第7章

ひんやりと冷たい床の上に、俺は転がっていた。あれ……。どこだここ……。俺は……。あー、頭が働かない。

五分ほどぼんやりと虚空を見つめている間に、徐々に目に映る物の輪郭が明瞭になってきた。部屋だ……お家の……。シュウの……。

「シュウ!」

俺は勢いよく立ち上がった。そうだ、確か俺は……ショッピングモールで月夜と会って、連れて行かれそうになって……どうなったんだ?

おぼろげな記憶を必死に辿る。シュウが……最後まで俺を離さずに……確か、辺り一面真っ白になって、それから……どうなった?それから先は記憶がない。俺は部屋を見渡したが、ここは間違いなくシュウの家のシュウの部屋の机の上。俺は人形状態に戻って、ここで寝ていたみたい。……ということは、シュウが勝ったのか!?シュウはどこ?みんなは……。

「あれ?ここは……」

ティッシュ箱の裏から女の声がした。

「きゃっ!?」

俺はびっくりしてコケてしまった。っていうかなんだよ”きゃっ”って……。恥ずかしい。

「えっ、えええっ!?何ここ?どうなってんの!?」

人影が立ち上がった。少しウェーブがかかったショートの茶髪。玲子だ。無事だったのか!

「玲子!だよな?」

「翼ちゃん!」

玲子は箱を乗り越えてこっちへ渡ってきた。ある記憶がフラッシュした。そうだ、確か玲子も人形に……!

俺は玲子の腕を掴んで、手を凝視した。玲子の手は、樹脂ともプラスチックともつかない、まるでフィギュアみたいな肌色一色に染まっていた。顔も……。きっと、全身が。今や玲子の皮膚には産毛も毛穴も一切存在せず、血管も見えてこない。ああぁ……。やっぱり現実なんだ。玲子もあの子に人形にされてしまったんだ。

「こ、ここどこ?どうなってんの?私は……」

玲子は激しく狼狽えながら俺の肩を掴んで前後に揺らした。や、やめろって!そんな激しく揺らすな!

「お、落ち着け!ちょっ……」


玲子が一応落ち着いて、二人で状況確認をするまで十五分ほどを要した。

「そっか……私も、人形になっちゃったんだね……」

玲子は自分のコートの裾をつかんだ。玲子の服はフィギュアのパーツといった感じの、固い樹脂の塊と化している。細かな皺やポケットは消え失せ、少ない色で単純な塗装を施されたかのような見映えだ。玲子はそれから自分の手のひらをジッと見つめた。表情は沈み、目の端から涙が垣間見えた。俺は胸が痛んだ。見えているだけで心が痛い。俺のせいだ。玲子は何も悪くないのに……。

「ごめん、玲子。俺のせいで、お前まで……」

玲子はハッとした顔で俺を見た。そして、慌ただしく両手を上下させながら言った。

「ち、ちち違うよ!悪いのは私の方だよ!私が軽く考えて、あの子に声をかけたから……みんなにも迷惑かけて……」

みんな……シュウは……ユウはどうしただろう。思いっきり柱に叩きつけられてたのを覚えてる。無事だっただろうか。

「あ~ん、泣かないでよぉ~」

玲子はそう言って、突然俺を抱きしめた。

「ふぇっ!?ちょっ!?」

「ごめんねー、よしよし」

まるで泣いた子供をあやすかのような口調で、玲子は俺の頭をなでた。

「は、放せ!なでるな!泣いてなんかねーし!」

「嘘ー。泣きそうだったよ」

「泣いてたのは玲子だろ!」

その時、玄関の方から物音がした。ガチャリと鍵を開ける音、そして、扉が開く音だ。

「あれ?もしかしてシュウくん!?」

玲子がやっと俺を放してくれた。やれやれ……撫でられるならシュウに……って何でだよ!

