第13話 百獣(ライオ)王(ン)の逆襲

 「こだわり?いやぁ、別にないっすよ。あいつ張り合ってくるし、なんかそれが面白いし」

 背番号は何番がいいか、私の問い掛けにMF蜂ケ谷玲央はカラカラと笑いながら答えた。

 「優勝?いやぁ、別にどっちでもいいっすよ。取れるもんなら取りたいけど、俺日本人だし」

 ワールドカップの目標は?私の問い掛けにMF蜂ケ谷玲央はヘラヘラしながら答えた。

 やる気も覇気もないと見るか、自然体と見るか。

 旧友であるMF掛軸晋太郎とは、ずっと己が存在を賭けて切磋琢磨してきた。背番号10が欲しかった訳じゃない。10を欲しがるあいつの、吠え面を拝みたかっただけ。

 「やった。また俺の勝ち」

 そう言って笑う蜂ケ谷は、22歳という年齢よりも幼く見えた。

 掛軸が几帳面で生真面目な性格であるのと正反対に、蜂ケ谷は適当で天邪鬼(あまのじゃく)のように、私には映っていた。良い意味で達観しており、望んでも手に入らないものを無理には追いかけない。

 それは果たして本心か?

 そんなギラつく心根の無い者が、イタリアの名門・ACミランで王様になれるものなのか。

 彼には、人に見せない闘志があった。


 蜂ケ谷は全体練習中、朗らかで常に余力を残している。そういうやり方が染み付いているのだろうし、それで結果を残しているのだから、誰からも咎められることはない。本気が足りないとも言えるし、練習で怪我しないことをモットーにしているとも言える。

 その癖、居残り練習は日が暮れてもやっている。

 一度だけ、私は彼の本心に触れたことがある。

 ワールドカップ・アメリカ大会に向けてチームが発足し、ある程度メンバーが固定されてきた頃に行った親善試合。対戦国はアフリカの雄・セネガル。

 当時20歳だった蜂ケ谷は二度目の代表招集という新顔で、中盤の底(ボランチ)でプレイをしていた。試合は0対1で日本が敗北。蜂ケ谷の放ったロングパスがカットされ、そこから重戦車のようなカウンターを受けての失点が、決勝点となった。

 何かのタイトルが懸かった公式戦でもないし、結果以上に様々な収穫があった私としては、一つの敗戦で悲観することもなく、蜂ケ谷を戦犯にする気もなかった。その一本のパスミス以外、充分なパフォーマンスを見せていた彼には、むしろ今後の日本の主軸を任せる気にさえなっていた。日本代表の次の10番は蜂ケ谷玲央以外考えられない、と。

 アフリカでの試合から帰国する前日、最後の調整練習を行い、選手たちは思い思いにクールダウンした。結果を出した者、そうでない者。代表に選ばれるためのサバイバルは、そこからまだ2年も続く。悲喜交々ある中で、蜂ケ谷はいつも通り、黙々と居残り練習をしていた。

 「おーい、レオ。お前もいい加減上がれ。みんな宿舎に戻っちまうぞ」

 私の声が聞こえたのか、それまで一心不乱にボールを蹴っていた蜂ケ谷は、我に返ったように暮れゆく空を見上げていた。夕陽が染めるその顔には、試合でもそこまで掻かないのではというほどに、汗が浮かんでいた。

 「どうした?らしくないな」

「考えてたんすよ。俺もいつか、誰かに取って代わられるって」

 ミスを引き摺っているのか、珍しく弱気な蜂ケ谷は、それでもニヒリスティックに微笑んだ。

 「知ってるか?優等生は一つのミスで潰れるんだ。ミスしない人間なんていない。だから雑草みたいな奴の方が、長い人生では上に行くんだぜ?」

「俺、別に優等生じゃないっすよ」

「雑草であってくれ、と願ってるよ。願ってるというより、信じてる、かな。お前がそんな柔だと、誰がこの先日本を背負うんだ?」

 落ちてるボールを少し転がして、蜂ケ谷は思う様ゴールに向けてシュートした。ガンッ!という強い音が響いて、ボールはゴールポストに弾かれた。ヒョーッという声を発し、蜂ケ谷は喜んでいるのか、悲しんでいるのか分からない顔をした。

 「ポストに当たったのは狙い通りっ、でも軌道が思ったのと違ったなぁ」

「当たればいいんじゃないか?狙ってもポストに当てられない奴の方が多い。特にこの距離ならな」

 私たちのいる場所から、蜂ケ谷が当てたゴールポストまでは優に40メートルはあった。「狙い通り」と言えばいいものを、彼は無駄に正直だ。

 「なあ、レオ。お前もっとアピールしたらどうだ?お前ほどの才能なら、今すぐにでも世界に出れる。海外で勝負しろよ。それがお前を高みへ連れていく」

 20歳、未だJリーグでプレイする彼に、日本は狭すぎると私は感じていた。今回の日本代表アフリカ遠征メンバー選出も、時期尚早との声もあったほどだ。

 素質。それは誰にも備わっているものではない。

 見出す者がいなければ、不幸にも埋もれてしまう選手もいる。私にしたって、たまたま視察したJリーグでの試合で蜂ケ谷が好プレイを見せたから、興味を持ったに過ぎないのだ。

