第4話 謎の男と女神と妖精
「……は?」
あたしは笑うのをやめて、一変して無表情となった顔を男へと向けた。
「いきなり人の背後に現れて、何を言ってるの? 邪神? 勇者? 貴方、頭おかしいんじゃないの?」
あたしは小説家になるために、色々な本を読み漁っていた時期がある。その時に昨今流行りのライトノベルであるとか、明らかにアニメとかゲームっぽい内容の小説を読んでいたので、意外に思われるかもしれないが、そういう話に関する知識もそれなりに持っているのだ。
どうして学校の図書室にそういうカテゴリの本があったのかは謎だけど、その時に得た知識がここに来て役に立っている。
この男の言葉は、そういう系列に属する話なのだということが、すぐに分かった。
それと同時に、こいつは頭がおかしいんじゃないかという疑念が脳裏をよぎった。いくらあたしが知識に関して悪食級の雑食性でそういう夢物語にも理解があるといっても、流石に空想と現実の区別くらいは付くのだ。
邪神に、勇者? この科学技術が発達している現代社会に、そんなものが存在してたまるか。
「あたし、くだらない妄想に付き合う気はないから。貴方があたしを逮捕しに来た警官だって言うなら話は別だけど、そうでないなら帰ってくれる?」
「お前の命令には従えない。私は主人の命令のみに従うように作られているからだ」
奇妙な言い回しの言葉を無感情に吐きながら、男はあたしとの距離を一気に詰めて、あたしの左腕を掴んだ。
手袋越しではあったが、その男の掌は酷く冷たく感じた。全く血が通っていない、例えるなら冷蔵庫に長時間入れられていた食器を触っているかのような感覚だった。
まるで鍛えているように見えない線の細い体から出ているものとは思えないほどに強い力で、あたしは引っ張られた。
あたしはよろけて、男の体に肩からぶつかった。
その瞬間、ほんの一瞬だけ眩暈のようなものを感じて──
──次にあたしが瞬きをした時には、あたしは男と一緒に見覚えのない場所に立っていた。
正確な六角形に模られた白い石が綺麗に敷き詰められた床が、四方何処までも遠くに広がっている。
壁はなく、明るい霧のような白いものが漂っているせいで空間の果てが何処にあるのかは分からない。
頭上には、淡い群青色と紫色の中間のような不思議な色をした空が広がっている。ちらほらと星が瞬いており、そこそこ綺麗な風景だ。
……綺麗な風景だ、とは思うのだけど。
「……え?」
あたしは思わず呆けた表情で、これ以上にないくらいに間の抜けた声を漏らした。
そんなあたしをその場に残して、男は勝手に何処かへと歩いて行く。
彼の姿が霧に紛れてあたしの位置からは見えなくなる寸前のところで、振り向きもせずに、彼はあたしに対してこう言い残した。
「少しだけそこで待っていろ」
そして、霧の向こう側へと姿を消した。
……一体何だと言うのだろう。
彼を追いかけても良かったのかもしれないが、こんな目印も何もない場所で迷子になるのは御免だ。
あたしは男の言いつけ通りに大人しくその場で待った。
そのまま、三分くらいだろうか。
他に観察できるものもなかったのでぼんやりと星空に目を向けていると、先程男が姿を消した方向から、一人の女性が姿を現した。
巨大な布を体に巻き付けただけのような構造の分からない白い服を着ており、足は裸足。髪は若草色で短く癖があり、頭の中心から左右に分けられる形で纏められている。ミロのヴィーナス像、あれを生きた人間として忠実に再現したら丁度こんな感じになるだろうといった風貌だ。もちろん上もちゃんと布を巻き付けただけみたいな服を着ているけど、雰囲気的にはそんな感じである。
ミロのヴィーナス像は失われた手にリンゴを持っていた、なんて一説があるが、目の前のこの女性は右手にリンゴではなく一冊の本を抱えていた。真っ白な表紙の広辞苑並みに分厚い本で、かなり重そうだ。
そして、彼女の横には、信じられないものがいた。
身長二十センチくらいの小さな体に、女性と同じ若草色のセミロングのウェーブヘア。何かの植物の葉を繋ぎ合わせたみたいな服を着て、背中にはエメラルド色に透けた四枚の羽が生えている。羽の形は先端を尖らせたトンボの羽に何となく似ている。
あれって……ひょっとして、妖精?
先程あたしを此処に残して何処かに消えた男はいなかった。
二人(人間でないものをそういう数え方をしていいのかは分からなかったけど)はあたしの姿を見つけると、迷わず傍までやって来た。
「……初めまして。私の言葉が理解できますか? 異世界の勇者よ」
明らかに日本語など話しそうにない外見の女性は、流暢な日本語でそう話しかけてきた。
あたしが頷くと、女性は優しく微笑み、言葉を続けた。
「私はメルティーア。この世界では『豊穣神』として祀られている、大地と植物の象徴たる女神です。こちらにいるのが妖精族のリヴ。私の務めを手助けしてもらっています」
「宜しくね~、カエデさん」
はぁい、と随分人懐っこく手を振りながら挨拶をする妖精、リヴ。
……何で、あたしの名前を知ってるの? あたし、まだ何も喋ってないよね?
半ば面食らった様子で視線を向けるあたしに、リヴは小さな胸を張りながら言った。
「どうして貴女の名前を知ってるのかって? それは、リヴが『鑑定眼』持ちだからなのです♪ 鑑定眼っていうのは、見たものの名前とか性能が詳しく分かる『
まるでゲーム用語みたいな単語がぽんぽんと出てくる。
一体何なの? 此処。あたし、あの男に何処に連れて来られたわけ?
