第5話 拉致

 呼び出しというよりは拉致だった。浅倉智也は両脇を抱えられ、引き摺られるように車まで連れていかれた。どちらがカワサキで、どちらがノムラなのか判別できないが、片方が運転席へ、もう片方が後部座席に浅倉を押し込み隣に乗り込んだ。

 失礼します、と後部座席に乗り込んだ男は、浅倉に目隠しをした。言葉遣いは丁寧だが、手つきは乱暴だった。頭痛のする二日酔いの頭にはこたえた。更に手錠、耳栓まで入れられた。

 二日酔いで思考回路が低く、元々鈍感な浅倉も、さすがにここまでくれば、まずい展開になってきたと感じ始めたが、もう遅い。なぜ不信感を抱かなかったのか、ドアを開ける前にもっと慎重になれなかった、などと考えても後の祭りだ。

 浅倉は、視覚と聴覚を遮断された中で、座席の下からエンジンがかかった振動を感じた。


 ここでアクション映画の展開なら、隣の男の鳩尾みぞおち肘鉄ひじてつを食らわせ、体を丸くして頭を下げているところ、顔面を膝蹴りし気を失わせ、目隠しを外し、間髪入れずに手錠をかけられた腕を運転席の男の首に回し後ろに引き、首を絞める、車は蛇行運転し壁に激突、その拍子でハンドルに顔面をぶつけた運転手は、額から血を流しハンドルの上に顎をもたげ、クラクションが鳴る中脱出、となるのだが、視覚と聴覚と手の自由を奪われただけで気が萎えてしまった浅倉は、そんなこと想像することしかできない。


 目隠しをされているので、どこに向かっているのかわからないのは勿論だが、耳栓までされて何も聞こえないと、時間の感覚、距離の感覚まで奪われる。今、どのくらい経ったのか、どのくらい走ったのかが全くわからないまま、何をされるかわからない不安と恐怖、


 お前ら誰だ!なんの目的だ!


 と暴れ、罵声を浴びさせているところを静かに想像し、体を震わせているだけだ。

 恐怖のあまり過呼吸ぎみで、息が小刻みになってしまうため、口が渇いてきた。彼は口を閉じ、口の中で舌を動かし唾に出そうとするが思うように唾が出てこない。終いには、朝起きてすぐ拉致されたので、朝一番の小便をしていないことに気づくと、喉はカラカラなのに、尿意をもよおしてきた。

 すみませんトイレ、と要求したところで、車を止めてもらえる状況ではなく、たとえ返答をしてくれても耳栓をされている状態だ。耐えるしかない。


 彼には、どのくらい走ったのか見当がつかなかった。時間の経過を推測する目安となるのが尿意を我慢している経過しかなく、内股にして身をよじらせ、自分の意識とは無関係に、はあぁっ、と声が漏れてしまう時間が経過していたことしかわからない。果たしてその距離はどのくらいなのか、浅倉には知るよしがない。


 車が停まった。

 耳栓を外され、降りてください、とだけ言われ、またすぐに耳栓を入れられた。すみませんトイレぇえっ、と叫んだが、それに対して返事をされたのが、無視されたままなのか、腕を引かれ車から降ろされる。

 降された足の裏の感覚から、砂利を踏む感触が伝わる。裸足の足の裏に小石が刺さる。この時、浅倉は靴も履かず拉致されたのでことを思い出した。足の裏に、尿意がおさまるツボでもあるのか、一旦治った。

 目隠しで視界を遮られているので、距離感がわからず、歩幅が小さくなってしまい足が絡れ、何度もつまずいた。

 足の裏の感覚は、砂利、コンクリートの段差、冷たい床などを感じ取り、腕を引っ張られる毎に足が絡れ、また尿意が蘇り、彼は足の裏よりも、膀胱に意識を集中させるしかなかった。彼は小さい声で、トイレトイレ、と念仏のように唱えていた。


 突然、上から両肩を押され、無理矢理座らされた時に、少しだけ漏れた。

 目隠し、耳栓、手錠を外され、どのくらいぶりかの光が急に視界に雪崩れ込み、彼は目を開けていられなかった。目を開けようとしても、それを拒む瞼が痙攣し閉じてしまう。


 それでも無理矢理、片方の目を開けると、座らされた目の前には白いテーブル、その上に水色のプラスチックバケツが乗せられていた。なんだこれは、と思ったが、まず先にはこの尿意をなんとかしなければならない。


「す、すみません。トイレに行かせてください!」


 するとカワサキかノムラかわからないが、バケツを指差して、申し訳ございません、と言う。これで小便を済ませ、と言っているのだ。気を遣ってなのか、2人は部屋から退室した。


 ここでするのか、と思っても背に腹はかえられない、彼はスラックスと下着を同時に下ろした。勢い余った小便は、あらぬ方向に飛び散り、床に溢れたが、彼には気にしている余裕はない。とりあえず尿意の問題から解放され、周りを見回す余裕が生まれた。


 彼は小便をしながら、部屋の中を見回した。多少目が慣れてきたものの、まだ目が染みるくらい眩しい。眩しいのは、彼がずっと視界を奪われていたことと、もう1つの理由があった。部屋全体が、眩しいくらいの「白」なのだ。椅子、テーブル、床、壁、天井、エアコン、浅倉自身とプラスチックバケツ以外の目に入ってくるもの全て真っ白なのだ。


 ここには時間がわかるものがない。この部屋には壁時計もないし、いきなりトレーナー姿で裸足のまま拉致され、腕時計も携帯電話も持ってかれなかった。窓一つないこの部屋では、昼も夜もわからない。音も聞こえない。聞こえるのは彼の小便の音だけだった。




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