第25話 憤激

第二十五話 憤激


 白銀の大地に小さな地響きがいくつも重なる。この辺りには何日か前まで広い高原と森林があったはずだが、もうその面影はすっかり無くなってしまった。今では荒らされた大地に無数の倒木が積み重なっているだけの土地になっている。


「くそ、まだ元気なのかよっ!」


 すっかり夕日は落ちだし、夕方と夜が交じり合う時間だ。そんななか、ヨハンの操縦するステッドランドは荒れた大地を疾走する。それを憤怒の形相で追いかける二体のエンシェントオーガは辺りの倒木を蹴り飛ばしながら走っている。この倒木はオーガ達が根こそぎなぎ倒したもので、ステッドランドにとっては大きな障害物となるが、この巨体の前に多少の障害物など在って無きが如しだ。むしろ、蹴り飛ばした木やその破片が理力甲冑にとっては脅威となる。


 エンシェントオーガを一時も休ませないゲリラ作戦はすでに丸二日を超えており、もう50時間にも渡っていた。その間、ユウ達はあの手この手でオーガ達に休息を与えないように攻撃を加え続けていた。その甲斐もあって、この強大な魔物の動きにも疲労が見え始めた。しかし、それ以上にヨハンとクレアも疲労が蓄積している。


「うわっ!」


 たった今、一体のエンシェントオーガが投げつけた倒木がステッドランドの肩を掠めていき、遥か前方の地面に突き刺さった。いくら交代で休憩を取っているとはいえ、この神経を張り巡らせる鬼ごっこをこんなに長時間行っているのだ。ヨハンも一瞬の判断力や回避行動が鈍くなっている。


「なんでユウさんはあんなに元気なんだ? っとと、あぶね!」


 飛来する木片をなんとか躱しつつ、ヨハンはユウの様子を思い出す。ヨハンもクレアも疲労で操縦が覚束ない事が増えたが、ユウとアルヴァリスにはその気配が一向にない。まるでついさっきまで十分な休息を取ったかのように機敏な動きを見せ続けている。


「これなら、ずっとユウさんに任せてっ! おきたいけどっ!」


 ステッドランドは走っている途中で軽く跳躍しながらオーガ達の方へと体を捻った。その右腕には赤い刃の短剣が握られており、華麗な腕捌きでそれを投擲する。刃は真っすぐエンシェントオーガに向かって飛んでいき、露出した上腕へわずかに掠る。


「よし! 今度も命中!」


 ただ掠っただけの攻撃だが、この短剣に関して言えばそれだけで十分な効果を発揮する。この短剣はオニムカデの獰猛な牙を加工して作られており、その硬度と鋭さはそこらの鉄製の刃物よりよく切れる。しかしこの短剣の真価はそれだけではなく、刀身に仕込まれた強力な毒にある。牙の毒腺をそのまま利用した機構は切りつけた際に、オニムカデの持つ強力な毒素を相手に送り込むことが出来る。魔物であれば動きが鈍り、毒の量によってはそのまま絶命する。理力甲冑であっても、装甲を抜けて毒を侵入させれば内部の人工筋肉を破壊できる。


 短剣には細い縄が括りつけられており、ステッドランドはこれまた器用に空中の短剣を手繰り寄せた。よく見ればオーガの体には似たような傷があちこちについており、何度もこの短剣による攻撃を繰り返したものと思われる。もうすでにかなりの毒が体内を回っているはずだが、エンシェントオーガの体は大きい。生半可な毒の量では動きを鈍らせる程度にしか効かないが、今はそれでも十分だ。


「ああ~疲れてきた~! 早く交代の時間にならないかな~!」


 ヨハンは目の前の大きな倒木を陸上のハードルのように飛び越えさせながら愚痴る。次の交代まであと二時間、軍の大部隊と合流できるまであと10時間――――









 クレアは理力甲冑用の狙撃用銃弾を台車に積み込み運んでいる。村で補給した弾薬や補給物資だが、この作戦で殆どが尽きようとしている。今、運んでいる銃弾もこれで最後の箱だ。


「クレア、おはよう」


 振り向くとそこにはユウがいた。今しがた仮眠から目覚めたのだろう、すこし寝ぐせが付いたまま格納庫に来たようだ。


「ユウ、おはよう。よく眠れた?」


「ああ、バッチリ。もうそろそろヨハンと交代だよね、体調は大丈夫?」


 クレアは大丈夫と返したかったが、実際のところ、ものすごく疲れている。長時間の作戦行動を想定した訓練は何度か受けたことはあるが、それでもここまで過酷な内容ではなかった。


