みにくい竜殺しの花弁

のらきじ

みにくい竜殺しの花弁


 山岳ハイエルフの軍団長サーミアが山すそに展開して半月も経った頃、待望の竜殺しの兵器が彼女の元にやってきた。

 その精錬獣キメラの胴体はイタチのように細長く、細く短い脚をくねくねと不器用に動かして歩いた。肌には少しの毛もなく、かといって鱗や粘液に覆われているわけでもなく。まるで赤子のそれのようにぷっくりと水気を含んでいた。長い喉の先には花弁にも似た発声器官が五つほど枝分かれしており、さらにその先に、槍の穂先のように小さくて鋭い頭が付いていた。まぶたのような形の皮膚の名残があるだけで、目はない。だが耳はエリマキ竜のそれほども幅広く、ピンと張り。薄い皮膚の内側には無数の血管がびっしりと生えているのが光に透けてよく見えた。

 そのあまりの風体の凄まじさにサーミアだけでなく、護衛につく弓兵という弓兵が顔をしかめた。


「これを作った精錬術師の顔が見てみたいもんさ。きっとそっくりだろうよ」


 サーミアが小声で悪態をつくと、その言葉を待っていたかのように風下の木陰から黒いフードを被った人影が姿を現した。

 

「どうも」


「……あぁ?」

 サーミアは不思議とその人影をうまく認識できなかった。黒っぽいフード付きのローブをまとっている。それは分かる。だが、こうして真正面から顔を見ているのに、どんな顔だか分からない。――記憶ができない。「誰だてめえは」


「竜を殺す者」と人影は言う。たしかに言葉を聞いたのに、その声が男のものか女のものかも分からない。


「姿隠しか。使われるのは初めてだ。――味方にな」


「済まないね。エルフの口の軽さを信用してないんだ」


「ほう。ってことはあんたはエルフじゃないね。エルフかエルフじゃないか。それだけ区別がつけば十分だ。――で、階級は」


「三席。勲章は翡翠だ」


「――へぇ、同席かよ。翡翠ってことは竜殺しの実績はあるわけかい」


「そうなるな。あらゆる点で君と同格だ。軍団長殿」


「化け物一匹でよくもそこまでのし上がったもんだね」


「そう悪態をつくな。カァラは共通語を解するぞ。君の名前ももう覚えている」


 サーミアはその名を初めて聞いたが、誰を指すのかはすぐに分かった。背後で竜殺しの持つ花弁の一つが「アァ」と呻いたからだ。


「カァラだ? それは南方のエルフによくある名じゃないか」


「本名だ」


「エルフを素体にしたってのか?」


「逃亡兵の娘だ。どのみち殺される命を引き取ったに過ぎない」


「――エルフの法を捻じ曲げて自分を正当化するか。長生きはしないぞ、翡翠の」


「俺はエルフの法には仕えていない。連合の勝利を求めるだけだ」



      〇


 竜の繁殖に成功した。――ただそれだけのことで、辺境の小国であったアエヴィタは百年とせぬうちに大陸の半分を統べるほどの帝国にのし上がった。矢もろくに届かぬはるか上空から注ぎ込まれる「焔の雨」に耐えられる都市も城もない。勇猛を誇った一角族の堅城サイフォンが一昼夜で落ちた年、多くの人種が地底に網を広げるドワーフを頼ってランデルン山脈へと移り住んできた。

 そこには精錬術師と自らを称する、万物を交配、癒着、止揚する混沌の魔術師一派も含まれていた。

 「神の庭を歪めたもの」として多くの人種の神話において悪である彼らだったが、無神論者のドワーフたちにはさしたる抵抗もなく受け入れられた。

 精錬術の結晶である「水と火の剣」を七本贈呈された彼らは、ただちに七人の勇者を選んで手近な帝国の都市を強襲した。

 剣が引き起こす「指向性を持つ水蒸気爆発」の威力は竜の「焔の雨」に勝るとも劣らず、その日からドワーフは連合の盟主となった。幾つもの地下工場を稼働させ、精錬術を基盤にした軍団を創設し、従う種族に最適な兵器を当てがった。


