第7話

 ぱらりと頁を捲っても、書かれた内容はまるで頭に入ってこない。

 理由は考えるまでもなく分かっている。ついさっき、一か月ぶりに顔を合わせた弟妹たちの姿が、頭から離れなかった。


 あの男は最低だけれど、一応約束を守る気はあったらしい。彼らは私が願った通り、上質な服を着て、いいものを食べさせてもらっていた。一部の部屋を除けば屋敷内のどこに行ってもいいし、町に出かけるのだって自由だという。作法の勉強なんて窮屈で嫌だとアランは零していたけれど、貴族でなくてもそれは十分あの子たちの糧になるだろう。カレルなんて、それに加えて高等学院の入学試験のために家庭教師をつけてもらっているというのだから驚きだった。


 私がこの部屋から出られないのは、重い病にかかったから、ということになっている。今日はたまたま体調が良かったが今後も頻繁に会うことは出来ないと、そうあの子たちには説明されているらしい。あんなことを言ってしまった手前、話を合わせるしかなかった。

 最近あまり食欲がなかったせいだろう、アランやヴィーには痩せたとか顔色が悪いとか心配されてしまったけれど、そういう意味では都合が良かったのかもしれない。

 ……カレルだけは、ずっと何か言いたげに私を見ていたから、恐らく真実に気付いているのだろう。けれど、あの子一人で出来ることなんてほとんどないだろうし、あったとしても助けてほしいとは思わない。私を支えようと無理をすることもなく、ようやくやりたいことに熱中出来るようになった弟の邪魔はしたくなかった。


 ぱたん、と本を閉じたところで、控えめに扉を叩く音が耳に届く。「入ってもいいか?」という問い掛けもどこか遠慮がちで、私は思わず息を吐いた。


「あなたの屋敷でしょう。勝手に入ればいいじゃない」

「今は君の部屋だろう。許可なく女性の部屋に立ち入ることは出来ない」

「……逆らわないと約束してしまったのだもの。同じことだわ」


 感情を排した目をちらりと向けて、淡々と返す。部屋に入ってきた彼は、それを聞いて表情を歪め、ほんのわずかに声を荒げた。


「俺だって約束は守っている! 今日だって君の望んだ通り、カレルたちに会うことを許したじゃないか」

「頻繁に会うことは出来ないのでしょう。そもそも、あの子たちを私から引き離したのはあなたよ」

「だが、彼らを助けたのも俺だ」


 必死な様子で言い返す男に対し、私は思わず「助けた?」と声を上げる。


「私に対する人質でしょう? その価値もなければ、あなたはあの子たちを助けたりしなかったはずよ」

「助けたさ。君の家族だ」


 父と母を殺したくせに、一体どの口で言うのか。


 言い返そうとした言葉は、けれど怒りのあまり言葉にならず、そのまま消えていった。私が黙り込んだのをどう受け取ったのか、彼は「リリー」と私の前に膝をつく。

 手を取られても、今の私には、それを振り払うことは出来ない。何より憎い男の手を振り払うことが、大切な家族の手を振り払うことと同義だなんて、何の冗談だろう。


「幸せにすると言っただろう。君の望むことなら、何だって叶えてやる。だから……すぐにとは言わないから、いつか、俺を愛してくれ」


 何故、と唇を噛む。加害者のくせに、私から全てを奪ったくせに、その声はどこか辛そうな、悲痛な色を帯びていた。


 私を好きだと言った彼の言葉は、決して嘘ではないのだろう。こうして脅しまがいのことはされているけれど、この男が暴力に訴えたりしたことは、この屋敷に来てから一度もなかった。気位ばかりは高い王族のくせに、私がどれだけ冷たい態度をとっても、怒りに任せて私に手を上げることはしない。それどころか今だって、こちらの顔色を窺って、機嫌を取ろうとしている。言うことを聞けと命令されたら、今の私は逆らえないのに。

 もし両親が今も生きていたら、その上でこの王都で普通に出会って、同じように愛を囁かれたら――私はもしかしたら、その想いを受け入れていたのかもしれない。男性にここまで愛されて、理由もなく拒める女性がどれだけいるだろう。


 ……けれど、それは全て仮定の話だ。「嫌よ」と首を振って、私は目を細める。


「言ったでしょう。私は、絶対にあなたを許さない。何だって叶えてくれるというのなら、今すぐにお父さんとお母さんを返して。私ではなく彼らの前に跪いて、犯した罪を償って」


 彼は私の両親を殺した。無実の両親を陥れて、話も聞かず私たちから奪い去った。

 実際に決めたのは彼の周りの人間や他の王族だったとしても、その言いなりになって処刑に許可を下したこの男を、許せるわけがない。そもそも彼は、私に対しては謝ったけれど、父と母を殺したことに関しては恐らく反省していないのだ。自分が処刑させた中に私の両親がいたから申し訳なく思っただけで、罪のない人間を殺させたことは悔いてもいない。おばさまや他の仲間たちの処刑に許可を出したことも、正しい行いだと思っているのだろう。


 この男は何も分かっていない。半年以上前に本人に言ったことだけれど、それは今も、少しも変わらなかった。自分の罪の重さを本当の意味で理解しているのなら、私に愛されようなどと――私がこの男を愛する日がくるなどと、どうして思えるのか。

 苦しげに表情を曇らせる彼を見て、わずかに胸の内に沸いた罪悪感を、心の底から忌々しく思った。

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