第4話

 帰り道を歩いていると、家の前からきゃっきゃと子供のはしゃぐ声が聞こえた。

 アランはともかく、知らない相手を怖がるヴィーまで外に出ているのは珍しい。そう思って顔を上げれば、家の前に立つ三つの人影が目に入る。

 ……二人と話している人間が誰か分かった瞬間、心臓が止まるかと思った。何とか笑顔を貼り付けて歩み寄れば、私の姿に真っ先に気付いたヴィーが、「お姉ちゃん!」と嬉しそうに声を上げて駆け寄ってくる。


「おかえりなさい!」

「ただいま、ヴィー。いい子にしてた? お客様とお話なんて珍しいわね」

「姉ちゃんに用事って言われたから、まだ仕事中だよって言ったんだ。そしたら、帰ってくるまで待つって言うから」


 そう、とアランの言葉に頷いて、私は二人に微笑みかけた。


「二人ともありがとう、ちゃんとお留守番できて偉いわ。私は少しこの人に話があるから、中に入って待っていてくれる?」


 幼い弟と妹は私の言葉を疑いもせず、素直に頷いて家の中へと消える。どうしてか何も言わずにやり取りを見ていた男の方を、私は鋭く睨みつけた。


「まずはあの子たちから懐柔するつもり? 最近姿を見ないから、ようやく諦めたのかと思ったのに」

「……いい子たちだな。リリーに似て優しくて……君のことを、とても慕っているのが分かった」


 それが何、と眉をひそめる。あの子たちが私を慕うのは当然だ。物心つく前に両親を失ったあの子たちにとって、あれ以来、自分を守ってくれる『親』は私だけなのだから。当時はまだ今のアランくらいの年だったカレルにまで、それを背負わせるわけにはいかなかった。だから余計に必死だったのだ。

 それだけの思いをして守ってきた弟妹たちに、よりによって仇敵であるこの男が近付いてきて、黙っていられるはずがない。私だけならまだ、不快な思いをするだけで我慢できたけれど。

 そんな私に対し、目の前の男はどこか居心地悪そうに息を吐く。……珍しい、と思わず瞬いた。二週間前までは、私が何を言っても緩んだ顔で、楽しそうに返してきたのに。

 そう冷静に見ていられたのは、続く言葉を聞くまでだった。


「君の過去を調べさせた」

「……過去、って」


 震える唇で、一体どこまで、と繰り返す。顔から一度に血の気が引いたように感じた。男は申し訳なさそうな顔で、「全てだ」と答える。


「君の両親は六年前に反逆者として処刑され、君たちは恐らく当時俺の部下だった者に手引きされて逃亡したと」

「そこまで知ったのなら、どうして平然とここに立っていられるの」


 零れ落ちた言葉は自分でも驚くほどに冷え切って棘のあるもので、びくりと目の前の男が肩を震わせた。

 ……知ったことか。事情を知ってなお、自分が被害者のような顔をする、人でなしのことなんて。


「俺が君たちの両親を殺したようなものだ。だから……その、君に――」

「今更あなたが謝ったところで、父も母も帰ってこないわ」


 この男の罪悪感が薄まるだけだ。あるいは、まさか、その程度で私が許すとでも思っているのか。だとしたら相当おめでたい頭だ、と私は彼を睨んだ。


「あなたが殺したのよ。殺したようなもの、ではなく」

「……だが、俺は、自分の役目を果たしただけだ。リリーの言う通り何も分かっていなかったし、それはすまなかったと思っているが……君の両親が罪を犯したのは、事実だろう?」


 ぱしん、と乾いた音が辺りに響く。

 一拍遅れて我に返れば、目の前の男はどこか呆けたように私を見つめていた。


 やってしまった、と衝動的なその行為を一瞬だけ後悔する。王族に手を上げるなんて、それこそ不敬罪で殺されてもおかしくない。……だけど、両親のことを悪く言われるのは、相手が誰であっても耐えられなかった。彼らは、罪など犯していないのだから。