というか、あいつ、いなくなってるじゃない。勝手にあたしをこんな場所に連れてきて置き去りって、一体どういうつもりなのよ。
あたしが眉根を寄せるのを、さっさと役目を果たせ的な意味として捉えたのだろう。状況に付いていけずに困惑しているあたしに対して詳しい説明を何ひとつせず、自称女神とやらは話を先へと進め始めた。
「貴女を此処へ御連れしたのは他でもありません。勇者の素質を持った貴女に、この世界を蹂躙している邪神を討滅して頂きたいのです」
あの男も口にしていた邪神という単語がここで出てきた。
「貴女が元の世界にいる時に、貴女の強い願いの力が貴女に
能力? 何の変哲もないただの日本人である、あたしに?
この話の流れ……嫌と言うほどに見たことがある。
学校の図書室で借りたライトノベルにあった、日本人が急に異世界に連れて行かれてそこで特別な能力を貰って最強伝説を作ったりハーレムを作ったり勝手に畑作って農家生活を送ったり日本料理店を開いて大当たりしたりする話だ。そういう系統の小説には、今メルティーアとリヴが言っていたような『勇者』とか『アビリティ』とか『魔王』なんて存在が結構な確率で登場するのだ。この世界にいるのは魔王じゃなくて邪神みたいだけれど。
この様子だと、魔法が普通に存在していたり魔物みたいな危なっかしい生き物がいたりしそう。妖精が実在してるくらいだし、きっと魔物だっているよね。何かのゲームでは、妖精も魔物と同列視されてたりするし。
まあ、此処がどういう世界なのかは置いといて……あたしがあの男に無理矢理異世界に連れて来られたというのは間違いがなさそうだ。
あたし、勇者になるつもりなんて全然ないのに。
……あのまま学校にいても死体が見つかって警察に追われることになっていただろうから、逃げる必要がなくなったということだけは、感謝してあげないこともないけれど。
あたしは、自分の思うままに自由に生きたい。誰かに命令されて行動させられるなんてもうまっぴらだ。
「どうかお願いです。どうか邪神を討ち果たし、この世界を平和へと導いて下さい。貴女が持つ勇者としての能力が、その奇跡を可能にしてくれるはずです」
「……あたしの能力って、何?」
あたしは尋ねた。
あたしが今此処で聞いている話を信用するかはさておき、テンプレに沿った行動を取ることがこの状況から抜け出す最短の道であると判断したからだ。
あたしの問いにいち早く反応したリヴが、はいはいはいとうるさいくらいに返事をしながら右手を上げてあたしの方へと飛んでくる。
「カエデさんの能力については、リヴが説明してあげるのです! リヴの鑑定眼によると、カエデさんが持っている能力は……『魂喰』という
あたしの全身を観察するように、あたしの周囲をくるりと一回転して目の前に戻ってきて、続ける。
「魂喰というのは、自分が食べた相手が所有している
でも、流石にスルーできない言葉が出てきた。食べるって、何を?
「相手を食べるって、どういう意味?」
「それは、言葉通りの意味なのです。仕留めた魔物を、食べるのですよ。具体的には……その、頭の中身なんですけど~。そこを食べないと、能力を吸収することができないみたいなんです。手とか足とかのお肉じゃ駄目ですよぅ? それだと全然意味がないですから」
「頭の中身……つまり、脳味噌ってこと?」
「まあ、はっきり言うとそういうことなのです……」
脳味噌を食べなきゃならないって、色々な意味で酷い能力だ。地球でも、生き物の脳味噌なんて珍味中の珍味扱いで本当に一部の国でしか食べてなかったよ。
微妙な顔をするあたしに、リヴは慌てて弁明し始めた。
「だ、大丈夫ですよっ! 能力の効果で、生でも美味しく食べられるように味覚が変化してるはずですから! すぐに慣れますよ!」
慣れる慣れないの問題じゃない気がするんだけど。
本当に、自分勝手な連中だ。この女神とやらも、妖精も。
あたしの許可もなく無理矢理此処に連れてきて、強引に勇者呼ばわりして、邪神を倒すとかいう一歩間違ったら死にそうな無茶苦茶な使命を背負わせて。
そんなに邪神を倒したいんだったら、どうして自分たちでやろうとしないのか。貴女たち、まがりなりにも神なんでしょ? 人間のあたしよりも、ずっと凄い力を持ってるんじゃないの?
小説の中の主人公はそれを喜んで受け入れてたけれど、生憎あたしはそんなお花畑思考の持ち主じゃない。
あたしは、世の中というものが弱者に対しては優しくない存在であることを嫌と言うほどに知っている。そして、強者が弱者を食い物にしないと生きていけない愚かな存在であることも知っている。強者が弱者に対して優しいなんていうのは、結局はただの綺麗事、理想論なのだ。実際はそんな人種などいやしない。強者は弱者をいいように支配して操って、自分は高みの見物をしているだけ。そういうものなのである。
おそらく、此処にいる女神たちも同じ。彼女はあたしを便利な存在として思うように動かしたいだけなのだ。だから自分たちで問題を解決しようとしない。これから殺されるかもしれないあたしに対しても、無責任に大丈夫だとばかり繰り返して笑っているばかり。
本当に、腹立たしい。
心の底からあたしに協力しているつもりなら、その誠意を見せなさい。
あたしを無理矢理勇者にした責任として、貴女たちにも協力してもらうから!
あたしは目の前の女神たちに『力』になってもらうことを決意したのだった。
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