††† 六月二十九日 雨 †††

第31話 キモ試し開幕

 きっと神様っていないんだよ。

 だってね、昇降口の暗い廊下を歩くアタシの隣にいるのは、よりによってさくらチャンだから。


 アタシは廊下を歩きながら、手に持った懐中電灯の明かりでウッスラ浮かび上がる、さくらチャンの顔を横目で見た。

 さくらチャンは目を細めて、深くかぶった野球帽の下から、真っ直ぐ前を見つめていた。体全部がピリピリと緊張しているように見える。


 学校の外からは、結構強めの雨の音が聞こえてくる。真っ暗な校内にアタシたちが持つ懐中電灯の灯りと、所々にポツンと置かれた小さなランタンライトの光がボウッと浮かんでいた。あの目印のランタンライト、かえって怖いんですけど……


 シーンと静まり返った校内の空気がスゴく重く感じた。時々、上の階を誰かが走る音とか、叫び声みたいな声が小さく聞こえた。きっと、先を歩くペアが、ビックリした声や音だと思う。

 アタシとさくらチャンはずっと、一言もしゃべっていなかった。

 何か話題ないかな? 話してた方が怖くないと思うんだけど。あっ、これってもしかして栞のコト聞くチャンスじゃない? アタシは大きく息を吸って、フーッとゆっくりはき出した。



「アタシね、ちょっと前に栞なくしちゃったの」



 さくらチャンの片方の眉がピクッと上がった。



「本に挟む栞ね。和紙でできたモミジの葉っぱの形した赤い栞なんだけど、さくらチャン知らないかなぁ?」



 さくらチャンはピタッと両足をそろえて立ち止まる。懐中電灯の明かりが足元に向けられていて、さくらチャンの表情まではよく見えなかった。



「何でワタシに聞くの?」



 さくらチャンの声のトーンが下がった。怒った言い方よりも、こっちの方がかえって怖かった。お尻の方から首まで、ゾクッと冷たいモノが走った気がした。



「えっ……あの……クラスのみんなに聞いてるんだよ。あの栞、お母さんにもらったアタシの宝モノだから」



 アタシは胸の前で両手の平をブンブン振った。けど、さくらチャンがモミジの葉っぱの形した栞を持ってるのを茂クンが見たって……



「ワタシ、ファッションとアイドルの本しか読まないから」



 読まないから? 栞は持ってないって言いたいのかな? それとも、はぐらかしたのかな?

 アタシとさくらチャンは南校舎の階段の前で一度足を止めた。ここから階段を上る。三階まで。

 階段の途中の踊り場のカベに、身長くらいある大きなカガミがある。何気に上ると、急に目の前に自分がいて昼間でもビックリするの。ここはそういう階段。それを分かって上らないと、カガミの前で気絶しちゃう自信があるよ。



「先に行っていいわよ」



 さくらチャンは一度だけ、チラッとアタシに顔を向けた。

 こんな時ばっかりずるいよ。アタシだって怖いのに。

 アタシは恐るおそる、階段へ一歩足を踏み出した。キョロキョロと周りを気にしながら。


 ホラー映画でよくある、ギシッギシッなんて音がなるコトもないし、階段が腐っていて抜け落ちるなんてコトもありっこない。上グツの底はゴム製だから、暗い階段にコツーンコツーンなんて足音がなるコトもない。

 懐中電灯の灯りをたよりにゆっくりゆっくり、一歩一歩、自分の目の前に大きなカガミが近づいてくるのを待つだけ。

 アタシの後ろをついてくるさくらチャンが、急に『わっ!』とか大きな声を上げなければ、そんなに怖がるコトない――かも。

 あっ、後ろ振り返ったらさくらチャンがいなかったって言うのは怖いかな?



「ちょっと、何ブツブツ言ってるの? 気味が悪いからヤメて!」



 アタシはハッとして後ろを振り返った。あっ、アタシ、口に出してた? アタシの持っていた懐中電灯の明かりが、さくらチャンの顔をちょっとだけ横切った。

 怒ってる……ううん、さくらチャンも怖がってる?



