第32話 エリーゼのために
別にナイショにしなきゃいけないってコトはないんだろうけど、みんなに見えてない蟲の話なんかしたら、アタシきっと、『タカビシャな子』から『変な子』になっちゃうよ。
「えっ、何? 秘密だったの?」
アタシの耳元でコソコソッとつぶやく茂クン。
茂クン、顔近い、近い。くすぐったい。
「じゃないけど、誰も信じてくれないと思うよ。アタシ、『変な子』って思われて、いつまでたっても一人ぼっちのままだよ」
泉チャンとさくらチャンに背中を向けて、茂クンと顔を寄せて下を向いて、ボソボソッと小さく口を動かす。茂クンは口をとがらせて『ふ~ん』と鼻をならした。
「アタシたち、もう行かなきゃ。茂クンと泉チャン、また後でね」
アタシはニコッと笑って茂クンと泉チャンに手を振り……
ゾクッ……
右手を上げた茂クンの後ろで、少しうつむいて上目づかいでアタシをにらむ泉チャン。
懐中電灯の光でたまたまそう見えた……とか? ううん。だって、半袖の白いパーカーから出てるアタシのウデ、鳥ハダが立ってるもん。すぐにいつもの優しい顔になったけど、アタシの見まちがい……だったのかな?
「ナオちゃん、暗いから足元とか気をつけてね」
いつもと同じ泉チャン。茂クンの後ろで肩をすくめて、顔の前で小さく手を振った。茂クンもアタシたちに大きく手を振る。
やっぱり気のせいだね。だってアタシ、泉チャンににらまれるコトした覚えないし。
渡り廊下の暗闇へ吸い込まれるように消えて行く、茂クンと泉チャンをしり目に、アタシは三階への階段を上った。
ポロン…
えっ……? アタシはさくらチャンを振り返った。さくらチャンは目を大きくして、ブンブンブンと大きく何度も首を振った。
ミ
やっぱり聞こえる。ピアノの音。
茂クンのウソつき~!
さっき、『何もなかった』って言ったじゃない。
三階の暗い廊下で、アタシとさくらチャンの持つ懐中電灯の灯りが、音楽室の引き戸をボウッと照らしていた。小さく揺れながら。
だって怖くて手が震えてるんだもん。ねぇ、これ行かなきゃいけないの? 別に通知表が悪くなるワケじゃないよね?
さくらチャンは真っ青を通り越して、真っ白な顔で、両手で懐中電灯をキュッとにぎりしめてガタガタ震えている。
うん、そうだよ。さくらチャンも怖がってるし、ヤメよう。そうしよう。
と、決めた途端、不意に頭によぎるアルの声。
『学校のイベントだ! 気合い入れてけよ! サボったりズルしたりするんじゃないぞ! 学級委員長になるんだからな!』
あぁぁぁぁ~~~~~~!!
家出る前に言われたんだったぁ!
ハムスターのくせに、変なトコで真面目なんだよね。バレるかなぁ? バレるよねぇ。学校に来てるんだし。『ひまわりの種ミサイル』、地味に痛いのよねぇ……
うんっ、決めた。誰かのイタズラだよきっと。
それに、あの話……さっきはぐらかされちゃった栞のコト、さくらチャンにハッキリ聞かなきゃ。
「アタシ、音楽室のハンコ、押してくるよ。さくらチャンのも。だから、栞のコト、知ってたら教えて?」
アタシは後ろで震えるさくらチャンに笑いかけた。精いっぱい笑いかけたつもり。けど、上手く笑えてなかったんだと思う。さくらチャンの目、アタシを見て怯えてる。アタシの顔、そんなに怖い?
「分かった……分かったから、懐中電灯で自分の顔照らすのヤメて」
あっ、ゴメン。アタシ、懐中電灯を顔に向けてた。
さくらチャンはアタシから目をそらしてウンウンと何度もうなずいた。
アタシはさくらチャンに向かって、黙って一回首を縦に振る。そして、ゴクッとツバを飲み込んで音楽室の引き戸に手をかけた。
カラカラ……
そっと、ホントにそ~っと開けたのに、小さくかわいた音を立てる引き戸。
ジッとしている体が揺れるくらい、心臓がバクンバクンとおどっている。
音楽室の奥にグランドピアノがあるんだけど、暗くてよく見えない。けど、懐中電灯をピアノに向ける勇気はなかった。だって、誰かがいたら怖いし、いなくても怖いじゃない。
ミ
きゃっ!
