こころ、ここにあらず

留意

第1話 傷口の発端

プロローグ


なぜそうなったのかは分かっている。

私としては、そうならないように最善を尽くした……と思っている。

ただ、現状を理解できない世の中は、未だに表面的には取繕われた封建社会で作られた鎖を弱者に巻きつける。


 私はただ、玄関のドアを開けただけ。そこにはよく見る宅配業者の制服を着た男が立っていたから。

「お届物です。サインか印鑑をください。」

記憶の底にある嫌な声に似ていたが、私の現住所は知らないはずの男の声だった。

ばれていないと思っていた私も甘かったのかもしれないが、目深にかぶった帽子の下の顔をドアののぞき窓からは確認できなかった。

「はい。ちょっとお待ちください」

ドアのロックを外し、チェーンを外した。

男が一瞬で、玄関の中に入ってきた。そのまま、腹部に激しい痛みが走り何か温かいものが伝っていくのが分かる。反して指先から冷たくなっていく。私は温もりの滴る場所を必死に抑えながらその場にドサッと音を立てて膝まづいた。子供が異変に気づいて目を見開き逃げようと家の奥へ向かったが、居間の奥にあるベランダの鍵に手が触れる前に、男に捕まった。体を押さえつけられ、バタバタあがく息子を、私はやっと体を捻って「やめて」と言いかけたが、息子の叫びにかき消された。

「お父さん、やめて!」

声と同時に服と肉の切れる音がした。

 苦しそうに声も出せずに泣く子供を見て、その後の止めをさせずにその場に立ち尽くし、周囲を見渡した男は私の出血を見てぎょっとした。

「うわっ……」

そのまま、何かに弾かれた様に玄関を出ていいった。中途半端な傷は命を奪わないが、激しい痛みと出血をもたらした。夕方の早い時間。仕事帰りの遅い隣近所はまだ電気の付いている家がない。

西日の差す薄暗い部屋の中で必死にポケットからスマートフォンをとり、110番した。住所秘匿で夫から隠れ住んでいた私たちは警察のストーカー対策に当たる110番登録はできなかった。何度も居住地周辺に現れたり、同居のDV夫などがいれば登録できるが、なまじっか住所秘匿にしていたたことと、夫が来ている気配を感じたことがないため対象ではない。

正気に戻った夫が、止めをさしに来ないように、玄関ドアにチェーンだけ差して隙間を開けた状態で警察の到着を待った。部屋を見渡すと、見たこともない薬が沢山落ちていた。睡眠薬のようであり、『自分は苦しまないで死のうとでも思ったのか』と薄っぺらな行動を察知し、いちいち自己中心的な夫の最終着地点が分かって苛立った。

「一家心中どころか、私達も殺し切れていないじゃない」

薄れそうになる意識の中でぼそっと呟くと、息子が体を引きずってこちらへ寄ってきた。

「お母さん……、痛いよ……」

「警察呼んだから、もう少し待って……」

息子の傷口を圧迫し止血を試みながら警察の到着を待った。パトカーのサイレンと救急車のサイレンが不協和音を二重に響かせて近づいてくるのが分かる。冷たくなっていく指先を息子の傷口に押し当てながら玄関先に人が来る音を聞いていた。

第1章 「夫の中のモラル」


 夫は何かと気遣ってくれる優しい人だった。けれども、結婚したあたりから違和感があった。

 『意外と心に余裕のない小心者だな』

当時はそう思いもしたが、その心の余裕のなさが、モラルハラスメントへ続く道であるとは気がつかなかった。モラルハラスメントとは、「モラハラ」と略して言われるもので、自分の都合のいい常識を相手に押し付け、自分はどんな状態であってもその責任を負うことは絶対にない。

 例えば、モラハラをする者が浮気をした場合、モラハラをする相手に浮気を責められると「お前が俺に浮気をさせているということに気がついていないのか。皆、俺に同情して見逃してくれていたんだぞ。」などと言って、モラハラする相手に、周囲にも気遣わせるほど夫に対して自分の行き届かなかった何かを考えさせ、答えを与えない。そうやってモラハラされる側は「私が悪いのだ」という自己肯定感の低い状態に陥っていく。被害者は元来が自己肯定感の低い人がなりやすく、普通の感覚の人なら「何言ってるのこの人」となりそうなところが「私が悪かったのかな?」と考えやすい。また、相当の理不尽な要求をされてもクリアできる器用な人が多い傾向がある。勤めている人だと「できる人」という分類になる人が多い。

