第5話

「王都に来るのは久しぶりだわ」


 生まれ育った町は、今も昔と変わらず、冷たくそこにある。

 昔、裕福な生活を送っていた頃は、王都は温かく私たちを育ててくれる町だと信じていた。けれど両親を喪ったあのときから、私にとってここは敵地なのだ。

 味方なんて誰もいない、叫んだところで誰も助けてくれない、冷たく残酷な場所。だから両親が死んで以来、ここに足を踏み入れたことはなかった。もちろん、昔の知人に出会ってしまったら都合が悪いというのもあったけれど。

 私がそっと微笑むと、その言葉が聞こえたらしい仲間が何人かこちらを振り返った。


「悪いねぇ、リリー。嫌なことを思い出させて」

「平気よ、おばさま。力になれて嬉しいわ」


 彼女の他にも、同じ町で暮らす顔見知りが十数人、私の周りに集まっている。全て同じ目的でここにやってきた人間だった。他の町から集っているという見知らぬ仲間も、今頃は私たちと同じ場所に向かっているのだろう。


 王族に復讐を、と最初に叫んだのは一体誰だったのか。

 二年ほどかけて少しずつ大きくなってきたというその組織に私が誘われたのは、半年以上前……あの男に口説かれるようになってすぐのことだった。王都やその付近のいくつもの町で、同じような境遇の人々が集まって、それぞれの中心になっている人物同士がたまに会って意見を交換してきたのだという。

 私に声をかけて躊躇いがちにそれを語ったおばさまは、嫌ならそれで構わないのだと言ってくれた。実際、平和な生活を再び失いたくないからと、誘いを断る人も多いらしい。それでも組織の存在が今まで知られずにいたのは、大切な人を奪われた怒りはみんな同じだからだろう。


 旦那様と一人娘を殺されたというおばさまは、一人だけ生き延びたことをずっと後悔していて、だから余計に私たちを放っておけなかったのだと言った。他にも、恋人を殺されて、その人が庇ってくれたおかげで助かってしまったのだと泣いた人がいた。故郷を焼かれて、たまたま遠出していた自分ばかりが残されたのだと語る人もいた。六年前に私たちを助けてくれた恩人は、あの男の前に同じ仕事をしていた王族に家族を殺されて、だから放っておけないのだと言いながら、危険を冒してまで私たちを逃がしてくれた。

 私だってそう。決して平穏な生活を望まないわけではないけれど、心の内にあの時からずっと巣食っている黒い感情が、いつまで経っても消えないのだ。


「今からでも、あんたは引き返すべきだと思うんだけどねぇ」

「おいおい、冗談だろ? リリアナがいなきゃ、俺らは来てすぐに迷ってるよ」


 浮かない顔のおばさまに対し、隣を歩いていた仲間が大げさに驚いてみせる。弟妹たちのことも知っているおばさまは、どちらかといえば私の参加には反対のようだった。私自身も、戦う力もなければカレルほど際立って賢いわけでもない自分に、出来ることなどほとんどないことは分かっている。けれど私たちの中で王都出身者は私だけだったから、こうして案内役を引き受けていた。

 危なくなったら逃げていい、とみんなは言ってくれるけれど、恐らくそれは不可能だろう。そもそも、仲間を置いて一人だけ生き残るつもりもない。彼らだって、戦った経験などないのは変わらないのに。


 角を曲がり、古い店と店の間の路地に入る。崩れかけた壁の煉瓦を一つ外せば、教わっていた通り、そこから取っ手が現れた。

 事前に受け取った鍵で扉を開け、足元のわずかな灯りだけを頼りに、薄暗い階段を静かに降りていく。更に少し歩けば、前方の広い空間に人が集まっているのが見えた。


「私たちが最後みたいね」


 老若男女、合わせて百人と少しだろうか。聞いていた人数もそれくらいだった。首を傾げれば、中央に立つ男性がこちらに気付く。恐らくその周辺にいる人たちが、ずっと王都に潜んで機を窺っていたという仲間なのだろう。彼はよし、とでも言いたげに小さく頷くと、「みんな、よく集まってくれた」と声を上げた。


 ここから城のすぐ近くまで繋がっている地下通路があること。隣の部屋には彼らがこの日のために集めた武器や道具があること。種類は多くないが数は揃っているから、全員武器を持って城に向かうこと。他の役割を与えられている者は、それぞれの仕事をこなすこと。

 彼の話は事前にそれぞれの町でも説明されていて、ここに集まっている仲間たちにとって新しい情報などない。それでも、誰も声一つ洩らさなかった。それは言われた通りに各々の武器を握り、王城に行くまでも同じこと。ぴんと張り詰めた糸のような緊張感の中に、けれどどこか後ろ向きな喜びが確かに混じっている。


 最後尾にいた私たちが通路を抜ける頃になると、少し離れた城の前には異変を察知した兵士たちも集まりつつあった。城に入れまいとしてだろう、門の前で固まる彼らに向かって、仲間たちは口々に叫ぶ。


「そこを退け!」

「うちの子を返しなさいよ、この人殺し!」

「王族の奴らを出せ!」


 その中に加わるおばさまや他の仲間たちと別れ、私は目立たないように別な方向へと歩みを進めた。私を含めた何人かは、別な役目を任されている。言われた通りに城から離れ、ある大きな屋敷に向かった。


