第12話 クォーター・バック
「…クソッ、厄介だな、あいつ。12人いるみてえだぜ」
ゼエゼエと喉の奥で息をしながら、日本代表の4番・MF掛軸晋太郎は右に左に首を振っていた。日本のボランチとして、心臓の役割を担う21歳のレフティーは、これまで幾度となくその射的のようなターゲッティングパスで、相手に止めを刺してきた。現在所属するオランダ・エールディビジ、PSVアイントホーフェンでも同じポジションを任され、そこでは背番号は10だった。
彼が“厄介”と評したのは、先ほど投入されたばかりのブラジルFWジスペルタドールのことだ。FWとして出場してきたというのに、ポジションが決まっていないかのように、自由かつ縦横無尽に走り回る。それが闇雲なら幾らでも対処のしようがあるのだが、ジスペルタドールの動きは、的確だった。
アメリカンフットボールを、掛軸は殆(ほとん)ど観戦したことがない。
楕円形のボールが歪(いびつ)な跳ね方をすることが、気に食わない。彼は几帳面な性格で、思ったところに思った通りボールが飛んでいかないことが許せない。
それはこだわりであり、プライドでもあった。
背番号10に対する、人並み外れたこだわりもある。一学年上のMF蜂ケ谷玲央とは、お互いを幼少期からよく知る間柄であり、常に仲間でありライバルだった。アンダー世代の日本代表として、何度も遠征を共にする中で、彼らはいつもしのぎを削ってきた。
今の日本代表では、蜂ケ谷が左サイドハーフ、掛軸がボランチを担う。だが二人は例えポジションが入れ違おうとも、同じだけの活躍が出来ると豪語する。それだけ技術があり、戦術理解度も高いのだ。
これまで何度背番号がチェンジしたことか。
14歳の時も、16歳の時も、19歳の時も、毎回のように蜂ケ谷と掛軸は自分が背負う番号を巡り熾烈に争った。俺が10番じゃなきゃ試合に出ない。そんなことを監督に直訴したこともあるそうだ。ただそれは本気というより、戯れでもあった。
私が掛軸晋太郎を初めて今の代表に呼んだ時、彼は大胆にも10番を要求してきた。何のために?と私は聞き返した。
「なんでって、そりゃあ…」
きょとんとした目で、掛軸は私を見返した。即答し、主張してくるものだと高を括っていたが、こいつは10番に固執しているのではないということを、私はその表情から見抜いた。
「10番はエースナンバーだし、どの国でも注目されるでしょ。俺はPSVでも10だし、ずっとこだわってきたし」
注目。要するに、自分にプレッシャーを掛けたいタイプの人間なのだ。そうすることで成長する、生まれ持っての求道者だと私は決めつけた。彼は期待されることで、自分の限界以上の力を発揮する。ならば番号など本来どうでもいい筈だ。
「私はお前に10を与えるつもりはないよ」
「はっ?なんでだよ?」
「必要なのは“10番にこだわって、それを背負えないならパフォーマンスを落とす”ような掛軸晋太郎じゃなくて、痺れるようなロングパスで相手の戦意を喪失させるような、そんな掛軸晋太郎だからだ」
背番号でサッカーはするものじゃない。認め合うライバルに負けたくない気持ちは分かるが、重要なのはそんなことではない。
「私には掛軸、お前の才能が必要だ。日本代表のワールドカップ初優勝。お前はそこで、チームの舵を決めるんだ」
私は、アメリカンフットボールをあまり見ない。だが、花形となるポジションのことは知っている。
クォーター・バック。
コート上の監督であり、味方を活かすも殺すも、勝利の鍵も何もかも、クォーター・バックが握っている。アメフトにおけるタッチダウンは、クォーター・バックからの針の穴を通すようなパスによって生まれる。そんなQBには、決まった背番号がないことも、アメフトの特徴だった。
背番号が彼らを突き動かすのではない。最高のプレイを示した者の背番号が、伝説として語り継がれるのだ。
中盤の底に位置し、ピッチ全体を見通す目。攻撃も守備も必要なことを遂行し、勝利のためにチームを導く。特に視野に関して、掛軸の持つ鳥瞰(ちょうかん)能力は、他の追随を許さない領域だった。瞬時に人の動く流れの未来を予測し、他者の二手、三手先を読む想像力。私は敢えてサッカーにないポジションを用意する。クォーター・バックこそ、世界のサッカーのトレンドを揺り動かす存在になる。
事実、掛軸はこの試合、嫌というほどロングゲインを蹴り込んだ。時折混ぜるブレットパスも要所要所で効果を発揮してきたが、彼の真骨頂である超長距離と言われる50メートルから60メートル級のパスに、観客たちは金を払うのだ。
時に自陣深くで守備に回り、DFたちの負担を減らす。時に前線に走り込んで扇の要を担い、パスの潤滑油となる。運動量はおそらく掛軸がいちばん多いだろう。彼は頭が良く、それでいてタフだった。
また通す。スタンドからは歓声ではなく、嘆声が漏れる。それほどまでに掛軸の蹴るボールは美しい。FW能美水流、羽山翼、MF柳井祐希、蜂ケ谷玲央、新藤司沙、DF鈴木駿、橋本渚。そのそれぞれに流す長短のパス一本一本が、まるで洗練された絹のように滑らかで、デスストーカー(サソリ)の針のように鋭かった。
