第3話 振り向けば………がいる

 消しゴムのかけらはアタシの右耳の上の髪の毛をかすめて、天井の方へ飛んで行った。



「グエッ……」



 えっ、何? 何で後ろから声がするの?

 ドキドキしながら、ゆっくりと振り返ってみる。今この部屋には、アタシとアルしかいないはずなんだけど…



「……アレ?」



 部屋のドア。ドアの上のカベにかかった丸い時計。時間は夜の八時五十分。

 右側に薄いピンクの布団が敷かれたベッドと、その上のピンクの抱き枕。モフモフで気持ちいいの。アタシのお気に入り。

 ベッドの向こう側は押入れ。反対側には天井まであるベージュの本棚。マンガがいっぱい。それとピンクのタンス。女の子の秘密がいっぱい。

 部屋の真ん中に小さいガラステーブルがあって、その隣に学校から帰ってきてそのままの赤いランドセルが転がっている。



「……誰もいない……よね?」



 お父さんはまだ仕事から帰る時間じゃないし、おじいちゃんもおばあちゃんも部屋に入る前にはドアをノックするし、ドアが開いた音もしなかった……と思う。

 キョロキョロと部屋中を見回しても誰もいない。アルの投げた白い消しゴムのかけらが、天井からぶらさがった電灯の下、ガラステーブルの上に転がっていて、宙に浮いているように見えた。



「ナオ……いるぞ!」



 どこに? 何も見えないんですけど。もしかしてオバケ? 動物って人間よりそういうのに敏感だって言うし……って、この家、オバケ出るの?



「何だ? どうなってる? 青いオーラだと? ナオだけじゃないのか?」



 後ろでアルが何かブツブツ言ってるけど、振り向けないよ。だって、一回アルを振り返って、部屋の中に視線を戻したらオバケがバーンって出るじゃない? ホラー映画では……



「どこ……? どこに、何がいるの?」



 アルは勉強机の端っこでつぶれたお餅のようにふせて、ガラステーブルの横に転がるランドセルをジーッと見据えていた。あるかないかわからないくらいの短いシッポが天井を指してピコピコと小さく動いている。

 消しゴムのかけらが転がっているガラステーブルを気にしながら、恐るおそる後ろを振り返った。


 何も変わっていない。時計の針以外、何も動いていない。もちろん、何もいない。



「なっ……何もいないじゃない。ビックリさせないでよ。ホント? ホントに何か見えるの、アル? オバケ? 濡れた長い髪の女の人とか? 真っ白な子供のオバケとか?」

「ナオ、ランドセルの向こうだ!」

 スススススッ……



 ランドセルのカゲから飛び出した黒っぽくて小さな何かが、スゴイ速さでガラステーブルをかけ上がった。



「キャッ……何?」



 とっさに体を引くアタシと、勉強机から身を乗り出すアル。いきなりすぎて、それが何かわかるまで、きっかり五秒はかかった。



「ギャァァァァァ~!!」



 何でアルが叫ぶのよ!?

 アルは勉強机から勢いよく飛び降りて、アタシの体をよじ登る。アタシの頭の上にチョコンと乗っかったアルは、プルプルと小さく震えていた。


 何だ……オバケじゃないじゃない。アルは何を怖がってるんだろう?


 テーブルの上には、十センチくらいの濃い灰色のヤモリがいた。透明なガラステーブルの上をチョロ、チョロと小さく動き、長いベロで大きな黒い目をペロッとなめている。



「ヤモリだよ! 見て、ヤモリ。カワイイ~!」

「トカゲ風情がカワイイモノか! 何考えているか表情で読めないし、ウロコが……ウロコが……ヌメヌメと……イヤ、テラテラと……ギラギラと? ボコボコと? あぁ~、クラクラする!」



 イッ、イタッ……髪を引っぱって暴れないでよ。

 一人……じゃない、一匹で何パニック起こしてるの? 今までずっとエラソーにしてたのに。



「何もしないよ。ほら、カワイイって……アル、もしかして……怖いの?」



 アタシはアルを頭に乗せたままガラステーブルに顔をよせた。アルは一瞬、ビクンと大きく跳ね上がって、アタシの頭から後ろに転がり落ちた。そして、何とかパジャマの裾にしがみついて、プラプラと揺れている。



「ヤッ、ヤメろ! このワタシがは虫類ごときに恐れをなすか! ただ少し……気持ちが……気持ちが悪いだけだ!」



 プラプラプラプラプラプラプラプラ………………ポテ……

 あっ、落ちた。えっ、なっ、何?


 ススススッとヒザから肩まで、猫じゃらしでなでられたようなこそばゆさが走る。落ちたアルを気にしていたアタシの体を、スゴイ速さで上ってくる何か……って言うか、ヤモリしかいないけど……



「おうおう! ネズミのブンザイで、このイモリ様をトカゲ風情だと? そいつぁ聞き捨てならねぇな」



 ええっ!? ヤモリがしゃべった。

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