足音は玄関からリビングへ、そしてこの部屋へと、振動を増しながら近づいてきた。

「結構響くね……?」

玲子は少しビビりながら言った。あぁ……俺はすっかり慣れていたけど、確かにそうだな。怖いかもしれない。自分が十分の一に縮んでいることを痛感させられるから、余計に不安を煽るんだろうな。

「大丈夫。体感ほど揺れてないから。そのうち感じなくな……」

シュウが部屋に入ってきた。

「「…………!!」」

その瞬間、久しく起きていなかった現象が俺を、いや俺たちを襲った。俺の体は足のつま先から髪の先まで余すところなく瞬時に硬化して、一切動かすことができなくなってしまった。

(えっ!?な……なんで!?)

何かの間違いだろうと、俺は体を動かそうともがいたが、俺の全身は筋肉も骨も存在しない一塊の樹脂と化していて、”力をこめる”ことすらできなかった。これは、シュウ以外の誰かに姿を見られた時に起こる現象だったはず。今……ここにいるのはシュウだけなのに。一体どうしてだよ!?

(なっ何これ?動けない!た、助けて!シュウくーん!翼ちゃーん!)

頭の中に少しエコーのかかった声が響いた。これは……玲子の声だ。もしかして喋れるのか?俺は喋れないのに……。

(玲子頼む。シュウに助けを……)

(えっ、今の誰?翼ちゃん!?)

(えっ!?)

予想外のことが起こった。俺の脳内の叫びが、どうやら隣で一緒に固まっている玲子に届いたらしい。じゃあ、玲子のこの声も同じか?ってことは、玲子も別に喋れていたわけではないのか。くそっ、じゃあどうしようもないってことか。

(ねえっ、動けないよ!どうすればいいの!?)

(お、落ち着けって!人形になっている時は持ち主以外に見られていると動けなくなるんだよ!知ってるだろ!?)

(あっ、あぁ……?そう、だったね……)

シュウは俺たちの目の前まで迫ってきた。椅子に座ってノートと参考書を広げ始めた。驚くべきことに、俺たちに一切の関心を払っていなかった。

(おっ、おいシュウ!俺だぞ!あれからどうなったんだよ!?無視するなよ!)

(ねえ、おかしいよ、翼ちゃんの持ち主ってシュウくんでしょ!?シュウくんだけの時は動けるんじゃないの!?)

一つ目の問題はまさにそれだ。俺は今まで、家の中……周りにシュウしかいない場合は人形状態でも動いて喋ることができた。でも、何故か今はそれができない。俺たちには無言でシュウの机を彩るフィギュアに徹することしか許されなかった。

(おいっ、シュウ!……なんで黙ってるんだよ!ドッキリなら性質悪いぞ!)

二つ目の問題はシュウだ。さっきから何故か黙々と受験勉強に没頭して、机の上で固まっている俺たちに何も言わず、顔を向けることすらしなかった。一体どうしたんだよ。親友だろ。俺の持ち主なんだろ……。月夜に俺が連れて行かれそうになった時、最後まで俺を離さずにいてくれただろ……?

(ね、ねえ、そういえばさ、谷崎くんってどうなったの?私、ポケットに仕舞われて、そのあと目の前が真っ白になったところまでは覚えてるんだけど……)

(俺もわからないよ。シュウがずっと俺の腕を掴んだまま、辺りが真っ白になって、気がついたらここに……)

俺も玲子も同じ最期を経験している……?辺りが真っ白になったあれ……。あれが原因なのかな。なんでそうなったんだっけ。俺は意識を失う前から時間を遡って記憶を思い起こした。そうだ。あれは月夜が放った魔法だったような。みんな忘れろって叫んでた。それから真っ白になったんだ。

(そうそう!言ってた!”みんな忘れちゃえ”って!)

玲子にも聞こえていたのか。それなら間違いなさそうだ。けど……ってことはつまり……。

(ってことは……シュウくん、私たちのことを忘れちゃったの!?)

(いやっ……まさか!シュウが俺を忘れるなんて、あるわけねーだろ!シュウ!シュウ!おい、もう勉強はいいだろ!こっちだ!キスしてくれっ!)

