JK、辻車にて談笑を交わす

さて、そこからの一週間は、どたばたと慌しく過ごすこととなった。わたくしも、女中のお留さんも、長いこと故郷くにを離れるのははじめてであったから、旅の支度や方々への挨拶に戸惑うばかりであったのだ。


学友に此度の行脚についてはなしたところ、やたらに羨ましがられるやら、心配されるやら、仲のよかった女剣生の中には、面白がって千人針を縫おうなどと言いだすものまで出る始末であった。

遠く広島までの往復とはいえ、あまり手の込んだ御守りも気恥ずかしい話である。千人針はどうにか丁重に断ったが、結局のところ出立の時分には、山ほどの御守りを持たされる羽目となったのであった。


さて、出立の日、雉鳩きじばとのほう、ほうと鳴き、朝靄の薄まる頃合。

剣生服に日よけの笠という出で立ちで、街道の傍らにて親父殿と合流した。朝早くではあったが、見送りに出てくれた幾人かの学友に礼を伝えると、親父殿から例の荷物を見せられた。


「これを、広島の松枝屋という商人に届けて欲しい。日向の津逗島つずしまから、と伝えれば、学舎への口利きもしてくれるからね。」


渡されたのは、古びた桐箱であった。品の良い紫の風呂敷に包んだのち、お留さんがそれをひょいと背負った。


「それでは、行ってまいります。」


そういって親父殿に頭を下げると、お留さんも続くように、ぺこり、と礼をした。


その日の旅程は、大まかに以下のようである。ひとつ山を越えた宿場町から、門司もじの港のすぐ側まで、昼に一度の辻の車ばすが通じているので、ひとまずはそこを目指すこととなっていた。辻の時間に間に合わぬようなら、その町で一晩宿を取る事も考えていた。


街道をしばらく行き、山の麓まで差し掛かった頃。歩きなれぬのを気遣って、荷物の一つでも持ちましょうか、と訊ねたが、お留さんは初めての遠出に随分と興奮した様子で、いいえ、いいえ、私が持ちたいのです、と、楽しそうに笑っていた。


しばらくは、わたくしの目線よりも少し低い頭が、ひょっこりひょっこり歩いているのを好ましく見つめていたが、山の天辺に差し掛かり、昼餉を取る頃合になっては、随分とばててしまっている様子だった。

結局、辻車ばすの刻限までは幾分余裕があったので、山の下りは、例の桐箱のみをお留さんに預け、わたくしが荷物をもって、ゆっくりと歩くこととした。


さて、辻車ばすの刻限間近となって、わたくしとお留さんは例の宿場町にたどり着いた。わたくしにとっては、学舎同士の交流や、村では買えぬ品の仕入れなど、すっかり馴染みの町であったものの、お留さんにとっては見るもの全てが新鮮なのか、乗り場まで急ぐことに、随分と心を痛まされる羽目となった。


「私ひとりではしゃいでいるようで、なんだかお恥ずかしいです。」


辻車ばすの座席にようやくありついた頃、胸の高鳴りを押さえられぬようで、はあーっ、とため息をつきながら、お留さんがそう言った。興奮のためか、羞恥によるものか、心なし頬をぽっぽと染めている様子であった。


「あたしだって、初めてはそうでしたよ。」


すっかり布団の引き剥がされた座席に、藺草作りの茣蓙が引かれていた。腰巻スカートの汚れぬように、すわり心地を確かめると、わたくしもお留さんの隣に腰を落ち着けた。


「剣生さんは、お船にも乗ったことがおありなンですよね。」


「ええ、海釣り用の小さなものでしたが。」


わたくしたちの村は、四方を山ばかりに囲われた、奥まったところであったが、親父殿の計らいで、年に何度か剣生揃って近くの村を訪ねることがあった。瀬戸内せとうちの漁村などでは、親交を深めた剣生と、海遊びに興じることも少なくはなかった。


「私などは、海を見るのも初めてですから、昨晩はすっかり目が冴えてしまいました。」


硝子ガラスの取り払われた窓からは、掛けられた簾をはためかせるような風が吹き込んでいたが、その音にも負けぬくらい、お留さんは元気いっぱいであった。


「それに、広島、広島ですっ。」


お留さんの頭が、またしてもひょこひょこと元気にはねた。


「お話を伺ってから、何度かおまちの本を読んでいただいたンです。お街には、ご飯やお菓子のお店がたくさんあって、戦争が起きる前などは、私たちくらいの女子おなごはみんな、連れ立って遊んでいたンだと聞きました。」


実のところ、わたくしもそういった都会に憧れて、此度の仕事をお受けした面があるのだが、幼い頃から奉公暮らしであったお留さんにとっては、その憧れもひとしおであるようだった。

目を輝かせながら、都会への憧れを語るお留さんであったが、歩き通しの疲れが出たのか、次第にこくりこくりと船を漕ぎ出した。


「あたしが起きてますから、お留さんは休んじまってください。」


そう言うと、名残惜しそうにしながらも、お恥ずかしい、と今日何度目かの台詞を口にして、お留さんはすう、すうと寝息をたてはじめた。


「女子二人で遠出とは、大変だね。」


お留さんがすっかり寝付く頃を見計らって、辻車ばすの運転士が声を掛けてきた。


「いや、そっちのお嬢さんがあんまり楽しそうだから、ついね。」


目線をこちらに向けることはないが、煙管を握った指でしっかりとお留さんを指して、運転士はそういった。一度煙管を口に戻し、紫煙をゆっくりと燻らせながら、お客さん、剣生かい、と訊ねてきたので、ええ、そうですと、眠った子を起こさぬよう、声を低くして答えた。

運転中は随分と暇なようで、二言三言世間話を交わすと、運転士はとつ、とつと語り始めた。毎日毎日、この辻車ばすを走らせてきたが、一度乗せた客の顔は、忘れないのが自慢なんだ、と、灰を捨てながら笑っていた。


「ただ、ねえ。」


少し力なく、運転士がぼやいた。


「俺もこいつも、この仕事は長いんでね。いつガタが来てもおかしくない。」


窓の外に出した右手で、たん、たんと労わるように車体をたたいて言った。


瓦斯倫ガソリンも年々入ってこなくなってるし、俺の代でこの辻は仕舞いにしようと思ってンだよ。」


「それは、随分寂しくなりますね。」


頭を掻いて笑いながら、そうなる前に、元気な顔で帰ってきておくれよ、と、運転士は言った。

後尾席の窓に取り付けられた風鈴が、ちりりん、ちりりん、と、どこか寂しげになるようだった。

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