「……正直言うと、今すぐベッドに潜りたいわ。ま、もう最後の出撃だし、なんとか最後まで持たせるわ」


 クレアはなんとか笑顔を作るが、目の下にすっかりクマが浮いている。


「交代の時間だけど少し早めにしよう、僕はまだ元気だしさ」


「せっかくだけど、遠慮しておくわ。その体力は最後の最後のために取っておきなさい。予定通り部隊と合流出来そうだけど、万が一ってこともあるわ。その時に交代要員がいなかったらおしまいよ」


 ユウは反論したかったが、クレアの言う事も確かだ。もし部隊の到着が遅れた時に時間を稼ぐことが出来なければ作戦の意味が無くなってしまう。


「分かった……でも、無茶はしないでね?」


「大丈夫よ。森が無くなって隠れる場所もないしね、空を飛び回って逃げるわよ」


 こういう時、レフィオーネが飛行可能な理力甲冑で助かったと思う。ある程度の高度に達すれば、投擲しか遠距離への攻撃手段を持たないエンシェントオーガの攻撃は殆ど届かない。逆にこちらからの銃撃は当て放題だ。


「私の事はいいから、ユウはご飯食べてきなさい。あと、寝ぐせ、ついてるわよ」


 そう言ってクレアはゴロゴロと重い台車を押していった。残されたユウは髪に手をやり、寝ぐせを探しながら食堂へと向かっていった。ここが正念場だ、気合を入れないと。ユウの足取りは二人と異なって軽く、まだまだ余裕を感じられる。


(……なんで疲労感を感じないんだろう? クレアもヨハンも限界なのに、僕はまだそんなに疲れた感じがしない……)


 理力甲冑に乗り始めて間もない頃、操縦を長時間にわたって行うと全身の疲労と倦怠感を引き起こした。これは理力の使い過ぎで、要はみたいなものだと教わった。そのため、アルトスの街にいた頃はオバディアについてみっちりと練習を重ねて体を慣らしたが、それでもやはり長い作戦行動の後はぐったりとしてしまう。


(そういえば、アルヴァリスに乗り出してからはそんな事が減ってきた……かな?)


 はっきりとは言えないが、ステッドランドからアルヴァリスに乗り換えてから、特にここ最近は操縦による疲労感が少ないと思う。そこまで気にしたことも、頻繁に長時間の操縦が無かったのでなんとも言えないが。


「それだけ理力の扱いが上手くなったって事かな?」


 理力に関してユウはまだ詳しくない。いや、正確に分かっている人間は数少ないのだろう。先生によると、帝国でも連合でも理力関連の研究は盛んに行われているが、まだまだ不明な点は多いと聞く。なので先生やクレアに聞いても分からないかもしれない。とりあえず自身の成長という事にしておこう。










「あれ?」


 必死に回避行動を取っていたヨハンはエンシェントオーガの猛攻がピタリと止んだことに気が付いた。走りながら後ろを確認すると、いつの間にか追っていたはずのオーガ達がいないではないか。


「やばっ! 見失った?!」


 この作戦のはエンシェントオーガを一時も休ませないことにある。食事をとらせず、睡眠もままならない状態を長時間続けることで弱体化を図るのだが、わずかでも目を離すわけにはいかない。


 ヨハンは急いで、来た道と呼べるか怪しい荒地を戻る。少し走るとそこにはエンシェントオーガのものと思われる大きな足跡が急に横へと逸れていた。どうやらここで方向転換したようだ。とりあえずヨハンは慎重に足跡を辿っていくことにした。


「……ん? 確かここは……」


 しばらく足跡を追うと、森が無事なままの所に出てきた。この辺りはエンシェントオーガによってまだされていないらしい。しかもヨハンはこの近辺に見覚えがあった。


「という事は、もしかして!」


 ある事を思い出したヨハンは一気に走り出した。するとすぐにエンシェントオーガの姿を遠くに見つける。彼らはちょうど真っ黒な炭の山の横に座り込むところだった。ここからではよく見えないが、ヨハンはそこに何があるのかを知っており、これから起きる事もすぐに想像がついた。気付かれないよう、近くの倒木が積み重なった影へと隠れる。








 ――ヨハンがエンシェントオーガ達を見失うほんの少し前。


 空腹のオーガ達はとある匂いを嗅ぎつけた。一瞬、あまりの疲労と空腹で幻覚の中にいるのかと疑ったが、どうも間違いないらしい。その匂いに釣られていつの間にか自分たちの夜営地に戻ってきていたのだった。とっくの昔に燃え尽きてすっかり冷たくなっていた焚火跡のすぐ横には匂いの源、肉の塊があったのだ。彼らにとっては量が少ないが、空腹で目も回りそうな今は僅かな肉でもありがたい。一体のオーガが相棒の方を見やり、相棒も同じ思いなのかコクリとうなずく。