俺は目でシュウを穴が開くほど強く見つめた。でも俺の叫びも視線もシュウには届かなった。黙々と勉強を続け、たまに体を伸ばすだけだった。

(そんな……そんな……シュウが、俺を忘れるなんて……)

小一のころから、ずっと一緒だったのに。忘れられないような馬鹿もやりまくったし、この体になってからは二人で暮らしていたんだぞ!?ずっと面倒も見てもらって……キスもして……全部忘れちゃったの……?

(翼ちゃん……)

そりゃ……そりゃないでしょ……。親友だろ……持ち主でしょ……?小学校の林間学校で背中に毛虫いれて真っ赤に被れてアホみたいに怒られたことも、中学の時真夏に一日中自転車飛ばして火傷かってくらい日焼けして残りの夏休み潰したことも、愚図る女になった俺を諭して一緒に登校してくれたことも……?目の端からじわっと液体がにじんだ。樹脂の塊であるはずのこの体から、涙が出た。それほどの悲しみが俺を襲った。嫌だよ……忘れるなよ……。なんで……。

シュウは俺を見て、小五の肝試しでのっぺらぼうに遭遇した時のように、ギョッとして数秒固まった。そのあとすぐに机の明かりを消して、部屋から出ていった。体が自由を取り戻したせいで、俺は力なくその場に崩れ落ちた。ダメだ、涙が止まらない……。あぁ、みっともない……。女みたいじゃん……。こんなにもダメージを受けている自分自身にもショックだった。シュウが俺のことを覚えていないってだけで、俺ときたらまるでこの世の終わりみたいに……。胸の中は哀傷でズタズタ……。俺って……いつの間にかこんなに、シュウのことを……好きになっていたのか……。

「だ、大丈夫!すぐに思い出してくれるよ!今翼ちゃんが泣いてるの気づいてたよ」

それでも泣き止まない俺を見て、玲子は俺の前に回り、優しく俺を抱きかかえた。

「よしよし」

玲子は穏やかに俺の頭をなでながら、俺の醜態を静かに癒し続けてくれた。


「ん……」

目が覚めると、柔らかい紙の感触が伝わってきた。少し動くとビリッと音を立てて穴があいた。ティッシュのベッド……?

「あ、起きた?」

体を起こすと、全裸の玲子が俺の横に立っていた。胸は乳首が存在しないただの丸い突起と化し、股間のあれこれも消滅した。均一なクリーム色で統一された体は、まさしく樹脂製でできたフィギュアの様相だ。胸が痛い。机の端の方に、かつて服や靴だった樹脂の塊が転がっている。動きにくいからキャストオフしたのかな。

「えっと……」

朝みたいだけど。昨日はどうなったんだっけ……。

「泣き疲れて寝ちゃったんだよ。覚えてる?覚えてないか」

そうか……。昨日玲子の胸の中で寝落ちしちゃったのか。俺は情けなさと恥ずかしさで赤くなった。幼児じゃあるまいし……。

「まあまあ。スッキリしたでしょ」

「うん。……シュウは?」

「学校に行っちゃったよ」

あー、もうそんな時間なのか。本当にぐっすり寝ちゃってたわけだ。

「とりあえずさ、一旦落ち着いて考えよ」

ああ、そうだ。まずは状況を整理しよう。昨日のハロウィンの日、俺たちは月夜に会って、玲子は人形にされ、俺は連れて行かれそうになった。でもシュウとユウが頑張ってくれたおかげで、それは防がれた……のかな。多分。月夜の家ではなくシュウの家にいるってことはそうなんだろう。でもあの子の魔法でシュウは俺たちのことを忘れて、本物の人形だと思ってる……んだろうな。そして、どうやらシュウは俺たちの「持ち主」ではなくなっているらしい。だから、シュウに見られている間、俺たちは身動きがとれず、正真正銘の人形になってしまう。連絡手段はと言えば、この家には固定電話はなく、シュウは自分のスマホはしっかり学校に持っていく。俺のスマホは行方不明、玲子のスマホはコートに入っていたから樹脂化して使えない。さらに玲子曰く、俺たちの声は何故かシュウには聞こえていないらしい。シュウがリビングで朝食をとっている時に大声で叫んだが、一切反応を示さなかったとか。