やっぱり間違いなくあのピアノの音だ。空耳だったらいいのになぁと、どれだけ思ったコトか。
音楽室のハンコはピアノの手前の教卓の上。コソッとハンコだけ押して、サッと音楽室を出ればいいんだよ。ピアノオバケがアタシに気づく前に。
アタシは音を立てないように、静かにゆっくりと一歩足をふみ出した。ドロボウのように背中を丸めて。スイッチを入れたまま握りしめた懐中電灯は、アタシのパーカーのお腹のポケットの中にある。アタシのお腹、暗闇の中で青黒くボンヤリと光ってる。何かにつまづかないように、左手を前に突き出して手探りで進む。
さくらチャンは、音楽室の外で一人だけど大丈夫かな?
雨が降ってるせい? 暑くはないんだけど、空気がベッタリと重く感じる。アタシの息の音聞こえてない? 大丈夫かな?
ミ
「えぇぇ~~~~~~!? そこで音ハズす!?」
誰なの? 誰が弾いてるの? エリーゼがかわいそう! ベートーベンにあやまって!
アタシはポケットから懐中電灯を取り出して、いきおいよくグランドピアノに向けた。
「キャー!! …………誰もいない!」
ドタドタドタ……
音楽室の外から聞こえてくる、スゴイ早さで遠ざかってく足音は……
えっ、もしかして、アタシ置いてかれちゃった?
走って音楽室の入口に戻る。アタシは引き戸に手をかけて廊下をのぞくように顔だけを出した。
誰もいない。
ヒドイよ、さくらチャン。アタシを置いていっちゃうなんて。
恐るおそる室内を振り返る。やっぱり音楽室の中には誰もいない。もちろんピアノの周りにも誰もいない。
またピアノ鳴り出すかもしれないし、アタシも逃げちゃっていいかな? あっ、ハンコ押してないや。なんて一人でオロオロしていると聞き覚えのある声が。
「ナオ……ナオか?」
えっ? もしかして……
アタシがグランドピアノに懐中電灯を向けると、その譜面台の横にヒョコッと姿を現したのは、やっぱりアルだった。
アルは譜面台に右手をついて、ひっくり返るくらい得意気にふんぞり返った。
「どうだ、ワタシのピアノは。世界広しと言えどもルードヴィヒをピアノで弾けるハムスターはワタシだけだ。次はヴォルフガングなんてどう……」
「アルのアホちん!!」
アルは何かにぶつかったみたいにガンッて体を引いて、アゴがはずれるくらい口を大きく開けて目をむいた。
「アホちん……? このワタシが? ナオに? アホちん?」
アタシの一言で、何か色々くずれ落ちちゃったみたい。
アルは小刻みに首をひねって落ち着きなく手足をバタつかせた。
「だってそうじゃない!! 何なのルードヴィヒって! アタシのコト、心配でついてきたんじゃないの? なのに、何でアタシをおどかすのよ!」
アルはグッと息を飲み込んで目をパチクリさせた。そして、肩をすくめてアタシを鼻で笑う。
「ふんっ、やっぱりナオの方がアホちんじゃないか。ルードヴィヒとはベートーベンのコトでヴォルフガングは……」
「うるさ~い!! 怖かったんだから! ピアノ鳴ってるのに誰もいないし。ピアノ弾けるってヘタじゃん。ヘタクソ。アルのヘタクソ! アルのせいでさくらチャンに置いてかれちゃったんだから!」
アタシが『ヘタクソ』って言うたびに、アルはムッとしてフワフワの白い眉毛をつり上げた。けどすぐに、小さくため息をはいて右手をヒラヒラと振った。
「分かった、分かった」
アルがピアノの譜面台のカゲに隠れて見えなくなる。
ポロン……
真っ暗の音楽室。外は雨の音。懐中電灯の明かりだけに照らされたグランドピアノが、雨の音と重なって少し悲しい感じの音を立てた。すぐに、アルがアタシの足元にかけよってくる。
「その、さくらって子を連れてきてやる。だから、今度はちゃんとワタシのピアノを聞けよ。『ヘタクソ』なんて二度と言わせないからな」
「えっ、ちょっと……アル」
アルはアタシの足元でプイッとソッポを向いて、アタシの呼びかけも聞かずに暗闇の中にスゥッと消えて行った。
さくらチャンもいない。アルもいない。
さっきまで鳴ってたピアノ。雨の音。重たい空気。
何? 結局、真っ暗な音楽室にアタシ一人じゃない。
アタシ、これからどうするの?
アルを待ってなきゃいけないの?
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