第3章

ある日の朝、俺はいつものように黒のゴスロリに身を包んだ。床に降りて、人間に戻るのを待った。5分。10分……おかしい。いつまでたっても人間になれない。いつもならとっくに煙が出てでかくなってるのに。

「どうした、翼?」

シュウが上空から俺に話しかけてきた。シュウは既に制服に着替えていつでも出られるようになっている。

「なかなか大きくならなくて……」

「何かつけるの忘れてるんじゃないか?」

「そんなはずは……」

俺は人形サイズの鏡を見て全身のコーデを再確認したが、いつものゴシックロリータ。カチューシャから靴まで一通り揃っている。昨日まではこれで問題なかったんだけど。

「俺も見てやるよ」

シュウは俺をそっと掴んで、ペラッとスカートをめくった。

「えっ、ちょっ!?」

いきなりそんなとこ見るなよっ、変態!恥ずかしくて震えてきた。抵抗しようとして暴れたら下に落ちるから、おとなしくしているほかない。シュウはスカートの中から服の中へ指を突っ込み、もぞもぞと俺の全身をまさぐった。

「おい、やめっ……ひゃっ!?」

胸を指で撫でられると、妙な感覚が走り、思わず変な声がでた。

「おっと、悪い」

シュウは指を抜いて、俺を床に下した。

「時間がねーな……今日は休むか?」

「……おう」

身動きの取れない人形のままで一日学校にいるのはやっぱり腰が引ける。クラスのみんな割と俺に優しいけれど、だからといって一切抵抗できない俺に対して何かしないとも限らないし、事故も怖い。シュウだって一分一秒常に一緒にいてくれるわけでもないし……。シュウがずっと隣にいてくれれば安心するんだけどな……。

「悪い翼、もう行くわ」

シュウは家から出ていった。俺はゴスロリ人形のまま一人家に取り残された。家はシーンと静まり返って、孤独と不安を煽った。どうして人間になれないんだろう?他の服で試してみよう。

俺はアリス衣装に着替えたものの、一向に体が大きくなることはなかった。ちゃんと一式全部着こんでるんだけどな。改めて自分の姿を鏡で確認する。こんなにかわいいのに、なんで?……って何考えてんだ。男だろ俺は!かわいくなってうかれるなんて……。で、でも元に戻れないってことは……だ。かわいくない……ってことになるのか?それとも、完全に人形になってしまったか……。俺は普段着ていなかった衣装を試すことにした。しかしなかなか大きくなれず、とうとう俺はあいつに頼ることになった。

(これを……着るのか……俺が……)

女児向けの魔法少女アニメのコスプレ衣装。白とピンクを基調にしたフリル一杯の膨らんだスカートに、腰と胸元には巨大なピンクのリボンがくっついている。白い手袋とブーツにはハートの飾りが添えてある。髪をツインテールにするためのこれまた大きなピンクのリボン。男としてこれだけは着たくなかったが、この際仕方がない。意を決して俺はこの衣装に袖を通し、髪もツインテールに縛った。全て着こんで、ステッキまで持ったものの、人間には戻れなかった。これで手持ちの服は全滅か。

(駄目か……ちゃんと全部……)

鏡には魔法少女の人形が映っていた。だけど何か違和感がある。何か足りないような?スマホでこのキャラの画像を調べると、すぐにわかった。

(髪の色か……)

このキャラは金髪らしい。今の俺の髪は栗色だ。……もしかしたら、一式揃っていない判定になっているのでは?っていやいや、髪の色って関係あるのか?第一どうやって……。俺は棚の中から、シュウが最初に買ってきた着せ替え人形のセットを取り出した。人形の髪を染色する道具が入っていた。

(……なんでこれ出したんだよ俺。まさかやるつもりなのか俺?)

