第六話 魔王のごとく

戦場を回避しながら、俺と林沖は大きく北上する形で迂回しつつ、王都を目指して歩き続けた。

山野をかきわけて進むうち、林沖がはたと足を止めた。


「どうしたんだ?」

「何か、悲鳴が聞こえるぞ」

「悲鳴? ここは戦場が近い。そのせいじゃないか?」

「いや、これは兵の声ではない。もっと弱い……民草の叫び声だ!」


蛇矛を握り、林沖は山野を駆け出した。

俺も急いで林沖の後ろを追いかける。進めば進むほど、なるほど、確かに悲鳴が聞こえる。

しばし遅れて、山野を抜けると、すでに林沖が蛇矛を振い戦っていた。相手は紅布の賊かと思いきや、鎧兜をつけた兵士達。数は八人。そのうち三人はすでに血を流して地面に転がっていた。


「お前達、官軍の者か」

「おい、気をつけろ。この女、なかなかやるぞ」

「将は誰だ? 配下にこのような狼藉を許すとは」

「囲んで押し倒すぞ。くれぐれも殺すなよ」

「あぁ。こいつはとんでもなくいい女だ。こんな特上の玉、逃がしてやるもんか」

「合戦前の景気づけだ。存分に犯してやる」

「……………下衆が」


二人の兵士が剣を振り上げて斬りかかる。

蛇矛が横に振り抜かれた。速く。鋭い。強烈な衝撃で剣を弾かれた二人は、瞬く間に利き腕を斬り落とされた。

残る三人が林沖の死角から飛び掛かる。彼らの顔に笑みが浮かぶ。勝利を確信した笑みだ。

だが、それは勘違いというものだ。遅れて参戦した俺は、新月刀を抜き、背後から二人の背中を斬りつけた。手応えは十分。盛大に血潮を吹き出して二人は地面に倒れ伏す。

最後の一人は背後からの奇襲を予測していた林沖の回し蹴りで顎を打たれ、身動きできなくなった。

正直、俺が助太刀しなくても林沖は兵士達を鎮圧していただろう。それでも不慮の事態というものはある。彼女が無事な事に、俺は安堵した。


「林沖」

「こいつらは避難民を襲っていた。官軍だと思うが、見慣れない奴らだ」


林沖の言う通りだ。

鎧兜は大帝國の兵士に支給された標準装備だ。ただ、毛皮を縫い付けるなど派手にアレンジされている。

ただ、どこかで見た記憶がある。俺は記憶を掘り出そうと考え込む。


「あ、あの………」


その時、一人の妙齢の女が話しかけて来た。

服が乱れており、所々が破れている。それを腕で隠すようにして立っていた。

周りをよく見れば、他にも数十人以上の老若男女の姿があった。


「………….さきほどの兵に辱められるところだったんだ」

「……………そうか。なら、俺は離れておく」

「そうしてくれ」


林沖が女に声をかけ、俺は言葉通り、少し距離を取って離れた。

周囲の警戒は怠らない。死んだ兵士は脱走兵には見えない。きっと、近くに彼らが属する隊、軍がいるはずだ。

林沖が先を急がず、女と話しているのは、同情心だけではない。仲間の死体を見つけた兵士が何をするか分からない。少なくとも、規律か守られた兵士の集まりとは考えづらいのだ。

俺は死体の一つを丹念に調べる。持ち物や腕や足の刺青など。しかし、特徴を示すものは何もない。

しか、やはり覚えがある気がしてならない。鎧に縫い付けられた毛皮を手に取る。猪の毛皮だ。そう珍しくもない。虎の毛皮ならさぞ価値はあっただろう。


「...........虎.......?」


脳裏にある記憶が浮かび上がり、俺は背筋が凍った。

そうだ。こんな格好をした連中を一度、王都で見た事がある。その時も騒ぎを起こして、居合わせた林江様達と制圧したのだ。


「まずいぞ.....」


俺はすぐに立ち上がると、林沖に走り寄った。


「なんだ?どうした?」

「こいつらの正体が分かった」

「なに?」

「こいつら.....辺境の連中だ。着ているものは涼州出身者に似てる。だとすれば、こいつらは涼州の兵だ」

「涼州の兵がなぜこんなところにいる。乱が起きれば、辺境に対応しなくてはならない。まして、涼州はたびたび叛乱が起きる不安定な地だ。まさか動くはずがないだろう」

「涼州に駐屯している軍事指揮官は何人もいるが、一人、獲物を狙う鷹の目を持っている奴がいる。そいつは何年も時勢を伺って都に上がろうと企んでいる」

「誰だ?」

董壊ドン・ファンだ」


くそ。こんな場所で不吉な予感が当たるとは想像もしていなかった。

林沖は本当に知らないのだろう。顔を傾げているだけだ。俺は違う。正直に言ってしまえば、すぐにでもここから立ち去りたい。あの男と会うなど御免だ。


「とにかく、ここからすぐに離れ」

「あ、あれは.....」


女が青ざめた表情で全身を激しく震わせた。

一息遅れて、俺もそれを見て、思わず言葉を失った。

数百人の馬と跨る人の群れ。それはいい。そこまでは軍勢の威容だ。ただ、馬の首に下げられた男女子供老人の生首。馬の胴に結びつけられた縄の先には、頭のない死体が結びつけられ地面を引きずられている。中には、手足が千切れたものもあった。さらにその後ろは、捕虜だろうか、痩せ細った者達が呻き声を上げながら引きずられるように歩いていた。

