第3話 WARNING
PCが立ち上がるのを待ちながら、インスタントコーヒーの粉末をカップに入れ、湯を注ぐ、朝に飲んだのに、またコーヒーを淹れている。
全くコーヒーは私にとっての潤滑剤だ……
コーヒーを飲みながら私は今回の案件を再考した。そして万が一を考え、今回の案件の記録全てと重要顧客の情報、個人的記録を自分の記録野に移した。そして先般も言ったが私は正直この依頼が来た段階から、ある疑惑を持っていた。
依頼を受けるに辺り、考えた前提条件を下記に記す。
1、依頼主の資金力
2、依頼主の人材力
3、当S事務所の調査能力
4、当S事務所の情報管理能力
1、2に関しては、市内でもTOP クラスの資金力と人材力だ。
3、4に関しては、市内でもTOP クラスの調査能力と情報管理能力と言いたい所だが……
個人探偵所レベルなら、そうかもしれないが、会社形態で複数の調査員を抱える事務所と比較したら、月とすっぽんである。当S事務所など、掃いて捨てるほど在る探偵事務所の1つでしかない。
これは謙遜でも何でない事実だ。
たった1人の探偵事務所など個人の能力がどれだけ高くとも、やれることなどたかが知れている。
……潤沢な資金と人材を持つ依頼者が、ぱっとしない調査能力・情報管理能力持つ探偵に仕事を依頼する理由を考える。
……依頼人なら、もっと高価だが人材豊富で探調査能力の高い偵事務所に依頼可能だ。
……また嫁の素行調査程度ならば、面の割れていない自身の秘書や運転手に探偵まがいの尾行をさせても良いのではないか?とも思う。それなら情報漏洩も身内のみで済む。
……素人にさせて、尾行に失敗し嫁に感づかれるリスクを回避したいなら、やはり大手探偵事務所に依頼すればよい。その資金はある筈だ。
……端的に言えば依頼人の金銭・人材面余裕を考慮すれば、私に仕事を依頼する明確な理由が見当たらないのだ。
……思考の方向性を変える必要があると思う。
……ならば、依頼人の条件からは考えず、私の探偵事務所の条件から考えてみようか?
……当事務所からすれば、あり得ないほどの上客だ。
なにやら、きな臭い物件だが、報酬条件や拘束時間からすると、受けない訳がない好条件。喉から手が出る程の優良物件、優良物件過ぎて、気持ち悪い程……
しかし、喉から手が出るって、どういう状況だ??咽から舌なら判るが、手は出ないだろ!数刻、馬鹿な事を考え、思考が脱線してしまった。
まぁ当事務所からすれば未だかつて無い最良の物件だった訳だ。
……次に当事務所に頼めば情報漏洩は依頼人の身内にも感ずかせないという利点も含めて比較的少ない、内情を知りえる人間は私だけだ。
一般的事務所はPC やクラウド上にデータは分散させるが、当事務所は所内に唯一の私のPCにしか情報を蓄積していない。
この特徴を大手にはない当事務所だけの長所として顧客にアピールしている。
又、追加料金を出せば、顧客情報と案件の資料は依頼人にメモリで渡し、当事務所のデータはPCから依頼人が見ている前でデリートするサービスもしている。依頼人がこれをどの程度信じるか?信じないか?分からないが、この利点により定期的に仕事をくれるOB 顧客もいるくらいだ。
多数の調査員を抱えた探偵事務所ではなく、私の様なソロの探偵に調査を頼む人間は、大概、依頼情報が拡散しない様にしたい思惑がある。
私だって、個人の探偵を生業としている以上、顧客の情報管理に関しては、厳密に保管してる、これがひいては顧客からの信頼や更なる依頼になるわけだ。
ボロボロと顧客情報を垂れ流している探偵事務所に誰が依頼などするだろうか?