自分でも自分にびっくりだ。とはいえ、背に腹は代えられない。俺は金髪を試してみることにした。自分で自分の髪を染めるのは相当に大変で、昼過ぎまでかかった。思ったよりも綺麗な金髪に仕上がり、俺は改めてピンクのリボンでツインテールにして、鏡の前に立った。「この魔法少女のフィギュア」としか表現のしようのない自分がそこに映っていた。上から下まで衣装を着こみ、髪も同じ色。だが同時に恐ろしく恥ずかしくなり、俺はいたたまれなさにその場でのたうち回った。何やってんだ俺!いくら家に誰もいないからって!よりにもよって幼稚園児対象のアニメのコスプレにこんなマジになるとか……こんなとこシュウに見られたら……。

その瞬間、ボワンと音が鳴り、煙に体が包まれた。煙が晴れると、俺の視界には縮んだ部屋が広がった。元に戻った1?

「よっしゃ!」

今から行けば午後の授業には出られるな。俺は喜び勇んで家を出ようとしたが、すぐに我に返った。

(この格好で……外に……出るのか?)

洗面所で自分の姿を確認した。完璧なコスプレ……いや、キャラ本人といってもいいくらいだった。アニメのこのキャラが現実にいたらこんな感じだろう、という。白とピンクのコスチュームは幼さを強調していて、まるで小学校中学年の女の子にすら見えた。ま、まさか俺が……高校二年にもなってこんな姿で外に!?無理だ。無理無理。結局俺は外に出ることなく、シュウの帰りを待った。


「あははははっ!」

「ぷっ……くくくっ……」

「わ、笑うな!もーっ、こっち見んなよー!」

俺はカーテンの陰に隠れたが、大きなツインテールや膨らんだスカートは隠しきれなかった。

「いや、まあ、いいんじゃない?趣味は人それぞれだし。……ぷくく、安藤君ってさ、なんだかんだ言って結構ノリノリなとこ」

「違う!誤解だ!好きでこんな格好してねーよ!」

シュウは玲子と一緒に帰ってきて、俺はこの魔法少女姿をシュウだけならまだしも、玲子にも見られてしまった。完全に想定外だったので、俺の羞恥心は崩壊寸前だ。全身ゆであがったタコみたいに真っ赤だ。

シュウが俺の方によってきて頭を撫でた。

「すっげーかわいいぞ。何にせよ、人間に戻れなくなった、ってわけじゃなかったんだろ。よかったな、翼」

撫でられながら思った。シュウのやつ、だんだん本当に妹みたいな接し方になってないか。完全に年下相手みたいな……。玲子がカシャカシャとスマホで俺たちを撮っていることに気がついて、俺は叫んだ。

「やめろっ、撮るなーっ!!」


「てことは結論としてはさ、かわいさが足りなかったってことになるよね?ね?」

玲子が楽しそうに言った。シュウは俺の異変を解決するために、玲子を応援に呼んだらしい。余計な事を……。

「でも、今まで着ていた服が急に駄目になったのはどうしてなんだ?」

「そ、それだよそれ。俺、明日からあんな格好で登校なんてできねーぞ、それだけは死んでも無理だ」

「なんていうかこう……ハードルが上がっちゃったんじゃないかな?みんな慣れちゃって」

「どういう意味?」

「安藤君さ、復帰してからずっと同じコーデでサイクルしてたじゃん?これまでの奴は、もう”普通”になっちゃったんだよ」

「……ええ?」

よくわからん。今までの服が駄目になったのは普通になったから……?

「つまり、人間に戻るために必要なかわいさの要求水準が上がったんだな」

シュウが手っ取り早く話をまとめてくれたので理解できた。そういうことか。……って、今まででもかなり恥ずかしかったのに、あれよりもさらに「かわいさ」を追求した格好しないと駄目ってことか!?嫌だーっ、勘弁してくれーっ。

「髪染めるのはよかったね。あとは小物増やすとかー、鞄も学校指定のやつじゃなくて……髪型ももっと工夫しようよ~、長いからいろいろできるよね~、前からいじってみたかったんだ~」

玲子は新しい玩具を買ってもらった子供みたいに楽し気だ。俺はお前の着せ替え人形じゃねーぞ。俺の持ち主はシュウなんだからな!……って誇らしげにいうことかよ……。最近おかしいぞ俺。俺は情けなくてうつむいた。


