管理人室へ蛍光灯の交換をお願いしに行ったが、不在だったのでメモ書きを残していた。まだ見ていないのだろうか。
カバンから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。ディンプルキー特有の感触を感じながら鍵を開けた。
中は薄暗く、誰の気配もない。ユウはそれを気にした様子もなく、靴を脱いで向きを整えた。そのまま照明も付けず自室へと歩く。
カバンを机の上に放り投げ、ユウはベッドへ飛び込むようにして寝転がる。ギシと軋み、辺りは再び静寂に包まれた。
「……疲れた」
しかし、不思議と眠気はない。かといって、何かをするほどの元気は出ない。
「……そうだ、晩ご飯作らなきゃ」
体は疲れるが腹も減る。冷蔵庫には何があったっけ?
勢いをつけて体を起こす。面倒だから今日は手早く作れるものにしよう。適当な野菜と肉があったはずだから野菜炒めにでもしよう。
台所に向かおうと自室を出た時、玄関から扉が開く音がした。
「……? 誰だ?」
物音がする。どうやら靴を脱いでいるようだ。急いで玄関へと向かう。
玄関には壮年の男性が立っていた。パリッとした生地のスーツを着ており、神経質そうな表情の顔は細身のメタルフレームの眼鏡と相まって冷徹な雰囲気を醸し出している。
「父さん……!」
父さんと呼ばれた男性の顔はピクリともしない。よく親戚からは似ていないと言われるし、自身でもそう思うが、紛れもなくユウの実父だ。
なんでこんな時間に? いつもは仕事でもっと遅いくせに! そうは思うが、口には出せない。
「着替えを取りに寄っただけだ。すぐに戻る」
その言葉は想定していた。しかし、ユウの表情は険しくなる。
「また仕事かよ、いつもそうだよな!」
ユウの声は明らかに怒りが含まれている。しかし、父親は目も合わさずにユウの横をすり抜けるようにして自分の部屋に行く。その事が余計にユウを苛立たせる。
「あの時! 母さんの時も! 仕事を優先させただろ!」
勢いよくベッドから飛び上がる。全身が汗でびっしょりだ。
(ここは……テントの中? たしかエンシェントオーガを倒したあと、ここに運ばれて……。そうだった、みんな無事だったけど僕とクレアはそのまま医務室……医務テント?で休むことになったんだ)
「じゃあ、今のは夢……だったのか……?」
それにしては嫌なほど実感が伴っている。そう、まるで実際にあった出来事のような――――
ひどく喉が渇いている。何か飲み物でも飲んでこよう。そう思いベッドから降りようとする。
「ユウ、大丈夫? うなされていたみたいだけど……」
クレアだった。どうやら起こしてしまったようだ。まだ体が痛むのだろう、顔だけこちらに向けている。
「ごめん、起こした?」
「ううん、それはいいんだけど……」
何か口籠っている。一体どうしたのだろう。
「その、ユウがうなされているときに……父さんって……凄く怖い顔で……」
ユウの心臓はドキリと跳ねた。まさか聞かれていた?
「ユウ、言いたくないならいいんだけど……アンタの家族」
「ごめん、喉が渇いたんだ。ちょっと水をもらってくる」
ユウはクレアの言葉を遮って立ち上がる。そしてそのまま逃げるようにしてテントから出ていった。
「ユウ……」
クレアはそれ以上、問い掛けることが出来なかった。テントを出ていくときに見えたあの表情、尋常ではなかった。
(人にはなにかしらの言いたくない事情があると思うけど……)
それにしても家族の事について夢でうなされるほどの事情とは……。
「無理に聞き出すのも……良くないわよね……」
クレアは大きなため息をつきながら目を閉じる。あの様子では当分ここには戻って来ないだろう。今すぐ追いかけたいが、こういう込み入った事情は軽々しく他人が口を出していいものではないと思う。
(家族……か……)
クレアはユウの事が気になりつつも、まだ疲労が残っていたからか目を閉じるとすぐに微睡んでいった。
正確な時間は分からないが、少し欠けた月の位置からしてどうやら真夜中のようだ。しかし、連合軍の軍服を着た人間が時折、あっちへこっちへ走っていくのが見える。詳しくは聞いていないが、周辺の被害状況を調査したりエンシェントオーガの後始末、それに現場へ置いてきたアルヴァリスとレフィオーネの回収で昼夜を問わずに作業をしてくれているらしい。
ユウとクレアが寝ていた医療用のテントを含めた軍の駐留地は村のすぐ側に建てられていた。少し村の周りでも歩いてこようとユウが思った矢先、すぐ向こうで白衣を着た子供のような人物が見えた。
「先生、こんな夜中に何してるんですか」
「おっ、ユウじゃないデスか。もう体はいいんデスか?」
ちょっと筋肉痛のような痛みが残っているが、普通に動く分には問題ない。
「ええ、もう平気です。明日からは僕も作業を手伝いますよ」