 元々ドワーフと親交のあった山岳ハイエルフは「空蠍の弓矢」と呼ばれる生体兵器を受け取った。高速で雲間を泳ぐ「空魚」と、年経る事に固くなり死の直前には鉄をも凌ぐ硬度を持つ「炭虫」を精錬した矢は、慣性や重力を操作するのが得意なエルフの魔術によくなじみ、高速で竜の目や鼻っ面を追い回し、刺し貫く、数少ない竜への対抗手段となった。


「つまり、うちらは連合の中にあって、もっとも竜を殺せる軍団だってことだ」


 深夜になり、部下たちが寝静まった頃、サーミアは風のよく当たる小高い丘で、植物のように身じろぎもせず立ち尽くすカァラの隣に座り込んで、話をした。

 昼間ではなく夜に話をするのが日課になりつつあった。陽の光の中でカァラの異形を直視するのは、そろそろ生まれて二百年は経とうとしているサーミアであっても楽ではなかった。

 こうしてろくに口もきけない兵器に話しかけているのは、端的に言って憐憫の情だろうとサーミアは自分で自分を分析していた。名誉を重んじるエルフにとって戦場での逃亡は重罪だ。本人だけでなく一族郎党皆殺しにするほどに。ドワーフや他の種族にしてみれば不合理と理不尽でしかない酷薄な法だったが、エルフの感性には、それくらいがちょうど合う。

 だが、それにしても。――この姿は死よりもひどいとサーミアは思った。かつて名を持つ普通のエルフだったのならなおさらだ。逃亡することもそうだが、精錬術師なんぞの力を借りるのも同じくらいの恥ではないのか。そう比較することも内心否定しきれない。


「だというのにだ。狙いやすい高原に陣取ってるのに、竜騎の奴らいっこうに来ないじゃないか」


 軍団が布陣しているビシャマ高原は、ランデルン山脈の中では帝国領土側に突き出ている。山羊が群生していることもあり、竜騎兵団にとっては絶好の狩場の一つであった。

 サーミアは軍団兵を二手に分けた。自身とカァラを含むおとり部隊を高原の斜面に配置し、副団長に率いらせた主力部隊を高原の下部に広がるシャマラ樹林に伏せさせる。カァラが竜を首尾よく弱らせればよし。そうでなくとも、竜騎兵団が伏兵に気付かなければそれなりの被害を与えられる作戦だった。


「お前はどういう性質の兵器なんだ? おとりとしての餌か。「焔の雨」を防ぐ傘か。お前の飼い主の透明野郎はエルフには何も話さない」


 およそ無敵の竜騎兵団にも弱点はある。兵糧だ。竜を一匹養うだけでも大量の血肉が必要になり、兵站においてそれはかなりの負担になる。

 竜には二つの等級がある。死んだ動物の肉でも食す屍食竜グルースと、自ら殺した動物しか食さない魂食竜カタラクトだ。体内に「焔」を持ち、「焔の雨」を吐けるのは魂食竜カタラクトのみ。

 その魂食竜カタラクトの食事量は一日辺り牛五頭にも及ぶ莫大なものだった。十日も行軍すれば五十頭。輸送隊がまるまる一つ機能しなくなってしまう。だからこそ帝国は都市から都市へと飛び石のように進軍し、捕らえた種族を決して殺さず、竜に食わせる。具体的な戦略としては、魂食竜カタラクトの「焔の雨」で上空から防衛設備、司令部を焼き尽くし、その後占領部隊が屍食竜グルースと共に降下し、死体を掃除しながら生き残りを捕虜にする。その後は地上部隊で周辺の領土を切り取っていく。その繰り返しだった。

 ビシャマ高原は飛び石としては絶好の位置にあった。ランデルン山脈の周囲において大規模な陣が張れるような場所は他にない。だがドワーフたちは高原に町を作ることはなく、結果として、帝国はいつもの軍法を使えない。高原の下部に広がる樹林を整備し、補給路を確保するところから始めなければならない。


