The Passenger

さっきの老人は一体何だったのだろうか…。


私は夜も更けてみいみいと虫虫の鳴声のこだまする窓辺を遠く眺めてしばらくしてから、あることに気づいた。


「明日!締切日じゃあないか!!」


20になった私は現在東京に越してきて小説家の卵としてパソコンの眩しい画面と打ちすぎてへたへたと弱々しい音のするキーボード、そして極め付けは氷の女王の名を冠した雨沢編集との半日に渡る凍結対談その他諸々と日々闘っている。


やはり昨日のは、日々諸々の疲れからイマジンが本物に感じただけだよな…。掴まれた右腕を軽くさする。


机に置かれた我が生涯の相棒黒いノートパソコンを開いてフォルダを開き、続きを打ち込んでいく。


言葉や文章、名前や物語が螺旋を描いて無限に見え始めた頃。私の部屋に、朝が来た。


光源のある窓を見ると一つ目の大男、たしか見上げ入道だったか。そいつが窓枠の隅からこちらを静かに見ている。ここはマンションの三階だ。


「………」

「………」


遠くでガスが抜ける時と同じ市営バスが停止する音が微かに聞こえる。見上げ入道はまだ黙ったままこちらを見つめてくる。


「………」

「……めっ!」


少し威嚇してみると恐れをなしたのか仰々しく見上げ入道は去って行った。


ドンドン!玄関先のドアが硬い拳に叩かれる。いや、もしや殴っている?もしくは蹴って…?


…午前8時、青ざめた。雨沢編集が、女王が来たのだ。


恐る恐る私は玄関ドアに設けられたのぞき窓から外を見た瞬間ドアを蹴破られた。


「痛っ!あ!あめさわべんじゅう!!」

「…で、書き上げたんですか」


これで今月3度目の鼻血だ、要因は全て同等のものだ。読者諸君も味わえばわかる、月3度の鉄の味だ。


雨沢編集は美姫であられる。しかしとて少々横暴でも、いや暴君であられる。


「ばい、ぼわりばじだ…」

「よく、聞こえないわね」


出そうな鼻血を抑えながら私は机を挟んで雨沢編集と向かい合うように座した。


「ずびばぜん、ごれでず。ぼわりばじだ…」


私は片手で先程印刷した原稿をでわだじだ。間違い、手渡した。


「はあ、先生。もう少し仕事に余裕があるべきですよ、余裕があれば体に毒はありません」


雨沢編集は書斎棚に積まれたカップ麺の塵を一瞥してから鼻を抑える私をまさに塵を見るような見下すような目で見て言った。


「大丈夫ですよ、書かなきゃ死ぬだけですからね〜♪」

「じゃあ先生は早急に死にますね」


雨沢編集の冷えた鉄のような声色はいつも慣れていたものだったが、"死"という単語が頭の中や昨夜強く掴まれたように感じた腕にくっついて離れかった。


「……」

「死ぬ前には、書き上げて下さいね『陽気な悪魔のアンチテーゼ』」

「…はい」


雨沢編集は原稿の入った封筒を持って立ち上がった、どうもいつもと調子の違う私を気遣ったのだろう。まだ30分も経っていない。


「今書いてる脇役ザンギが主人公の元を去るシーンのところ、あれいいと思いますよ」


……ありが-


「まあ、明日また来ますね。修正箇所が無い訳無いので、例えばタイトルとか敵役の設定の甘さとかその他諸々ね」


見なくてもわかるくらい睨まれた。


雨沢編集コワイ。


勢いよく玄関口は閉められて女王は早々とご退席なされた。


「おい君君、わしが見えるかの?もし?」


鼻血を止めるため仰向けに伏していた私に語りかけるは小さな小人。これはまた洋風貴族服を着た上流階級の、小人だ。


「はい、聞こえてますはい」

「先程の御嬢様は貴殿の妃であるかの?もし?」

「いやあれは神か鬼か美人の皮を被った身の毛もよだつ化け物ですはい」

「…貴殿もかなりのご執心であられるな?もし?」

「私が雨沢さんを?そりゃあ私の命が1つじゃあ足りますまいて」

「まあ貴殿の短き命、大切にするんじゃの?もし?」

「だからなんで-?」


小人はいない、代わりに小人のいた場所には小さなチケットが落ちている。


-宇多田ヒカル全国ツアー22th 横浜新アリーナ-


はあっ!!宇多田ヒカルの全国ツアーチケット!!?なんでここに!?


小さく深呼吸して小さな脳味噌を掻き回して薄く広い海馬中央記憶中枢の網を探る。


ズヴァリ!雨沢さんのものだ!!


というよりそれしか可能性は無い。急ぎ私は雨沢さんの重々しくも軽快な足取りを追った。


……道に迷った。


神奈川の豚の香り芳しい弩田舎から越して来た私には東京は辛い、東京は辛いよ。


謎の十字路に来た。とりあえず来た道を戻ろうとした時。


「ロックだあかポップだあか知らねえが、音楽っていいじゃんな〜。にいちゃんよお」


アコースティックギターの走る仔馬のような音色が正午の東京路地に響く。


「音楽ってえのは魂なんだ。そもそも音楽ってえのは歌って踊って神さんに祈り、毎日生かしてくれてえありがとうって感謝あするためえの儀式なんだわなあ。生きることが魂の叫び、なんだあわな」


へぇ-


皆目わからん。


振り返るといつかのポスターで見た伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスがつばの広い黒いカウボーイハットにジャラジャラと装飾のついた魔術師のような服装でギターを奏でている。しかもカッコよく見えるように路地の壁にもたれながら。


「それはあそうとなあ、俺の魂のアルバム聴いたあことあるかいや?にいちゃん」


ジミヘンならジョジョの奇妙な冒険第5部に出てくるPurple hazeくらいしか聞いたことないな…


「パープル・ヘイズとか、ですかね」

「ふん、じゃあにいちゃんこおれ聴いたことないだあろ?」


ジミヘンの長くしなやかな指がギターのフレット板の上を走っていく。


急に私のジミヘンに対するイメージと違った優しさに溢れた風にそよぐ旋律が、流れていく。


「Hey joeさ、気に入ったあろう?」

「ええ、とても素敵な曲ですね」


「なあ、ジョー」

「私はジョーじゃあないですよ」

「悪いこたあ言わねえ、南へ行けよ」


ジミヘンはカウボーイハットを目深に被り、背を向けて去っていった。


南って-













どっちだ?





東京地下鉄駅構内-


「いやあ、なんだか最近暑さがたまらないねえ常長くん」

「はい部長!たしかに暑いですねえ!そーいえば!これをどうぞ部長!」


高価そうなボディシートを手渡した。


「おお、さすが常長くん気が利くねえ」

「はい!どーもです!はい!はい?」


地下鉄路線奥から何やら人影が…


外は急な雨風で今にも私は風邪を引いてしまいそうだ。


部屋のラジオをつける。


「-す…本日午後未明、東京地下鉄 虎ノ門駅-にて身元不明の男性2名の遺体が-現在調査中との情報が-っております…現場から-」


「身元不明って…」


通常遺体の身元というものは持ち物等、最低でも容姿で判断できるものであるが。しかし身元が分からなくなるほど遺体の状態が…


そこまでで私は考えることをやめた。







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