「でもなんでだろうね。忘れちゃったからかな……。私たち持ち主の資格って、今誰が持ってるの?フリー?」

「えっ、うーんと、それはわかんねーけど」

玲子の疑問は鋭いところを突いているような気がする。他に持ち主がいるのなら、そっちへ行けば動けるようになるわけだ。でも、今シュウ以外に持ち主の有資格者がいるとしたらそれは……。

「月夜ちゃんに移ってるのかな?確か翼ちゃん持ってこうとしたんだよね」

「やっぱそうかなぁ」

月夜。ありえる話だ。というか、多分そうなんだろう。直観だけど。でも月夜の所有に移っているなら、どうして現実に俺たちはシュウの所にいるのか。俺は右腕を左手で軽く握った。シュウの手の感触がまだ思い出せる。意識が飛ぶまで俺のこのほっそい右腕を離さずにいてくれた。もしかしたらそのおかげで、所有権は奪われても体は守られたのかもしれない。俺たちを忘れながらも最後の瞬間まで守り抜いてくれたんだ。そう思い至った瞬間、胸の奥がじんわりと温まった。自分の右腕を左手でなでた。シュウが握ってくれていた腕……。

「えへへ……」

ありがとうシュウ。やっぱりお前は最高の親友だ。きっと思い出せる。思い出してくれるよね。

「それでね、何度も試したけど駄目だったの」

「ふぇっ!?」

えっ、あっ、やば。聞いてなかった。シュウの厚い友情に思いを馳せている間に、いつの間にかトリップしていたらしい。

「聞いてなかった?」

「ご、ごめん」

「えっと、だからね、この机から下りられないって話」

「どういうこと?」

「昨日の夜も、今朝もここから下りようとしたんだけど、できないんだよね。何故か。不思議な力に妨害されてるみたい」

そんな馬鹿な。俺は机から椅子へ飛ぼうと走り、ジャンプしようと試みた。が、その瞬間に足腰が言うことを聞かなくなり、机の端に棒立ちしたままそれ以上進めなくなった。

「ね?言ったでしょ?」

「え、えぇー!?」

俺は足を上げるよう何度も自分の体に指令を送ったが、俺の両足はそれを頑なに無視した。どうなってんの……。玲子のところへ戻ろうと回れ右したが、何故かこれは普通にできた。さらに向きを変えて机から下りようとすると、また足が俺から独立した。仕方なく、俺はとぼとぼと玲子の元へ戻った。

机から下りようとすると、体が言うことを聞かなくなる……。なんなんだよ。これじゃあ助けを呼びにいけないじゃん。なんでなんだよ。”人形”だから?勝手に動くなかってか?……人形だから……そうだ、人間に戻ればいんだよ。キスだ。

「玲子!キスだ!キスしよう!」

「あー!そうだったね」

玲子が少し屈んで俺と目線を合わせた。そして、お互いに顔を近づけ、口をくっつけた。コン、と乾いた音が響いた。それほど固くもないが、決して柔らかくもない樹脂の突起同士が触れ合う。しばらくそのまま動かないでいたが、一向に何も起こる気配がなかった。

三分もお互いキスしたままジッとしていると流石にきまずくなってきて、俺たちは無言でキスを止めた。

「人形同士だと駄目なのかな?」

玲子は僅かに照れながら言った。確かに、誰か人間がキスしてくれないと駄目っぽい。

「打つ手なしかよー!」

俺はティッシュのベッドに顔からダイブした。机からは下りられない、シュウに声は聞こえず、見られれば動けなくなる、人間にも戻れない。一生この机の飾り物でいろって?