 だが、今このときにおいて。

 山岳ハイエルフの軍団二千名が布陣している今このときこそがまさに、

 帝国が高原へと飛び石を進める絶好の機会に他ならなかった。


「あえておとりは派手に布陣してるんだ。帝国が攻めてこないはずがない」


 竜を誘い出すには大量の命を賭けなければならない。連合の首脳部が立てた作戦に、サーミアとしても異論はなかった。ただ、現実的に、武器が足りない。魂食竜カタラクトはその気になれば山脈の山頂を二つ重ねたほどの高さまで飛翔することができる。いくら「空蠍の弓矢」でもそこまでは届かない。空魚も凍ってしまうほど、空の果ては寒いからだ。「焔」を持つものでなければ届きえない。


屍食竜グルースとその背の騎兵だけなら私らでなんとでもなる。だが、魂食竜カタラクトは簡単じゃない。カァラ。あんたがもし役立たずなら、みんな餌になるんだ。ちゃんと分かってんのかい」


「アァア」


 カァラは花弁の一つを動かして、曖昧にそう唸った。



      〇


 一ヵ月、二ヵ月が経っても帝国軍に動きはなかった。痺れを切らしたサーミアが首脳部に説明を求めると、やってきたのは姿隠しの精錬術師だった。


「あんたは、前に話したのと同じ奴かい?」


「同じと思ってくれていい。我々に大差はない」と精錬術師は答える。


「あっそうかい。こっちとしてもどうでもいいよ。それよりどうなってる。一匹の竜も来やしないじゃないか」


「竜ならもう来たさ。そして殺されつつある」


「何……? どういう意味だ。遠眼鏡でいくら探っても上空に姿はなかったぞ」


魂食竜カタラクトは常に太陽を背にする。遠眼鏡では直視できない」


「それくらい知ってる。皮肉で言ったんだ。――いい加減、仕掛けをばらせ。竜ほどではなくても、エルフにも獲物は必要なんだ」


「いいだろう。そろそろ君らの役目も終わる。――カァラは、存在そのものが竜に対する抗体なんだ」

 精錬術師はカァラの花弁によく似た歯もない口を、そっと撫でた。



      〇


「許可するまで質問は許さない」

 全てを知ったサーミアは、明朝におとり部隊の全員を整列させて、その前で語った。


「結論から言おう。カァラは竜だ」


 サーミアがそう告げると、おとり部隊に選ばれた精鋭であっても沈黙を支えきれず、高原にどよめきが走った。

「正確には竜と精錬されたエルフだ。もちろん竜とエルフに生き物としての共通点などない。だから間に百種類を越えるほどの生き物をつなぎとして混ぜたんだ。そのせいで、このような、言葉を絶する姿になった」

 サーミアは言葉を区切り、隣で小さく体を揺すっているカァラをちらりと見つめて、嘆息した。

「……続けよう。連合は多くの犠牲を払いながらも、敵の根拠地から竜の卵を幾つか盗んできた。ドワーフお得意の穴攻けっこうだ。前々からサイフォンの地下まで伸ばしてあった地下道を活用したそうだ。そのうちの卵のほとんどは敵の竜騎士団に向こうを張るために養殖に回されたが、二つだけが精錬術師の手に渡った。

 精錬術師は二つの卵を孵化させ、生まれてすぐの竜の翼と前脚をそれぞれもいだ。餌は何も与えず、行き止まりの洞窟に閉じ込め、お互いがお互いを喰うに任せた。そうして生き残り、竜の魂の味を覚えた魂食竜カタラクトを、エルフの死刑囚の子供と精錬した。

