第6話 浅倉と岸谷
全てが白、というのは気味が悪い。これで気の利いたインテリアでも飾ってあれば、白で統一させたお洒落な部屋なのだろうが、テーブルと椅子が2脚の他、なにもない。窓がないのも気味悪さを助長している。
浅倉智也は、この警視総監からの呼び出し、ということを今更だが疑ぐり始めた。このカワサキとノムラという男たち自体、警視庁の人間ではないかもしれない。交番勤務を経て、生活安全対策室に配属になったばかりの平の巡査に、警視総監が用などあるはずがないのだ。目立つ事件に関わった経歴もない。第一に、警察庁配下の県警と、警視庁では管轄が違う。関係がないのだ。
ではこの2人の男が警視庁の人間ではないとすると、浅倉が関わった事件の容疑者が「逆恨み」て拉致し、復讐しようとしているのか。
彼の所属している生活安全対策室とは、高齢者を狙った詐欺事件などを扱う部署だが、彼の仕事は同居老人宅へ訪問し注意を促したり、オレオレ詐欺注意のポスターやチラシの製作など。現場に赴き容疑者検挙など関わったことはない。交番勤務時代に
では本当に警視庁の人間だとしたら、警視庁まで迷惑をかけるような重大なミスを犯してしまったのか。彼はいくら考えても、対策室にいて事務仕事をしているか、老人宅にお邪魔している毎日で、警視庁に繋がるミスを犯したとは到底思えなかった。
逆に警視庁から功労を認められるような功績もない。だとしたら、こんな雑な仕打ちは受けないだろう、彼は自分の小便が溜まったバケツを見て、思った。
じゃあ誰が何のために呼び出したのか、本当に警視庁の人間か、なにかの事件の容疑者かその関係者か、でもそんな容疑者との接点はない、それならやはり本当に警視庁の人間か、という堂々と巡りを何度も繰り返し、彼はこの時間の感覚のない部屋で、どのくらいかわからない時間を過ごした。
彼自らが出す音以外、無音の中で、突然扉が開く音がした。先程2人の男が出ていったドアが開いた。
先程の2人と一緒に、もう1人見知らぬ男が増えた。
「くわっ、くっせえ!」
男は右袖で鼻を覆って言った。そして水色のバケツを覗き、小便が入っているのを目にすると、君マジで!?と笑い出した。浅倉の小便は二日酔いのせいで臭いがきつく、その臭いは窓のない部屋に充満していた。
男はリモコンで、「空気清浄」のボタンを押した。
カワサキかノムラかわからない男が、何の表情も変えず、そのバケツを持ち上げ、部屋の外へと運んだ。警視庁総務部秘書課といえば、浅倉よりも階級はずっと上のはずで、その上官に自分の小便の始末をさせて何も言わないわけにはいかず、カワサキかノムラかわからないので当てずっぽうで、「カワサキさん、すみません」と頭を下げると「ノムラです」という返事が返ってきた。
そして2人は、壁側に立ち、直立不動の姿勢をとった。
カワサキでもなくノムラでもない、もう1人の男は、テーブルを挟み浅倉の前に座り、
「警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第5課の岸谷創一郎といいます。よろしく」
と妙に馴れ馴れしく、右手を差し出してきたが、浅倉から見れば上官で、年も10歳くらいは上に見えたので、その握手を受けるか迷っている最中、やっぱりいいや、と岸谷は手を引っ込めた。
「それでは早速だが、本題に入るよ。それにしても、君、ションベン臭いね。この間の健康診断、大丈夫だった?」
この岸谷のフランクな調子に、浅倉はどう合わせていいのかわからなかった。岸谷は、それほど高級ではなさそうだが、しっかりとした生地のスーツに、綺麗にプレスされた薄いブルーのワイシャツ、品のいいネクタイを締め、服装には気を遣っていた。岸谷は、一応、と言い警察手帳を見せてきた。浅倉から見て、それは偽造品には見えなかった。
「こんな乱暴な真似をして、本当に申し訳ない。君を信用していないわけではないけど、今からものすごく大事な任務を君に与えます。もちろん、これは命令だから断れないんだけど、万が一断られた場合、この施設の場所を知られるとマズイんだ。だから、こんな連れ出し方しかできなかったんだけど、それは理解してもらえる?」
浅倉は頷くしかできない。
「でも今から話すこと聞いたら、断れないよ。脅しじゃないからね、命令だからね。それでも聞く?いや、聞いてもらわないと困るんだけど」
岸谷は始終ヘラヘラしていたが、目の奥では笑っていなかった。浅倉は刑事ではないから、「刑事の勘」など持ち合わせていない。ただ本能的に、この人はヤバイ、と感じた。
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