第9章
一月某日。受験本番目前に,俺はシュウと玲子の三人で,合格祈願に近くの神社に足を伸ばした。一年前に,あの悪魔のような女の子と出会った神社だ。個人的には縁起が悪いから気が進まなかったけど,遠征したら玲子が途中で人形に戻ってしまうため,手近で済ませるしかなかった。
冷たい冬の風が俺たちの間を吹き抜けると,玲子が
「翼くんは暖かそうでいいなー」
といって横から抱きついてきた。
「つめたっ!離れてよ~」
俺は幼い妹が姉に懇願するかのような口調で玲子に刃向かったが,中々離れてくれなかった。
「プフフッ,あーん,もー,かわいいー」
しょうがないだろ,可愛く振る舞わないと人形になるんだから。俺だって好きで甘ロリ苺コーデなんかしたくないんだぞ。苺柄のニーソとジャンパースカートに,ピンクのコートを羽織って桜色のフリル付きのケープなんか本当は全然したくないもん。ほんとだもん……っ。ウサギのぬいぐるみを抱きかかえているのだって人形にならないためだもん!
賽銭箱の前に立ち,シュウから十円玉を受け取ると,また玲子にからかわれた。
「ピンク頭巾ちゃーん,お参りの作法わかるー?」
「去年もここでお参りしたもん!」
「そうか,丁度一年になるんだな」
シュウが感慨深げに言った。それから,ニヤニヤ笑いながら俺を見下ろして,
「確か,『男らしくなりたい』っつってたんだよなー,ここの神様に」
と意地悪くおちょくってきた。
「うっ,うるさい!月夜のヤローがいなけりゃ,今頃はっ!」
「駄目だよ,翼くん。もっと可愛く言わないと人形に戻っちゃうぞ~」
玲子は,幼い子供に「言うこときかないと夜にお化けが出るよ」と言い聞かせるかのようなノリで横やりを入れてきた。
そんなふざけた会話をしていると,境内にいた神主さんが,ゆっくりと近づいてきて驚くべき発言をかました。
「今『月夜』と聞こえましたが……。もしかすると,皆さん,あの子の被害者でいらっしゃる?」
中に招かれた俺たちは,お茶とお菓子をご馳走になりながらこれまでの経緯を話した。神主さんは一切疑うことなく受け入れて,その後に月夜の正体について話してくれた。
「妖怪というか悪魔というか,まあそんなものの類いですよ。あの子は昔からこの町に居着いていて,人の困った様子を見て楽しむのです」
それから,相談して下さればよかったのに,と続けた。俺たちはなんと言ってよいかわからず,困惑するばっかりだった。神社の神主さんに相談するだなんて発想,まったくなかったなあ……。妖怪なんて本当にいるとは信じていなかったし。月夜と結びつけることもしなかった。でもよく考えてみたら,人間を人形にしたり,性別入れ替えたり,記憶を消したりなんて芸当をかますのだから,人間じゃないのは明白だったような気がする。なんでそこまで頭が回らなかったんだろう。
「天邪鬼,ってやつですよ。ご存じですか?」
「何でも反対することでしたっけ」
シュウが答えると,神主さんがそうそう,と嬉しそうに反応した。
「転じて,そういう気質を持った妖怪のことも指します。月夜って子は,そいつらの仲間なんですよ」
神主さんはお茶をすすって,息を吐いた。
「隣町に教会があることはご存じですかな?」
俺とシュウは知らなかったが,玲子は知っていた。
「そこと協力して,このへんの町からあの子を追い出そうと,長い間奮闘してきたのですが,相手もさるもので,中々うまくいきませんでね」
俺たちは大いに驚いてしまった。妖怪や悪魔を祓うなんてことが現実で行われていたなんて。
「それでも,ちょくちょく魔除けできたり,封印に成功したりはしてきたのですよ。でも,あの子もしたたかなやつでしてね,二,三年もすると戻ってきてしまうんですよ。今のとこ,勝率は五分五分ってとこですねえ」
ほえー。
「あの子はね,ちょっかいをかけた人間の困り具合を糧としているのです。人が一番困り,苦しむのは,願望や希望と真逆の道を歩まされること。だからこういう,人が願い事をしにくる場所は,あの子にとっては絶好の狩り場というわけです」
ああ……。男らしくなりたい,と願った俺が女の子にされたのは,そういう訳だったのか。なんて迷惑なやつだ。
「でも,長年相手をしていると,段々弱点もわかってくるものです。あの子にとって一番効くのは,ちょっかいをかけた相手が,そのちょっかいによって逆に幸せになることなんです。『天邪鬼』ですから」
神主さんは俺を見て優しく微笑んだ。なんだよ今の。女として幸せになるのがあいつに効くから,そうしろって!?