「もう少し休んでてもいいんデスけど……。あ、そうそう。私はアルヴァリスとレフィオーネを修理するために資材とか人員を手配していたんデスよ。どっちもこっぴどくヤラレていますからねぇ」
「うぅ、すみません……。接近戦はするなって言われてたのに……」
ユウはアルヴァリスがボロボロになってしまった事を少し気にしているようだ。そんなユウを見て先生はフンと鼻を鳴らす。
「別にいいデスよ。クレアを助けるためには仕方が無かったんデスから。むしろ、アルヴァリスが五体満足でいる方が驚きデス」
先生は両機の損傷具合を思い出して頭が痛くなる。レフィオーネは左腕が肩から脱落、腰部スラスターも半分が破損、残りの半分も再調整が必要だろう。両足も一度バラシて様子を見なければならない。もっとも、胴体と頭部は破損した装甲を取り換えるだけで済みそうだし、肝心の理力エンジンは無事のようだ。
アルヴァリスも全身の装甲を一度引っぺがしてみないといけないだろう。骨格の歪みを測定して、その補正と矯正を行わなくてはならないし、人工筋肉の劣化具合も調べなくては。ユウの話をざっと聞いたところでは戦闘による無茶な荷重が掛かっている筈なので、いくら耐久性の増した新型の人工筋肉でも相当な負荷に違いない。それに……。
「あ、ユウ。ちょっと聞きたいことがあるんデスけど、今いいデスか?」
先生はいつになく真面目な顔をして聞く。
「はい、別に大丈夫ですよ。少し目も冴えていてすぐに寝れそうにないですし」
ユウはクレアのいるテントにはしばらく戻りたくないので、これ幸いとばかりに先生へ着いていく。
先生は近くのテントに入っていった。ユウも入ると、そこはいくつもの机と椅子が会議室のように並んでいた。机の上には何かの資料が乱雑に積まれている。先生は適当な椅子に座ったのでユウもその近くに椅子を引きずっていく。
「話っていうのは、エンシェントオーガを倒した時の事なんデスけど……」
「ん? それはさっき話したじゃないですか」
クレアを助ける為、エンシェントオーガと直接対決した時のことは少し前、先生とボルツ、それに軍の偉い人に説明した。軍の人の正直信じられないという顔は今でもハッキリ覚えている。
「あの後、クレアにも聞いたんデスよ。同じ事を。そしたら、興味深い話をしていましてね……」
先生は一旦そこで切る。どうしたのだろうか。
「クレアの話では、戦闘中にアルヴァリスが
ユウの顔はいまいちピンと来ていない。
「うーん? あの時は完全に無我夢中だったんであんまり覚えていないんですよ。確かに、最後の一体を倒すときはいつもより機敏に動けたと思いますが」
「自覚はナシ……デスか。実は以前、同様の機体が光る現象を私は見ているんデスよ。覚えていますか? アルトスの街で強奪された理力甲冑と戦った時のこと」
「もしかして、先生も一緒に乗り込んだあの時ですか?」
ユウは頭の片隅であの時の操縦士、クリスという名前しか知らない男を思い出す。正直、二度と相手にしたくない程の強さだった。クリスの乗った理力甲冑と対峙したときの威圧感はエンシェントオーガと同じ、いやそれすらも上回るかもしれない。
「そうデス。あの手強かったヤツと戦っていた時、やっぱりユウは気付いていなかったようデスけど、アルヴァリスの全身から光の粒子みたいなのが出ていたんデス」
「……あの時も必死に戦っていたからなぁ。本当に光っていたんです?」
ユウはまだ半信半疑のようだ。しかし、実際に発光現象を見た事のある先生は断言する。
「最初は私も気のせいかと思いました。でもクレアも目撃しているのでこれは確実デス。とにかく、問題なのはどうしてこのような発光現象が起きて機体が強化されるのか、デスよ」
デスよ、と言われてもユウには心当たりがまるでない。そもそも自覚すらしていないのだ、無理もない。
「分かる範囲でいいので前回と今回の戦闘で共通するような事柄はないデスか? なんでもいいんデス。小さな事でも、思い付きでも」
先生の目がかなり真剣なので、ユウは真面目に考えることにする。先生の話によれば、判明している発光現象は前回の戦闘で街の城壁を飛び越えた時とクリスの理力甲冑を撃退する直前、そして今回は最後のエンシェントオーガと戦闘している間らしい。
ユウは腕を組んでその時の事を思い出す。前回の戦闘は……敵の狙いが帝国から連合に亡命した先生のようだった。だから強奪された理力甲冑に追われながら街中をバイクで走り抜けたことを覚えている。あの操縦士、クリスのあまりに卓越した技量にユウは一度恐れをなして逃げようとした。しかし、先生を守るために無謀と思いつつも立ち向かった。
