第35話 気に入らない

 えっ? 何で? 何が起きたの?

 アレ? アタシ、何でさくらチャンに手を振り払われたんだろう?

 アタシはポカンと大きな口を開ける。



『イヤだ……』



 えぇ~!? 急に何言ってるの? さくらチャン探しに来たのに。

 さくらチャンは懐中電灯を握った手をブランと下にたらして、フラフラと小さく揺れていた。マネキンみたいに表情がなくて、目が宙を泳いでいる。

 さくらチャン、アタシのコト見えてる?



『ワタシを助けたつもり? 上から目線? 気に入らない』



 さくらチャンはまるで映画に出てくるゾンビみたいに、フラフラと一歩、また一歩とアタシに近づいてくる。アタシは怖くなってジリジリと後ずさりした。

 声は聞こえるのに、さくらチャンの口がピクリとも動いてない。コレってまさか……



 ガッ!!

「キャッ!」



 いきなりアタシの両肩につかみかかったさくらチャン。

 痛い、痛い。スゴイ力。目がアタシの顔を見てないし、怖い。

 さくらチャンを引きはがそうと、必死にアタシの肩を引っ張る茂くん。



「ちょっ、安藤さん。どうしたの!? 松平さん、大丈夫!?」

「だっ、大丈夫じゃないかも……アル、アル!! さくらチャンが何かおかしいよぉ!」



 狭いトイレの中から、アタシと一緒に引きずり出されるさくらチャン。アルは缶のフチに両手でつかまって、プルプル震えながら顔だけをこっちに向けた。



「アル、さくらチャンが……さくらチャンが……」

「蟲だ!! 蟲につかれてるぞ!」

 カランクワン! ゴロゴロゴロ………



 アルの入っていたワックスの缶がひっくり返って、トイレの中にかわいた音がひびく。

 そんな……蟲がいるって、急に言われても――何の蟲?

 スゴイ速さでフードからアタシの頭の上に移動するトーエイ。『ゴクッ』って喉を鳴らす音が聞こえた。

 まさかトーエイ、蟲が出てくるのを楽しみにしていない?



『カックンに話しかけられたコトも気に入らない。東京から来たってコトも気に入らない。一人ぼっちだったくせに平気な顔してるコトも気に入らない。もう、そんなコトどうだっていい。なんとなくナオちゃん全部が気に入らない』



 えぇっ!? そんなぁ……アタシを全否定!? しかも、なんとなくって。



「えっと――そんなコト言われても、アタシ……」



 口をとがらせてプルプルと首を振る。だって、どうしょうもないじゃん。



『気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない……』



 茂クンの時が『弱蟲』でしょ?

『○○蟲』……『○○蟲』……『泣き蟲』――とか?

 全然違うよね。そんな言葉、ある?

『蟲』……『蟲』……なんとなく気に入らない……『蟲』……

『蟲』……『蟲』……『○○の蟲』とか言ったりするね?

『蟲』……『蟲』……

『気に入らない』……『気に入らない』……『好きじゃない』ってコト?

 あっ、そうか!! そういうコトなんだ!

 アタシ、勉強はキライだけど、本を読むのは好きだから分かっちゃったかも。



!! でいいのかな?」



 さくらチャンの肩がビクンと大きく跳ねた。アルがチョロロッとアタシにかけよる。



「出たぞ!! 鈴木くん、左手だ!」



 足元で興奮しながら指をさすアル。鈴木くんは黄色い髪を揺らしながらピョン、ピョンと助走をつけて一気に飛び上がる。そして、アタシの肩をつかんだままはなさないさくらチャンの左手に、羽を突き立てそのまま振りおろした。



『気に入らない気に入らない……オロロロロロロ……』

「キャッ、出た! キモッ! キモッ!」



 ガクッと首を前に折って、アタシにもたれるように倒れてくる。それをアタシごと支えてくれる茂クン。



「わっ、何コレ!」



 茂クン、蟲、見えるの!?

 クラスの他のみんなは見えてなかったのに。あっそうか! きっと、蟲につかれたコトがある人は見えるようになるんだ。


 家にあるフライパンくらいの大きさの蟲。この前の蟲とは全然違う姿。前の蟲と比べるとずっと小さいけど、気持ち悪いトコロは変わらない。

 平べったいなめくじのような体にゲジゲジみたいな細くて長い足がいっぱいついてる。それで、体をくねらせながらアタシと茂クンの足元をはいずり回る気持ち悪い蟲。


 アタシと茂クンは『キャーキャー』『ワーワー』言いながら、その場で足をバタバタさせた。時々、気持ち悪い蟲を踏んでいたと思うけど、やっぱりオバケのように通り抜けるだけだった。

