第8話 命令

「ふわっ、クッセェ」


 岸谷創一郎は、iPadを団扇のようにして目の前の空気を仰いだ。


「なに、君。吐きたいのか?二日酔いか?ちょっと待てよ、吐くなよ」


 またバケツ持ってきましょうか、壁際の男の1人が言った。あ、じゃあお願いします、と岸谷が答えた。


「あー、あと、カワサキさん。すみませんが、ちょっと喉が渇いたので、ペットボトルの水もください。君も飲むよね」


 岸谷は浅倉に聞いて、浅倉が頷くと、カワサキと呼ばれた男は、ノムラです、と言って部屋から出ていった。


 しばらくすると、ノムラがミネラルウオーター2本とバケツを持って、部屋に戻ってきた。バケツは浅倉の足元に置き、ペットボトルをテーブルに置いた。

 岸谷はペットボトルの蓋を開け、飲んだ。飲みながら、浅倉にも飲むよう促す。浅倉は遠慮しつつも、喉が渇いていたので、かぶりつくようにペットボトルを咥え、一気に半分ほど飲んだ。彼はまた、小さい「げっぷ」を2、3回し、岸谷は、彼の息が整うのを待った。


「じゃあ、いいかい。ここからが本当の本題。警視総監の息子、これなんだけど」


 またiPadで写真を見せた。警視総監の次男「寺岡正嗣」の写真だ。


「これが、警視総監の次男『寺岡正嗣』、この人は、まあ悪さばかりして警視総監を困らせてるんだ。『宇宙の志』にも関わっていて、この塚本恭二と親しくしている。こんなこと公になれば、警視総監の経歴に傷が付くわけだ。それを警視総監はなんとしても阻止したい。そこで警視総監が考えたのは息子の国外追放。だけど、ただ国外追放しても、またどこかで悪さしたら、結局同じでしょ。だから息子は死んだことにする、そう考えたわけだ。ここまで、わかった?」


 はあ、また曖昧な返事。


「要は、この『塚本恭二』と『寺岡正嗣』をすり替えるわけ。国外に逃げるのは塚本恭二で、死ぬのは寺岡正嗣。でも実際は、国外に逃げるのが寺岡正嗣で、死ぬのは塚本恭二。そういう警視総監からの命令なんだよ」


 浅倉はまた首を傾げた。頭の中でうまく整頓できないようだ。ここで、やっと彼は、この作戦の矛盾に気づいた。


「でも、その警視総監の息子さんが、死んでしまってるんですよね」


「そう!そこまで理解してくれた!」


 岸谷は、またペットボトルの水を一口飲み、そう言って浅倉に向けて拍手した。


「そうなんだよ、そこで肝心の次男坊が、本当に死んじゃったんだから、この辻褄合わせに悩まされてたんだよ。まさか、本当に息子が死んでしまっています、なんて警視総監に報告できないでしょ。だから、この焼死体の件は警視総監には伝えていない。そこで考えたのは、もう1人の『塚本恭二』が必要なわけなんだよ」


 また浅倉の頭の中に「?」マークが駆け巡る。


「実際は、『正嗣』が死んでしまって、生きているのが『塚本』なんだが、今生きてる『塚本』を『正嗣』ということにしなければならないんだ。じゃあ君は、その生きている『塚本』を『正嗣』だとして、国外へ行かせれば済むじゃないか、と思っただろ。でもこちらとしても、容疑者の塚本本人をこちらが手を貸して国外に逃がすわけにはいかない。わかるだろ?」


 岸谷は立ち上がり、1人興奮して、身振り手振りが大きく、まるで演説のようだった。


「そこで、『塚本』は消す。それで『塚本』として国外に出る『正嗣』の代わりが必要なんだ。それが、君」


 やはり頭の整頓ができないのか、浅倉は惚けた顔で聞いているだけだ。


「ここはね、俺の知り合いの美容外科なんだよ。元はね、整形で『正嗣』を一旦、『塚本』の顔に寄せて、逃亡先の国で、元の顔に戻す予定だったんだよ。向こうのドクターも手配済みでさ。だけど、君に『塚本』の顔に整形してもらって、逃亡してもらう、というのが計画の全貌です」


「選ばれたのが、なぜ自分なんでしょうか」


「君は、早くして両親を亡くしているよね。それに独身。君が居なくなっても、騒ぐ人間がいない、ということが、まず1点。もう1つは、背丈、体型が塚本に似ているということ、骨格、特に顔の造りが非常に塚本に近く、整形しやすいんだそうだよ。整形しやすいってことは、元にも戻しやすいってこと。あとで、医師の皆川さんから説明があると思うけど」


「自分が、整形して、海外に逃げるということですか?」


「そうそう、理解してもらったみたいね」


「じゃあ、自分は、その、僕が海外に行ってしまったら、僕の身分というか、僕はどうなったことになります?」


 浅倉はうまく質問できなかった。二日酔いの頭だということを抜きにしても、整理がつかないのだ。


「君は、あの身元不明の焼死体だよ」


 浅倉は足元にあったバケツを持ち、静かに、吐いた。岸谷は、また袖で鼻を抑えた。

 タイミング良く、白衣を着た美容外科の「皆川康文みながわやすふみ」が入室してきた。部屋の中の話を、外の通路で聞いていたのだ。彼はポータブルテレビを持ってきて、浅倉の前に置いた。

 流れたのは今朝のニュースの録画らしい。


 荒川河川敷で見つかった身元不明の焼死体は、静岡県警生活安全部の浅倉智也巡査、31歳、警視庁はなんらかの事件に巻き込まれたとして殺人の疑いで捜査を進めている、という内容だった。


「ね、もう断れないでしょ」


 そのニュースを見て愕然とする浅倉を見いる岸谷は顔は、楽しそうな笑顔だった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る