第38話 考えるな! 感じろ!

 教壇の隣でひとりずつ名簿にチェックを入れて、投票用紙を渡すさくらチャン。

 つい立てのある机で一人づつ記入した投票用紙を、教室の出入り口の引き戸の横にある投票箱に入れて教室を出ていく。

 投票が終わったみんなは真紀先生と特活室で選挙のしくみについての授業。感想とか聞かれるのかな?

 教室に残ったのは四人。さくらチャンと茂クン、そして泉チャンとアタシ。

 これでアルを呼べる。って、ホントにいるの? どこに?



「次はワタシでいいのね?」



 泉チャンがゆっくりと席を立った。

 アレ? 泉チャン、いつもと同じだ。さっき『さわらないで』って聞こえたのに。

 アタシの気のせいだったのかな?

 茂クンとさくらチャンが目を大きく開けて、そろってアタシを見る。

 そりゃぁそうよね。泉チャンが蟲につかれてるからって、みんなを特活室に移動してもらったのに。



「あの……泉チャ……」



 泉チャンはアタシに背中を向けたまま少しも振り返ろうとしなかった。

 アタシの声、聞こえてなかった……なんてコトないよね。茂クンもさくらチャンも、どうしたらいいのか分からなくて、アタシと泉チャンをキョロキョロと見比べるしかなかった。



「野々山泉です。さくらチャン、名簿にチェックお願いね。あと投票用紙……」



 泉チャンは机の上の名簿を指さして、さくらチャンに向かってニッコリ笑った。

 いつもと同じ……じゃない。何か、怖い。やっぱり、今すぐアルを探さなきゃ。

 アタシはイスに座ったまま、大きく首を動かした。アタシの肩の上で、トーエイもグリグリと首を回す。



「アル! いるの? 出てきて!」

「来てるんだろ? ナオ様がお呼びだ!チャッチャと出てきやがれ、この大福!」



 アルは姿を見せない。アルが隠れられそうな場所……いっぱいありすぎて分かんないや。それより、今こんな時に隠れてる必要はないよね?やっぱり、学校に来てないんじゃ。



『ヤメて! さわらないで!』

 ガッターン!!



 えっ? 何?

 アタシは泉チャンを振り返った。

 茂クンの手が、さくらチャンの肩があった場所で止まっていた。さくらチャンはイスごと後ろにひっくり返っている。二人とも、鳩が豆でっぽうを食ったような顔でポカンと口を開けていた。

 それをやったのは、突き飛ばす格好でブルブルと小さく震える泉チャンだった。



「安藤さん、大丈夫? 泉チャン、何する……」



 茂クンは慌ててさくらチャンの手を引こうとした。



『気持ち悪い、気持ち悪い……誰も……誰も茂クンにさわらないで! 吐きそう……気持ち悪い』

 ブワッ!



 泉チャンを真ん中に、つむじ風のような渦ができる。長い髪の毛が宇宙にいるみたいにフワッと浮かんでいた。

 ああ……どうしよう。何とかしなきゃ。



『誰も茂クンに近寄らないで!ずっと……ずっと……茂クンにはワタシがいるのに……何でナオちゃんと仲良くする……の?ナオちゃんなんて顔も見たくない!』



 背中を丸めて、自分を抱きしめるように両腕を上下にさする泉チャン。

 あっ、もしかして……そうだったんだ。泉チャンはずっと茂クンのコトが好きだったんだ。幼馴染だから、ホントに小さな頃からずっと。

 これってヤキモチの感情の隙をつかれたってコト?

 誤解だよ。アタシが特別、茂クンと仲がいいワケじゃないんだよ。

 茂クンだって泉チャンのコトが大切だって。だから、泉チャンにケガさせちゃった時、『弱蟲』につかれちゃったんだよ。

 どうすればいいの? そんなコト、どうやって伝えればいいの?

 誰か助けて! アル……



「アル~!!」

 バン!!