 そして、モラハラは自分の都合のいい常識がゆえにモラハラ加害者が被害者に回答を与えない場合はその答えさえないことが多い。又は、答えがAでもBでもいい場合は、どちらに転んでも否定する回答を準備している。そんな相手の精神的な虐待はジワジワと心を蝕んでいく。身体的な怪我を伴うDVとは違い、最初は自分が虐待にあっているとさえ思わない。波が少しずつ砂浜の砂を削るように。

 私の場合、その違和感のある行為がモラルハラスメントに変わった瞬間は出産後だった。

 

 産後の女性は作用する女性ホルモンが激しく入れ替わるので体調や精神面に影響しやすい。その精神的な影響を受けた状態が産後鬱である。

子供を産んだ後、私も少し精神的に不安定ではあったが、子供の顔を見ると幸せだった。出産直後、夫は「息子の風呂は俺が入れる」と言っていたが、徐々に子供の世話に関わらなくなり生後1カ月経つ前に沐浴もしなくなった。夜泣して目が覚めたとしても聞かなかったように背中を向けて寝る。妻が料理中でもオムツは絶対交換しない。他にも、育児に口を出しても全く手は出さず、妻の仕事は日ごとに増えていった。

 いくら妻の調子が悪くても、通院の時などに託児所の一時保育に預ける事を許さず、その代わり「俺が時間のとれる時に見ているからそれまで我慢しろ」と言う。

だが、実際に夫に子供を任せて通院すると帰宅したとき子供は泣き疲れて眠ったようにグッタリしており、オムツ交換や授乳等の世話を一切受けていない様子。帰宅した私の物音で起きた子供は私の顔を見て何かを訴えるように不満げに泣く。

 朝起きてから出かける前に一度交換したまま昼間で放置されたパンパンのオムツを交換して、むずかる息子にミルクを与えた。見たことがない勢いでミルクを飲む様子をみて『本当に何もしなかったのだな』とつくづく思う。

 何度か通院しなければいけなかった私は、何もしない夫に子供を預けて通院することの不安から、子供が触って食べてしまったり飲み込んでしまいそうなものや、破かれたり壊されたら困るものは片づけておくように収納する場所を考えた。ところが、夫は片付いていることが気に入らないのか「耳かきはどこに行った」「爪切りはどこに隠した」など言い始めた。当たり前だが、細長いものや切れそうなものは子供を怪我させる恐れがあるので、引き出しの中などにしまってある。それが、使いたいときに手の届く目につきやすいところにないことが気に入らないようで、「何でも片づければいいわけじゃないだろ。目につく高い場所にでも置いておけよ」と言い始めた。地震も多い地域だったので落下の可能性もあり、あまり高いところに色々置きたくもなかったのだが、少々揺れても落ちてこない程度の所に日常的に利用するものを置く場所を確保した。それがきっかけになったようで、何か片づけてあることがわかるたびに、目につくところに出しておけと言い始めた。しばらくしたころ、部屋の中が雑然とし始めた。当たり前のことだ。

 何もかも出しておくとそうなることぐらいわかっていたと思うが、今度は「お前は物を片づけるセンスがない」と言い始めた。物を出さないように子供の手の届かない所へ片づけると『目につくところに置くように』と言っておきながら、今更何を言っているのかと思うが、物を出しておくための場所を決めたのは私である。結局、出しっぱなしを推奨した夫のリクエストに応えて、私が出して置くことにした場所がセンスのない場所であるという話になっていき、その後、夫がどこかに勝手において忘れたものが見つからなくなっても私のせいになり、それがエスカレートして何かあるたびに『片づけられない私に対する説教』になっていった。

 その度重なる嫌がらせから、子供の生後半年で産後鬱から不安症のような状態にになっていった。

その後は、妻が精神的に弱るにつれ、夫の理不尽な物言いは激しくなり、完全なモラハラになった。

 そんなある日、『不安症かも?』位にしか思っていなかった症状が隠し通せないほど悪化した。

それは連休の初日、晴れた日だった。家の中では何もしない、口だけの夫がいい人ぶって『いいパパアピール』をするために、同僚なども利用している遊具の多い公園に私と子供を連れてきた。

