第3話 戦闘
第三話 戦闘
操縦桿を握る手が強張る。
魔猪と理力甲冑ステッドランドが互いに睨み合う。ステッドランドは手にした剣をゆっくりと構え、対する魔猪はさながら闘牛のように前肢で地面を
緊張した沈黙が両者の間を駆け抜ける。
……こちらの様子を窺っていた魔猪の動きが止まった。そして次の瞬間、放たれた矢のようにこちらへと突き進む。一呼吸の間に距離が詰まってしまった。
「ぐっ!」
すんでの所で魔猪の突進を躱すステッドランド。しかし、体勢が崩れる。あの大きさを間近で目撃してユウは思わず身震いしてしまう。体高はステッドランドの胸くらいの高さはあった。あんな大きさの物体が真正面からぶつかると、この理力甲冑ではひとたまりもないのではないか。
魔猪は後方の木を薙ぎ倒しながら突進の勢いを弱める。ユウは早く姿勢を戻そうと機体の両足を踏ん張らせた。
「どうやって倒す?!」
「普通なら遠距離から銃火器で仕留めるの! 最低でも三機か四機でね!」
今ここに遠距離武器は持ってきていない。ならば、とユウは咄嗟に作戦を思いつく。
「難しいけど、やるしかないか……!」
なんとか魔猪の方向へ機体を向け、剣を両手で持ち上段で構える。
「何する気よ!?」
「いいから黙って!」
前方から圧力を感じた瞬間、再び魔猪が突進してくる。ユウは覚悟を決めてその圧力に立ち向かう。
「! 奴が来るわよ!」
クレアの叫びを無視しているのか、ユウは微動だにしない。
魔猪の鼻面が眼前に迫る。瞬間、ステッドランドは魔猪の左側へ滑り込む。しかしタイミングが悪かったのか、巨大な牙が胸部装甲の下側を削り取る。運良くかすっただけだが、その衝撃は操縦席を激しく揺らした。
「くっ、駄目か! ……もう一度!」
今度は体勢を崩さずに済み、二、三歩下がってから先程と同じく剣を上段に構える。魔猪の方も上手く旋回してこちらに三度目の突進を仕掛ける。勢いを殺さず、今までよりも速い。この速度、先ほどの衝撃、直撃すればただでは済まないという予感が頭をよぎる。
耳元でクレアが何か叫んでいるが、それを無視してユウは深呼吸しつつ相手とのタイミングを図る。
「……今だ!」
先程と同じ動きで魔猪の左側へ滑る。今度はタイミングが合い、鋭い牙は虚しく空を切るだけに終わった。
「ッアアァァッ!!!」
気勢を発し、上段に構えた剣を一気に振り下ろす。鈍い音が剣を、そして機体を伝わり操縦席まで響く。魔猪は突進の勢いそのままに激しく横転する。……その剣の先は血でべったりと濡れていた。
恐る恐る目を開けて周囲の様子を確認したクレアは何が起きたか理解出来なかった。あの巨大イノシシは倒れている。まさかユウが一撃で倒してしまったというのか。
クレアが無言でいるとステッドランドはゆっくりと魔猪へ近づく。縦に大きく切り傷が入った脇腹は僅かに上下しており、絶命はしていないようだ。が、徐々に腹の下には血溜まりが広がっている。
突然、魔猪が震えながら起き上がりユウ達を睨む。息が荒く、立っているだけで必死なようだ。とっさにユウは後退し剣を構えさせるが、何もしてこない。するとぎこちない動きで魔猪は反対を向き、よろよろと去っていく。
「あの傷じゃあもう襲って来ないでしょうね」
魔猪が見えなくなると構えていた剣を下ろし、ユウは大きく息を吐いた。正直、何度か死ぬかと思った。これまで、バイクに乗っていて危険な場面に何度か遭遇したことがあったが、今回はそれ以上に肝を冷やした。額に浮いた玉のような汗を腕で拭うと、もう一つの危機的状況に彼は気付く。
自分の膝の上に女性が座っている。しかもかなりの美人が。狭い操縦席で密着して。さらになんだかいい匂いが鼻をくすぐる。