 「アピール?」

「そうだ。練習中からやる気を前面に押し出して、『俺を見ろ!』って主張するんだよ。それだけで未来が変わることもある」

 うーん、と蜂ケ谷は唸った。もう一度ボールを転がして、またゴールポスト目掛けてロングキックを蹴り込んだ。今度は、左に逸れていった。

 「アンダー世代でも誰かが気付いてくれたし、今も藤崎監督が気付いてくれたし、俺はそれでいいですよ。アピールに力注ぐ暇あったら、練習したい。そうじゃないと、俺より上手い奴がいるんすよ、年下にね」

 U(アンダー)20ワールドカップ、オリンピックで共に戦い、常にエースナンバー10番を競い合ってきた盟友・掛軸晋太郎。彼のことを指しての発言であることは明白だった。

 あいつだったら当ててたなぁ…、蜂ケ谷は最後にそう呟いた。

 それっきり、私は彼が悔しさを滲ませているのを見たことがない。結局私の言葉は蜂ケ谷には届かなかったが、彼は彼なりに思うところがあったのか、翌年イタリア・セリエAのACミランに移籍した。なるほど、これほどの素材ならば、いつか誰かの目に留まる。慌てなくとも、時間は彼を高みへ運ぶ。

 ただし、並々ならぬ努力と闘志があってこそ。それが敢えて、目に見える必要性は、ないのかも知れない。


 蜂ケ谷玲央が、今日は何度も声を荒げる。

 サッカーワールドカップ決勝。その舞台に興奮しない者などいない。シュートを、フリーキックを、外す度に吠えてきた。

 力の差を見せつけてくる百獣の王ブラジル。その灼けるような攻撃に、彼の皮膚が、爪が、脈が、過敏になっている証拠だ。

 俺が決めていれば…。蜂ケ谷はそう思っていることだろう。

 日本代表のエースナンバー10を背負う男。

 22歳の若武者は、飄々と空を行く。雲みたいに掴みどころがなく、誰にもペースを乱されない。

 自分で考えて、自分で決める。そうやって、地位を築いてきた。

 勝ちたい気持ちが強い方が勝つ?そんなの迷信だね。でも今日だけは信じてみようか?

 ここまでシュートが決まらなかったのは、俺の決意が緩いだけ。

 「あーあ、なっさけねぇ。ぶっ倒れやがった」

 独り言を吐いていた。喉がカラカラで、舌がカサカサだ。水飲まないと、死んじまう。

 俺には50メートルも60メートルもパスは出せねえ。それは、その才能はお前にくれてやる。でも俺なぁ、お前より短いパスは上手いんだ。

 「不格好だけど、そのパス最っ高だぜっ」

 DFマヌチーニョがファウル覚悟でシャツを引っ張った。主審が笛を口にやる。だが蜂ケ谷は倒れない。倒れてなんてやるものか。一瞬スピードが落ちる。その間隙(かんげき)を縫って、MFジュニーニョ・パラナエンセがヘルプに飛んでくる。攻撃が不利を受けたのなら、それはファウルだ、警告だ。

 だが蜂ケ谷は倒れない!

 転んでる場合じゃない。誰が誰にパスをした?動けなくなるまで走った奴の一生分の想い、今ここで受け止めなけりゃライバル名乗る資格はねぇっ!

 右脚を千切れるくらい伸ばした!

 格好よくはないかも知れない。子供たちは憧れないか?バランスを崩した。でも立て直す。止まれない。止まりたくない!

 オブサーシブ・トラップ!足で殺したボールの威(い)。

 完璧。時が停まったようだった。

 世界がスローモーションになる。これ以上邪魔をしたらペナルティキックになるほど、ジュニーニョが突っかける。だが蜂ケ谷は倒れない。全精力をもってして、落とされたボールを、目で、耳で、体全部で感じてる。

 飛び込んでくるブラジル最後の砦・GKアントーニオの肩の上。キーパーの泣き所と呼ばれる肩口を正確に、弾けるようなボレーシュート!ゴールに向けて、パスをした!

 ファイン・サンキュー・ユア・ゴールッ!!


 まだ網が震えてる。ボールがようやく地に落ちて、二、三度跳ねて転がった。

 「やっ…、やっっ、あああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

「おぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

「うわああああああああああああああああっっ!!」

「らああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 誰も言葉は出なかった。動物の雄叫びのような感激が、セレンゲッティの草原みたいな芝生の上でこだました。

 同点!同点!!3対3、同点!!!

 遂に、遂に追いついた!こんなことって、こんなことが現実に起きるなんて!

 立ち上がれないほどの劣勢を、日本が遂にかち上げた。

 土俵際一杯、後半40分、残りたったの5分。

 日本、遂に同点。日本の3点目、同点弾を決めたのは蜂ケ谷玲央!

 これが日本の10番だ。

 跪け、百獣の王ライオンよ!日本のレオが、ここにいる!

 もう誰にも、勝負の行方は分からない!

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