 つなぎには多くの生物を使ったが、その多くが我々のような「個」を持つ生き物ではなかった。

 ヒメル丘陵に群生し、太陽の動きに準じて同時に開き、同時にしぼむ百輪花。

 風を通じて互いの位置を感応し、大型の鳥を群れで襲う襟袖蝙蝠。

 体内で蓄えた樹蜜に記憶をとどめ、時代の女王に自らを喰わせて引き継ぐ琥珀蜂。

 いずれも始祖にカーメル神を頂く、精神感応テレパス持ちの生物ばかりだ。

 何故だと思う?」


 サーミアはそこで言葉を区切ったが、部下たちからの反応はなかった。それは質問ではなく、話に抑揚をつけるためのサーミアの癖だと部下たちは知っていた。


「それは、覚えさせた竜の味を、精神感応テレパス魂食竜カタラクトに伝えるためだ。

 カァラは蝙蝠譲りの、ほとんどの生き物の可聴域から外れた音波で、はるか上空の魂食竜カタラクトへと竜の魂の味を伝えた。――こうしている今も、伝え続けている。カァラにある五つの口のうち、四つはそのために常に空を向いている。

 精錬術師は、カァラを利用して、竜に共食いをさせようと仕掛けたんだ」


 サーミアの言葉への理解がいきわたると、部下たちの間には疑念のどよめきが広がっていった。


「そんな企てがうまく行くものかと思うだろう。精錬術師たちにも確証があったわけではないようだ。カァラの存在に魂食竜カタラクトが激昂して襲ってくるならおとりに使い、警戒して敬遠するなら敵避けに使うといったところか。我々と共に布陣していたのは、竜の出方を伺っていたということだ」


 どよめきが十分に静まるのを待って、サーミアは言葉を続けた。


「樹林の向こうにある、かつて我々の先祖も建設に携わったとされている帝国都市アサンダ。そこに潜伏しているドワーフの斥候から報告があったそうだ。この二ヵ月で明らかに、都市に駐屯していた屍食竜グルースどもが減っていると。そして魂食竜カタラクトは牛や捕虜を食べに下りてこない。


 状況からして、魂食竜カタラクトが上空で何か別のものを――屍食竜グルースを食べ始めた可能性は十分にある。

 我が団からも、斥候として樹林の本隊から何人かをアサンダに向かわせた。まもなく、あと数分で、西の空にのろしが上がる手はずになっている。のろしの煙が白ならば、現状維持。のろしの色が黒ならば――好機だ。攻城には無敵の魂食竜カタラクトだが、守城戦においては駄馬にも劣る。なにせ「焔の雨」には敵味方の区別などない。味方も殺してしまうからな。


 屍食竜グルースの占領部隊さえいなければ、帝国軍などもろいものだ。

 

 さて。のろしを待つ間、質問を許す。何かあるか」


 パラパラと手が上がる中、サーミアは時間つぶしも兼ねるため、あえて雑兵の手を選んだ。


「――ユミル隊、五の四番」

「はっ。軍団長殿。そこの化け物は行軍についてくるんですか」

「攻城は夜陰に乗じての速戦になる。カァラの足ではついて来れないし、その必要もないだろう。次」


「――ハバン隊、三の三番」

「はっ。アサンダには堀と二重の城壁がありますが、いかにして」

「姿隠しと変装が得意な精錬術師どもが、既に北の城門に手はずをつけている。ドワーフの穴攻部隊もこの二ヵ月で準備を終えたそうだ。城壁の心配はしなくていい。次」


「――フィラヴィア隊、一の二番」

「はっ。おそれながら、勝利後の財貨の分配についてです。ドワーフや精錬術師と同時侵攻となると、いつものように斬り取り勝手というわけにもいかないですよね」


「それ以前に、頭上に魂食竜カタラクトがいることを考えろ。のんびり略奪などしていたら敵ごと燃やされるぞ。目的はアサンダの占領ではなく、飛び石の拠点にならないほどの徹底した破壊だ。捕虜を助けたあと、井戸には毒を撒き、精錬術師が病気持ちの蚊やネズミを蔓延させる。魂食竜カタラクトの餌になるような生物は一人たりとも生かさない。――報酬は連合からの分配金のみだ。それでも十分な金額になることは私が保証しよう。次」