 教室の後ろにある掃除用具入れのロッカーがいきなり大きな音を立てた。スゴイあわてて、頭にアルを乗せた鈴木くんが飛び出してくる。教室の中が、写真の一コマのようにピタッと固まった。

 アタシ、カッコ悪くあんぐり口を開けてたかも。アゴがブラジルまで落ちる勢いで。



「寝坊した~!! ……ん?」



 キョトンとした顔でキョロキョロと教室を見回すアルと鈴木くん。

 何でまた掃除用具入れなの? 鈴木くん……住んでるの?



「アル! 鈴木くん! 泉チャンが蟲に……」



 アタシが言うより早くそれに気づいて、鈴木くんの髪を引っ張るアル。スゴイ速さで泉チャンにかけよる……飛びよる鈴木くん。

 ペンギンってもっとヨチヨチって感じじゃないの? 両足そろえてジャンプしているのに、多分アタシよりずっと速いよ。



「ナオッ、蟲の名前は分かってるのか?」



 鈴木くんの頭の上でお尻をポンポンと弾ませながらアルが振り返った。

 もうっ! 今まで寝てたハムスターがエラそうに何言ってるのよ。

 大丈夫! たぶん……

 さわってほしくなくて、全部がイヤでイヤでたまらない蟲なんて、これしか思い浮かばないよ。



「蟲唾が走る!」



 茂クンはさくらチャンの手を引いて、教室の外へ。そして、二人とも開けっ放しのドアから顔をのぞかせた。

 鈴木くんの頭の上に棒立ちになって、点になった目で泉チャンを見上げているアル。



「…………どうしたの、アル? アタシ……間違ってた?」

「イヤ、出るには出たが……何だこれは? 体中をスゴイ速さで移動している」



 鈴木くんの頭の上でグルグルと首を上下左右に回すアル。鈴木くんは羽を出そうにも出せず、じれったそうにオロオロしていた。



「うろたえるな、鈴木くん! ワタシが指示を出すから動きを予測しろ。鈴木くんは見えていないんだから、目で追ってもムダだ! 感じるんだ!」



 鈴木くんはハッとした顔でパカッとクチバシを開けたかと思うと、ゆっくりと羽を下ろして静かに目をつぶった。

 スゴイ! 目をつぶって戦えるなんて。

 気を感じるとか? 鈴木くんって、一見ポヤーンとしているように見えるけど、ホントはマンガとか小説とかでよく見る達人のレベル?

 アルは鈴木くんの頭をポンポンと叩いた。



「…………よし、分かった。鈴木くん、まず目は開けよう。明後日の方向を向いてるぞ?」



 やっぱりマンガの中だけよね。目をつぶって戦うなんて。

 アルの首がスゴイ速さで細かく動いた。鈴木くんは泉チャンをジーッと見つめたままアルの声に聞き耳を立てていた。



「右足から腰、左足、腰、左胸と見せかけて右胸、右肩、左肩左手左肩左脇腰右脇右肩右腕……」

「右肩ですから!」



 鈴木くんの羽が泉チャンの右肩にキレイに入った。



『気持ち悪い気持ち悪い……オロロロロロロ……』



 ガクッとヒザを折る泉チャン。その体から飛び出た、平べったい大きなトンボのような体に、馬のような六本の足の蟲が、フワフワと宙に浮いていた。

 野球のボールくらいある大きな複眼の両目がランランと光ってる。

 何でいつもいつも、こんなに気持ち悪い姿なの? もう、生き物として間違ってるって。すり抜けちゃってさわれないから、ホントに生き物かどうかも怪しいけど。



「オレっち、いただきま~す!」



 待ってましたとばかりに、トーエイがアタシの肩から蟲に向かって飛んだ。

 ホント、色んな意味でオイシイトコだけ持ってくよね、トーエイって。

 後は、気持ち悪い蟲が、トーエイの口に吸い込まれていく気持ち悪い様子を、アタシが目をそらして見ないようにすれば……



 アレッ?



 まるで蜃気楼のように、目の前からフッと姿を消す蟲。トーエイは蟲に飛び乗れず、教室の机の上にビタンと落っこちた。

 うわっ、痛そう。



「コイツ……速い!」

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