第四話 三兄弟

「初めてお目にかかります。私は林沖。貴殿を劉星殿とお見受けいたします」


林冲は五人の中で真っ先に挨拶を口にした。

俺も林沖に続いて挨拶する。劉星らしき人物は一歩前に出ると、同じように挨拶を口にした。


「これは痛み入ります。確かに私は劉星です。林沖殿に七夜殿。このような夜更けにも関わらず我が家に何の御用でしょうか」

「我が父の命を受けて、劉星殿にお会いしたく訪ねて参りました。ところで、後ろのお二方はどなたでしょうか?」

「これは失礼。左にいるのは我が義弟、橘不比等。右にいるのが同じく義弟のハミルカル・バラクです。少し前に桃園にて義兄弟の盃を交わした義兄弟です」

「.......義兄弟.....ですか?。失礼ですが、秦氏はたうじとカインの末裔の方と見受けられますが」

「その通りです」


困惑する林沖に劉星はいたって平然と答えた。

これには俺も驚いた。三民族の義兄弟など聞いた事もない。なんて怖い者知らずなのだろう。勇猛な林沖でも、同じ真似はできないだろう。これはそれだけ勇気のいる行動なのだ。


「おいお前。その言い方はなんだ。気に入らねぇってのか?」

「ムッ.........」

「申し訳ありません。林沖に代わって謝罪します。お許し下さい」


喧嘩腰な橘不比等に剣呑な表情を浮かべた林沖の心情を素早く察した俺は割り込んで謝罪の言葉を告げた。

劉星も義弟の言葉を嗜めて、非礼を詫びた。やれやれ、寛大な人柄で助かった。


「では狭いですが我が家にお上がりください。たいしたものはお出しできませんが」

「いえ。できれば家の中でなく、桑の木の所でお話を死せて頂きたい。これは危急の使命なのです」

「分かりました」

「俺も話を聞くぞ」

「兄上。私と不比等も同席致します。私はこの者達を信用した訳ではありません。兄上を守る者がお側にいなければなりますまい」

「構いません。隠す事ではありませんから」


ジロリと横目で林沖に睨まれる。

仕方ないだろう。この偉丈夫二人の不興は買いたくないのだ。


●●●


俺は順を追って説明した。

まずは俺と林冲の詳しい素性からだ。我々は林江の縁者であった。

大帝國一の武名を問うなら、何者が最も相応しきか。その問いに真っ先に名が挙がる人物、その人物こそ、林江。大帝國禁旅旗の大将軍にして、武芸十八般の総師範に任命されている偉丈夫。

俺にとっては命の恩人であり、林沖にとっては叔父にあたる。

そんな林江から俺と林沖は密命を受けた。国家の支柱が腐敗に侵されている危機を見過ごせなかった林江は、十常寺達によって追放された尽忠の臣を訪ねて協力を乞う使命を二人に託したのだ。

