第七話 悪の軍

董壊軍は北上して紅布の軍勢と戦った。

その戦いぶりは林沖を憤激させ、俺でも嫌悪を覚えるやり方だった。

捕虜を最前列に出し、同士討ちをさせた。そして、後ろから捕虜もろとも敵兵を槍で刺し殺し、矢で射抜いていった。

俺と林沖も参戦していた。避難民の身柄を董壊に押さえられ、彼らを守るためにも従うしかなかったのだ。

董壊兵の四度目の笑い声が響き渡る。捕虜の一人が足を滑らせて地面に転がって倒れその上を、董壊軍の騎馬兵がわざと踏み付けてみせ、頭を潰したのだ。

まるで曲芸を披露したかのように、騎馬兵は槍を振り回して味方に自分を見せつけている。


「あいつらぁ............ッ!」

「林沖ッ!駄目だ!」

「なんなんだ......あいつらはなんなんだ......!」


蛇矛を大地に突き刺して、林沖は悔しさを噛み締めた。

ここまで来る道中においても、董壊軍の所業を何度も目にしてきた。

無辜の民の村を気まぐれで襲い、肉や魚、麦や酒を奪い、家を焼き、男を殺し、女を犯した。

俺と林沖は幾度となく董壊を諌めたが、聞き入れられることはなく、彼らは平然と余興を楽しんだ。

道中の間、俺は眠れなくなった。悲鳴や死んだ者達の顔が瞼に焼き付いたからだ。それに、林沖に向けられる董壊兵の邪な視線。隙を見せれば、彼らは躊躇なく襲い掛かってくるだろう。おかげで極度の睡眠不足だ。


「七夜……私はもう我慢できない。いや、したくない」

「林沖…..」

「父上は朝廷を正そうとしている。それなのに私は董壊を前に耐え忍んでいる。これは正しいと思うか?。怒りに震えているだけの私は、歩けぬ案山子と同じだ」

「まがりなりにも董壊は将軍だ。斬れば、死罪に問われる。それでも、いいのか?」

「意志を貫けない方が酷だ」

「忘れるな。君は林家の姫君だ。いずれ林家の跡取りを儲ける義務がある。血筋を途絶えさせるつもりか?」

「……姫君、か。私が死んだとしても、林家に連なる他家から跡継ぎをもらえばいい。私だって、直系の姫君というわけじゃない」

「小倩は?。彼女は心から悲しみ、傷つくぞ」

「…………………………………..」

「そして、俺はそんな真似はさせない。絶対に。林江様のもとに無事、林沖を連れて帰る。たとえ、君に恨まれたとしてもだ」


俺は、新月刀の柄に手を乗せた。

純粋な武の強。俺は林沖には及ばない。彼女は天賦の才を備えている。凡人には届かない、強者の器だ。

それでも、時間稼ぎはできる。手段を問わず、道理を捨て去れば。

林沖は空を見上げた。音もなく、蛇矛を地面から引き抜く。ゆらりと陽炎が揺れたように、彼女の身体が揺れた。


「…………すまない。七夜」

「俺の方こそ。力になれずにごめん」


蛇矛と新月刀。

刃が上に持ち上げられた時、馬のいななきが俺と林沖の腕を止めた。

董壊軍の前列が打ち崩されたのだ。敵軍に変化があった。『天公将軍』と大書された旗を押し立てた紅布の大軍が眼前の山野を埋めて潮の如く追い迫っていた。

しかし、それ以上に俺の目を引いたのは別の騎影だった。数は百かそこら。気勢が溢れていた。

馬を飛ばし軍勢を率いて討って出たようだ。おりしもクィントゥスは董壊の軍勢を斬り立て突き立て勢いに乗って追い討ちをかけていたが、思いもよらぬ軍勢に横合いから討って出られ、真っ二つに軍を割られた。

そして散々にかき乱され、遂には五十里余りも敗走したのだった。


「...........あれは.....まさか.......」

「劉星殿達だ」


まさか、こんなとこで再会するとは想像もしていなかった。

それにしても大した戦いぶりだった。劉星は二振りの剣を見事に使いこなしていた。不比等は豪快に、徹底的なまでの力技で敵兵を斬り飛ばしていた。そして、ハミルカルの青龍偃月刀を振るう研鑽された技は思わず喝采を上げたくなる程だった。

三人は敵軍を打ち破ると、速やかに馬を董壊のいる陣に向けた。

俺と林沖もまた、同席すべく陣に急いだ。


「何者だ」

「私は劉星と申す者。後ろの二人は我が義弟の不比等とハミルカル。義勇兵を募り、賊軍と戦っております」

「義勇兵だと?」


李縛は鼻を鳴らした。

不比等の顔が不機嫌な色に染まる。小馬鹿にされたと受け取ったのだろう。


「お前達の官職は何だ?」

「無位無官です」

「なに?」

「まだ何の官職もいただいておりませぬ」


どっと陣に居座る将兵から嘲笑が起きた。

笑っていないのは董壊だけだ。董壊は目を細めて、掌を返したようにすげなく劉星を扱った。

劉星も一礼して、陣を引き退がった。俺達も一部始終を見届けると、陣を出た。


「なんだあっ! 俺達が命を投げ出して助けてやったのに、無礼にも程がある!。あの野郎を叩き斬ってやらないと腹の虫がおさまらねぇぞ!」


蛇矛を掴み取り、髪や髭を怒りで逆立たせた不比等は本陣に乗り込んで董壊を殺そうとする。

董壊の目には英雄が映らないのか。この時において、不比等はすでに快漢であった。


「お三方、お久しぶりです」


俺は手を合わせて三人に声をかけた。


「七夜殿に林沖殿。まさかこんなに早く再会するとは」

「はい。想像もしていませんでした。ただ、こうしてお会いできてよかった」

「それはいったい?」

「不比等殿。董壊を斬ってはなりません」

「あんだとっ!?」


大口を広げて怒鳴る不比等は全く大虎だ。


「董壊殿は朝廷が任じた将軍です」


董壊。隴西郡臨洮の人。官は河東郡の太守をつとめる。

この男の傲慢さは比類ない。短い接見で人となりを理解した劉星はハミルカルとともに激昂する不比等を引き留める。


「弟よ。彼は大帝國の役人だ。やたらなことをしてはならない」

「兄者よ。あいつを放っておいて奴の下で働くなんて俺にはできねぇ。兄貴たちがここにいるなら、俺は俺で勝手に出ていくまでだ」

「何を言うかと思えば。我ら三人は生死を誓った仲ではないか。離れたりはできん。兄上、一緒にここを立ち去ろう。ここは我らの寄る辺ではない」

「そうしよう」

「それなら俺の腹の虫もいくらかは収まるってもんだ」

「よければ、私達も同行させて欲しい」


林沖は董壊軍に従わざるを得なかったわけを話した。

話を聞いた劉星は、ならばと避難民を引き受けることを約束した。


「我々は青儁(チン・ジュン)殿を頼ろうと思う。賊軍と戦っており、味方を欲していると聞いている」

「なるほど。いい判断です」

「ならとっととに出て行こうぜ」


かくして我々は手勢を引き連れて立ち、青儁を頼って行ったのだった。




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