とっさに別の事を考え邪念を払おうとするも、しかし動揺が機体に伝わってしまい、ガクガクと揺れ始める。ユウも健全な男の子なのだ、もう少し配慮してほしいと心の中で叫ぶが、その思いが伝わる事はなかった。
「ちょっと! 大丈夫?!」
クレアが心配してこちらの顔を覗き込む。赤く、綺麗な瞳がユウを見ている。思わず見とれてしまうが、危機的状況には変わりない。
ユウは目を閉じ操縦に集中する。しばらくすると、なんとか動揺を治めて機体を膝立ちにさせる。ハッチを解放すると、外の新鮮な空気が狭い操縦席に満ちていく。クレアもいい加減、狭い所から解放されたいのだろう、するりと機体を降りていった。ユウも二重の意味で解放され安堵し、彼女の後に続く。
「危なかった……!」
「ええ、確かに危なかったわね。普通、この辺にはいないはずの魔物なんだけど」
「あと少し遅ければどうなっていたか……」
「全く無茶するわね、勝てたからいいものの」
二人の会話は噛み合っているのか、いないのか。
「それにしてもやるわね、アンタ。魔猪に単独で撃退するなんて並みの腕じゃ出来ない事よ。何か訓練でもしてたの?」
「いや、あのイノシシは突進しかしてこなかったから、直線的な動きなら回避自体はなんとかなると思ったんだ。そこに攻撃をカウンターみたいに合わせればって……。それに訓練っていっても昔、剣道をやってたってだけだし」
「ケンドー? 剣術の事?」
「まぁ、そんなものかな。それにしても……疲れたぁ!」
その場にゴロンと寝転がるユウ。背中に小石や木の根が食い込むが構わない。疲労感が全身を包む。
「いいわ、帰りは私がステッドに乗るわ。アンタは寝てなさい」
来た道をステッドランドが歩いていく。水を掬うように両手を広げて、その上でユウが寝ている。身長十メートルの巨人が歩けばそれなりに上下するのだが、気にはしていられない。それほどに疲れているのだろう。
クレアはその様子を操縦席から見て、凄いじゃない、と呟く。初めて理力甲冑を操縦してあそこまで動ける人間はそうそういないうえ、単独で魔猪を撃退した。熟練の操縦士でも手こずるであろう相手にかすり傷一つで済んだのだ。
「アンタなら本当に戦争を終わらせることが出来るのかもね……」
突然、顔をペチペチ叩かれユウは飛び起きた。
「あら、ようやく起きた? 着いたわよ」
ユウは何が起きたのか分からず、クレアの顔を凝視する。
「なんて顔をしてるのよ。ほら、さっさと起きて」
周囲を見回し、理力甲冑の簡易整備場に戻っていることに気づいた。
(夢……じゃなかったのか……)
今までの事が現実だと分かり落胆する反面、こういう反応って本当にするんだなと妙な感慨にふける。
ステッドランドの掌から飛び降りると、向こうから大勢の人がこっちにやって来る。ひと目で分かる筋肉質の大柄な体躯、革製のエプロンに厚手の手袋、何なんだろうこの人たちは。
「魔猪とやりあったってのに傷がついてねーじゃねーか!」
「いや、あそこを見ろ! 胸の所に傷がついてる!」
「それたけで済んだってのかよ?!」
あまりの大きな声にユウは思わずたじろぐ。
「お! お前が倒したってホントーかよ!」
「剣だけで魔猪をやったってのか!?」
「あんまり強そうには見えねーけどな!」
ユウは寝ていて知らなかったが、帰還途中にクレアが無線で連絡していたので事の顛末は野営地に伝わっていた。
彼らの興味がユウへと移ったことでたちまち囲まれてしまい、逃げ場を失った。
「変な服だな! お前の世界じゃあそれが普通なのか!」
「広場にあった車輪付きの機械な! あれ運んどいたぞ!」
「ちゃんと飯食ってるか! もっと筋肉つけねーとな!」