本来は林江自ら旅に出る考えだった。しかし、彼が朝廷を離れる事は今や数少ない十常寺に対抗できる人物を欠くということ。それは不可能だった。

そして、三か月前。俺と林沖は王都・軒轅を出立した。旅は順調だったが、成果は無いに等しかった。

訪ねて回ったかつての忠臣達の多くは、追放後に病を得て世を去っていた。中には不審な死を遂げた者も少なからずいた。

存命な者も数人いたが、俗世を捨て隠者の暮らしをしていた。彼らは協力を拒み、陰陽の真髄を探求する余生に満足していた。

そして旅路も終盤。林江と最も親しく頼もしい忠義の臣、劉丹を訪ねてきたのだ。そして今、その息子、劉星と対面が叶ったのだ。


●●●


「なるほど。林江殿は国の腐敗を憂い、立ち上がろうとされていると」

「そうです。その為には志を同じとする同胞が、仲間が必要です。十常寺を討ち、皇帝陛下に直言し、真の臣を朝廷に上がらせる。それが、国を救う唯一の道です」

「唯一、ですか」


劉星は悩ましそうに呟き、夜空を見た。

彼もまた国の腐敗を憂いているのだろう。しかし、劉星という人物は見方が異なっているように俺は感じられた。


「林江殿は噂に違わず真の武人と見た」

「へ、面白れぇじゃねぇか。おい兄貴! 俺達も加わろうぜ!。そうすりゃ大暴れができる!」

「不比等。暴れるなど滅多な事を言うものではない。……林沖殿」

「はい」

「父、劉丹についてお答えいたします。……残念ながら、父はもう生きてはおりません」

「な!?」

「一年前のことです。帰り道、賊に襲われ手傷を負いました。本来なら命に係わるほどの傷ではなかったのですが、賊は狡猾でした。刃に毒が塗り込んでありました」

「そんな」

「死の際まで国の行く末を案じておりました。『我が友、林江。しばし待て。必ずや駆け付ける。共に国の為に戦わん』と叫び、死にました。父は最後まで尽忠の士でした」

「そんな」


林沖は深くうなだれた。

無理もない。林江にとって最も信頼のおける無二の旧友が亡くなっていたとは考えてもいなかった。

それにしても賊に殺されるとは。俺の脳裏に違和感が生まれる。劉丹は八旗軍の将軍を任された程の方だ。賊に後れを取るとは思えない。それに毒を仕込むやり口。ただの賊とは考えにくい。


「劉星殿。御父上を襲ったのは本当に賊だったのでしょうか?」

「七夜殿の疑念はもっともです。私も同様に考えました。父上は老いてなお、武技は一流。技の冴えは衰え知らずでした。恥ずかしい話ですが、私も一度として勝てずじまい。そんな父上が賊に後れを取るなど、未だに信じておりません」

「…………先手を打たれたと、お考えですか?」

「確たる証拠は見つけられませんでした」

恐ろしきは十常寺というべきか。

それだけ手練れの刺客を放てる存在は限られている。まして、武芸達者の劉丹を殺せる者となれば、尚のことだ。

劉星も父の仇を討ちたいと懸命に探したのだろう。

だが、結果は語るまでもない。足跡すら見つけられなかった。ただ、疑惑だけが残るままだ。


「こうしてはいられない」

「林沖?」

「すぐに父上のもとに戻らねば」

「いや、まだ訪ねなければならない人が…….」

「父上の御身が兇刃に晒されているのかもしれないのだぞ!。小倩だって、いるんだ…….!」


林江様が刺客に倒れる姿は想像ができないが、小倩は違う。

あの幼い娘は無力だ。ただ、身に棲みついた檮扤(とうこつ)はどうだ。小倩になにかあれば、あれが暴虐の限りを尽くして暴れ回るだろう。


「………分かった。都に戻ろう」

「……すまん」

「わざわざ訪ねてもらいながら、力になれず申し訳ない」


丁寧に頭を下げた劉星に、俺は徳の高さを見た思いだ。


「劉星殿」

「何か?」

「もしよければ共に都に来てもらえないでしょうか?」

「私が都に?」

「劉丹殿に代わり、林江様の同志として共に戦って頂きたいのです。世の乱れを正すには劉星殿のような方が必要なのです」


要請ではなく懇願だった。

俺は劉星という人物の器の大きさを垣間見た。彼は、いずれ大帝國を動かす宿星のもとに生まれた漢だと直感したのだ。

バンッと両の拳を叩きつけて豪快に笑うのは不比等。


「行こうぜ兄貴! 国のど真ん中に乗り込んで悪党どもを皆殺しにしてやりゃあ万事解決! 世は太平だ!」

「不比等の言う通り。天が兄上を選んだのだ。国を救うのは兄上しかおらぬと」

「私からもお願い致します。父上の力になって頂きたい。悪漢の巣窟である宮中で父上は孤軍奮闘しております。正直に申し上げると、父上に味方らしい味方はおりません。元々、腕一つで出世した身。父上に非は無くとも、周囲は嫉妬を隠さず疎まれています。敵は多いのです。どうか、我等にご同行を」