 まったく、怒りと空腹と疲労で頭がどうにかなりそうだ。あの憎たらしい人間どもにはウンザリさせられる。大人しく我々エンシェントオーガに殺されていればいいものを、小癪にもちょろちょろと逃げ回るばかりではないか。それだけなら適当に奴らの村の一つでも滅茶苦茶に破壊しつくせばこの怒りも収まるだろうが、忌々しいことに我らへ歯向かってくるあの不遜な態度。矮小な人間が取っていい態度ではない。必ず、必ず奴らを血祭りにあげてやらないと我々の名誉に関わることであるし、何よりこの怒りの矛先を向ける場所がない。


 ……いや、まずはこの肉を焼いて食おう。そしてひと眠りでもしてから、人間たちの村や町を襲う事にしよう。ひとまず、あの邪魔な機械人形理力甲冑の事は忘れることにする。


 そう思い、目の前の肉をむんずと掴み上げた時、もう一体のオーガが肉の下に紐のようなものが垂れていることに気が付く。


 その瞬間、閃光と爆音、そして鋭い痛みがエンシェントオーガ達の全身を包んだ。









「やった!」


 思わずヨハンは操縦席でガッツポーズをとる。向こうの方ではエンシェントオーガ達が小さな爆発に呑み込まれてるのが見えた。実は最初の出撃の時にヨハンが彼らの夜営地にこっそりと先生特製の罠を仕掛けていたのだ。ヨハンはその事をすっかり忘れていたし、オーガ達もこの近くにはなかなか寄らなかったので今まで放置されていたのがようやく役に立った。


 ヨハンが仕掛けたのはブービートラップだった。村で解体途中だった牛一頭分の肉の下にはこれまた一斗缶が何個か置かれていた。この一斗缶、なんと大量の爆薬と釘や小さな鉄片、理力甲冑の壊れた装甲の破片が詰め込まれていたのだった。オーガ達が空腹でこの牛肉トラップを持ち上げると、仕掛けられている紐が起爆装置を起動する。すると一斗缶の爆薬が爆発し、辺りに小さな散弾を爆風と共にまき散らす凶悪な罠となるのだ。


「ま、近くに他の人間なんかいるはずないし、今は非常事態デス。こういうぎりぎりアウトな罠でもなんでも活用していかないと! 魔物との戦いに条約も犯罪もへったくれもねーデス! やったもん勝ちデス!」


 ヨハンは先生の言葉を思い出し、これは確かにアウトだよなぁと頷く。人間相手にこんな罠を仕掛ければどんな恐ろしいことになるだろう。いくら戦争とはいえ、軍事行動にはいくつかの決め事やルールがある。理力甲冑が戦争の主役になった現在でも、一定の人道に反する作戦や攻撃は行わないように取り決めがされているのだが、これは明らかにルール違反に定められる類の罠に違いない。


 罠の位置からステッドランドが隠れている場所はかなり離れているが、ここまで破片が飛んでくるようで機体のあちこちから小さな金属音が聞こえる。いくら全身に装甲をまとっている理力甲冑とはいえ、もっと近い距離では危なかったかもしれない。


 爆発自体は小さいので煙がすぐに晴れる。そこには朱色の肌をさらに赤くしたエンシェントオーガ達が佇んでいた。よく見れば、軽装鎧で覆われていない露出している肌からは無数のかすり傷がつき、所々に破片や釘のようなものが刺さっている。より赤く見えた肌は全身から血がにじんでいるからだった。


「ヨハン、そろそろ交代の時間よ。今どの辺?」


 無線からクレアの声が聞こえる。ようやく交代か。


「ウッス、今は奴らの夜営地です。ちょうど先生の罠が発動したところなんスが、奴ら結構な傷を負ったみたいっス」


 ヨハンが返答し終わった瞬間、地の底から湧き上がるような叫び声が鳴り響いた。あまりに声が大きいので操縦席の壁やシートがびりびりと震えている。


「ヨハン! 今の音は何!?」


 耳の奥がキーンとしつつもクレアの質問になんとか答える。


「あー、奴ら完全にキレたみたいっスね。なんでしたっけ? でしたっけ?」


「……それをいうなら、じゃない?」


「そうそう、それっス。そんな感じの言葉」


 無線の向こうから何故かため息が聞こえる。何かおかしなことを言ったかなとヨハンは不思議に思う。


「いいからさっさとそこから逃げなさい。私とレフィオーネが空から見張っているから、奴らが暴れだす前に離れないと危ないわよ」


 ヨハンはクレアに言われた通り、何やら暴れるような音や激しい怒声を背後から聞きながらその場を一目散に逃げだした。恐ろしくて振り返る事が出来ないが、どうやらヨハンのステッドランドには気が付いていないようなので、さっさとこの場から離れることにしよう。