旗に描かれた董の一文字。遅かった。俺は唇を噛み締めるしかなかった。

董壊の軍勢は地面を削るように歩を進めた。風を切るどころか、風を砕く尖った岩石だ。


「我が兵の屍が転がっておる」


先頭の大男が手ぶりを加えながら叫んだ。

外見は例えるなら、アル・パチーノに似ている。その巨躯は迫力に満ち満ちており、素肌に鎧を直接、着ている。上に羽織るは虎の毛皮だ。

見るのは初めてだが、俺は理解した。こいつが、董壊だと。


「殺したな? 殺したのであろう?」

「正当防衛だ」

「ならば男は殺し、女は犯す」


董壊は淡々と告げ、右手を上げた。

董壊軍の兵が武器を抜いた。林沖も蛇矛を身構えた。まずい。これはまずい。

俺は心の中で自分を叱咤して、董壊の前に踏み出していた。


「董壊将軍とお見受けします。私は大帝國禁旅旗が大将軍・林江の門弟、七夜と申します。隣にいる娘は林江様の御息女、林沖です。どうか、剣を抜かずにおいて頂きたい」

「七夜!?」

「林江大将軍の一族だと?」

「死んだ兵は避難民を襲っていました。将軍の兵だと知らずに斬った御無礼、どうかお許し下さい」


強烈な緊張感を抑え付けながら俺は董壊の言葉を待つ。

もし、これで駄目ならせめて林沖が逃げる時間だけでも稼ぐつもりだ。せいぜい、大暴れしてやる。


「李縛(リー・フー)」

「は」


後ろに控えた側近の武将の名を呼び、董壊は八人の兵の死体を指差して言った。


「あれは人か。犬の餌か」

「犬の餌ですな。不幸にも今は犬をつれておりません。野犬にくれてやりましょう」

「犬はおる」

「んん? ..........あぁ、なるほど。閣下の申される通り、痩せ細った犬共がおりましたな」


李縛は捕虜達に目を向けて、ニヤリと嗤った。

不穏な会話を耳にした俺は、想像してしまった。とても非道で悪魔のような所業を。


「生きている捕虜を連れて来いッ!」

「お待ちください! 何をするつもりで.......」

「大将軍・林江の縁者がここで何をしていた?」


遮られる。董壊その人に。

その間にも生きている捕虜達が後ろから引っ張り出されてくる。

女が恐怖でへたり込んだ。他の避難民達も恐怖で顔をひきつらせた。


「......大将軍の命を受け、各地の情勢を調べておりました」

「禁軍を動かすと?」

「いえ。あくまで大将軍の個人的な命令です。故に、兵士ではなく一門の者が選ばれました」

「娘を斥候に使う度胸を推し量れば、それだけではないと見る。大将軍の思惑は天のみぞ知る。この董壊は知らずともよいと言うか?」

「嘘偽りは申してません」

「この董壊を欺くつもりか?」

「断じてそのようなことは」


一言一言に重圧がかかる。

前面の董壊だけじゃない。背後からもだ。林沖の気配が強く硬く、鋭利な刃のような視線をびりびりと感じていた。隠す気はないようだ。

潔癖で一本気な気質の林沖にはこの手の誤魔化しは出来ない。代わりに俺がやるしかない。武力では生き残れない。交渉で、生き残るのだ。


「さらに問う。貴様は........」

「将軍。そろそろ始めますぞ」


李縛の言は全ての捕虜が集まった事を告げた。

詳細な人数は分からない。なれど百人以上はいる。李縛は剣を抜いた。捕虜達が怯えた声を上げる。


「見ろ! そこに肉がある!。新鮮な肉だ!貴様らが口にできない食い物だ!」


八人の死体を剣先で指し示して李縛は悪魔の囁きを告げた。


「あの肉をやろうッ! 存分に食え! 早い者勝ちだ!ぐずぐずしていれば他の者に奪われ食われるぞ!」


何の肉か問わずとも聞かずとも分かる。

見れば明らかだ。あれは人の肉だ。捕虜達は激しく動揺した。躊躇もした。しかし、空腹は極限の状態に達していた。

人は時として忘れる。忘れることができる。捕虜の一人が走り出した。二人、三人と続き、遂には全ての捕虜が走り出した。

最初の一人が、死体の肉に齧り付いた。二人、三人。あっという間に倍の数の捕虜が群がり、肉に手が届かない者達が、同じ捕虜を攻撃し始める。

李縛は高らかに笑う。董壊軍の兵も大合唱するが如く大笑いだ。

何て光景だ。正直、見ていられない。俺は董壊の視線が捕虜達に向けられている間に、林沖へと走り寄った。そして腕を掴んだ。強く掴み、話すつもりはなかった。

林沖は抵抗しなかった。俺は、林沖の腕が怒りで震えている事を悟った。

あぁ。耐えているのだ。こんな暴虐を目にして、怒りの矛を振えない自分に怒っているのだ。


「........すまない......林沖.......」

「言うな。私とて、立場は理解している。私達だけなら刃向いもしようが、助けた避難民の者達のことを考えれば」

「あぁ.....慰み者にされかねない。董壊軍は人を人とも思っていないようだ」

「まさに悪逆.....こんな連中が官軍などと.....」


阿鼻叫喚の捕虜達の獣と化した姿。

悪は目の前にいる。巨大で強烈な、董壊という悪の器。

俺は確信する。董壊を都に入れてはならない。間違いなく、奴は蹂躙するだろう。そして凌辱の限りを尽くす。

幾多の鳥よ。人々に報せてくれ。幾多の地を這う牙持つ獣よ。お前達より恐ろしいものがいると慄かせてくれ。

人々よ。知る前に逃げろ。知れば最後。董壊に犯し尽くされるぞ。

未来の慟哭を聞いたような気がして、俺は身震いするのだった。


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