「他に人間になる方法あったっけ?」

「かわいくなれば……でも服はあそこだし」

俺は本棚の隣に設置してある横倒しの箱を指した。あの中に着せ替え人形用の衣装やフィギュア用のパーツが入っている。まあいわば俺の部屋だ。

「わかった!じゃあとってくるね!」

玲子は机から椅子へ飛び降り、そこからさらに床へ飛んだ。

「おいっ、危ないぞ。気をつけ……」

あれ?今机から下りたぞ。あっさりと。俺も急いで机の端へと行ってみた。さっき足が動かなくなった地点。恐る恐る足を……上がったぞ!?

興奮した俺は椅子に向かって大きくジャンプした。やった!出られたぞ!よくわかんないけど出られた!

……いや、わかったかも。さっきのキスかな?人形同士だと人間に戻るまではいかなかったけど、部分的には魔法が解けたのかもしれない。


無事床までたどり着き、かわいい服がいっぱいの自分の部屋へ向かって歩いた。あー、気分が高揚するなぁ。今日は何着ようかなぁー。ってアホか。いや、必要なんだ。すごくかわいくなることが。そうしないと人間になれないんだから。かわいくなるの楽しいけど、別に楽しいからやってるわけじゃないんだ!うん!

「いやー、少女趣味だねー」

玲子は俺の部屋の前で全裸のまま突っ立っていた。

「好きなの着ていいよー」

俺は鼻歌を口ずさみながら、玲子の脇を通り過ぎ、ずっと着ていた魔女衣装を脱いだ。苺柄の甘ロリワンピースがいいかな。あっ、あのリボンカチューシャまだ組み合わせたことなかったかも。きっと合うよねぇー。俺は選んだ服に袖を通して、人形サイズの鏡の前で確認した。うん、いい感じ。靴はどれにしようか。せっかくだしこの間花咲先生から貰ったあれを

「あはは……翼ちゃん、こういうの本当似合うね」

玲子は水玉模様のワンピースを手に取ったまま俺を見て苦笑いしていた。急に我に返り、俺はトマトみたいに真っ赤になってその場にうずくまった。

「あっ、ちが、これは……」

「私にはこういうの似合わないしねー……」

玲子は手にとったワンピをそっと戻した。着ればいいのに。……っと思ったけど、玲子は俺と違っていうほど童顔低身長でもないんだ。年相応の女子高生で、どっちかというと背も高い方だろう。確かにリボンやフリル満載の甘ロリめちゃかわ路線はミスマッチか。……でも人間に戻るのに必要なのはそういう「かわいさ」なんだよな。大人の女性路線だといくら似合ってても人間にはなれない。着てもらうしかない。

「ダメだよ~、玲子お姉ちゃん。ちゃんとお洋服着ないとね」

俺は幼女風のアニメ声でワンピを手に取り玲子に迫った。今まで散々俺を着せ替え人形にしてきたんだからな。今度はこっちの番だ。

「えっ、で、でも、無理だって!絶対合わないって!無理―!」

「だーめ」


それから一日中、玲子にゴスロリ衣装を着せたり、パステルカラーの女児服を着せたり、魔法少女のコスプレをさせたりして、俺は大いに溜飲を下げた。

「もーっ、こういうの合わないっていったでしょー」

玲子は顔を真っ赤に染めて、体をくねらせて羞恥に悶えていた。確かに純粋に合わないけど、それとはまた別の問題もあった。俺用の服だから、頭身が合わないんだ。下手すりゃ小学生にも見える俺に合ったものばかりだから、玲子が着るとかなりちんちくりんになる。玲子はステッキを床に置き、手袋を外し、魔法少女のコスプレ衣装を脱いだ。