「――まったく、いつまで暴れるつもりなのかしら?」


 クレアは思わず大きなあくびをしてまう。


 レフィオーネは少し高い位置で滞空を続けているのだが、何もせずにただ飛び続けているのがもうかれこれ二時間は経っているはずだ。月夜の荒地には二体の怒り狂える鬼。手にしたこん棒を手当たり次第に振り回し、地面を踏みつけ、天に向かって咆哮を上げ続けている。ここまで暴れまわっているのはそれもこれも先生特製の罠によるものらしいが、これまで以上に奴らをとは、一体どんな罠だったんだろうか。


 上空を飛行するレフィオーネには気が付いているのか、いないのか、分からないが彼らはただひたすら癇癪を起したように暴れるだけだった。クレアとしてはこちらに何もしてこないので、疲れた体を休めるにはちょうどいいばかりに遠巻きから眺めている。


「それにしても、もうとっくに50時間以上は暴れ続けているのよね。どんな体力してるってのよ……」


 クレア達も疲労が色濃くなっているが、それでも何度も交代を繰り返してそれぞれ休憩や睡眠はとっている。しかし、エンシェントオーガ達は作戦通り、ほとんど食事も睡眠もとっていないはずなのに、あれほど暴れる体力を残していた。最初よりは動きにキレが無くなっているが、それでも力強い一撃は健在のようだ。このままでは援軍の部隊と合流しても歯が立たないのでは、と思わず考えてしまう。


「いえ、弱体化しているのは確実だから、このまま続けるしかないわね……」


 ふとした気の緩みか、これまでの疲労の蓄積からか、クレアは一瞬だけエンシェントオーガから目を離す。


 この瞬間を狙っていたのか、それともただの偶然なのか。一体のエンシェントオーガが遥か上空のレフィオーネに向かって節くれだった左手の人差し指を向けていた。その指先がポッと光ったかと思うと、揺らめく陽炎のような空気の塊が一直線に走っていく。その塊がレフィオーネに当たった瞬間、突然スラスターの圧縮空気が止まってしまった。


「何?!」


 クレアは突然の落下に驚くが、すぐに対処しようとする。しかし、何故かスラスターの出力が上がらず落下の勢いは止まらない。


「このタイミングで壊れたっていうの?!」


 クレアは限界まで出力を上げようとするが、機体背部に搭載されている理力エンジンは静かなままだ。しかし地面と衝突する寸前、エンジンは突然息を吹き返したかのように吸気と排気を再開しだした。スラスターから再び圧縮空気が送りだされてなんとか墜落は免れたが、どうにもまだ調子が悪いようだ。


「いったいどうしたっていうのよ!」


 思わず大声を上げてしまうが、機体の不調は直るはずもない。噴出される圧縮空気が弱いため、地面スレスレを不安定に飛び続けるしかない。


(長時間の稼働でどこかの部品が壊れたの? でも応急とはいえ先生とボルツさんがちゃんと点検してくれてるはずだし……)


 原因を考えるクレアは視界の端にこちらへ人差し指を向けるエンシェントオーガの姿が映る。一体何の真似だろうか。そう思っていると再び指先が光り、揺らめく空気の塊がこちらに向かって飛んでくるではないか。クレアは嫌な予感がして急いで避けようとするが、今の出力では急な回避運動は出来なかった。空気の塊がレフィオーネのつま先にかすった瞬間、またスラスターは沈黙してしまう。


「奴ら、何をしたのよ!」


 レフィオーネは急に崩れた姿勢をどうにか戻しつつ、地面を滑るようにして着地させる。このままではマズい。飛行可能という大きな優位性を失ったレフィオーネは羽を折られた鳥だ。スラスター無しの機動性はハッキリ言って低い。


「ユウ! 聞こえる?! ちょっとヤバいことになったわ、悪いけど急いで交代してくれる?」


「…………クレア、現在位置は?!」


 良かった、無線は無事なようだ。手短に今いる場所と機体の不調について説明する。しかしモタモタはしていられない。大きな足跡を響かせながら二体のエンシェントオーガがこちらに近づいてくる。


「ユウ、気を付けて。奴ら、理力甲冑の調子を狂わせる何かを使うわ」


 レフィオーネはスラスターだけでなく全身の動きが悪くなっている。もしや、理力の流れが悪くなっているのか?


