第23話 弱虫!

 茂クンは大きな目をさらに大きくして、アタシの目をジーッと見返した。



「ホント? どこにあるのか……も?」

「知ってる」



 嬉しさのあまりピョンッと小さく飛び跳ねて、机の上の茂クンの両手を取ってギュッと握りしめた。茂クンはそんなアタシを見ても、眉一つピクリとも動かさなかった。



「知ってるけど、きっと戻ってこないと思うよ」



 えぇ!? アタシは茂クンの机を抱きしめる形で、くずれるようにヘタヘタヘタッと両ヒザをついた。眉毛が八の字になっているのが自分でも分かる。

 アルがアタシの肩の後ろくらいにしがみついている。きっと、肩の上あたりにチョンと顔を出して、のぞき込んでいるんだと思う。



「何で? 誰かが持ってるの? どうして戻ってこないの?」



 立ち上がってギュッとこぶしを握る。茂クンはイスの上で体の向きを変えて、アタシからプイッと視線をそらした。



「どうし……て? じゃぁ、返してくれるか聞いてみなよ。安藤さんに。聞きにいける?」



 えっ? さくらチャンがアタシの栞を持ってるの? よりによって、アタシのコト『タカビシャ』だってクラスに広めたさくらチャンが。

 アタシはブンと振り返って先生の机の前、窓ぎわのさくらチャンを見た。さくらチャンは三人のクラスメイトに囲まれて、こっちを見てクスクス笑っていた。



「何で今ごろモミジの葉っぱなんて持ってるんだろう? って思ったから、見間違いじゃないよ。どうしたの? 行かないの? 大切なモノなんでしょ?」



 クイッとアゴでさくらチャンを指す茂クン。



「ナオ……ナオ……」

「アル、ちょっと後にしてくれる?」



 今はそれどころじゃないから。



「茂クンはアタシがさくらチャンにムシされてるの知ってて言ってるんだね? アタシが『無理だ』ってあきらめると思ってるんだ」



 ホッペをふくらまして口をとがらせる。いつものアタシを見ていればそう思われて当然かもしれないけど、こうもハッキリ言われるとちょっとカチンってくる。

 茂クンはアタシのイライラをものともしないで、涼しい顔で口を閉ざしていた。



「けど、アタシはさくらチャンに栞のコト、聞きに行くよ。もっと嫌われちゃうかもしれないけど。手をつくせって言われたから」



 アルに…



 アルは本気で世界征服しようとしてる。ハムスターのくせに。小っちゃくて、力も弱くて、は虫類怖くても。そして、本気でアタシを学級委員長しようって思ってる。こんなアタシでもやれるって信じてくれているのに、この程度のコトで投げ出していたらアルに申し訳が立たない。



「ナオ、こいつ蟲がついてる」



 は!? 蟲!? 蟲って赤いオーラの…………なんだっけ?

 何か色々、難しいコトを言われた覚えがあるけど。

 アタシはアルを振り返って首を傾げた。

 アルはアタシの肩の上で茂クンを穴が開くくらいジッと見ている。アタシの肩に立てた爪に力が入る。忙しなく鼻を上下させて、細かいヒゲを小刻みにプルプルと震わせていた。

 アタシは首を傾げたまま、アルの視線の先を追う。いきなり蟲って言われても、茂くんはさっきと変わらない顔で……違う!

 何か胸がザワザワする。茂クンの方からスゴくイヤな感じが……



『泉チャンに……ケガをさせた……そんな目で……見ないで……』



 誰? ケガ? アタシはキョロキョロと辺りを見回す。アタシのそばにいるのは茂くんだけ。



『怖いんだ……泉チャンの目が……みんなの目が……だから……ボクは……一人で……』



 これって、茂クンの声だよね? 口、全然動いてないけど。スゴく悲しそうな、そして苦しそうな声。

 何があったのかよく分からないけど、きっと、茂クンはあきらめちゃったんだ。みんなと遊んだり楽しく話したりするコトを。

 みんなの目が怖いから。だからいつも一人ぼっちだったんだ。

 アタシにあんなコト言っっていたクセに、本当にあきらめちゃったのは茂くんの方じゃじゃない。そんなの、ただの……



「弱虫じゃん」



 あっ、声に出しちゃった。



 ビクンッ!!