 普段子供に接していない夫は、子供に嫌がられ子供は私にだっこされることを望む。生後半年もしていないので、まだ歩くことはできないが一人で座ることはできた。ただ、公園の草地に座らせると転がりそうだったので、だっこしたままだった。ニコニコと私の顔を太陽光に目を細めながら仰ぎ見る子供の顔が何かに目を奪われた。

「パパの所においで~」

そう言って、抱っこ紐から子供を抜き取って自分の膝に座らせる夫。不安そうにする子供に、夫は不機嫌になり始めた。

 その時、私の中の何かがはじけた。まるで涙腺が決壊したように、自分の意志とは関係なく止めどなく涙があふれる。自分でも「どうしたんだろう?」という疑問は浮かぶが、目が痒いわけでも痛いわけでも、何かが眼球表面についたわけでもないののに涙が止まらなかった。いや、外的な要因ではないために止めようがなかった。

 「涙がとまらない」

そう言って帰宅することにした。外面を気にする夫は、泣いている妻に表面的な気遣いを見せ、薬局で不安症に効く薬を購入してから自宅に戻った。買ってきた精神安定剤を服用すると20分程で涙が止まった。様子をうかがっていた夫が泣き止んだ私に向かって言った。

「これじゃ、子供ともどこにも行けないからパチンコに行ってくるわ」

そう言って、夫は外出し閉店時間まで帰ってこなかった。

私は、その間に近くの心療内科と精神科を検索し、一番最短で診察してもらえる病院を探した。予約ができたのは2週間後だった。薬局の精神安定剤は4時間ほどで効かなくなるので、薬が効いている間に日数分の薬を購入して何とか乗り切った。

 精神の病は、なかなか完治ができない。悪化して死んでしまう場合もあるが、悪化したときの死因はおそらく割合的には自殺が多いのではないかと思う。病気で死ぬのと違い、まだ生きられる人が生きられないことを世の中あまり重く感じない人が多いようだ。心の病は外傷とちがい、我慢することが難しい。なぜならストレスという細かい傷をずっと我慢した果てに重症化した状態(愛着性障害や躁鬱病、不安症など)や耐えられないほどの大きなストレスにより大怪我を心が負った状態(PTSDなど)が心の病だから。急患で通院できる病院は田舎にはないし精神科や心療内科はなかなか予約が取れない。自殺未遂などで身体に異常をきたしているところを発見されたときには救急車に乗ることになるが、そうでなければ発狂し精神病の人が乗る特別な救急車を要請することになる。そして、その切羽詰まった状況を患者も強く言わないし、どこに言っていいのかさえ分からない。精神の病で通院歴がつくと生命保険も加入が難しく、補償の薄い割高な保険などでなければ加入できなくなることが多い。学校や会社ではストレスで精神に異常をきたしても、傷口は見えないので下手をすると「仮病」という扱いを受ける。

 私にとってのストレッサーである夫は妻が不安症になっても、その精神を病むということとは全く無関係ない第三者と同じようなスタンスで私をさらに酷い扱いをし始めた。


 通院後、漢方薬と頓服薬をもらい、ひどいときは頓服薬を服用した。1日6錠まで服用できる頓服薬を4錠以上飲んだ時はさすがに少しボーっとする感じはあるが、夫が「ボケっとしやがって」「おかしくなりやがって」「ポンが」など、事あるごとに私を狂人のように言い私の自己肯定感をどんどん引き下げていった。私がいなければ生きていけない息子がいなければいつ自殺しても不思議ではないくらい追い詰められた生活が定着し始めた。


 家での私に対する対応とは逆行するように、職場では「いい人」でいるという二面性を発揮していた。

 私は仕事上では少し名前の知れた存在だったため、場所によっては「私の夫である」ということを利用して仕事をしていると風の噂で聞いていた。私の名前を出せば話がスムーズに進むところがあるのも事実だが、夫が同じだけのことをできるかといえばまた違う問題である。そんなことが何度かあり、夫はそのストレスのはけ口として、私にさらに当たるようになった。

私は、いつのころからか毎日頓服薬を服用するようになっていた。薬が効いている間だけは「死んだ方が楽だろうな」という考えが浮かばないからだ。でも、まだ生き地獄は始まったばかりだった。



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