第37話 ザ・レイン・オブ・アッシュ・ウィル・ウェット・ユー

 

 

 

 

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 電脳世界フロムスペースでの戦闘は、現実時間に換算すれば一瞬だ。電子と数理は瞬き以下で全てを遂行する。

 

 「…………ここは」

 

 呟いたカレンの視界に広がったのは、彼女の認識の補強を必要としないほどに頑強なプレイベートエリアだった。ワイヤードで編まれたあやとりや、角張った画素等など欠片と無く。スムーズな処理速度はまるで現実そのもの、いや、何もかも、空間の構成因子を知覚できるこれはむしろ現実以上に世界を理解できた。電脳を潜るものの憧れがあった。

 

 吹き抜ける風――この鼻をくすぐる草花の爽やかさ。

 足裏に感じる土の柔らかさ――微かな湿り気と転がる砂利を踏む感触。

 視界めいいっぱい、彼方まで広がる緩やかな丘陵――果ての果て青が空を埋め、緑の優しい彩り。

 

 これらを現すのに一体幾つの式をスマートに纏めれば良いのか。どれだけの演算力が必要なのか。どれほどの想像力がこれを成し遂げるのか。

 カレンには分からない。彼女は天才だ。間違いなく。同年代に彼女ほどの電脳走者は存在しないと断言していいほどに、彼女は電脳の神に愛されている。

 だから、彼女が驚愕を表情にしていることがどれだけの先端技術を注ぎ込まれているのか、想像を大きく上回っているのかが明白だろう。

 彼女の知らぬことだか、これはドラゴンという超圧縮超高密度からなるスーパーコンピュータによって成し得るものだ。量子よりもさらに精密な世界の形を演算する事ができて初めて時は止まる。

 くしゃりくしゃりと厚い靴底で短く生えた草を踏みながら、カレンは歩いてく。

 ここは、あのドラゴンの中枢に位置し、なおかつ、この空間を彩るテクスチャは全て薄皮だ。つまりその向こう側に、彼女の目的はある。

 だが、

 

 「どこから手を付けようか……」

 

 視線を走らせ、軽く親指を噛むとカレンは呟いた。

 電脳世界フロムスペースでの認識力は、自我の確立等、演算力や理解力と同様、非常に重要視されている。つまるところ、この空間はあまりにも現実に酷似している為、カレンは、付け入る隙を見つけかねていた。

 時間の流れが違うとはいえ、あまり冗長にしてはいられない。敵の内側、侵入にも気づかれているかもしれない。目はそこら中にある。慎重にしても無意味だ。自身の姿をできるだけ晒さず、なにより素早く、的確に探し当てなければ……。

 

 「……まあ、いつも通りだな。うん」

 

 痕跡ログを残さず、掠め取るなり、破壊するなり。いつも通り。相手がいくら巨大で、強力で常識外れでもカレンのやることは変わらない。

 

 「うん……?」

 

 と、何やらカレンは目を細めた。少し向こう側の小高い丘の上。一つ、天を向く大きくも小さくも言えない木陰に、カレンは人影を見た。

 

 「……防壁ファイアウォール?」

 

 違う。そういう式は見えない。なら――とまで考えて、気づく。

 

 「あれ、もしかして」

 

 くしゃ、一歩踏み出していた。視界に映ったそれに目を疑ったのだ。気のせいだと、思わず駆け出して。

 

 「嘘だろ……?」

 

 丘の麓に爪先をぶつけ、気のせいじゃないと分かった。

 髪先を腰まで届かせるブロンドは、草木を揺らす微風に揺らいでいた。穏やかな眼差しは、カレンと同じ黄金を宿していて、空の青を映している。身に纏っているのは、近代的衣装ではなく、何かの民族衣装の様だ。詳しい者であれば、それが古代ギリシア等で着用されていたキトンによく似たものだと理解しただろう。

 

 「私だ……――」

 

 気づかれた。本能的な早さがカレンの仮想電脳神経路ラインを興起させる。真紅を身に纏う。瞳が煌々に爛々と、指先から爪先まで仮想電脳神経路ラインは一瞬で駆け巡って、戦闘起動アクションする。