「無理……無理だって」

「俺がついててやるから、ほら」

俺は魔法少女のコスプレ姿で玄関でぐずっていた。単純な羞恥と、高二になって小さい女の子みたいに愚図る自分のあまりの情けなさで涙があふれ出るくらいだ。女児向け魔法少女アニメのコスプレをして玄関で学校に行きたくないと愚図る高二男子……ここまで惨めな姿をさらしている男が有史以来いたのだろうか。いやいない。だが腕力ではシュウには敵わない。最近シュウは強引になってきた気がする。力づくで腕を引っ張られ、俺は金髪ツインテールのピンク魔法少女姿で、天下の往来に引きずり出された。

右腕をシュウに引っ張られながら、左手で顔を覆ってうつむきながら歩いた。極力顔を上げないようにしていたが、周囲からの視線をビンビン感じる。ロリータ服には大分騒がれなくなってきていたが、今回のこの格好は道行く人々から尋常じゃない関心を抱かれていた。そりゃそうだ。俺が見ても痛い小学生だと思って笑うだろう。

「うわっ、何あれ?」

「コスプレ?」

「かわい~」

投げつけられる言葉には、間違いなく嘲笑のニュアンスがこもっていて、俺の男としての、高校生としてのプライドに鋭く容赦なく突き刺さる。俺のプライド、人としての尊厳が音を立てて崩れ落ちてゆく。顔が真っ赤だ。煙を上げるんじゃないかと思うほどに。

信号待ちしていると、小さい女の子に囲まれた。

「プリガーだ~!」

「ママ―、プリガー」

「お姉ちゃん、プリガーなのー?」

俺は一言も答える気力がない。顔も上げられない。両足がプルプル震えてきた。立てない。立てないって……。無理。俺がついに放心して座り込んでしまうと、シュウがすぐに膝をつき、俺を抱きかかえた。

「えっ、えっ!?」

「せーのっ……」

シュウは二人分の鞄を背中に回し、両腕で俺を抱きかかえて立ち上がった。これって……お姫様抱っこ!?俺はいよいよ死にたくなってくるほどに羞恥心がつのり、顔が世界のなによりも真っ赤に燃え上がった。

「ちょっ、ちょっ、いいって!下せよ!」

抵抗しようと思ったが、腰が抜けて力が入らない。何より、シュウの腕に抱かれていると、なぜだかすごく安心してくる。もうちょっと抱かれていたいと思ってしまっ……何考えてんだ俺はーっ!?

「いいって、いいって……平気へーき」

シュウの顔を見たが、シュウも真っ赤だった。自分のことだけで精一杯だったが、俺の手を引いていたシュウも嘲笑の対象だったんだと気がつくと、自分のことだけしか考えられなかったことが情けなく思えてきた。そして、シュウの顔を見ていると、なぜだか心臓がドックン、ドックンと鼓動を早めてきたのだ。

(ふぇっ、なんで……!?)

シュウの顔を見ていられなくなった俺は顔をそらした。すると今度は町を歩く人たちが視界に入ってきた。全員が俺とシュウに注目していた。ある人は口をあんぐりと開けた驚嘆の顔、またある人はある種の敬意を払うかのような「やるじゃん」といったような顔、冷笑を浴びせる人、ニヤケ面でこっちをみるおっさん、顔を赤くしてこっちを見ている高校生……同じ学年だあいつ!

いたたまれなくなって顔を戻したが、今度は汗だくのシュウの顔が視界を覆って、俺の心臓がドキドキと心拍を早めた。

(えっ何!?なんで!?)

どうしようもなくなった俺は両手で顔を覆った。

(あーーーーーっ!!)