 ――質問が繰り返される中、西の空には黒い一筋の煙が立ち昇る。

 サーミアの頬が嬉しそうに緩むのを見て部隊の誰もがそれを理解した。わざわざ振り返ることはしなかった。






      〇


 アサンダの全ての生き物が「空蠍」に刺し殺された夜。

 呻く声すらもない静寂の中、月明りに照らされて、細長い胴体と長く伸びた五つの口を持つ影が、崩れかかった塀に映された。――だが、影の形はくねくねと不安定に蠢いていた。体を揺らしながら歩くうち、少しずつ胴は縮み、口も短くすぼんでいく。子供のように短かった脚は徐々に長くなり、歩き方は次第に様になっていく。

「あー、あー」

 一つになった喉からは鈴のように軽やかな子供の声が響いてきた。

「ふぅう、あー、うー、あー」

 歌うようなその声は、風に乗って不気味なほどに遠くまで流れていく。


「はしたない」

 小声で彼女――カァラをたしなめたのは、ローブを深く被った一人の精錬術師だった。翡翠で縁取られた飾り仮面で隠された目元が、月の明かりに照らされ光る。


「あ、ごめん。この一気に髪の毛が生えてくる感覚がさ。どうにもむずがゆくって。何度変身しても慣れないの」

 精錬術師の方を振り返ったカァラは、何処からどう見ても、ただのエルフの少女に見えた。少し上を向いた長耳と、浅黒い肌。しなやかな肢体と青い瞳は、南方の血を受け継いでいることを示している。


「あまり大声を出すな。エルフの斥候はまだ都市の周囲を探し回っているぞ」

 精錬術師が手元のローブとサンダルをカァラに渡すと、

「ありがと」

 裸のままだったカァラは手早くそれを受け取って、瞬く間に身に着けた。


「命をかけるのは君だし、今回は好きなようにやらせたが。山岳ハイエルフにはあまり関わるな」

 精錬術師は足音を立てずに、足元に散らばったがれきや死体を器用に避けながら歩き始める。

「どうして?」

 カァラはその後を、がれきも死体も気にもせずに追っていく。

「酷薄だからだ。そして、純血主義者だ。我々とは相性が悪い」

「だろうね。――何度も殺されそうな雰囲気になったよ。サーミアさんが傍にいて、守ってくれたけど」

「変身していけとは言ったが、何故あれほどみにくい姿を選んだ?」

「い、や、が、ら、せ」

 カァラは愉しげに唇を歪ませた。

「いちおう、親の仇だしね。ちょっとは傷ついてくれたかな」

「どうだろうな。――君がエルフの姿のままなら、サーミアは君を殺しただろう」

「どうして?」

「逃亡兵の娘だから」

「……そういうことだよね」

 カァラは小さくため息を付いた。

「竜を食べる他に、やりたいことが一つ増えちゃった。たぶん、母さんみたいに逃げ隠れてたエルフって、あちこちにいると思うんだよね。今更戻れないから帝国で奴隷やってたりさ。そういうみんなを助け出して、一緒にあったかいところで暮らしたいな。ね、手伝ってくれる?」

「君の手柄次第だ」と精錬術師は答えた。

「竜との対話はどうだった」

「刺激があったよ。竜っていいね。魂の隅々まで確信に満ちてるの。――あーあ。でも、向こうは私のこと竜とは思ってくれなかったから。誘いには乗ってくれなかったよ」

「味は覚えさせたか」

「うん。こればっかりは翡翠さんにも分からないと思うけど。この世に、竜の魂を食べる以上に価値のあることなんてないから。――私が精錬術を一通り使えるようになったのも、竜のおかげだもの。「焔」ってすごいわ。翡翠さんもさっさと自分と竜を精錬すればいいのに」

「私はまだその段階に達していない。――さて。このままドワーフの穴を通ってサイフォンに行こうと思うが。ここでやり残したことはあるか?」

「んーん。……あ、一つだけ」

 カァラは後ろを振り返り、右手を夜空へと高く上げた。

 その手のひらに、歯のない花弁のような唇がミシリと音を立てて咲いた。唇からはするすると細い喉が伸び、花弁はビシャマ高原の方を向いた。


「サーミアさんに、教えておいてあげるよ。竜の味。この二ヵ月、優しくしてくれたから」


「それはひどい、嫌がらせだな」

 精錬術師は渋い声でそう言ったが、べつに、止めはしなかった。

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