JK、宵闇に忍ぶ

さて、とっぷりと日の暮れた頃。宿場の町から聞こえる喧騒は幾分静かになっていたようだが、わたくしはといえば、深い森の獣道を、肩を怒らせて歩いている最中であった。

長く山道を分け入る間、あの女剣生に告げてから出て行くべきであったか、だとか、千代やご主人には悪いことをした、などと、自分でも驚くほどに冷静な考えが浮かんでは消えるのを感じていた。


革靴で、荒い砂利をざり、ざりと踏み進めて行く。暗闇に目が慣れれば、獣道の上を、大型のわだちが草を踏み分けて残っているのが見て取れた。

は、どうやらまことのようだ。

で、あるならば。例の廃工場か、または別の、知られていない建物か。兎も角も、このわだちの先にこそ、一帯を脅かす一連の騒ぎの、その原因があることは疑いようも無かった。


もはや獣道とも呼べぬ荒れた道を、微かな轍の跡を追って進めば、例の廃工場らしき建物にたどりついた。先の戦で打ち捨てられたらしきのそばには、不自然にきれいな、塗装のはがされた荷車トラックや、大型の単車バイクが数台並んでいた。

大陸からの供給が減りゆく中、これだけの機械を動かすその絢爛さは、いったい何を裏打ちとするものか。


よほど目立つことを嫌ったのか、荷車トラックにも見張りもほとんど立てていない様子であった。息を殺し、月明かりを避けて潜めば、数分と立たず容易に廃工場へと取り付くことができた。

ちょうど闇夜にも目の慣れてきたころあいである。崩れかけた壁からそっと中を覗き込めば、そこには意外な光景が広がっていた。

先ほどと同じく塗装の剥がされた単車バイクが、ざっと数えて数十は下らぬほど、所狭しと並べられていた。周到なことに、瓦斯倫ガソリンの缶もたっぷりと備えてある。表の荷車トラックといい、やはり疑念は真相のようであった。


とはいえ、単車バイクなどに気圧されている場合ではない。ぶんぶんと頭を振ってお留さんを探すことにしたその時であった。すぐ近くから、手前てめぇ、何処から入ってきやがった、と男の叫ぶ声が聞こえてきた。跳ねる心臓を押さえ、とっさに抜刀するが、どうやら声はわたくしに向けられたものではないようであった。


「頭ぁ、やっぱり鼠がいやしたぜっ。」


反対側の壁、工場の入り口から、品の無い声で男が叫ぶ。と同時に、先ほど押さえた心臓が、再び飛び跳ねるのを感じた。男が連れているのは、ぐったりとした様子の千代松であったのだ。告げずに出てきたとはいえ、すぐ近くにはいたのだから、彼がついてくるのも当然予測するべきであった。なにせ、あの女は彼の村の仇でもあるのだ。

廃工場奥の、詰所らしき部屋から、くだん深靴ブーツの女が、ゆっくりと歩を進めてきた。


「貴様、やはりあの小僧ではないかっ。」


その背後から、畔戸屋がばたばたと提燈ランタンを片手に追いすがる。千代松の姿を確認すると、いらだたしげに捲くし立てた。


「お前を連れ立っていては、いつお上にことが知れるものか、まったく気が気ではないわっ。」


「おれを連れ出したのは、お前さンの方だろう。一人で行きゃあ良かったろォが。」


癇癪を起こす畔戸屋に、千代松を引き取った女が気だるげに返す。遠目にも、千代の呼吸がしっかりしていることは確認できた。


「いつまで怯えてんだい。抜き荷も人攫いも、郷士にさえ成り代われば全部チャラにできるだろうに。」


「ああ、そのための鉄騎軍団だっ。それを貴様らのために失敗するようなことがあれば、心底ぞっとせんわっ。」


やはりとも言うべきか、表の荷車トラックや揃えられた単車バイクは、恐るべ謀反のための備えであった。なおも口論を続ける女と畔戸屋であったが、埒が明かぬと勘弁したか、畔戸屋は、女に千代松をつき返させた。あの娘と同じ蔵に入れておけ、と、わめいた。


女と畔戸屋が詰所へ下がるのを確認すると、わたくしは一つ小細工をして、男の行く先、蔵へと向かうこととした。


さて、男が千代松を担いできたのは、別建の資材庫であった。男が扉を開ければ、その一角が畳敷きの座敷牢として改造されているのが伺えた。おそらくは、拐した娘を売り飛ばすまでそこに軟禁していたのであろう。


千代松を放り込もうとしたその隙を狙って、わたくしは物陰から飛び出した。

男が叫ばんとするのを、顎打ちの一発で黙らせると、男を資材庫へ連れ込み、扉を閉めた。


「あン、た。」


朦朧とした声で、千代松がわたくしを呼んだ。着付けに水を飲ませてやると、意識はだんだんとはっきりしてきたようだった。


「千代、痛むところはあるか。」


「ごめん、俺、」


続けて誤ろうとする千代松を押しとどめる。ぐったりとはしていたものの、特段目立った傷も無く取り押さえられたようだった。おまえのお陰で。お留さんの居場所がわかったのだ、と伝えると、千代松はあいまいな顔をしてうなずいた。


さて、千代松の無事を確かめた後、わたくしはお留さんの姿を探した。男の提燈ランタンを拝借すると、資材庫の一角、座敷牢を照らす。

見渡せば、黒檀の檻の奥で、お留さんは桐箱を抱え込むようにうずくまっていた。

思わず叫びそうになるのをこらえて、千代松と二人お留さんに駆け寄る。


「ああ、剣生、さん。」


ずいぶん手酷く痛めつけられたのか、お留さんの体にはあちこちあざが残っていた。わたくしが体を抱えあげると、申し訳ありませぬ、と、切れた唇でお留さんがわたくしに縋った。


「剣生さん、私、郷士様のお荷物を、守れなくって。」


「そんなのいいよ、親父殿おやじどんになら、あたしが一緒にあやまるから。」


なおも、ごめんなさい、ごめんなさいと無き縋るお留さんの姿に、わたくしは自分に対する不甲斐無さで泣き出さんばかりであった。あの明るい笑顔を傷つけてしまった後悔と怒りで、再びふつふつと怒りが湧き上がるのを感じていた。

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