「もー、いいよ。そろそろメールを……」

その時、家のドアが開く音がした。シュウが帰ってきた!もうそんな時間か。この部屋に入ってくる前にかわいい仕草をして人間にならないと。また動けなくなってしまう。俺は両手で軽い握りこぶしを作って、顎に当てた。ぶりっ子みたいで死ぬほど恥ずかしいけどやるしかない。少し前かがみになり俺は言った。高く作ったアニメ声で。

「わ~いっ、早くシュウお兄ちゃんと遊びたいよぉ~っ!」

全力の笑顔を伴いながら。

「それ、私もやらなきゃダメ?」

ああああやめろおおぉ!一人でも死にたくなるのに隣でそんな冷静に見られたら本当に舌をかみ切りたくなっちゃうだろぉ!ていうか思わずかみ千切りかけたし……。あれ。人間になれないな。かわいくなかったか。もう一回……。ポージングしたところでシュウが部屋に来てしまった。

(あっ、くそ)

俺は笑顔でぶりっ子ポーズしたまま固定されてしまった。あうぅ……。これはきつい。シュウはすぐに箱の中の俺たちを見つけた。ダルそうに座り込んで、こっぱずかしい姿で時間を止められた俺を見つめてきた。ま、待て、これはだな、えっと……その……。段々顔が紅潮してきた。ポーズ変えたい。シュウの視線がわずかにスライドした瞬間、玲子の絶叫が俺の脳内に轟いた。

(だめええぇぇっ!見ちゃだめえぇーっ!)

シュウの視線は俺の左隣に注がれている。玲子を見てる。でもなんでそんなに嫌がるんだ、今何の服着てたっけ?確か魔法少……着てない。

(お願い、やめてーっ!隠させてよぉーっ!)

首も目も動かせないから確認できないけど、玲子は今魔法少女のブーツと髪飾りだけつけて後は全裸だったはず。この調子だと手で胸や股間を隠すことすらできていないようだ。

(お願いちょっと、あ、ごめん、腕!動いて!見すぎ!あっち行ってぇー!)

ご愁傷さま……。シュウは立ち上がって俺たちの視界から消え去った。

(ああああ……ああああ……)

玲子は相当ショックを受けたみたいだ。今度は俺が慰めてやらないと。

(大丈夫だ玲子!今のお前には乳首もアレもないから、セーフ!ノーカンだと思う!)

(そういう問題じゃないよおぉー!!)


シュウが風呂に入っている間に、俺たちはパソコンを操作してメールを出そうと試みた。だが、何故かキーボードやマウスに触ろうとすると、途中で腕が止まってしまう。触れない。机から下りられなかった時と一緒だ。どうも、誰かと連絡することは禁じられているらしい。なんで?人形だから?人形の範疇から出ちゃだめって?

「キスすればまた、なんとかなるんじゃないの?」

玲子はあれだけ嫌がっていた魔法少女衣装をバッチリ着こなしながら言った。

「よし。じゃあ、行くぞ玲子」

俺は玲子とキスして、キーボードに触れようとしたが、駄目だった。ギリギリ触れない。手が直前で止まってしまう。これ以上伸ばせない。言うことをきかない。くそっ……。

「も、もう一度だよ!」

「お、おう!」

俺たちはもう一回、口をくっつけ合った。その時、シュウが風呂から上がり部屋に入ってきたのだ。

(あっ……)

(えっ……)

あろうことか、俺たちはキスしたまま固まってしまい、動けなくなってしまった。目を開けながらしていたので、視界は玲子の顔だけだ。そしてそれは玲子も同じ。

(ちょっ……もういいだろ!離れろって)

(無理だよ。動け……ない……し)

視線も一ミリたりとも動かせないため、俺たちはキスしたままお互いを見つめ合わされ続けた。あまりにいたたまれない。瞬きすらできない中、互いに顔が赤く染まっていくのを観察し合うことになった。

(あはは、翼ちゃん、顔真っ赤……)

(お前……こそ……)

悪いことに、音と気配からするとシュウは受験勉強を開始したっぽい。てことは、ずっと玲子とキスし続けなくちゃいけないのか……。心臓が健在だったらきっと玲子にも聞こえる大きな鼓動音を超高速で叩きだしていただろう。

(もーやだー!恥ずかしいよー!シュウくんの馬鹿ー!)