教室に入ると、一瞬の静寂ののち、爆笑が起こり、俺はいい物笑いの種だった。田中たちは笑いすぎて息も絶え絶えになりながら、俺に肩をポン、ポンと叩いて、また大笑いした。女子たちも爆笑しながら、

「かわいい、かわいいよ、ぷっ、くくくーあっはっはっは!」

「あっ、ははは、あれ、くくく、妹、持ってる……あーっはっはっは!」

てな感じで、俺は全員から馬鹿にされた。だんだん羞恥心は薄れ、屈辱だけが残り、涙が抑えきれなくなった。

「あーっ、泣かしたー」

「ちょっと~、みんな笑いすぎ~」

「すまんすまん、な?安藤」

みんなが頭をポンポンと叩いたり、よしよしと言いながら撫でたり、菓子をくれたり、完全に小さい子供をあやしているかのように接してきた。涙は止んだけど、最後の一線を越えてしまったように感じた。もうクラスの誰も俺を対等な男として扱ってくれなくなるんじゃないか。それがたまらなく悔しく、そして異様に寂しかった。自分の席に向かうと、座る前にシュウが軽く頭をなでてくれた。心の中にじんわりと温かいものが広がり、それだけで俺は大分孤独を癒された。


次の日の朝も、俺は玄関を出てすぐに足を止めた。染め直して完璧な金髪にした髪に、魔改造したアリス衣装。熊のアップリケを追加して、鞄も女子小学生向けのキラキラしたかわいい鞄にして、そこにキャラもののキーホルダーをぶらさげた。袖や二―ハイ、靴も新しくリボン付きのものに変更。極め付きはカチューシャだった。数十センチにわたる巨大なウサギの耳が伸びるカチューシャ。かなり目立つ。

「頑張れ……」

シュウもどこか達観したような表情で天を仰ぐばかりだった。ううぅ……。一人だったら絶対に引きこもっていたけど。シュウがいてくれてよかった。今日もまたシュウと一緒に登校したが、俯くとウサ耳がシュウに当たってしまうので、今日は顔を上げて歩かなければならなかった。またいろんな人たちから指さされたり、軽口を叩かれたりしたが、昨日のコスプレよりは幾分マシに感じた。

そんなわけで、俺はこれまでよりもずっと「かわいさ」をグレードアップしなければならない日々が続いた。小さい女の子向けのものを中心に、花柄やキャラもの、リボンにフリル、パステルカラー、とにかく見た目のかわいさを追求しなければ人間になれない。これまでは一式決まった衣装を選んでそれらをローテで回していただけだったので、自分の頭で特段何か考える必要はなかった。けど今は違う。能動的にどうすればより自分がかわいくなるか?を鏡の前に立って、いろいろ試していかなければならない。極力同じ組み合わせも避けるように頭をひねりながら、俺は自分と戦わなければならなかった。男なのに毎日自分をかわいくする方法で頭を一杯にしないといけないなんて。完全に自分が男性を投げ捨て女に堕ちたかのように感じる。でも俺が人間でいるためにはこうするしかないんだから、仕方がない。別に……段々楽しくなってきたとか、いいコーデを思い付いたら早く試したくなっちゃうとかそんなことはない。ない。違うんだ。違うはずなんだ……。


人生で一番長い3学期を終え、俺たちは高校三年生になった。花咲先生はホームルームで大学受験のあれやこれやを力説したが、俺には遠い異世界のことのように感じた。こんな体で大学なんていけるんだろうか。シュウは進学希望だけど。……シュウが県外の大学に進学したら俺はどうなるんだろう。実家では完全な人形になってしまうし……。シュウについていく?……いや、厚かましすぎるな。もうさんざん迷惑かけちまってるのに。これ以上負担はかけてやりたくない。

「同じ大学行けるといいな」

「えっ?」

シュウがそう言ってきたので、俺は驚いた。

「え、俺大学には……」

「お前進学希望だろ?」

「それは……」

男だった時の話だろう、それ。俺はシュウに「この有様を見ろ」と言ってやりたかった。全身を少女趣味で塗り固めた小学生でも痛々しくてやらないようなかわいさ全ぶりコーデを。

「あ、人形になったこと気にしてんのか?俺と同じ大学行けば問題ないだろ?」

「えっ、お前平気なのか?また4年間も」

「?……何が?」

シュウは俺の面倒を見ることがさも当然であるかのように答えた。俺は嬉しいやら情けないやらで胸がいっぱいになり、机に伏せた。本当かよ。俺と一緒で?……嬉しい。顔が……駄目だニヤける。顔を上げられない。