拝礼する林冲の姿は必死なものだった。

その気持ちは痛いほどわかる。

四十年近く生きてきて、誰も信用してこなかった俺が、人生で初めて心から尊敬し信頼できたのが林江だ。

林江の為なら少しでもできる事があれば力を尽くす。

劉星は直立不動のまま、沈黙する。



「林沖殿。七夜殿。お二人は天命をご存知ですか?」

「天命?」

「空に浮かぶ星々は人間の天命を語るもの。師から星読みの術を学んだおかげで、私も少なからず星から天命を読み取ることができます」

「……………………….」

「今日、私は生涯で得難い二人の義兄弟。ハミルカルと不比等。命よりも重い二人の弟を得ました。これは正に我等三人の天命がはからずも動き出した事を意味します」

「では、我々と都に参る事も天命でしょう」

「いいえ。我ら三兄弟が都に入るには機が熟しておりません。時を違えれば成すべき事も成せずに一生を終えましょう」

「占星術を疑うわけではありませんが、それは悠長に過ぎませんか? 国を愛する者はすぐにでも立たねばならないのですよ」

「時が来るまで民草を守る為に戦います。それは国を守る戦いでもあります」


意思は強固。劉星は泰山の如き姿勢は変えずに言った。


「な、なぁ。ハミルの兄貴。兄貴はどう考えてんだ?。俺はすぐにでも蛇矛を振り回して、悪い奴らの首を叩き斬ってやりてぇんだが」

「長兄の意に従う。長兄の道は仁義の道。私はその道に惚れ込んだ。ならば、兄上の言う通りにする」

「そりゃあ…….俺もそうだけどよ……」


不比等は都で暴れる欲求を抑えきれずに表情を歪ませていたが、突如、大声を上げて蛇矛を振い上げ、近くの岩を叩き割った。


「一体、何を」

「これで我慢してやるってんだ! 国を貪る悪党どもが! 覚悟してやがれっ! いずれ不比等様が必ず本物の首を刎ねてやるからなあッ!」

「………………….豪気なものだ」

「余人にはない、不比等の雄たるところです」

「我らの誇らしき義弟だ」


劉星とハミルカルは顔を見合わせて笑う。

七夜は笑顔で話す三人の姿を見て、ハッとした。

この三人は一体なのだ。三位一体。

一人では駄目だ。劉星を引き込むには不比等とハミルカルも引き込まねばならない。

それは無理だ。俺は至極、無念を覚えた。しかし、縁は結べた。今はそれで良しとするしかない。


「林冲。この先、劉星殿と轡を並べて戦う日が来る。今は、我々が我慢し、その時を待とう」

「しかし……….」

「今は林江様の安否を第一に考えよう。勿論、ご無事だと信じている。だから、一日も早く戻るべきだ」

「…….わかった」


苦渋の顔色を浮かべながら、林沖は三人に対して丁寧に拝礼した。


「いずれ、必ずやお会いしましょう」

「お約束します」

「長兄の誓いは我が誓い。このハミルカルも約束致す」

「俺は勝手にやらせてもらうぜ。ま、悪漢共をぶちのめすのは同じだ。その時は力を貸してやる」

「感謝申し上げます」

「ところで、お二人はここで一夜を過ごされるおつもりですか?。よければ我が家にお上がりください。小さい家ではありますが、客人をもてなすぐらいの蓄えはあります」

「ありがたい申し出ですが、すぐに発ちます」

「こんな夜にかよ。ここら辺は賊が跋扈してやがる。あぶねぇぞ」

「賊を退けるだけの腕は備えています。私も、七夜も」

「山野の狭間に安全な抜け道があります。地元の人間も限られた者しかしらない道です。そこまで我ら三兄弟が同行しましょう」

「しかし、それは」

「せめて客人の見送りはさせて頂きたい。もてなしもせず、見送りもせずでは母に厳しく叱られます」


冗談じみた言い方の劉星に、俺と林沖は苦笑いを浮かべた。


「では、お願いする」

「承知した」


こうして、俺と林沖は劉星と初めての邂逅を果たした。

後に俺は後悔することになる。どうしてこの時、もっと彼を強く説得しなかったのかと。

そうすれば、天命が揺らぐ事は無かっただろう。林沖もまた、そのように語った。

苦い、記憶と成り果てる。それは未来の話である。

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