第3話 喫茶店

「だけど、あれだな。もう岩倉、塚本は何も出てこねえよ。これじゃあ、松本の逮捕は、あいつら逃がすためじゃねえか」


 安浦達雄はネクタイを外し、ワイシャツの袖を捲り上げながら言った。

 会議室から散開したので、取り敢えず外には出たものの、安浦達雄と岸谷創一郎は、ただ街をブラブラしていた。その2人の後を若い刑事が黙ってついて歩く。安浦と岸谷はバディではない。この若手刑事がそれぞれのバディを務めている。

 先週から蝉が鳴き始め、蒸し暑く、4人とも汗でワイシャツが肌に貼り付いていた。


 安浦は古めかしい佇まいの喫茶店を見つけ、指差した。


「とにかく涼しいところ、入ろう。こういう店なら、禁煙じゃないだろ」


 最近のチェーン展開しているカフェは全席禁煙だったりと、タバコが吸えないところばかりだ。年金生活の主人がマスターをしているような昔からやっている喫茶店でないと、どこもかしこも禁煙だ。


「あのー、自分たちも練馬に聞き込み行かなくて、大丈夫ですか?」


 若手刑事の1人が、恐る恐る口出ししてきた。


「練馬になんかいるわけねえだろ、バカ。塚本だってバカじゃねえんだ、練馬どころか東京にすらいねえぞ。既に日本にすらいねえんじゃねえか?」


 そう吐き捨てて、安浦はガニ股で喫茶店に向かった。岸谷は、若手刑事たちに頷き、促した。若手刑事たちは、この夏の暑い中自分たちだけサボる後ろめたさを感じたが、横柄な上司たちに逆らうことはできず、素直に従った。


「あ、この店、喫煙席ある?」


 安浦がマスターに声をかけると、


「うちは、全席だよ」


 と白髪頭の初老のマスターは応えた。


 安浦は先に着くや否や、セブンスターにライターで火を点けた。岸谷は、鼻と口を手で覆い、目を伏せた。安浦は顎を上げ、天井に向かって満足気に大量の煙を吐いた。そして、他の3人に相談なしに、アイスコーヒー4つ、と注文した。


「あのー、自分苦いの飲めないので、キャラメルマキアートみたいな甘いのがいいんですけど」


 さっきサボることに口出しした若手刑事が、恐る恐る遠慮した口調で、図々しいことを言い出した。


「お前はガキか!メニュー見てみろ。こういうところは、普通のコーヒーしかねえの。ナンチャラカンチャラートみてえな女子みてえな飲み物はねえんだよ」


 ドリンクのメニューは、「ブレンド」か「アメリカン」のホットかアイス、あとはオレンジジュースしか書かれていない。


「自分で砂糖入れんだよ!」


 安浦の大声に若手刑事は萎縮するが、彼は決して怒っているわけではなく、元々がこういう喋り方なのだ。岸谷は、ポケットから出した加熱式電子タバコの充電を確認し、ヒートスティックを差し込んだ。


「岸谷、まさかお前、禁煙か」


 安浦は茶化した口調で岸谷に言った。


「まあ、これ吸ってるから、禁煙ではないけどな」


「お前、さっき俺が火ぃ点けるとき、鼻押さえたから、なんだよって思ったけど。お前まで、そっちの人間か」


 そう言って、わざとらしく煙を後ろに向いて吐き、大変申し訳ございませんねぇ、と茶化す。鼻と口を押さえたのは、タバコに臭いが苦手になった、という素振りだ。岸谷は、ドラム缶で死体を焼いた日から、火を見れなくなった。


「べつに同じだろ。女房が臭え臭え言うから、これにしただけだ。お前はいちいちうるせえ」


「だけだよ、それだってニコチンとか入ってるんだろ」


「でも、タールはない」


「お前、タバコ吸ってるとき、ニコチンとかタールとか気にしてた?俺は、気にしたことねえけど」


 そして安浦は、電子タバコにするくらいならタバコ自体やめなきゃ意味がないだことの、アイスコーヒーと一緒に運ばれてきたガムシロを全部入れた若手刑事に対し、マスターに礼儀がなってないと説教するなど、彼の1人演説が始まった。


 岸谷のジャケットの内ポケットが震えた。私物の携帯電話はスラックスの右ポケットに入れてある。着信があったのはプリペイド式携帯電話の方だ。この電話にかけてくる人間は2人しかいない。岸谷は周りに見られないよう手で隠しながら、スマホ画面をみた。藍田からだった。


 すまん、岸谷は席を立った。コレか?と安浦は小指を立てて茶化した。岸谷は、それに応えるでもなく、変顔で適当に誤魔化し、店の外へ出た。


『1人か?』


 藍田の声。


「安浦たちと一緒ですけど、店の外に出てきたんで、今は1人です」


『店の外?サボってんのか。税金の無駄遣いだな』


 岸谷の耳に、電話の向こう口で鼻で笑う息遣いか届いた。


『会議中、ああいう視線を私に向けるな』


 会議中、検挙に力を入れた口調で発破をかけていたが、「塚本」を捜索、逮捕するつもりは全くなく、藍田のセリフ全部が芝居だと思うと、笑えてきた。他の刑事たちが知らないことを、自分が知っていることにも小気味良さを感じていた。


「まあ、俺と管理官はじゃないですか」


 藍田は一拍置いて、勘違いするな、と冷たく言った。


「明日、管理官の言っていた静岡県警の巡査に説明してくればいいんですよね」


『私の部下のカワサキとノムラを同行させる。お前は説明するだけでいい』


「俺も、皆川とアポが取れましたので大丈夫です」


 岸谷の言う皆川康文みながわやすふみというのは、岸谷の知る美容外科医だ。とある事件を捜査している際、逃亡していた容疑者が整形をしていたことから、聴取したことがある。その聴取から事件や容疑者のことは聞き出せなかったが、金と手術にしか興味のない男ということだけわかった。


『その皆川という奴は、信頼できるんだろうな』


「金の方は大丈夫です?」


『用意はできている』そう言って、電話を切った。


 岸谷は小躍りした。皆川から今回の報酬の3割、分け前として貰えることになっている。

 足取りが軽くなるはずだ。

 岸谷が店内に戻ると、マスターはテレビで高校野球の予選を見ていた。野球に詳しくない岸谷はでもわかるファインプレー、バッターが打ったボールをセカンドがノーバウンドで取り、一塁から盗塁してきた走者にタッチアウト。アウトが2つ点いた。ダブルプレイだ。

 安浦がニヤついた顔で迎える。


「あれか、この間のキャバクラのか?」


 安浦は、岸谷の電話相手が、まだ女だと思っている。


 彼がこんな目に遭っているのも、「塚本」のせいだ。その「塚本」を処理できる上に、金まで手に入る。

 これが終われば、藍田に縛られることもない。自分にとっても邪魔な存在が2つも消える。




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