「どうした翼・熱でもあるのか?耳真っ赤だぞ」


4月下旬、再び恐れていた事態がやってきた。俺は元男としての恥も外聞もかなぐり捨てて、自分をかわいくするための研究に受験勉強並みの労力を割いてきたつもりだったが、それでもなかなか人間を維持できなくなってきたのだ。学校で突発的に人形化して、その日はそれっきりになるようなことが多くなり、受験勉強にも差支えた。何より同じ受験生であるシュウの時間と体力を奪ってしまうことが申し訳なかった。

「そういえばさ、”かわいさ”って見た目限定なワケ?」

昼休みに玲子が俺に尋ねてきた。俺は人形化してしまったので、体操服入れに引きこもって視線を遮断し、体の自由を確保していた。

「えっ、うーん、……どうなんだ?」

言われてみれば、あの子は服だけでかわいくなった時に人間になれる、とは限定していなかったような?……正直もう細かいことは覚えていない。

「減るもんじゃないんだから、ちょっと試してみない?」

「何を?」

「言葉遣い!」

「……へ?」

「だって安藤君、見た目は最高にキュートだけど、言葉や仕草は男のまんまじゃん?」

そうりゃ、男だからな。精神はまだ。

「だからさ、呪いが要求しているかわいさっていうのが見た目だけじゃないんなら、言葉遣いを女の子っぽくしてみたら、ますますかわいくなって、人間の状態を維持できるんじゃない?」

その発想はなかった。筋は通っているように聞こえるけど……。問題は俺の心だ。それって俺が意識して女っぽく振る舞わないといけないんだよな。いや、きついわ。

「いや、でも、それは……ちょっと……できれば……」

「でも、このままじゃ困るでしょ。駄目なら駄目でいいんだし。試すだけ試してみたら?」

「……」


玲子に使っていない教室まで運んでもらって、二人きりでテストしてみることにした。正直嫌だけど、これ以上シュウにも面倒かけられないからな……。

「じゃあさ、”俺”っていうのやめよ。”あたし”って言ってみて」

うっ……一人称変えるのって気恥ずかしいんだよな……。しかもよりによって一番女っぽいやつ。でも玲子以外には誰も聞いていないはずだし。言おう。男として腹をくくるのだ。

「あ……たし」

俺は顔が真っ赤になって押し黙った。なんだこの背徳感は。オカマ演じてるみたいだ。

「よしよーし、続けて言ってみてー。”あたし、玲子お姉ちゃんだーい好き”」

「えええ?なんだよその例文は!」

ここぞとばかりにからかいやがって。

「あ、シュウ君の方がよかった?」

「なわけねーだろ!」

「じゃあ言えるよね?早く早く~」

くっ……。まあ、試すだけ、だし。これはただのテスト。しかし幼女みたいな喋り方を強要されるまで落ちぶれるなんて……。自分の運命を呪いたい。でも言って駄目だったら二度とやらないからな。そう、この一瞬で終わり。そうすれば二度とやらない。俺は目をあっちこっち移動させながら言った。

「あっ……あた、し、玲子……おねえ……ちゃん、だーいすき……」

言った。言ったぞ。語尾上げながら。幼女っぽく。死ぬほど恥ずかしい。穴があったら入りたい。でももう二度と……。

ボワンと音が鳴り、俺は煙に包まれた。煙が晴れると、俺は体操服入れを尻に敷き、床に座り込んでいた。……戻った!?

「おっ……おお~。やったね安藤君!」

「おお……マジか。こういうのもありなんだな」

俺は立ち上がって両手を握りしめた。見た目だけじゃないのか。てことはここまで少女趣味を追求しなくてもよかったのか!?なんだか自分が馬鹿な回り道をしていたかのように思えて腹が立った。……が、そうでなかった場合女の喋りや仕草を強制されていたのかと思い至り、すぐに落ち着いた。どっちも嫌だ……。

「じゃあ、これからはもっとかわいく喋らないとね」

「え?いや、俺は――」

ボワンと煙に包まれ、俺は全身が硬直した。冷たい床に転がっている。動けない。天井しか見えない……。また人形に!?