今回は戦闘ではエンシェントオーガに止めを刺されそうになったクレアを助けたい一心だった。直前の攻撃で動かなくなったアルヴァリスも、突然息を吹き返したように動き出した。そこからはクレアを守る、という考えの元に行動をした。正直なところ、どのように倒したかをユウははっきりとは覚えていない。
「あ、どっちも敵がメチャクチャ強かったです」
「んなこたぁ分かってるデス! もっとこう、具体的な変化は無かったデスか? 体の違和感とか、その時の状況とか」
「そんな事言われても……」
違和感ではないが、前回の戦闘後はひどく疲れたことを覚えている。しかし、今回はそこまで疲労があるわけではない。どちらかというと打ち身で体が痛むばかりだ。
状況といっても……どっちも普通には勝てない相手だったことくらいしか……。
「……いや、どっちも誰かを守ろうと強く思っていましたね」
「ほう? ユウ、詳しく説明するデス」
「えっとですね、前回の時は……その、先生を守りたいと思って戦ってました。今回の戦闘も、クレアを助けたいと強く思いました。共通してるのは誰かを守りたいと強く思っていたこと……ですかね?」
守ろうと思った本人を前にして言うのはさすがに恥ずかしいのか、ユウは顔が真っ赤になっている。それとは正反対に先生の方は真面目な顔のまま、何かを考えているようだ。
「あの、先生……? これが原因……じゃないですよね?」
「……いや、案外そうなのかもしれないデスよ?」
そう言って先生は座りを直す。
「覚えていますか? 前に何らかの要素が理力に影響しているって話。その要素として人間の感情や思考、意思が関係しているかもっていう論文があるって話したじゃないですか」
「ああ、そういえば」
ユウはうろ覚えに思い出す。そんな話を先生に教えてもらっていたな。そういえば。
「ちゃんと覚えているんデスか……? まぁ、いいデス。とにかく、その論文はけっこう内容は良かったんデスけど、その一本きりで音沙汰が無くなっちゃったから今ではトンデモ扱いされているデス。でも、もし論文の内容が真実だとしたら、それも頷ける話になります」
「ん? どういうことです?」
「ちょっと推測が入りますけど、この論文を帝国や軍部が評価すればその研究チームは国のお抱えになるデス。それでその研究は理力甲冑に応用出来そうデスからね、その後の研究は秘密裏に行われることになるデス」
確かに戦時である現在、軍事転用が出来そうな研究ならば国が黙ってはいないだろう。もし、ユウが起こした発光現象による理力甲冑の強化とまではいかなくても、研究成果を何らかの形で生かせるとしたら。
「ま、あくまで憶測の話デスけどね。今のところ何も確証はありません。でも」
先生はじっとユウの顔を見つめる。
「私は理力が意思によって強くなるって説、信じるデスよ。だってユウは私を助けてくれましたしね!」
先生はニカッと笑う。それを見てユウは思わず赤面してしまい、顔を逸らしてしまう。
「お、なんデスかユウ? 面と向かって言われて恥ずかしいんデスか?」
「い、いや、違いますよ! 目にゴミが!」
「そんなベタな言い訳、今時通用しませんよ! ほらこっち向くデス!」
先生は無理やりユウの顔をこちらに向かせようと、頬を両手で掴んでグニグニする。が、先生は急に手を止める。なすがままだったユウは不思議そうに先生を見る。
「……? 先生?」
「……ユウ、ありがとデス。クレアも、みんなも、守ってくれて」
「い、いや、僕はただ必死だっただけで……」
「それでも、デス。ユウが頑張ってくれたおかげでこれくらいの被害で済んだんデスよ。だから、ありがと、デス」
改めてお礼を言われると余計に照れてしまうが、頬を掴まれていて顔を逸らせない。
「でも! 今後はあんな無茶止めて下さいよ! はっきり言って帰りを待つ身としては心臓に悪い、デス!」
先生は言い切ると同時に掴んでいた頬を思い切り引っ張る。ジンジンと痛む頬を擦りながらユウは自分の無謀さを思い返す。
「そうですね、すみませんでした。これからは先生を心配させないように気をつけます」
「全く、これからはもっと作戦を練ってから行動するデスよ。ユウはちゃんと考えているのか、いないのか、たまに分からない時がありますからね。そんな時はこの私を頼るデス!」
「…………頼りにしてますよ、先生」
「ちょっと、なんデスか! 今の微妙な
先生は椅子から立ち上がってユウの頭をポカポカと叩き出す。先ほどまでは気分が沈みかけていたが、先生のおかげでいくらか気が紛れた。父親のこと、元の世界のことはひとまず置いておこう。今はやるべき事をやるだけだ。
クレアや先生、ヨハンにボルツ。連合に住む人たち。ユウの力でどこまで守れるかは分からないが、やれるだけやってやる。ユウの目には力強い光が戻っていた。
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