玲子の心の叫びがゼロ距離で炸裂し、俺の脳が軋んだ。


数日かけていろいろとわかったことがある。一つ目は、俺たちを忘れているのはシュウだけじゃないこと。両親やクラスメイトたちに先生も、俺たちをすっかり忘れているらしいことがわかった。俺たちは完全に人形として存在していることになっているみたいだ。二つ目は、誰かに人間であることを訴えることを禁じられているらしいこと。パソコンやスマホに触ろうとしても手が直前で動かなくなってしまう。筆談もできなかった。文字を書くことは可能だったが、自分たちについて書こうとすると、やはり体が止まってしまう。ここから先は推測だが、みんなが俺たちを覚えておらず、人形だということになっていることと整合性を保つためなのかもしれない。人形でなくなろうとするアプローチを封じられている、とまとめることができると思う。最後に三つ目は、いくらかわいくなっても人間になれないようになっていること。

「結局、打つ手なしってこと?私たち、これから一生人形のままなの?」

玲子も日を追うごとに少しずつ弱気を見せ始めた。特に家族からも忘れられているらしいことがわかってからは、目に見えて元気が出なくなっている。俺だって辛い。でもこのまま何もしなかったら本当に、永遠に人形のままだ。残された手段は一つ。みんなに……シュウに俺たちが人間だったってことを思い出させることだ。そのためには……。

「シュウにアピールするぞ!」

「それはいいけど……恥ずかしいのは嫌だからね」

とにかくシュウの興味関心を俺たちにひきつけることだ。きっと思い出してくれるはず。ずっと一緒にいた親友なんだ。それに、最後まで俺を守ろうと手を離さなかったあいつなら。きっとくだらない魔法なんか打ち破って俺たちをこの世界に取り戻してくれるはずだ。俺はそう信じてる。


「なあなあ、どれがいいかな?」

俺は自分の部屋の中で、玲子に意見を求めた。シュウに注目してもらえるような、とびっきりかわいいコーデにしないといけないもんね。

「翼ちゃん、結局かわいい格好したいだけだったりしない?」

「ち、違うって!こういうかわいい格好とか仕草とか、あいつの傍でこの一年やってきたわけだから、その方が思い出しやすいかなって……」

「はいはい」

余計な事言うなよもう。せっかく気合い入ってたのに、なんだか恥ずかしくて気後れしちゃうじゃん……。でもやられっぱなしじゃ男がすたる。俺は反撃に出ることにした。

「玲子は何着るの?」

「いやー、私はやっぱり、こういう少女趣味な服合わないよ。っていうか、サイズがね……」

玲子は照れくさそうに言った。サイズか……。そうだ。俺は箱から出て、部屋を横断し、押し入れの奥へ入った。確かあそこにあったはずだ。女子小学生向けのアイドルアニメの着せ替え人形セットが。


玲子は装飾過多な虹色のドレスに身を包んでモジモジと突っ立っていた。このアイドルシリーズの衣装は俺にサイズが合わなくって使わなかったんだよな。玲子にはぴったりだ。仕上げに、付属していた天使の翼を背中にくっつけて完成だ。

「いやあの、こういうの私のキャラじゃないと思う……」

玲子は頬を染めて、指をくねらせながら言った。

「いいじゃん、綺麗だよー玲子お姉ちゃんっ」

幼児向けの魔法少女やゴスロリより、玲子にはこのアイドル衣装の方が映えるな。スタイルが俺より大人に近いから。玲子は鏡の前に立って、くるっと一回転した。瞼を強く閉じて、顔を熟したリンゴみたいにしながら言った。