「あっ、ほら~。”俺”とか言うから」

(そっ、そんな……)

今ので人形化したってことは、俺はこれからずっとこの極まった少女趣味コーデを維持しつつ、さらに女っぽく喋らないと駄目ってことなのか!?……俺の胸中に絶望の暗雲が広がっていった。


放課後にはすぐに教室に事情が広がり、みんな面白がって俺に話しかけてきた。

「安藤、なんか言えよ」

「おい安藤、これ食べるか?」

みんなに取り囲まれて、俺はもう限界だった。

(おいっ、もうやめろよ!)

と叫びかかったが、これを言うと人形になってしまう……から、女っぽく……ええと……。

「も……もうっ、みんなやめてよっ!」

周囲がシーンと静まり返ったあと、爆笑が沸き起こった。

「かわいい~!」

「ちょ、安藤、何、今の、もっかい!もっかい!」

「もうやだーっ!」

俺は立ち上がって教室から走って逃げ出そうとしたが、そこにシュウが入ってきてぶつかった。

「いてっ」

「うおっ、すまん、翼。大丈夫か?」

「おう、だいじょ……」

と返答しかけたが、このままだとまた人形になってしまうんじゃ、と思い、俺は言い直した。

「う……うんっ、全然へーきっ!」

「……!?」

シュウが仰天したまま硬直し、後ろの方でまた爆笑が起こり、俺は顔が真っ赤に染まり、走ってその場から離れようとした。……が、シュウに腕を掴まれ失敗した。

「ど、どうしたんだよ?」

「い、いや……なんでも……ない……よ」

そうこうしているうちに、山田が俺から鞄を強奪した。

「あっ、おい……じゃなくて……ちょっと!」

「え?何?誰の鞄を返してほしいのー?」

「おr……えぇと……あたしの……鞄……」

耳まで赤く染まり、シュウの方を見た。シュウはよく事情が呑み込めないといった感じで俺を見つめていた。羞恥心が高まり、俺はいてもたってもいられなくなった。

「ちっ、違う!……の。これは、えっと、わけが……」

俺はもうそれ以上言葉を紡げなくなった。もう人形でもいい。早くここから立ち去りたい……。


家に帰ってからシュウにも事情を理解してもらったが、俺の心の傷は癒えなかった。

「気持ち悪かったろ?オカマみたいでさ……」

「いや、そんなことはなかったぞ。お前の見た目と合っててかわいかったぞ。自信持てよ」

そこに自信を持ちたくないって言ってんだよ……。もう。

「みんながからかうのはさ、単にいきなり変わったからってだけだろ。すぐに落ち着くって。それに、お前だっていきなり口調全とっかえは抵抗あるだろうって、俺でもわかるからさ。少しづつやっていけばいいんじゃないか?」

シュウは俺にコーヒーを淹れて、俺の隣に座って頭を強くなでた。シュウに撫でてもらうと安心できる。でも、何かもう一つ足りないような気がしてしまった。シュウに抱っこしてもらったあの時の安心感というか、暖かな高揚感が忘れられなかった。

「なあ、その……えっと」

でも、まさかいきなりお姫様抱っこしてくれなんて言えない。ただでさえ今、女の喋りをするのが嫌だなんて言ったばかりなのに。それでも、俺は自分を抑えきれずに、コーヒーカップを持って、シュウの膝に座った。

「おっ、おいっ、なんだよ翼」

「こぼれるぞ」

「あのな……」

シュウの膝に座って、背中を倒してシュウの胸板に後ろを預けた。固いなぁ……。男の体ってこんなだったっけ?シュウがゆっくりと姿勢を正して、俺を膝座りさせるのを受け入れてくれた時、ほんのりとした温かい安堵が体中に広がった。……何やってるんだろう俺。コーヒーに口をつけたが、まだ熱くて飲めなかった。男の時はこれくらいの時間ですぐ飲んでいたけど、今はもうちょい待たないと飲めないな。

「……で、なんなんだよこれは」

シュウはコーヒーを飲みながら静かに俺に尋ねた。

「んーと……女仕草の練習」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る