第7話 説明
「一応ね、警視総監の代理で来ました。だから今から俺が言うことは、警視総監の命令になる。おわかり?」
早速本題に入ると言ってから、なかなか本題を切り出さない岸谷に、浅倉は苛立ちを感じ始めた。
警察庁長官が警察を束ねるトップで、警視庁トップの警視総監は別のところの偉い人、くらいの認識しかない。階級では「警視総監」が1人しか選ばれないエリート中のエリートだが、警視庁も含め警察全体を配下に置く「警察庁長官」が1番偉いはずなのだが、「警察庁長官」は「警視総監」の一つ下の階級「警視監」から選ばれる。どちらが偉いのか、と言われれば、どちらも雲の上の存在過ぎて感覚がわからない。
そもそも、その「警視総監」の代理だからと言って、岸谷が偉そうにするのも違和感を感じていた。もちろん、岸谷は「警部補」なので浅倉よりも2階級上、それは分かっているのだが、彼には静岡県警本部長が実感できる1番のトップであって、警視庁や他の県警のお偉いさんは、一般企業のサラリーマンにとっての系列会社のお偉いさん、くらいのあまり縁のない存在だ。
浅倉は、この岸谷との距離感を掴めない。
「私の一存では決められません」
浅倉は、遠回しに断ったつもりだが、
「誰かに相談されても困るんだよ。俺は今から、君にある計画を話す。これは君にとってもチャンスなんだ。わかるかな?そして、君には断るという選択肢はないんだよ」
岸谷の口調は、小さい子供を諭すような優しい声だった。その見下した態度が、浅倉を苛立たせるのだ。かといって歯向かう度胸も持ち合わせていない浅倉は、なるべく表情に出ないように、じっとしていた。
カワサキかノムラかわからない男の1人が、岸谷の前に、自然な動作でiPadを置いた。岸谷はその男に振り向き頭を下げるが、男はまた壁際に直立不動の態勢を取り、なんの反応もなかった。
岸谷はiPadのカバーを開き、画像を浅倉に見せた。画像は、規制線の黄色いバリケードテープが貼られ、地面は土、若干の雑草が生えていた、外であることは間違いない。奥に映るブルーシートが事件現場だと物語っている。
「これ、なんの事件か、わかる?」
首を傾げる浅倉に、じゃあもう1枚、といって画面を浅倉に向けた。
「じゃあ、自分でスライドしてみて」
岸谷は自分には画面が見えないよう、浅倉に向けてiPadを立てた。
浅倉が指示された通りにスライドすると、
うわっ、浅倉は思わず声を上げて、手を引いた。
「荒川の焼死体ですか」
「せいかーい!」岸谷は楽しそうに人差し指を上げた。
荒川河川敷のドラム缶の中から、身元不明の焼死体が見つかった、現在身元の確認を急いでいる、と公表されている。
そしてまた画像をスライドさせるよう指示した。
今度は、クスリのような粉の写真。続いて、拡大したのか画質の悪い、男の写真だった。
「今、芸能界を騒がせている『プラチナ』ってクスリ知ってる?要は覚せい剤なんだけど」
浅倉の知っている情報では、人気タレントやアイドルグループ、大物プロデューサーが逮捕され話題になっていることだった。そして、先日元文部科学大臣の二世、衆議院の「松本透」が逮捕されたのも、このクスリだと報道されていた。
浅倉にとっては、どちらの事件も対岸の火事程度にしか感じていなかった。警視庁の管轄で起きた事件の情報は静岡県警に通達があるわけでもないし、仮にあったとしても浅倉の所属する部署は、蚊帳の外であろう。テレビで報道されている以上の情報は知らなかった。
「芸能関係者がクスリで逮捕なんて、せいぜい週刊誌のネタでしばらく重宝されるくらいで、そんなに珍しくもないでしょ。でもね、政財界まで及んでいると、こちらとしても、見過ごしたりできないわけですよ」
そしてまた画面をスライド、今度は岸谷が自分でスライドさせた。
続けざまに5人の写真。その中には先日逮捕された松本透の写真も含まれていた。
「この5人はね、今話題の『
その団体は、浅倉も知っていた。5人ともモデル並みの容姿で、若くしての成功者、アイドルグループ並みの人気でテレビや雑誌で引っ張り凧、今じゃ本業そっちのけでタレント活動の方が目立っている連中だ。
「5課は、このエコでクリーンな人たちを、クリーンだとは思ってないの。最初に見せた、あのぼやけた写真の男いるでしょ、『塚本恭二」っていって、「宇宙の志」代表の岩倉亘の側近なんだけど、彼が密輸に絡んでると見てるんだよ。ここまでは、わかる?」
浅倉は、苛立ちを忘れ、今、猛烈に押し寄せる吐き気と戦っていた。二日酔いが原因なのか、焼死体の写真が原因なのか、それとも両方か。吐き気を堪えることに集中しているため、1人でベラベラと喋る岸谷の声は、浅倉の耳に届いていない。
「っていうか、なんでみんな金持ちになると、こういう慈善事業みたいなことしはじめるんだろうなぁ。税金対策とか、なんかあるのかね。こういう若くして成功する奴なんか、絶対裏で悪いことしてるって。その反省で、こういう世のため人のためみたいなことすんのかなぁ。俺は理解できないよ。あ、もしかして、君も世のため人のためで警察官目指したタイプ?」
浅倉は曖昧に頷いた。それどころではない。胃が活発に動いているのを体内で感じ、込み上げてくるものを抑えるのに必死なのだ。
「で、いちばーん最初に戻るけど、その警視庁の人間と、この秘書課の人たちが警視総監の代理で来たかというと、ここ大事だからね」
浅倉のトレーナーは、汗でびっしょりだ。
「この焼死体、彼は警視総監のご子息です」
ぐぅああぁぁぁああアアアァ〜っ。
浅倉の口から、地響きのように低く、長く、とてつもなく大きな「げっぷ」が、白い部屋に響いた。
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