彼らにもみくちゃにされつつも律儀に答えようとするが、いかんせん数と勢いに負ける。悪い人たちではなさそうだが、ちょっと、いやかなり無遠慮だ。
「ちょっと! ユウが困ってるじゃない! みんなどいてどいて!」
向こうからクレアの声が聞こえた。ステッドランドを元々あった整備台に駐機させてきたらしい。まさに天の助けだ。
「っ! クレア! 助けて! 誰この人たち!!」
涙目のユウが悲鳴のように叫ぶ。
クレアが謎の無遠慮集団をなだめてからその正体を話す。
「この人たちはね、理力甲冑の整備士なの。見ての通り、暑苦しくてむさいけど、腕は確かよ」
「ヒデーぜ! クレア嬢ちゃん!」
「そうだ! むさいのはコイツだろ!」
「あぁん?! なんだとゴルァ!」
確かに暑苦しくてむさい。おまけに騒々しい。
「口は悪いけど、仲良くしといた方が良いわよ。いずれアンタの機体も整備してもらうことになるんだから」
確かに今後の事を考えると、相手が誰であれ闇雲に関係を悪化させるのは得策ではない。頼れる人間は多いに越したことはない。……今のユウには行く宛も頼る人もこの
「……えっと、その、よろしくお願いします」
「ガッハッハッ! まかしとけ!」
「いくら壊しても直してやんぜ!」
「ちゃんと筋肉つけろよな!」
言うだけいって彼らは直ぐに散っていった。どうやら他の機体の整備を行うらしい。ユウたちが乗っていた機体とは別のステッドランドが向こうに座っていた。
……そのステッドランドの操縦士だろう人物が勢い良くこちらへ走ってくる。物凄い形相なのは全力疾走しているせいだけでは無いようだが……。
「あ、転けた」
地面のデコボコかなにかに躓いてしまったのか、その人物は盛大に転んでしまった。しかし、そんなことは無かったかのように、勢いよく立ち上がる。所々泥で汚れてしまっているが、全く気にしていないようだ。
「お前がユウかーッ!」
再び全力疾走してきたかと思うと、ユウの眼前にびしっと人差し指を向け、少年特有のいくらか高い声を辺りに響かせた。ユウより少し小柄で、少し癖ッ毛のある茶髪と合わせて童顔がより幼く見える。
「あ、ハイ」
「魔猪を一人で撃退しただと?!」
「えーと、そうみたいですね?」
「クレアの
「そうらしいですね……」
二人の間の温度差は激しい。少年が地団駄を踏んで悔しそうにしているが、なにか大事な理由でもあるのか。
「こーら、ヨハン! ユウは疲れているんだからその辺にしときなさい」
「だって姐さん!」
クレアがキッと睨みつける。
「姐さんって言うなって、いったわよね……!」
少年、ヨハンはヒッと小さな悲鳴をあげ、一目散に逃げ出した。クレアはやれやれといった風に肩をすくめる。
「ごめんね、ユウ。今のはヨハン、あの子も操縦士なのよ。……それで妙な対抗心を燃やしちゃってるのね」
「大丈夫だよ。何て言うか……元気な子だね」
「私たちの中で操縦は上手い方だけど、まだまだ子供よ。昔からの知り合いなんだけど、妙に私に懐いててね。姐さんって呼ぶの止めて欲しいんだけど……困ったものよ」
何となくクレアの表情が慈愛に満ちたものになる。どうやら二人は長い付き合いのようだ。
「ああ、何か母親と子供みたい」
ポツリと言っただけだが、クレアは柔らかい表情のままユウの方へと向き直る。そしてその長い脚がまるで鞭のようにしなった。
「痛っ!なんで蹴るんだよ!」
「うっさい!バカ!」
ユウにそう言われて、何故か急に恥ずかしくなったクレアは彼の尻を思いっきり蹴りあげてやった。顔を紅くしたクレアはドスドスと歩きだし、尻餅をついたままのユウは何が悪かったのか分からないまま彼女の後ろ姿を見送った。
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