そんな彼の、精密機械みたいなパスを、ジスペルタドールが先読みする。入れたい場所に通せない。そのことが掛軸の几帳面な性格を逆撫でしていく。
だがそれは、ブラジルの攻め手の一つである、ジスペルタドールを封印することにも繋がっている。
彼を守備に回らせていれば、ブラジルの攻撃は単調になるはずだ。前線でFWロ‘レックスが孤立すれば、日本にとってそれは追い風となる。ブラジルの2点目を挙げたコントラジシオも、今では守備陣に吸収されているからだ。
もっと入れろ。もっと狙え。ブラジルを走って走って走って走って、走り死ぬまで走らせろ。
サッカーはボールと人が動くスポーツ。よく言われる言葉に、『人が走ると汗を掻くが、ボールは走っても疲れない。だからボールをよく繋ぎ、敵を走らせろ』というものがある。
自分たちが主導権を握っている時、攻めている選手たちは疲れをあまり感じない。しかし守備で走らされている状況というのは、目に見えない疲労との戦いでもある。
いつも強く、王国として屹立するブラジルは、“走らされる”ことに慣れていないはずだ。
思い通りにパスが回らないことに苛立つ掛軸だったが、チームメイトからの拍手や、「OK!」という声掛けで、少しずつ冷静さを取り戻していた。サッカーは11人対11人で行うスポーツ。12人いる訳はない。落ち着いて注視しろ。必ずどこかに歪(ひず)みが生まれる。
そこに、人生最高のパスを一本刺してくれ。
最前線で、羽山翼が呼び込んだ。掛軸に強烈にアピールする。大きな声にDFニッキートンが引っ張られる。
だ(・)が(・)掛軸(・・)は(・)、それ(・・)を(・)見過ごした(・・・・・)。
いや、チャンスはまだある。羽山が動いたスペースに、フリーになった能美水流が走り込む。DFポピットが猪の如く突進する。ここは絶対行かせない!
だ(・)が(・)、掛軸(・・・・)は(・)それ(・・)も(・)見逃した(・・・・)。
「じゃあ、4番ください。4番なら問題ないでしょ?」
はて、好きな選手でもいるのか?私は10番を諦めてくれた掛軸に、他に希望する背番号はないかと聞いてみた。攻撃の選手が次に付けたがる人気の番号は、概ね7か8。けれど返ってきた答えは、意外なものだった。
「4?誰か憧れの選手でもいるのか?」
彼はにやりと微笑んだ。まるでいたずらっ子のように。
「俺がチームの舵を切るんですよね?なら航海士は俺だ。羅針盤って方位磁石みたいなものでしょ。俺が指した方角に、日本のゴールがきっとある」
左手でピース、右手の人差し指を立てて、掛軸はそれを重ね合わせて、一つの数字を象(かたど)った。
『4』
東西南北を示す、方位記号を作り上げ、満足気に頷いた。もし「舵取り」の話をした、さっきの今でこのことを思いついたのなら、なるほど流石の発想力だと感心した。
やはり、日本の針路を任せるに相応しい男だと、私は彼に確信した。
サッカーは11人全員でやるスポーツだ。そこに優劣はなく、エースもいれば黒子もいる。それぞれがそれぞれの役割を全うした時にこそ、チームは化学変化し、世界がそれに魅了される。
エースもいれば、黒子もいる。そして、“花形”こそがチームを救う!
「ハァハァ…、心配すんな、世界中のFavoriete Voetbal(サッカー狂)。俺は航路を見落とさない…」
呼吸が停まりそうだった。誰よりも走り、誰よりも頭を使ってプレイした掛軸は、ここが限界だった。
羽山と能美がせっかく作ったチャンスを不意にした形の掛軸晋太郎に、観客席から落胆と罵声が浴びせられた。それほど分かりやすい決定機だった。ほんの1、2秒の刹那だが、負の音を発する大衆の率直で底意地悪い叫び声は、掛軸にも届いていた。
この(・・)まま(・・)終われば(・・・・)、な(・)。
この日通した、掛軸晋太郎最後のライジングサンズ・パス。
その意味が分かるか、観衆よ。俺はもう走れない。これ以上は走れない。だから最後の力を振り絞り、あいつにパスを届けよう。
2対3。後半もう40分くらいか?目を閉じる。目を瞑る。暗闇だ。負けたらもっと漆黒だ。追いつきゃきっと、日が昇る。
日本の明日に、日が昇る!
さっきまで「ああああああああああ…」と悲劇に顔を覆ったサッカーファンたちが、今度は「おおおおおおおおお!」と目を剥く。
掛軸は時間を作っていた。羽山は空間を作り、能美はブラジルに隙間を作っていた。
普通、ここまでパスは待てない。
これだけ逼迫した状況で、幕切れが迫る危機の中、掛軸晋太郎が見せた、英雄のような懐の深さ。
出すのを我慢して我慢して、ようやく見えた一本の希望の光。
日本代表の心臓、針路を決めるクォーター・バックが撃ち込んだのは、彼の最大の友であり、永遠のライバル・蜂ケ谷玲央へのパスだった。
決めなきゃ、二度とお前に渡さねえ…!
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