第5話 nest
階段を上り一番奥の部屋の前に立つ。
鍵が施錠されている事を確認して、
部屋の鍵を開け自室に入る。
私の部屋の鍵は電子キーではなく、キーには複雑な溝を切り込んだ物理キーだった。
今時こんな鍵を使用しているのはI市では私くらいかもしれない。
電子キーはハッキングされるが、物理キーは同じ溝を刻まない限り安心だった。
昔は、鍵屋といって、物理キーの複製を作ってくれる店もあったが、今では皆無だった。
部屋には、PCが1台と冷蔵庫、そしてマットレスの上に寝袋があるだけ。
背広を脱ぎ、叩く。
私の事務所だったモノが床にこぼれ落ちる。
年代物のPCを起動する。
desktopが立ち上がる。
多くのフォルダが並ぶ、ほぼ全てがダミーだ。正解は1つだけ……
正解フォルダを選んでも又、中には無数のフォルダが並ぶ……
又正解フォルダを選ぶ……
ソレを何度も繰り返す……
やっと目的のフォルダに辿り着いて、passwordを5回入力して漸く、自身の今日のデータをPCへBT端子を接続して転送する。
このPCはどのネットワークにも繋がっていない、無線及び有線LAN、WiFi、の何れも持たない。
或いは有ったが、私が取り外した。
唯一在るのがBT端子だった。
それも取り外し式で何時も私が携帯している。
これは正に私の閉ざされた情報の金庫だ。
PCではなく、只の情報の貯蔵庫だ。
演算も試算も私は自身で行う。
PCの計算能力は必要ない、外部記憶として欲しいだけなのだ。
PC操作中も、ずっと先ほど飛ばしたドローンのGPS信号が定期的に入ってくる。
……BT端子の転送が完了する。
……ドローンのGPS信号に変化が、
……信号が一定の場所で停止した。
……pointを打った座標からMAPを拡大する。
……YZ化成(株)の本社ビルの上でpointが明滅している。
……YZ化成(株)
化成品材料を主に研究開発している中堅の企業だ。
コンシューマー相手ではなく、BtoBで化成品を生産している企業へ、材料を販売する卸企業だ。故にCMなどの販促活動も行わない。
その為一般には知られていない企業だったが、私は過去に浮気調査した際に浮気相手の男性が勤めていた会社がYZ化成(株)だった為に、その際会社の内情を調査していた。
広告宣伝費が少なく、その為財務体質が良い、卸先を複数持つ安定した良い中堅企業。
政治家Nの妻は何故こんな場所に行ったのだろう。
MAPを出して、周囲に何があるか探る。
周辺は、会社ビルばかりで、勤務中ならいざ知らず、仕事でもない彼女が彷徨く場所とは思えない。
やはり、YZ化成(株)に用事が有ったとしか思えない。
YZ化成(株)のHPを開く。
たいして金の掛かっていなさそうな動きの少ないページ。
故に軽快な動き。
会社概要を見る。
CEOはジェームス.K 外資系か?
PC作業と並列で、Webで名前の検索をするが、CEOのYZ化成(株)以前の職業経歴はWebには無い様だ。
大学までの経歴があり、そこからは当会社での経歴しかない。会社を渡り歩いた形跡はない。今では珍しい1社叩き上げの人材なのだろうか?
……というか、経歴が無さすぎる……意図的に消した……様な……
まぁ、表のインターネットではこの程度の情報収集しか出来ない。
情報戦がメイングラウンドの現代……
個人情報の流出を防ぐ会社に契約していれば、私の様に情報収集を行おうとする人物がアンダーグラウンドなWebに潜って探索している行為は全て見張られている。
特に会社のTopの人物なら先ず契約ししているだろう。
故に安易に自身の情報端末で潜りなどしたら……尾行ウイルスを引っ付けられて、自身の住所・名称・アカウント……個人情報を逆に何から何まで奪い取られるに違いない。
そして、ある日突然、見たこともない高級スーツを着、髪を綺麗に撫で付けた。体格の良い中年男性が玄関先に立っている。
判っているのだ。そんな手は食わない。
だから私は足で稼ぐのだ。
確かにWeb上の情報は多種多様で、いつもで好きなときに探れ、便利なモノだが、同時に相手からも見られている可能性に留意しないといけない。
そしてそれは現実世界での尾行とは比較になら無い精緻さで行われる。
逆に現実世界では、うろうろ歩く人間を全て調査対象として見ている訳じゃない。
確かに現実世界も至る所に防犯カメラが設置され、尾行するには甚だ面倒なご時世だがやり様は有る。狐と狸の化かし合い程度のもんだが……
PCで探る内容はこの位にする。ドローンは既に自身のバッテリーの残量を計算して充電に戻った様だ。視覚内のインフォメーション表示に無人充電器BOXに私のドローンが接続されたmailが来た。