一瞬,俺の脳裏にシュウと結婚した自分の姿が浮かんだ。……ないないないないない!駄目だってそれは!確かにシュウは好きだけど!っいやそのそうじゃなくて,えっと……。相手の気持ちも……。ふと,俺は横目でシュウを見た。……って何やってんだ俺はぁ!?
「えー,翼くんは簡単だけど,私は?人形になったことで幸せになるって,ハードル高くないですか」
玲子の言葉に俺はムッとした。何だよ,『簡単』って!?
「そうですねえ。たとえば,『持ち主』である進藤くんと恋人になるとか」
神主さんのその言葉で,俺は反射的に
「そ,それはダメッ!」
と叫んでしまった。
一瞬の間をおいて,玲子が大笑いし,神主さんがクスクス笑い出し,シュウは俺の頭を撫で始めた。
「えっ,いあ,その」
俺が真っ赤になってしどろもどろしていると,神主さんが言った。
「いやあ,これなら,もう月夜も近づいてはこないでしょうなあ」
爆笑の中で,俺はウサちゃんとケープを涙にぬらしながら,ずっとシュウによしよしされ続けた。
俺はシュウに手を繋いでもらいながら,石畳の上を俯きながら歩いた。ずっと心がモヤモヤしてる。さっきシュウはずっと笑っていて,何も言葉にはしなかった。シュウはどう思ってるんだろう。俺はシュウが好き……だ。でも,もしかしたらシュウは玲子の方がいいんだろうか。玲子の方がスタイルいいしな……。俺は幼女体系だし,こんな格好しないといけないし。玲子は今風の,年相応のおしゃれが似合うし,シュウと玲子がくっつけば,幸せになれてハッピーエンド……。いや。俺が嫌だ。
鳥居の前で,俺は歩みを止めた。シュウもそれに気がついて止まった。
「ん。どした?」
心臓がドキッと跳ねた。俺を優しく見下ろすその視線に。慈しむようなその表情に。力強くも温かいその声に。
我慢できなくなって,反射的にシュウに尋ねてしまった。
「あの……さ,シュウは……どうなの?さっきの話」
「?」
「もし……恋人……なるんなら,玲子とあたしのどっちがいいのっ!?」
(あっ……。何言ってんだ俺!?なんで俺を入れたっ!?待て待て待て今のは違うストップ!)
俺は慌てて今のを取り消そうとしたが,それより前にシュウが答えた。
「翼だな。玲子も大事な友達だけど,俺が一番大事なのは翼だから」
(えっ……今,なんて?)
俺の全身の血液が顔に運ばれたんじゃないかと思うほどに,俺の顔は紅に染まって火を噴いた。
「あー……その,なんだ。今のは……。女として見られたくないのはわかってる。そのたとえ話ならの話で……」
シュウも顔から蒸気を出しながら腕で覆った。え,どういう意味だそれ。両思いってこと?シュウは女としての俺が好きってこと?俺の理性はもう保ってくれなかった。
「あたしは……いいよ。シュウがいいなら女でも」
「えっ?」
言っちゃった。もう戻れない。男にも,親友にも……。俺はウサギのぬいぐるみを強く抱きしめた。
「いやっ……その。気持ち悪いよな。ごめ」
俺がいたたまれなくなって謝ろうとすると,シュウが俺を力一杯引き寄せ,抱きしめた。どうしようもない庇護欲と温かい安心感が俺の全身を優しく包み込んだ。
「待ってくれ。俺,本当はずっと……女として見てたんだ,翼を。夏祭りのころから。その時から好きだった。ただ,お前が嫌がると思って……あと,俺がホモだと思われるのも嫌で,ずっと黙ってたけど」
シュウはそれだけ言って黙った。マジで。
「あた……俺も……ホモじゃねえ……けど,女になってから,ずっとお前と一緒にいるとさ,なんかこう,幸せで,安心できて……。月夜に封印された時に,俺もその……わかったんだよ。女として,シュウを好きになっちゃってるって……」
俺はおずおずと自分の腕をシュウの背中にまわした。俺たちは抱きしめ合ったまま,一分ぐらい動かなかった。
「えーっと,その……どうなったんだ,つまり」
「両思いだった。でいいのか,翼?」
シュウは俺を解放して,顔を紅潮させたまま,斜め上を見つつ言った。
「あ,うん……」
俺もシュウもまともに互いの顔を直視できなかった。でも,俺の顔は次第に破顔していく。そうか……シュウも俺のこと好きになってたのか。嬉しい。どうしよう。にやけが抑えられない。