「ゴメン……何か、さくらチャンと一緒だと思ってたより怖くないかな……って、そんなコト考えながら階段上ってたら声に出しちゃってたみたい。あっ、もうカガミの前……ブッ!」



 アタシは言葉途中で吹き出し、踊り場に片足を乗せたトコロでピタッと立ち止まった。立ち止まらなきゃいけなかったの。

 カガミは真正面にあって、反対側に折れる階段の続きが映っていた。校舎の二階、階段のを上りきったトコのランタンライトが、カガミの中の暗闇の世界にボゥッと浮いて見えた。ソコに……



「何? 今の『ブッ』って? 何で立ち止まったの? ねぇ、何で?」



 カガミが見えないようにアタシの背中に隠れて、次から次へと質問の雨あられ。

 さくらチャン、ゴメンナサイ。全部答えられません。

 だって、ランタンライトの横で、コッチを見下ろして羽を振ってる鈴木くんがチラって見えたんだもん。たすきがけに小さなカバンをかけた鈴木くんが。



「なっ、何でもないよ。変なモノが見えた気がしただけ。ゴメンね驚かせて」



 小さく肩をすくめてビクビクしているさくらチャンを振り返って、アタシは『ヘヘッ』って笑いながら右手で頭をかいた。

 さくらチャンはフに落ちない顔で、アタシの目をジーッと見つめた。アタシはさくらチャンから目をそらして、体を少しひねって横目でカガミをチラッと見る。二階を映すカガミの向こう側には、もう鈴木くん変なモノはいなかった。何やってんのよ、鈴木くんってば。



「大丈夫…ちょっと二階を見てくるね」



 アタシは小走りで階段をかけ上がる。



「ちょっ…待ちなさいよっ!」



 さくらチャンは慌ててアタシの後を追ってきた。

 あっ、お願い。もう少しゆっくり来てもらえないかな? まだその辺に、鈴木くんがいたら困るし。

 アタシは急いで二階に上がって、階段のトコロで懐中電灯を振り回すように、キョロキョロと辺りを見回した。


 階段を後ろに、右側に一年生の教室、左側に三年生の教室がある。アタシたち五年生と同じで、どっちも隣は特活室。

 今日のキモ試しには、この南校舎の二階は使っていない。だから、教室の前にはランタンライトがなくて真っ暗。キモ試しに使っていない教室の方がずっと怖い気がする。

 階段を上って正面は、北校舎との渡り廊下があって、こっちはランタンライトのオレンジ色の光が、ポツンポツンと暗闇を心細く照らしていた。



「うわぁ、何? 水? 何か降ってきた」

「キャァー! 生首?」

「何でピアノが~!」

 ドタドタドタ……



 ……何かあちこちからイヤ~な声が聞こえてくる。悪い感じでにぎやかな二階。

 このキモ試し、おどろかせたりする人いないはずだよね? 何か怖くなってきたんだけど。

 こんな声や足音聞いていたら、アタシのか弱い心がポキッて折れちゃうよ。

 両耳をおさえて、それでもキョロキョロとまわりを気にしながら、アタシが先にゆっくりと三階への階段を上った。その時、階段の踊り場にあるカガミに懐中電灯の光と人カゲが……



「わっ!」「キャッ!」



 お互いにビクッと肩を弾ませて体を引く。



「松平さんと安藤さん」



 茂クンが懐中電灯で自分の顔を照らした。ヤメてよ。それ、怖いって。



「何だ、さくらチャンとナオちゃんだったのね」



 大きな英語の文字がプリントされた、茂クンの黒いTシャツのカゲから、ヒョコッと顔を出す泉チャン。

 あぁ~、ビックリした。おどかす人がいなくっても、こういう怖さがあるんだね。



「茂クンと泉チャンの方は大丈夫? 何か渡り廊下の向こうから、みんなの怖がってる声が聞こえてくるんだけど」



 階段の下を見てアタシは両肩をさすった。外で雨が降っているせいなのか、暗闇と怖さのせいなのか、ゾゾッと冷たいモノが走った気がした。

 さくらチャンは、茂クンと泉チャンの顔を見てホッと胸をなでおろした。それでも周りを気にして、落ち着かない様子でキョロキョロとあちこちに視線を走らせていた。



「五年の教室と音楽室はボクらが行った時は何もなかったよ。夜の学校好きな子なんていないからね。ランタンライトがチカチカッて点滅しただけでも怖いんじゃない? 毎年こんな感じだよ。ね?」



 茂クンはニコニコしながら自分の後ろに隠れる泉チャンを振り返った。泉チャンはちょっと不安そうに眉毛を八の字にする。



「茂クンって、暗いトコ平気なんだね。アタシは暗いトコキライだなぁ。オバケだって怖いし。それなのに、この学校での初イベントがキモ試しって……」



 グルッと首を回して、オドオドしながら自分の周りを見回してみる。

 四つ……踊り場のカガミの中を入れると八つの懐中電灯で、暗闇にボウッ浮かび上がるアタシたちの姿。

 茂クンはビックリしたように、目を真ん丸にしてアタシを見る。

 えっ、何? アタシ変なコト言った?



「松平さんがオバケ怖いって……あんなのと戦ってたのに……」

「わぁ~~~~~わぁ~~~~~!!」



 大きな声を出して茂クンの口に両手を押しつける。

 茂クン、いきなり何言い出すの? お願い、空気読んで。

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