 しかし、何故こんなタイミングで理力の流れを狂わせる攻撃を? もぅと早くに使っていればエンシェントオーガは有利に戦えたはずだ。


 クレアは必死に機体を走らせながら考える。最初に調子が悪くなったときの状況は……上空でじっと止まっていた。そのあと、一体のオーガがこちらを指差し、何か光ったと思うと陽炎のように揺らめく空気の塊が飛んできた。そしてさらに調子が悪くなったということは……。


「そうか、どういう理屈かは分からないけど、あの攻撃は簡単に避けられてしまうのね」


 空気の塊はあまり速く飛ばせないらしい。だから機敏に回避する理力甲冑相手にあの技は使えなかったのだ。しかし、上空で油断していたレフィオーネは格好の的だったのだ。


「慢心、ってやつね……」


 後悔は後でも出来る。今はユウと合流しなくては。


 理力エンジンの調子が少し戻り、腰から伸びたスラスターから徐々に風切り音が聞こえてくる。飛行は出来ないが、跳躍の補助にはなるか。


 月明かりにその大きな影がレフィオーネに延びてきた。もうすぐ後ろにまでエンシェントオーガ達が迫ってくる。その顔は凄まじい怒りにも見えるし、獲物を捕らえる瞬間の笑みにも見える。


 もう何度も振るわれているが、一向に劣化する気配がないこん棒が天高く掲げられた。その重量と恐るべき膂力によりその一撃は鈍器の範疇を越えている。


 レフィオーネは圧縮空気を絞り出すようにオーガ達の一撃を右へ左へと懸命に避ける。しかし、こん棒が地面に叩きつけられる度に土砂や小石がまるで散弾のように飛び散り、華奢な機体に少しずつ損傷を与えていく。


「くっ! 離脱出来ない?!」


 理力エンジンの調子はまだ悪い。それに加え、小石の散弾がスラスターを傷つけさらに圧縮空気が弱くなる。このままではジリ貧だ。なんとか状況を打破出来るようなものは……。


 クレアは意を決してそのタイミングを図る。叩きつけられたこん棒が再び振り上げられた瞬間、不調の理力エンジンに活を入れスラスターを思い切り吹かせた。


 垂直に跳躍したレフィオーネはエンシェントオーガの顔の高さまでくると、そのまま機体を反転させて相対させる。一瞬、エンシェントオーガがニヤリと笑った気がしたが、クレアは構わずに右手に持った長銃を持ち上げて引き金を引く。


 乾いた銃声と共に、エンシェントオーガの顔から血が滴り落ちる。超至近距離で放たれた銃弾はオーガの左目を破壊し、脳髄にまで達し――――てはいなかった。


 唐突に片目の視力を失ったオーガは混乱と怒りでその場に立ち止まり、こん棒を振り回す。


 やった。倒せなくても、これで奴らの攻撃はいくらか弱まる。


「?! もう一体は?!」


 左目を押さえて悶えるエンシェントオーガとは別のもう一体はどこに。


 その瞬間、クレアは激しい衝撃に意識を失いそうになってしまった。


 何が起きたのか分からない。体のあちこちが痛む。上下の感覚が掴めない。


 痛みで意識が遠くなりそうになるが、なんとか目を開けて今の状況を把握しようとする。


 前面のディスプレイがひび割れ、ノイズが混じった映像を映す。どうやら地面に横たわっているようだ。向こうの方ではエンシェントオーガが笑っているのか、厳めしい顔は口角をひきつらせ肩を震わせている。


 ……そうか、もう一体の方に殴り付けられたのか。僅かな記憶を辿ると、激しい衝撃の前に大きな拳が見えた気がする。こん棒で叩き潰されなかっただけマシではあるが。


 機体は動くのか? 両手を操縦桿に伸ばそうとするが、力が入らない。腕の骨は折れていないようだが、このままではやられてしまう。


 二体のエンシェントオーガが近づいて来るのが分かる。


 ……万事休す、か。


 クレアは静かに目を閉じる。









「クレアーッ!」


 突然、無線からユウの声が聞こえた。


 それと同時に激しい衝突音が聞こえる。


 思わず目を開けると、画面の中ではエンシェントオーガに飛び蹴りを食らわせている真っ白な機体が見えた。


「ユウ……あとは……たのむわ」


 安心と疲れでクレアの意識はそこで途切れてしまった。









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