 アルは鈴木くんの頭の上から床の蟲を指さした。それを合図に鈴木くんは、床をはいまわる蟲に素早く近づき、腰をかがめてコマのようにクルクル回りながら羽を打ちつけた。


 ヒュン、ヒュン、ヒュン――


『弱蟲』の時と同じで、鈴木くんの羽は空を切るだけで、その全部がやっぱり当たらない。アタシの頭の上で舌なめずりしていたトーエイは口の端っこをクイッと上げた。



「ヒーローはいいトコロでやってくる。色んな意味でオイシイトコロは全部オレっちのモノ。それでは……ゴクッ……いっただきま~す!」



 アタシの頭の上から、尻込みするコトなく宙に飛び立つ――落ちるトーエイ。

 トーエイはアタシたちの足元をはい回る蟲の上に見事着地して、アゴがはずれるくらい大きな口を開けた。アタシはフッと目をそらした。



 ズルン!



 はぁ……はぁ……気持ち悪かった。

 二回目だけど、蟲も、トーエイの口に吸い込まれていくトコを見るのも、全然なれる気がしない。

 お腹をパンパンして転がっているトーエイを、目を丸めながら指先でツンツン突っつく茂クン。



「自分の時はボーッとしててよく覚えてないんだけど、目の前で見ると何かスゴイね」



「う……うん」



 アタシによりかかったまま、さくらチャンが小さく首を振った。

 キョロキョロとトイレの中を見回している。そして、アルと鈴木くん、床に転がったトーエイを見て息を飲むさくらチャン。



「さくらチャン……大丈夫?」



 転がるトーエイを拾い上げて肩に乗せて、ビクビクしながらさくらチャンを見た。

 だって、蟲のせいでキラワレていたのかどうか分からないし。

 さくらチャンは右手で頭を押さえてブンブンと横に振った。



「夢――じゃなかったんだ。まだちょっとボンヤリしてるけど、大丈夫」



 ちょっとフラフラしているさくらチャンに肩を貸して、アタシと茂クンはトイレを後にした。鈴木くんはアルを頭に乗せたまま、アタシたちの後ろをついてくる。



「ゴメンナサイ。ナオちゃん、イジワルしてゴメン。自分にあんな変なのがとりついてるなんて思わなかった。そのせいでアタシ……ううん、それは言いワケにならないや」



 さくらチャンは体育館のカベによりかかって、ゆっくりと腰をおろした。



「ワタシ、ナオちゃんがうらやましかったんだ。東京に住んでたコトも、カックンに話しかけられたコトも」



 さくらチャンは一度、大きく息を吸ってそれをゆっくりと吐き出した。そして、顔にあてた両手を何度も上下に動かした。まるで、顔を洗うように。



「ん、少し楽になってきたよ。君たちもありがとね。ハムスターさんとペンギンさんと――トカゲさん?」

「ヤモリだ!!」



 アタシの肩の上でひっくり返っていたトーエイは、グイッと首だけを起こして大きく口を開けた。アルは鈴木くんの頭の上でお腹をかかえて転げまわる。



「あぁ~はっははははは~! トカゲ! オイ、トカゲ!」

「ウルサイ、大福!」



 アルはバランスをくずして鈴木くんの頭の上から体育館の床にコロコロ転がった。そんなアタシたちを不思議そうな顔で見る茂クンとさくらチャン。



「この子、ヤモリなの。トカゲって言われるの大キライで、アル――ハムスターがそれを聞いて、大笑いして落ちちゃったの。鈴木くん――ペンギンの頭から」



 さくらチャンは目を丸くして、茂クンと顔を見合わせた。



「茂クンには話したけど、アタシこの子たちと話せるの。ウソじゃないんだよ?」



 ゆっくり目をつぶって静かに首を振るさくらチャン。



「うん。だってナオちゃん助けてくれたじゃない。ワタシ、ちゃんと覚えてるよ。ホラ……痛いもん。夢なんかじゃないって」



 さくらチャンは自分のホッペをつねる。そして、アタシに向かってウインクした。



「二人とも、探しに来てくれてアリガト。本当にアリガト。ナオちゃん、あの気持ち悪いオバケって何なの?」



 むむっ、説明がむずかしいよ。どうやって話そう。

 さくらチャンはカベに手をついて立ち上がった。そしてフッと思い出したように口を丸く開ける。



「あっ、そうだ! ナオちゃんの探している栞なんだけど……」

「アー!!」

 ビクッ!!



 何? 何なの鈴木くん? 急に大きな声上げて……さくらチャンもビックリして目を丸くしてるじゃない。



「ナオセンパイ! ボク、見つけましたから。センパイの宝モノの栞」

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