ウサちゃんで顔を隠しながらシュウの方を見た。その背後に棒立ちする玲子が視界に入った瞬間,胸が痛んだ。やべえ。蚊帳の外にしてしまってた。シュウも玲子の存在を思い出したらしく,あたふたしながら振り向いた。すると玲子は無言で両手をピンと伸ばし,手のひらを合わせた。何かにを祈りを捧げながら,ポツリと一言だけ漏らした。
「尊い――……」
ポワンという音と共に,玲子の姿はピンク色の煙に包まれ,石畳から少し離れた土の上に,人形に戻った玲子が落ちた。
「いけね」
シュウは袖をぬぐって左腕の腕時計を確認した。お茶を頂いたことで予定より時間が経っていたのだ。シュウはすぐに玲子を拾い上げ,俺の目の前でキスをした。
再度ピンク色の煙が発生し,シュウの腕の中に,唇を重ねた姿で人間の玲子が出現した。俺は思わず叫んだ。
「離れろ!馬鹿ーっ!」
「わ,わりい」
シュウと玲子が慌てて離れた。玲子は気まずそうに照れ笑いした。
「いや,今のは仕方がないだろ,な?」
シュウは俺にかけより,肩に手を置いて言った。ひどい。互いに告白して,両思いになった直後に,他の女とキスするなんて!……いやシュウがキスしないと玲子が戻れないのはわかってる。理屈と理性ではわかってる。でも心が納得してくれない。俺はハムスターみたいに頬を膨らませてシュウに背を向けた。
「悪かったって……ほらっ」
シュウは俺を抱きかかえて,お姫様抱っこをした。
「な,何すんだよ!」
俺がそう叫んだ瞬間,ピンク色の煙に包まれて,俺は動けなくなってしまった。シュウの両手に落ちる。ふかふかの毛糸の手袋が,今の俺にはベッドみたいに感じられる。
「ほらー,かわいくしないからー」
玲子の声が聞こえる。誰のせいだと思ってるの!もうもう!
「ほら」
シュウの巨大な顔が迫ってきた。視界が瞬く間にシュウだけで埋め尽くされていく――……。
俺が人間に戻ると,やっぱりお姫様抱っこされた状態で復活した。
「下ろせ……」
「かわいく言わないと」
玲子が注意してきた。面白がってる。
「下ろしてよぉ……」
俺は顔を真っ赤にして,消え入りそうな声量でシュウに懇願した。シュウはニヤニヤ笑いながら,「だーめ」と言って,強く俺を抱きしめた。悔しいことに,シュウに抱っこされるとどうしようもなく庇護欲をかき立てられちゃう。もっとこのままで……。
「はぁー」
玲子はまた両手を合わせながら俺とシュウを見つめていた。シュウが照れながら
「悪いな,なんか,その」
と言うと,玲子がサムズアップして宣言した。
「大丈夫。私推しカプの部屋の観葉植物になりたいタイプのふ――」
そこで一旦切った後,さも名案を思いついたとばかりの口調で,
「ちょっと待って。私このままシュウくんの人形でいれば,間近からシュウつばを堪能できるだけの人生を歩めるんじゃ……?」
と一人言を述べた。何言ってんだコイツ。
「あっ,イケるイケる,余裕でイケる。私人形のまま幸福になれるよ」
真顔でとんでもないことを言い切りやがった。
「……ま,まあとりあえず帰ろうぜ」
シュウはノーコメントに決めたらしく,俺を抱きかかえたまま歩き出した。
「お,下ろせよ。……重いだろ」
「いや。めっちゃ軽い。かわいいから,もうちょいこうしてたい」
俺は心臓の高鳴りを隠しきれなかった。かわいい……。えへへ。っていやいや。恥ずかしいだろこんなの!……いくら,その,こ……恋人になったからって。
「改めてよろしくな,翼。玲子も」
「あはは。しかしいつかこうなると思ってたけど,今日とはねー」
玲子が楽しそうに笑った。シュウは照れながらニヤッと笑って,俺に微笑みかけてきた。俺も堪えきれずに笑い返してしまった。
鳥居をくぐり,神社を抜けた後に,ようやく俺は地面に下ろされた。あー,人が見てなくて良かった……。
その後,ウサちゃんを玲子に預け,左手をシュウと,右手を玲子と繋いで俺たちは帰路についた。去年の願い……『男らしくなりたい』ってのは結局,全然叶わなかったどころか,こんなことになっちゃったけど。今年の『三人で同じ大学に合格する』願いの方は,叶うといいなあ。
右の玲子と,左のシュウの顔を見上げたら,ポワポワと「愛されてるんだなー,俺」という実感で全身が温かく満たされ,喜びで一杯になった。今の俺,全っ然男らしくないけど,幸せだから,これでもいいか。
めちゃかわ人形 OPQ @opqmoru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます