第2話 洗脳
第二章 「家庭内別居」
モラハラにあっている家庭と、一般的な家庭内での夫婦間の行き違いや夫婦喧嘩とは大きく違う。
それは、私が正しくても必ず一方的に私が説教をされるということだろう。しかも、夫の鬱積した思いがはれるまで延々と続く。ひどいときには1時間以上にも及ぶ。「それは私のせいなのか?」と思うような内容のことも含まれるが、論破しようものなら更に長い説教が始まる。最初は「お前のために言っている」という体裁で始まる説教だが、夫を論破してしまったときには顔を真っ赤にしながら私が不安症で通院していることを持ち出し「頭おかしいくせに知ったような口をきくな」と怒鳴り散らし、夫の手近にある当たっても怪我しない程度のものを私の目の前の床にたたきつけた。そして威嚇のような深く悪意のあるため息をついた。
その一事をとっても力関係が圧倒的に夫のものであるとわかる。
だが、人に説明するときにどうしても会話の内容を話してしまい「それは、ただの夫婦喧嘩じゃない?」と言われる。そうではない。
この状況の一歩進んだ状態が、また家庭内別居のような状況になり、「夫と顔を合わさないような生活」とだけ言えば、これまた一般的なソフト家庭内別居の形態に聞こえる。
どういうことかというと、夫が帰ってくる時間帯になると落ち着きがなくなり冬眠前の動物のようにうろうろしながら夕食の準備、帰宅する夫の車の音で脈が速くなり血圧が上がるのがわかる。夕食を済ませた後は食後のひと時をくつろぐこともなく、さっさと片づけ子供と風呂に入り就寝前の授乳を済ませた後は居間には近づかない。この説明だけでは、たぶん夫婦仲の悪い二人が家庭内で居場所を分けた生活に感じることだろう。けれど、本当の問題はその一つ下の層にある。
一層下とは、心理面の問題である。外面のいい夫は暴君の顔を家庭外では見せない。だが、家に帰れば気分次第で何かの拍子に妻への説教が始まるということだ。同じ立場か、それなりに話し合える立場の人と結婚したつもりが、なぜか完全に下女の扱いである。一番気を付けなければいけないのは就寝前の授乳だ。授乳とセットでオムツを交換する。子供の身支度がすんだら、自分もトイレに行ったり髪を乾かしたりするのだが、自分の支度をしている間に子供が泣くようなことがあれば相手に付入る隙を与えてしまう。
「子供が泣いているのに何もしないなんてどうなっているんだ」「息子一人にして放っておいて平気なのか?母親失格だな」など、「あなたが父親でしょ?」と言いたくなるようなことを平気で言ってくる。
『一体、私は誰の子供を産んだんだろう?』
そう思えてならない。それでも、夫は『父親は何もしないものだ』と思っているのか、必要以上に口を出すが、絶対手は出さない。
せめて、髪の毛を切りに行く時間があれば髪を乾かす時間が減るのだが、そもそも髪の毛を切る時間ももらえない。病院に行くときでさえ嫌な顔をする夫に、どうやって頼めるのか……。一時預かりには預けてはいけないという鎖をかけられているので、あからさまに人手も時間もかかる何かを行った形跡を残せば、また説教の機会を与えてしまう。八方ふざがりだった。
子供が生まれた最初の年で、完全にパワーバランスが変わった。産後鬱からコントロールされ不安症に発展し、完全にモラハラコントロールの配下になってしまっていた。よく、芸能人が怪しい占い師などに全財産を貢いで挙句に芸能界からも疎遠になってしまう人が、後に「あの当時は悩みがあってそこに付け込まれて洗脳されていました」という告白をする人がいる。それに限りなく近い。
ただ、私は結婚当初から就職しようとすると難癖をつけられて到底受からないと思われるところにしか応募できない専業主婦である。近所のスーパーでパートすることも許されない。結婚当初は二人だけだし余裕もあり、ヤキモチか何かで言っているんだろうぐらいに思っていた。
ところが、半年後極端に外面や体裁を気にする質であると判明。夫いわく、私が近所のお店でパートをすることは「知り合いに見られたときに『お前の嫁さん、あそこでパートしてるのか』と言われるのが嫌」だそうな。理由は『パートに出ないと生活が苦しいのか』という勘繰りを受けたくないということらしい。
おかげで、副収入がない。子供も生まれ田舎暮らしで、ある程度の給料をもらっていると次に欲しくなるのは持ち家だ。夫は新築の家を買う話を時々するので、副収入がないこともあり「家の頭金に積み立てをしよう」と言ってみたことがある。すると、夫が言った。
「どうせ、積み立てても家の頭金に使わず、お前が何か高額なものを欲しがって、その購入に消えるんだろう?家賃と同じ金額でローン返済すれば返せるんだから、今からわざわざ生活厳しくしなくてもいいでしょ」
夫は、自分の浪費壁を棚に上げてそんなことを言っている。確かに、引っ越してから最初の冬に車を買い替えた。住んでいたのは雪国であったので家の前から続くそれなりに大きな道に出るまでの支線が吹雪になると吹き溜まりになり、それを超えていける車に買い替えた。そのために何かお金をためていたわけではなく、独身時代に自分で買った車を下取りにいれて150万円の車を50万円のローンで買った。その50万円は夫の給料からローンを組んだので気に入らないようであるが、子供が生まれる前から、自分の車に乗らずやたらとその車を乗り回していたのは夫である。
なぜ、その話が出てきたのかもわからないが、月々家賃分のローン返済で買える中古物件のような家を買う気ではないのは話を聞いていてもわかるのに、夫はボーナス月のローン返済を全く考えていなかった。そして夫の一方的な説教が始まった。なんとか考え直して貯金するように話を進めたかったが、最終的には「借金も財産」と言い始め、その何たるかを説教のように語った。話合う気もなくなった。
夫と極力顔を合わせないように生活し始めてしばらくしたころ、「たぶん、来年の夏に転勤になる」と言われた。その瞬間、静かに新しい地獄の門が開いた。
少しづつ色々な物を整理し始めたが、乳飲み子を抱えての引っ越し準備は大変だった。しかも、モラハラの加減も進攻していたので、不安症の頓服薬を服用しながらの準備だった。頓服薬が効くまでの間は何も手につかない。ハイハイでもつかまり立ちでも自力で動けるようになたら、子供から目を離すこともできない。
一年前に1歳児のいる状況で引っ越しをした友人が「一時保育に預けてやらないと進まないよ」と言われ、利用したいと申し出たが、受け入れられなかった。
それどころか、私が困っていることが夫の支配者としての優越感に火をつけたらしく、引っ越しを利用したモラハラが始まった。
第3章「寝てはならぬ」
そのころから、度々、「眠らせない」というモラハラを始めた。
次の日、寝不足でフラフラしながら動き出す私を狸寝入りで観察し、至らないところを指摘するのが楽しいらしい。
引越しの準備といっても、荷物整理だけではなく、引越し業者を選んだり自分の乗っている自動車を運搬するか自走して持っていくかなどによっても準備が変わる。自分一人で全部決めて色々言われるのは嫌なので、夫の意見を聞く。
引越し先の家を決める時はその最たるものだった。まず、私にインターネット等で引越し先で住みよさそうな物件を探させる。夫には多少の地理感があったので、住みやすいところや職場からの便のいい土地の名前などおしえてくれればいいものを、ざっくりと市区町村名だけで地区名をいわない。当時は平成の大合併の後で温め、その前の常識的な市区町村の大きさから何倍かになった地域も多かった。だから、同一市内でも東西の端の地区ではかなり利便性が違うこともあり、そもそも、職場がどの地区なのかさえ分からない。そんな中で、市区町村の名前だけを頼りに検索して適当な広さで近くにスーパーや病院などのある所を探した。子供がまだ予防接種の二回目を打たなければいけない年齢だったので、病院の近いところは重要だった。
住みやすそうなところを何件かピックアップして、検索内容を印刷し夫に渡した。しばらく見てから「お前、こんなところに住む気なの?馬鹿じゃないの?どの辺だったらどれくらい便利とか、それこそインターネットで調べたらいいんじゃない?なんのためにパソコン買ってやっていると思っているの?」と言われ突き返した。パソコンでの検索情報でいいと思ている内容を提案しているが、実際の生活をするうえで「実はこんな感じになる」という情報はないので、どこがいいのか現実的なことが全くわからない。その検索をすることができるのは主に夜中で、この不毛な報告は引越しの2か月前まで続いた。この何を報告しても全て否定される行為、夜中に調べなければいけなくなってしまい、寝不足に耐えられずよく寝た次の日、「お前は引越したあと、どこに住むとか考えないのか?俺一人に全部やれっていうのか」と怒鳴られる。