……腹が減った。考えすぎて糖分補給が必要だ。そんな言い訳をして……冷蔵庫を開ける。
私のお気に入りの干し芋だ。
それも海岸沿いのS摩市の名産品で冬季限定品だ
○んこ芋という。
頼むから、○に変な文字を入れないで欲しい。
本来干してある以上、干し芋と言えばそれなりに歯応えのある、白い粉を纏った細長く切られた芋を想像すると思うが……
コイツは違う、形も楕円や半円などが多い、そして白い粉などは付いていないし、持ち上げると垂れる位に柔らかい。
口に入れると、「もっちゃり、もっちゃり」と言えばいいか……
絶妙な歯応えと柔らかい甘さ。砂糖では出ない甘さ。
食感に魅了される。
しかし唯一の弱点は、私の薄給では高級なお菓子なのだ。
良い値がする。
そして冬季限定。
そういうのがまた購入意欲を駆り立てるじゃないか。
因みに私の冷蔵庫にはこれと飲み物しかない。
○んこ芋の袋を一つ掴み開ける。
本当に綺麗な飴色なのだ。知らない人が見たら干し芋等とは思うまい……
1つ掴む、表面はねっちょりとしている為、その他の芋も引っ付いて持ち上がる。それを剥がして口に入れる。
旨い。噛み応えが最高だ。
永久運動の様に噛む、摘まむ、噛む、摘まむ、噛む……
おっとっと……もう少しゆっくり味わおう……
食べていると、午前のバタバタした事件を他人事の様に俯瞰で観れる様になる。
今までの推論に間違いは無さそう。要するに、最初から調査後は私を消して証拠隠滅を計る、その為に私の様な独り探偵に依頼したのだ。
危険な情報が入っていたのだ。私を消したい程、浮気の内偵で私を消す必要は無い。つまり妻の事など眼中に無いと言っても良いだろう。あの骨格の素晴らしい女性が何かをしたのだ。或いは渡り鳥に使われたか???
※ 渡り鳥とは、本人も知らぬ間に重要機密を運ばされる人物の事だ。
昨今は各人の電脳(副脳)といった機械化部の個人情報記憶野に本人は知らない内にデータを仕込まれ、所定の受け渡し場所に本人か到着すれば……後は近距離通信で情報回収完了。
……あらら、○んこ芋が空だ。
……いや……そして今までの散々喋っておいてすまないが、上記の方法はおそらく使っていない。
多分物理的受渡しだ。珍しい……
あのハンドバッグ……
アイトラッキングで判明した。政治家Nが凝視していた。
副脳内のデータなら、あれほどハンドバッグを眺めない。少なくとも政治家Nの大事な物はソコに在ると思っているようだ。
ハンドバッグの画像を脳内に出す。
富裕層が好んで持つ、高級ブランドのバッグ。バッグ全体にブランドロゴがプリントされている。私の嫌いなタイプのdesign。
主張が激しい。何故、そうまでしてブランドを強調する。慎ましく出来ないのかと感じる。ブランドロゴなど、1ヶ所隅の方に付けておけば良いと個人的には申し伝えたいのだが……
しかしお陰で、解像度をupする事無くバッグの種類が特定出来た。
某有名アパレルブランドだった。高価だ。検索した画像が視野内に写る。
材質・サイズ・内部構造・その他情報
が順番に表示される。
革製・寸法:W20cm×H10cm×D5cm・内ポケット1ヶ所・アンティークだった。これは大変な貴重品だ。本物ならば……
……以上。表示する内容が無くなりカーソルが点滅したまま。
これ以上の情報はなし。
私はバッグの画像を拡大する。本物かどうか確認する。
金属で作られたロゴがバッグの中央に光る。同時にネットで、偽物と本物の見分け方を検索する。やはりロゴ部分に差違がある。偽物は平坦なロゴで、本物は立体的だ。
微妙な違いだ。コイツは厳しい。
元々の画像がショボいので、画像拡大と補正を行っても、ロゴの細部が分からない。
もう少し分かりやすい相違点が無いかとネットで検索するが……見当たら無い。或いはロゴの相違点より更に微細な相違点の為、意味がない。
……私はこれ以上の調査を諦める。
……時間が勿体無い。
……行ってみるか?YZ化成(株)
サングラスとつけ髭をつけて、薄手のスプリングコートを羽織る。
PCの電源をOFFして部屋を出て施錠する。
階段を降りる。
黒く艶やかな肢体の彼がこっちを向く。なにも言わずに元の姿勢に戻る。
危険が無いという事だ。
有るなら、彼は吼えたり、行動で示してくれる。
「見張ってくれてありがとう」
私は彼に礼を言い。I市の繁華街に向かい歩く。
さてどうなる事やら……
オプ 休眠中 Aurea Mediocritas @serotonin
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