 茂クンの体が大きく跳ねあがる。ほとんど同時に飛び上がるアタシ。

 音が聞こえるくらい、アタシの心臓がドキドキ鳴っている。

 何? 何が起きたの?



「ナオ、もう一度言え!」



 アルはアタシの肩にしがみついて大きな目をむいて鼻をヒクヒク動かした。アタシには分からないけど、アルには何かが見えてるの?



「早く!」



 アタシの肩から茂クンの机の上にピョンッと飛び移るアル。アタシは、座ったままピクリとも動かない茂クンに向かって大きな声を上げた。



「弱虫っ!」

「出たー!」



 真っ直ぐ茂クンを見ていたアルが、ビクッと肩を上げて机の端っこまで飛びのいた。



 バン!!



 茂クンの席の後ろにある掃除用具入れのロッカーが、いきなり大きな音を立てて開く。



「わぁ!! こっちも出た!」

「……ん? あっ、おはようございます、ナオセンパイ!」



 何で掃除用具入れから出てくるのよ? ビックリして心臓が三秒は止まったじゃない。

 ホウキやモップ、バケツが入った灰色のロッカーから転がり出てきた鈴木くんは、ムクッと起き上り、キョロキョロと周りを見回してアタシを見つけると、右の黒い羽を下の方でブンブンと振った。鈴木くんの頭の後ろに流れた黄色い髪が、羽の上下に合わせてファサファサと揺れた。

 何なの? 鈴木くんのこのノーテンキ具合は? 今、茂クンの中に蟲がいるとかいないとかで、アルもアタシもそれどころじゃないのに。



「何? ペット?」「ケンカしてるの?」「ペンギンがいる」



 ザワつく教室。遠巻きにアタシたちを見て指をさしたり笑っているクラスメイト。違うよ、何でもないよって言分けしたいけど、ゴメン……ホントにそれどころじゃない。



「鈴木くん、そこにいるのか? うわっ!」



 茂クンがカゲになって、鈴木くんが見えなかったアルは、机の端っこに向かってチョコチョコッと走った先で、茂クンの右手に押さえつけられた。

 どどど、どうしよう。アルが捕まっちゃった。アルを握りしめた茂クンは、イスから立ち上がってアタシの方へグルッと体を向けた。

 茂クンはカッと大きく目を開けたまま、まるでマネキンのように無表情で、フラフラしながらも一歩一歩、アタシに向かって歩いてくる。アルは茂クンの手から顔だけ出して、苦しそうに鼻をヒクヒクと動かした。



「アル、大丈夫……」

「左肩だ! 左肩にいるぞ」



 どうするのよ、そんなコト聞いたって。アタシにできるコト……アタシにできるコトって?

 茂クンはどこか遠くを見つめたまま、ゆっくりとアタシに近づいてくる。足がガタガタ震えて動かないよ。茂クンはアルを握っていない方の手をアタシに向かって突き出す。



「今、助けるから待ってて、アル!」



 怖い、怖いよ。けど、アルを助けないと。蟲につかれると人ってこんな風になっちゃうの? アタシは震える足に手の平を叩きつけて、茂クンへ向かって……



「セイッ!!」



 鈴木くんがアタシと茂クンの間に割って入って、目の前まで迫った茂クンの手を勢いよく払いのけた。そして、羽を左右に大きく広げて、体を低くかまえる。



「鈴木……くん、……左肩だ!」



 アルの声、苦しそう。ゴメンね。アタシ何もできなくて。



「分かりました! 師匠、もう少しの辛抱ですから!」



 鈴木くんは両足をそろえて小刻みに飛び跳ね、左右の羽を風車のようにブンブン振り回す。鈴木くんを捕まえようとのびた茂クンの手を払い落とし、アルを握った手を跳ね上げ、反対の羽を手首に打ちつけた。一瞬緩んだ茂クンの右手から、アルは命からがら抜け出すと、鈴木くんの頭の上に飛び移った。

 小さな両手で鈴木くんの黄色い長い髪を操縦かんのようにつかみ、大きく口を開けて前歯をむくアル。



「左肩に蟲がいる……が、一体どうすればいいんだ?」

「ボクに任せてください!」



 鈴木くんはクルクルッと回りながら飛び上がり、大きな動きで羽を茂クンの肩に突き立て、そのまま上に振り上げた。



「セイッ!」

『ボ……クが……泉チャ……オロロロロロロ……』

「キャッ、何か出たっ!」

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