 王族は成人して政務を任されるのと同時に、王都内に屋敷を一つ与えられる。王都といえど土地に限りはあるから、一つ一つの屋敷は貴族が自領に持っているそれほど大きくはないし、庭だってかなり狭い。それでも、王都に点在するそれらは王族の権威の象徴だった。この前を通ることすら、平民は躊躇うのだ。

 当然、門の前には見張りが何人か立っている。

 私が近付いたのに気付くと、彼らは「何か?」と首を傾げた。丁寧ではあるけれど、見知らぬ客に対する警戒心は見て取れる。ただ、今の私は地下の隠れ家で受け取った、普段よりずっと上質な服に着替えている。それは裕福な家庭の子女が町に出かけるときに纏うようなもので、彼らもそれに気付いているからだろう、門前払いされる様子はなかった。

 安堵の表情を押し隠しつつ、小さい頃に受けた教育を思い出して、ふわりと微笑んでみせる。


「この家のご主人にお話ししたいことがあるのだけれど、ご在宅かしら? 父には黙って出てきてしまったから、このことは内密にしていただきたいのだけれど」


 こう言ってしまえば、彼らは自分より身分が高いかもしれない私に対してそれ以上追究出来ない。狙い通り、その言葉を聞いた見張りの兵たちは背筋を伸ばし、「はい」と頷いた。


「旦那様に確認して参りますので、少々お待ちいただけますか? 客間にご案内いたします」

「ええ、お願い」


 ここまでは上手くいった、と彼らが門を開けるのを見ながらこっそり息を吐く。ここからが重要だった。


 門が開き、見張りの兵の一人が「どうぞ」と振り返る。

 その隙をついて、私は彼の横をすり抜けて走り出した。なっ、と背後で驚く声を無視して狭い庭を駆け抜けて、建物のすぐ近くまで来たところで、懐から小さな玉を取り出す。飛び出ている小さな紐を引き抜いて、ちょうど開いていた頭上の窓に放り入れれば、一拍遅れて玉は勢いよく破裂した。飛んできた窓硝子の欠片から顔を庇いつつ見上げると、窓の奥に炎が見える。

 あれは威力の弱いものだから、すぐに火は消し止められるだろう。けれどここで騒ぎを起こすこと、それ自体が私の目的だった。正確には、そうすることで城に向かった仲間たちの負担を少しでも減らすことが。


 王族の屋敷で立て続けに事件が起きれば、こちらにも人員を割く必要が出てくる。王都で身を潜めていた仲間たちが、視察に行く要人の警護なんかが重なって守りの薄くなる日を調べてはくれたけれど、それだって足りないのだ。だから、城に潜入するのなら、とにかく他に目を逸らさせる必要があった。

 迷わずに屋敷に辿り着いて、見張りに怪しまれず門を開けさせなければ目的は果たせないから、この役目を負うのは王都に詳しく、貴族然とした振る舞いが出来る人間でなければいけない。当然すぐに捕まるだろうから、命と引き換えに等しい役目だけれど、私を含めた全員が二つ返事で了承していた。

 だって、城門前で派手に騒ぎを起こしているみんなも、結局は私たちと変わらない囮なのだ。少ない人数で、硬い守りを前に、正面から戦えるわけがない。他の全員を犠牲にしてでも、誰か一人でも隙間を抜けて辿り着ければ私たちの勝ち。これは、そういう戦いだ。


「この女、よくも!」


 そこで、見張りの兵士たちが追い付いてきた。逃げる間もなく押さえつけられ、首元に剣を突きつけられる。硝子で傷つけたばかりの腕が強く捻られて痛むけれど、それを彼らに知られたくはなくて必死に堪えた。殺される、と思って身構えるも、別な男が慌てたように「殺すなよ」とそれを止める。


「旦那様にお伺いを立ててからだ。本当にご友人だったらどうする」

「そんなわけが――おい、暴れるな!」


 死ぬ覚悟なら出来ているとはいえ、あっさり捕まってしまったのは癪だった。けれど拘束から抜け出そうともがいたところで、戦うことを仕事にして鍛えている彼らに、武器を持ったこともない私が敵うわけがない。大人しくしない私に苛立ったのか、男たちの一人が「いい加減にしろ!」と鳩尾を殴りつけてきた。


「かは……っ」


 小さく声が漏れる。まだ私を殺すつもりはないようだから、手加減はされていたのだろう。けれどそうは思えないほど痛くて、落ち着こうとしても息を吸うことも出来なくて、目尻に涙が浮かぶのが分かった。けれど見開いた目には何も映らず、真っ黒に染まった視界はちかちかと明滅している。耳に届いた足音で、別な誰かがこちらに近付いてくるのが分かった。


「どうした? 何か――っ!」


 聞き覚えのあるその声は、言いかけた言葉を途中で止めて、鋭く息を呑む。

 あの別れから半年の間、彼が私の元を訪れることは結局一度もなかったけれど、聞き間違えるわけがなかった。

 ……その可能性を、全く考えなかったわけではない。けれど、まさか、よりによってこの屋敷だなんて。


 堕ちるように遠のいていく意識の中で、リリー、と呼ばれた気がした。

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