少し話がそれたが、大手の探偵事務所に依頼した場合は、物理的な障壁としてパスワード付きのドアや、個人認証キーを講じた厳重な部屋に置かれた業務管理PC保管されるか、ネットを介してクラウド上のサーバーメモリ内に保管されるか、他の私が考えの及ばない多種多様な方法を使用して複数のバックアップを取られ漏洩の無い様に保管されるだろう。それは、私の事務所とはレベルの違う管理手法で行われる筈だ。
そして本来なら、この顧客情報が探偵事務所の財産になるわけだから、顧客情報は絶対に廃棄しない「守秘義務という名の元、厳重に保管します」が本来の探偵事務所の在り方だ。
当事務所の様に情報を破棄しますと唄う事務所は先ずない。
つまり、これが当事務所の唯一にして最大の特徴なのだ。
……妄想する。もしこの探偵事務所の唯一の特徴が依頼人が求めている条件だったとしたら……
依頼人は情報漏洩では無く、情報拡散範囲が狭いという事を求めているという事だったら……
これは似た様で全く違う意味だ……
……カップに残った最後のコーヒーを口に含み、苦い液体を味わう。
ヤツから貰った小切手をスマホのカメラで撮影して、小切手本体は私のスラックスのポケットに入れた。
突然、私は『生命の危機』を感じた。
上記の結論が出るよりも早く。
探偵事務所は3Fの角部屋で玄関出て向かって、右側壁面に、非常階段に至る出入口が設置されていた。
何故、唐突にこの様な事を考えたかというと、私は一刻も早くこの事務所から逃げ出したかったからだ。
だが、玄関からはダメだ。
あそこは不味い。
ヤツらが触った場所だからだ。
全く確証は無いが、
私はそれを試す程、剛胆では無かった。
眼球内のセンサーを切替、熱画像で周囲を確認する。熱源が無い事を確認して、事務所内の壁面にある窓を目指す。途中で椅子に引っ掻けたままのアイロンの当てていないシワだらけの背広をつかみ上げた。丁度、窓から出れば非常階段が設置された場所迄は2m程度、その場所は狭く当探偵事務所の入ったビルと負けず劣らずボロいビルが1mも開けずに隣に面して、汚い路地裏の様相を呈している。
狙撃される可能性を鑑み、背広を被りながら、机.壁等の遮蔽物を利用して窓横の壁面に身体を隠した。
そのまま横に立て掛けてある何時も私の背中で酷使されている、孫の手代わりの杖で窓を開けた。
隣のビルとの隙間が殆んど無い為、狙撃される可能性は元々低かったが念の為だ。
今度はスマホのサーモグラフィを録画モードにして非常階段の周囲を探る。
下の路地裏の屋上、隣のビル大体を撮影したが、熱源は見つけられなかった。
有り難い、これ以上はもう私のセンサでは調べられ無い。
杖を腰のベルトループに差し込み、意を決して私は静かに窓から出て、右側にある非常階段との間にある。
給水配管に左手を伸ばした。
右手は窓枠を掴んで、右足は窓枠に爪先を引っ掻け三点支持している。
左足を、配管を壁面に支持している馬蹄型の固定金具の上にそっと置く。
左足を置いた金具の強度を信頼して、ゆっくりと支持していた右足を窓枠から外し、左足と同じく場所に置いた。
これで、配管の金具に両足が乗った。
そして、窓枠を掴んで右手を離し配管を両手で掴んだ。
するな否や、「ゴッツ」っという音と共に、足場の金具が突然ズレた。
どうやら、金具の壁と固定している2ヶ所のボルトの内、片方が抜け始めた様だった。
頭の中を『あぁ、玄関を試せばよかった……』後悔の念が浮かび上がるがもう遅い。
次いで3Fから落下した際の被害のシミュレーションを演算しそうになったが、私の心理にマイナスの影響しかないのを理解して、早々に止めた。
両足が心許ないので、配管を持つ両手に強烈に力が入る!どうしたものかと周囲を見渡すと、足の金具と同種の固定金具を頭の少し上に見つけた。
右手の指2本を配管と金具の隙間に引っ掻ける。これも抜けたら、目も当てられなかったが、幸い私の体重が掛かってもボルトは抜けなかった。
これで私の腕の乳酸が溜まるか?金具が抜けるか?まで幾ばくかこの体勢で持ちそうだったが、どちらにせよ時間は無いので、右手の指で引っ掻けながら、同時に他の指で配管を掴んだ。しっかり保持出来たのを確認して、左手を非常階段の手摺に伸ばした。
そして左足を非常階段の踏み面にのせた。階段に着いた事でホッとした。
後は右手も手摺を掴み、右足も踏み面に移動した。手摺を跨ぎ、やっとの事で非常階段に降り立った。
……刹那、カラカラと、ビル壁面に当たりながら、先程まで私の身体を支えていた金具が路地裏の闇の中に落ちていった。
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