取り調べで、寝かせないで何時間も同じ追及を受け続けると、耐えられなくなってやってもいないことを自白するというドラマがあるが、まさにそれを地で行く感じだった。
耐えられなかった。眠くてグラグラしているのか、ストレスからの自律神経系のめまいなのかわからないが、めまいを発症し始めた。そんな時は不安症の発作を発症しやすい。この頃、頻繁に1日4錠くらい頓服薬を飲んでいた。
引越しの2か月前、不用品や洋服は売れるものは売って、持っていくものはまとめ始めた。引越し先の家も、散々探した。そして、相変わらず寝不足だった。
精神的にも肉体的にも限界だった。ある日、本人確認のために提出した、4カ月ほど前に更新したばかりの運転免許証の写真を見て違和感を感じた。
目の大きさが左右で違うように思えるからだ。最近、疲れがひどいと、右目だけ大きく見開いているように思えた。心配になり夫に相談した。
「他に痛くも痒くもないのであれば病院に行く必要なんてないだろ。気にしすぎだ。お前の顔なんてそんなもんだろ」
そう言われた。
「ぽんになっているから、そんな風に思うんだろ?くだらないことで病院に行くな。まともに考えられないからわかんないか?」
とも言われた。「ぽん」というのは、不安症を発症してから夫が私の状態を示す言葉として度々出てくる『私を馬鹿にした表現』なのだが、その何か劇的に変わったような状態の変化を示したことがないので、どうしてそう言われているのか見当もつかない。まるで前後不覚の狂人扱いだが、通常、夫が処理できる以上のことを次から次からさせてダメ出しすることはやめない。
しかも、この引越し前に気が付いた症状はある病の症状の一つだった。
引越し1カ月前、夫は職場から次の赴任地への下見を兼ねた出張に行った。結局、借家の見当がつかないまま出発したが、引越し先の家の契約をしてくるということでその予算を持って行った。「見つからなければ社宅に入ろう」と、夫には言っておいたが見栄っ張りで刹那主義の夫が社宅や官舎、団地のたぐいのものを馬鹿にしていたので、聞く耳も持っていなかったのだろう。私の提案には返事もしなかった。結局、最初に調べていた物件よりかなり割高な畑の真ん中にあるような一戸建ての借家を契約してきた。
しばらく、家を建てることは難しいなと思った。ただ、それを悟ったのか、嫌がらせを楽しみたかったからなのか、梱包を私一人で全て行う代わりに格安の引っ越し業者を手配することとなった。積み込みや荷下ろしも夫の会社の同僚に手伝ってもらう。夫の気配りのなさで会社の人たちの手を借りることにかなり抵抗があり、私も一人でどこまで荷造りができるか自信がなかった。
引越しはやはりモラハラにうってつけであたようだ。
夫は子供の面倒は見ないで、「俺の荷物は片付いているから」と休日は日がな一日パチンコに行ったまま帰ってこなかった。でも帰宅すれば「いつ目途たつの」とジャブが入る。負けた日はそのイライラを全て私にぶつける。「何にもできないダメな主婦」というレッテルと「精神疾患になった使えないヤツ」という切り替えしようもないバッシングを行う。心臓が苦しくなり、痛くなる。思い出すとめまいがするようになった。夫に対してPTSDになり始めていた。
すでに、呼び止められるたびに息苦しいという毎日が常態化していた。逃げ出せばいいのにと思うかもしれないが、その時まだ「モラルハラスメント」という言葉も知らなかったし、睡眠も十分にとれない日々であったため調べる時間もなかった。でも何となく「亭主関白とは違う」という感覚はあった。
こころ、ここにあらず 留意 @louise19730117
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