「出来ないことを出来ないと言うのが罪なの? 貴族に無理な注文をされて、正直に話して断ったら殺されるなんて無茶苦茶だわ! たとえそこで頷いていても、今度は嘘を吐いたと言って処刑したのでしょう。どちらにしろあなたたちには、お父さんとお母さんを生かす気なんて、最初からなかったのよ!」


 紫の瞳が、そこで動揺するように揺れた。「それは」と呟き、男は私に視線を戻す。


「やはり……そう、なのか」

「あなたがやったのでしょう。私に訊かないで」


 彼の表情は迷っているようにも、悔いているようにも、どこか追い詰められているようにも見えた。

 この男が自分の罪を何も分かっていないのは、私だってよく知っている。周りの傀儡になって、言われるままにたくさんの人を殺してきたのだろう。その程度で、同情なんて湧かない。無知は罪だ。操られるのを疑問にも思わなかったことが、彼の罪なのだ。


「帰ってよ」


 呟けば、男は「え?」と驚いたように目を見開いた。一拍遅れて言葉の意味に気付いたのか、彼は縋るように手を伸ばしてくる。


「ま、待ってくれリリー。話を――」

「触らないで! ……これ以上、話なんてしたくない。帰って、もう二度と私たちの前には現れないで。あなたが本当に私を愛しているというのなら、私のためにあなたが出来ることなんて、それだけだわ」


 どうにか震えないようにと張った声は、代わりに冷たく強張っていた。それを聞いた男は、傷ついたように小さく息を呑む。けれど次の瞬間、彼は私を睨むように目を細めた。この男が私に対して負の感情を露わにするのは初めてで、何かされるのではないか、と思わず身構える。

 予想に反し、彼は「そうか」と小さくそう呟いただけで、そのままくるりと踵を返して去っていった。案外あっさり引き下がったものだ、と拍子抜けする。

 小さく息を吐いて家に入ると、上がってすぐのところに見慣れた少年が立っていた。


「おかえり、姉さん」

「……カレルこそ、おかえりなさい。いつの間に帰ってきたの?」

「ついさっき。裏口から入ったんだけど……アランとヴィーが、お客さんが来てるっていうから」

「そう。気分の悪い話を聞かせてしまったわね」


 ごめんなさい、と微笑んで彼の前を通り過ぎる。

 普段ならもうとっくに夕食の時間だった。仕事を終えて帰ってきたカレルはもちろん、下の子たちも当然お腹を空かせているだろう。そう思って支度を急ごうとした私を、弟が「姉さん」と引き留める。

 振り返れば彼はどこか懐かしい、泣きそうに歪んだ顔で私を見ていた。


「どうかしたの、カレル?」

「大丈夫なの? あいつ、王族でしょう。最近ずっと姉さんに付き纏っていた……父さんと母さんの、仇だ」


 その言葉に、私はわずかに苦笑する。

 人よりずっと記憶力の良いこの子がそれを覚えているのは、何も不思議なことではなかった。けれど、その質問に簡単に答えることは出来なくて、私はカレルをそっと抱き締める。昔は私よりずっと背が小さかったのに、今はほとんど変わらない高さになっていた。その頭を、いつも母がしていたように撫でる。


 少し前から、悩んでいることがあった。弟妹たちを残して私まで死ぬわけにはいかないから、その危険が少しでもあることは出来ないから、どうしようかと考えていたこと。けれど、と去り際のあの男の様子を思い出す。

 もし彼がようやく私を見限ったのであれば、それはつまり、いつあの男に殺されてもおかしくないということだ。燃え尽きる寸前の命なら、どう使おうと私の自由だろう。


「ごめんね、カレル。……二人をよろしくね」


 微笑んだのは彼には見えないだろうけれど、それでもただならぬ気配は察したのだろう。私の腕の中で、弟はそっと息を呑んだ。そのまま何か言おうとする彼を遮るかのように、抱き締める腕に力を込める。


 遺された人間の悲哀を、託されたものを守る苦労を、私は知っている。その全てをカレルに押し付けてしまうのは申し訳ないけれど、この子ももうすぐ成人で、守られるばかりの幼い子供ではない。かつての私よりずっとしっかりしているから、きっと大丈夫。

 そう思えば、ようやく心は決まった。

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