第6話
二日ぶりに帰った自室は、相変わらずどこか死んだような、寒々とした雰囲気を纏っている。奥にあるもう一つの扉まで歩いていき、その前で少しだけ逡巡した。耳を澄ましてもその向こうからは物音一つ聞こえないから、まだ目覚めていないという使用人たちの言葉は真実なのだろう。
深く息を吐き、鍵を開けて、その奥の部屋へと足を踏み入れる。急なことだったから家具は元々あるもので間に合わせるしかなかったが、女性が好むような意匠の家具が届いたら、すぐにでも入れ替えさせるつもりだった。
中央に置かれた寝台の上に、美しい黒髪の女性が眠っている。その様はまるで、御伽噺の類に出てくる、囚われの姫君のようだった。……だとすれば、俺は姫を攫った悪者か、と苦笑する。しかしようやく手に入れたものを、簡単に手放すつもりはない。
この半年、俺はリリーの元を一度も訪れなかった。二度と現れるな、という彼女の言葉を聞き入れたわけではない。だが、あれ以上しつこく言い寄っても、余計に拒まれるだけだろう。どうすればいいだろう、と悩んでいるうちに時間ばかりが経っていた。
だから、兵たちに押さえつけられたリリーを見たとき、俺は驚くと同時に歓喜したのだ。
これで、彼女を手中に収める口実が出来た、と。
「……ぅ」
寝台の近くに椅子を引き寄せて腰かけ、リリーの頬にそっと触れる。彼女が小さく呻いてゆっくりと瞼を持ち上げたのは、ちょうどそのときだった。
ぼんやりと宙を彷徨っていた青い瞳は、俺の姿に気付いた途端、最早見慣れてしまった鋭い色を帯びる。リリーは息を呑んで起き上がろうとするが、その体は一瞬浮いただけですぐに力を失い、再び寝台へと沈み込んだ。
「二日も眠っていたんだ、無理に動かない方がいい。薬もまだ抜けきっていないだろう」
「あなた、何を……!」
苦笑交じりに声をかけた俺を、彼女は鋭く睨みつけてくる。これも眠っていたせいだろう、掠れた声はそれでも美しくて、どこか扇情的ですらあった。
「飲ませたのはただの睡眠薬だ。効果はかなり強いものだが、副作用はほとんどない」
「違う、そういうことじゃないわ! どうしてこんな……何故私を殺さないの!」
「殺す?」
泣き叫ぶようなリリーの言葉に、俺はむっと眉をひそめる。あれだけ言ったというのに、彼女はまだ理解していないらしい。
「俺がリリーを殺せるわけがないだろう? 君が処刑される前に保護出来て良かった」
「保護? 監禁の間違いでしょう」
吐き捨てる彼女に、俺はそっと手を伸ばす。寝台から起き上がれない彼女は、びくりと肩を震わせ、逃げるように目を逸らした。その頬に触れて無理やり視線を合わせれば、その宝石のような青い瞳には、あの日俺を魅了したのと同じ光が灯っている。
「触らないで。……おばさまは? 他のみんなはどうしたの」
「君も分かっているのだろう? 反逆者どもを生かしておくほど、この国は甘くない」
「なら、私のことも殺すべきだわ」
一瞬だけ見せた酷く傷ついたような表情は、すぐに元の冷たく険しいものに戻った。リリーの言うことはもっともである。彼女は罪を犯したのだ。反乱に加担し、王族の住まう屋敷を襲うという、殺されて当然の大罪を。
それでも、愛しいと思ったから、リリーを助けた。感謝すらされないのが悔しくて、だがそれが筋違いな怒りであると理解している冷静な自分もいる。見せつけるように深く息を吐いて、俺は答える代わりに別な言葉を口にした。
「君は二日間眠っていた。反乱に少しでも手を貸した人間は全員捕らえられて、今日までに処刑もほとんど済んでいる。所詮は小規模な平民の集まりだ、すぐに鎮圧されたが、王族に反旗を翻すというのはどちらにせよ重罪だからな。猶予を与えるまでもない」
「だったら私もここから出して、刑場に送ればいいでしょう」
頑なな彼女の態度に、思わずふっと笑みを漏らす。今の俺には切り札があった。それを持ち出せば彼女は逃げることを諦めるだろう、という確信すらあった。
「君の弟妹たちのことは、心配ではないのか?」
案の定、そう囁くとリリーはハッと目を見開く。震える白い手が、力なく俺の服の裾を握った。薬の効き目がまだ残っていなければ、もしかしたら掴みかかられていたのかもしれない。その証拠に、彼女の視線はなおも俺を射殺さんばかりに鋭かった。
「あの子たちに、何をしたの……!」
「危害を加えてはいないさ。二日前――君が来たすぐあとに使いをやって、それからずっとこの屋敷で保護している。手厚くもてなすように言いつけてあるから、むしろ今の状況を楽しんでいるかもしれないな」
答えたところで、リリーが表情を緩めることはない。それどころか、俺の言葉を疑うかのようにその視線は鋭さを増す。対し、俺は笑みを強めてみせた。
「あのままでは、彼らも無事では済まなかったかもしれないだろう? 君はその危険があることも、姉を反逆者として喪った子供たちが更に苦労することも分かっていて、彼らを捨てたんだ」
「違うわ!」
俺の言葉を打ち消そうとするように、リリーは叫ぶ。両手で耳を塞いで、きつく目を閉じて、身を守るように寝台の上で体を縮めて、彼女は「違う」と小さな声で繰り返した。
「あの子たちを捨てたりなんかしない! 私はただ……あなたさえいなければ、こんな……」
「俺がいなければ、君は殺されていた」
リリーが言っているのは、彼女の両親のことだろう。だが、たとえ俺がいなくても、俺以外の誰かがこの地位について、彼らの処刑に許可を出していたはずだ。
彼女の言う通りリシュカ夫妻に罪がなかったとしても、王族にとって邪魔だと判断されたのなら、いずれ殺されていた。だから、……俺は、悪くない。
「リリー、諦めてくれ。君がここにいれば、彼らは何不自由なく暮らせるんだ。君のことも、その弟妹たちのことも、俺が絶対に守る」
幼子に諭すように語り掛ければ、リリーは迷うように瞳を揺らす。
しかしやがて、彼女は疲れたように「いいわ」と嘆息した。どこか泣きそうな顔で、しかし真っ直ぐに俺を見据える。
「あなたの好きにすればいい。あの子たちに、決して危害を加えないと約束するのなら……閉じ込めたり行動を制限したり、平民だからと蔑ろにしたりしないで、きちんとした教育を受けさせてくれると誓うのなら。あの子たちが美味しいものを食べて元気に暮らしていけるのなら、私はあなたに何をされようと、もう文句は言わないわ」
そこでリリーは一旦言葉を切る。気付けばその表情は、再び鋭さを帯びていた。「でも」と続くその言葉も、聞き慣れた冷たいものに戻っている。
「私は、あなたを許さない」
……これでもう、リリーは俺から離れられないはずだ。自分が大人しくすれば弟妹たちは裕福に暮らせるし、逃げれば彼らがどうなるかも分からないのだから、俺に縋るしかないはずなのだ。だから、望み通りに彼女を手に入れたと思っていた。
けれど、本当に欲しいものは未だ掴めてはいないのだと、その言葉に気付かされた。
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