「これ小学生向けのやつでしょ~?やっぱ恥ずかしいよ~」

「大丈夫大丈夫。シュウしか見ないから」

「だから恥ずかしいの……」

玲子が脱ごうとしたので、俺は急かした。

「ほら、そろそろシュウ帰ってくるから」

「はーい……」

俺と玲子は、シュウに見てもらうために机の上で待機することにしていた。シュウはあの机で勉強をするから、嫌でも目に入るはずだ。


机上にたどり着くと、昨日使った参考書が机のど真ん中に置かれている。まるでステージだ。俺はあえてその上に立った。

「えー、そこ邪魔じゃないの?」

「ここなら絶対見てくれるだろ」

「んー、私あんまり見られたくはないかも……」

玲子はまた煮え切らない態度で目を泳がせた。

「せっかくアイドル衣装着たんだから、ステージに上がらないと!ほら!」

俺は玲子の腕を掴んで引っ張った。まあ腕力では敵わないんだけど。

「わ、わかった、わかったから」

玲子も観念して、参考書に上った。そこでタイミングよく、シュウが帰ってきた。俺は玲子に告げた。

「くるぞ、ポーズ決めて」

「えっ、えぇっ!?」

「変な格好で固まるよりも、決めちゃった方が恥ずかしくないよぉー」

足音が近づいてくると、玲子も観念しておずおずと両手でハートマークを作った。表情は困惑しきってるけど、まあ最初なら上出来かな。俺はハートをあしらったステッキを高々と掲げて、変身完了時の決めポーズをとった。玲子よりこっちの方が百倍恥ずかしいしきついっての。シュウが部屋に入ってくると、俺たちはそのポージングと表情で固定され、もう変更できなくされてしまった。

シュウはすぐに俺たちに気がつき、机までやってきて、ポカンと口を開けて俺たちを見下ろしていた。辺りをキョロキョロ見回した後、そっと玲子を持ち上げた。

(きゃーっ!?わっ、わっ)

玲子は身動きできない人形のまま、自分の十倍はある巨人の手で宙に持ち上げられたことにかなり動揺していた。そういや初体験か。

(ちょっちょっ、下して、下してってばー!)

玲子はコトッと固い音を立てて、机の脇に置かれた。次は俺を。玲子の隣に並べて置いた後、チラチラとこっちを見ながら勉強の準備を始めた。

(もー、いいでしょこれ。変え……んんっ……あー)

玲子は何とか自身のポーズを変えようと奮闘しているみたいだが、ピクリともしない。小奇麗なアイドルフィギュアと化したままだ。俺も魔法少女フィギュアになったまま、一切身動きがとれない。シュウの机を彩るインテリアだ。シュウに横目で見られる度に、死ぬほど恥ずかしくなってくる。俺だってこれ以上こんな醜態はさらしたくない。でもシュウには見てもらわないといけないんだ。これはお前が一緒に登校してくれた時に着ていた衣装だぞ。覚えてるか?シュウ……。

(ねえ、あのさ……ごめんね)

(ん?何が?)

(いや……人形になっちゃうのって、すっごく辛いんだね。私、わかってなかったよ。こんなに恥ずかしいとは思わなかったし、体をまったく動かせないのがこんなに不安に……怖くて……苦しいんだなって。私、今までずっとからかって遊んできたでしょ?……だからごめんね、翼くん)

(あ、いや……そんな真剣に謝られても……)

ここぞとばかりに玲子をからかって玩具にしたのが申し訳なく思えた。つくづく情けない男だな俺は……。

(だからさ、恥ずかしいけど……私も私なりに頑張ってみるから……。よろしくね)

(おう。任せとけ)

それから俺たちは、夜は机の上でこれ見よがしに毎日服装とポーズを変えて、シュウに自分たちが生きているのだということを見せつけた。昼の間は二人で受験勉強を再開した。こんな状況で大学受験も何もないとは思う。でも、シュウがきっと近いうちに全部思い出してくれると、俺は信じてる。だから、一緒に同じ大学へ行くって約束も、最後まで諦めない。頼んだぞ、シュウ。本当に信じているからな。

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