JK、鉄騎に吼える

お留さんに肩を貸して、わたくし達三人は、資材庫の裏口から脱出を図ることとした。

足元のおぼつかないお留さんを抱えて、山道を下るのはあまりに現実的でなかった。

わたくしは千代松に、この場所と、畔戸屋のたくらみについて、宍戸に伝えてほしいと告げた。わたくしとお留さんを置いて行く事に若干の抵抗があったようであるが、三人で歩くよりも、そちらのほうが確実である。千代松も同意見のようで、わたくしに何度も、もう危ないことはするな、と念押して、静かに闇夜に消えていった。


さて、お留さんを連れて逃げる以上、例の小細工を使う他に、手立てはさほど無かった。

懐から火打石を取り出すと、わたくしは廃工場の壁にさっと火花を走らせる。小細工というのも簡単な話で、拝借した瓦斯倫ガソリンを、二、三箇所小分けにしてばら撒いておいたのだ。ぼうっと小火が巻き起こると、しばらくして工場内は騒がしい喧騒に包まれた。


「ああ、わしの軍団が、わしの軍団がぁっ。」


畔戸屋の、あまりに情けない声が響く。小火の一つや二つで、あの廃工場全てが燃え落ちるようなことは無いだろうが、陽動としては重畳の働きである。わたくしはお留さんの手を引いて、表に止めてあった荷車トラックへと急ぐ。あの巨体ならば、少々の妨害はものともせず下山できるだろうと、私は踏んでいた。


喧騒を抜け、荷車トラックのすぐ近くまで迫ったとき、強烈な怖気が私を襲った。

小火騒ぎの揺れる光に照らされて、ゆらゆらと踊るように、その影は、深靴ブーツの女は、笑いながら立っていた。


「やるねぇ。いや、来るとは思っていたがね。」


そう言って、女は真剣を抜いた。剣生同士の試合では土台感じたことの無い殺気が、じりじりとわたくしの肌を焼く。安心しな、誰も呼びやしないさ、と、不気味に口角をゆがませる女に、話の通じるわけも無いと、お留さんを下がらせ、わたくしも抜刀した。


「ひひっ。」


刹那、一つ、二つと太刀風が吹いた。防いだのか、防がされたか、かろうじて受け止めた握りに、じいんと痺れが走る。力量差はあまりに明らかである。体格で勝る馬之輔はおろか、塾頭だという宍戸ですら、この女には敵わぬだろう。

感傷に浸る暇なく、女の太刀はわたくしを間断なく打ち始めた。


「う、らぁッ。」


太刀の隙を縫って、女の胴へ一撃を放つ。たとえ女が助けを呼ばぬとも、小火が収まれば我々二人の命は無い。その焦りが生んだ一撃である。

ぎぃん、と鈍い音を立てて、わたくしの手元から真剣は弾かれて飛んでいった。


「あら、惜しかったね。」


そういって、ゆらりと女が構えを正す。この打ち合いにおいて、女が初めて見せる型であった。わが身を焼く怖気に、命を投げ出しかけたそのときであった。


「剣生、さんっ。」


わたくしたちの意識の外から、お留さんが女めがけて飛び込んできた。女中一人の体当たりに、体幹を揺るがすことこそ無かったが、面食らったその一瞬に、唯一付け入れる隙が生まれた。

思い切り助走して距離をつめると、わたくしは女の首めがけて、渾身の浴びせ蹴りを放った。魔道の達人とは言え、人中を鍛えることは叶わぬようで、ごぽ、と嫌な音を立てて、女の呼吸が止まるのがわかった。

わたくしはお留さんの手と、取り落とした真剣を引っつかむと、もはや荷車トラックには間に合わぬと、小火の光で鈍く煌く鉄騎バイクへと、腰巻スカートの捲れるのも厭わず飛び乗った。


「お留さん、決して離さないで。」


「はいっ。」


女は、倒れこんだまま、かひゅう、かひゅうと、不気味に音を立てて笑っている。

わたくしは駆動機エンジンを叩き起こすと、お留さんを後ろに乗せ、門扉を蹴り破って鉄騎を走らせた。


暗い森の中を、単車バイクの灯り一つで駆け下る。歩きながら必死に探した轍など、とうに見失い、微かに遠く聞こえる宿場の喧騒と、勘のみを頼りに車輪を動かし続けた。飛び出した枝や跳ねた小石が、着物や肌を浅く斬りつけていった。


小火騒ぎを経て、わたくしたちの脱走に気づいたのか、だんだんと森中から単車バイクの駆動音が聞こえるようであった。あるいは、それすらも幻聴であったか。

焦燥が判断を鈍らせる。行く先を見失ったわたくし達は、いつの間にやら開けた崖そばにたどり着いていた。先に道の無いことに気づいて、単車バイクを傾けて急停止をかける。

と、同時に、再び声を失った。


「おれと遊ぶんなら、最後まで遊んでくれよォ。」


あの女の駆る鉄騎バイクが、森への道を完全に塞いでいた。

先ほどと同じく、ゆらりと無型に刀を構え、単車バイクに上半身をゆったりと預けている。何処までもた女に、わたくし達の生殺与奪が、完全に握られてたのである。


「さあ、度胸試しといこうやぁ。」


けたけたと女が笑う。わたくしの頬に冷や汗の伝うのを感じてか、腹の辺りを抱きしめるお留さんの腕に、ぐっと力がこめられた。


「剣生さん。」


お留さんが、わたくしの背に頬を預けて言った。


「私、決して、決して離しません。」


お留さんの手が、ふるふると震えている。

わたくしは意を決すると、再び抜刀した。


女の単車バイクが、駆動機の雄たけびとともに砂埃を巻き上げる。その一粒一粒が、飛んで落ちていくさまが、やけにはっきりと知覚できるようであった、

二、三度操舵ハンドルを握り締めて、わたくしは咆哮した。右手に真剣を再度握り、鉄騎を駆る。風の音、遠く聞こえる喧騒。獣のような叫びを吹き上げて、二つの影が迫り。迫り。そして。


その一瞬は、過ぎ去った。


単車バイクを横滑りさせて、大きく傾いた車体を何とか立て直しながら、わたくしは大きく息を吸った。咆哮の為に、肺の中の空気をいっぺんに使ってしまったかのようだった。


背後の気配もまた、崖の淵まで車体を滑らせて、止まっているようであった。

頬をなでる風に、ぴりぴりと鋭い痛みを感じる。切り裂かれた傷跡から、たらりと一本血雫が流れ落ちた。


「は、ははッ。」


笑いとともに、女のわき腹から、じわりと血が滲んだ。わたくしは、右手をさっと払って血を落とすと、真剣を腰の鞘へと納めた。関を切ったように、女の哄笑があふれ出した。


「ああ、待っていた。待っていたとも。おれは、お前を」


けたけた、けたけたと哄笑しながら、女はうわごとを繰り返す。

制御を失った車体はふらふらと崖へ進み、やがて、狂ったように笑う女を乗せて、崖下へと消えていった。


しばらく脱力していると、やがて、崖から朝日が昇り始めた。

遠くから、おおい、と聞こえてくる声は、馬之輔と千代松の、わたくし達を探す声だ。


くたり、とお留さんの腕が下がる。ほンのすこしあせったが、すう、すうと寝息が聞こえ出すと、わたくしも釣られて、大きくあくびをしたのだった。

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