 

 「……ん?」

 

 してから、また気づく。どうにもおかしい。こちらがこれだけ牙を剥き出しにしたというのに、相手は応えない。どういうことか。一瞬の合間に思考を巡らせ。

 

 「あれは……」

 

 新たな変化に気づく。木陰に人影がもう一つ。その影の持ち主のことも、彼女は知っている。

 ただ、それもまた、彼女の知っているその人とは別の趣があった。

 黒髪は長く、また風に揺らいでいた。眦は、見知った角度とはまた別で、微笑みに合わせ緩く下を向いていた。同時に感情を映す瞳もまた、彼とは違う色合い。それは物理的な虹彩の色合いではなくて、映り込んだ感情の色。見慣れた服装ではなく、隣の女性と同じ様な民族衣装を身に纏っていた。

 穏やかな空気。二人はそういうものを共有しているように、カレンには見えた。

 

 「ダーリン……? いや、ダーリンじゃない」

 

 一瞬迷ったが、カレンは迷いを切り捨てる。カレンは、同じ服同じ背丈同じ髪型であろうと間違えない。彼女のダーリンセンサーは高性能。

 

 「じゃあ、あれって…………」

 

 すると、察する。もう一人、居る。ケンゴと同じ顔をしている人物を見ているじゃないかとカレンは思い至る。

 

 「私は、これを取り戻したい」

 

 「っ?!」

 

 背後から声。振り向きながら飛び退って、仮想電脳神経路ラインを放って、視線を媒介とした即席破壊式ブレイカー

 

 「悪くはない」くすりと笑い「見込んだだけはある。ただ、人の中に土足で入り込むとは、無遠慮なものだ」

 

 格子状の、青い仮想電脳神経路ラインが空中で、カレンの赤を受け止めていた。じりじりと鍔迫合うのを視界に収めつつ、エンボルトはカレンを見つめる。

 

 「なるほど。あれらは、キミをここに連れてくるのが目的だったか。外が無理なら内側から。なるほど、道理だ」

 

 「あれ、」カレンは質問に応えず、木陰の下を指して「アンタの仕業だな。なんの嫌がらせだ」

 

 不愉快そうにカレンが顔を顰めた。エンボルトはふっと口元を緩め。

 

 「……因果のものだ。こういうところも似通うとは」

 

 「こういうところ?」

 

 「女の趣味さ」

 

 「……ていうか、アンタ、ダーリンの何だよ」

 

 「私は、そうだな……」一瞬、逡巡のち「父親、と言ったところか」

 

 「含みがある言い方」

 

 聞いていないとカレンは後で苦情の一つでも入れてやろうと内心思う。

 

 「父親らしいことは何一つとして出来ていないからな。今日、久々に顔を合わせた」

 

 「合わせたと思えば、殺し合い。ディスコミュニケーションもいいとこだ」

 

 エンボルトは、クックックと笑みを零し。

 

 「言い訳も効かないな」

 

 「……どうして、雑談なんかしている? こういう場合は、さっさと殺すべきだろ」

 

 「面影を、見てしまってね」懐古をはらんだ口調で言う。「少しばかり、話してみようと思った」

 

 ここでの出来事は結局、一瞬だからね。と付け加えて。

 

 「……あの人の事?」

 

 カレンは、視線をまた丘の上に。二人はまだ談笑を続けている。

 

 「ああ、そうとも」眦を下げ「私が愛した唯一無二で、私が世界を憎む最たる要因さ」

 

 「……死んだのか?」

 

 「ずっと、ずっと昔に。もういつの事か分からなくなるほど、遠い昔に。もう、笑顔の一つも思い出せないかと思っていたが……案外、人は憶えているものだ」

 

 「これ、もしかして……」

 

 カレンは悟って、歯噛み。やられた。ここは中枢でもなんでもない――。

 

 「私の記憶領域だ。ちょっとした保管場所だね。ホコリを被っていたんだが……君がひっくり返してくれたお陰でどこにあるのかを思い出せた」

 

 侮辱に等しかった。けれど、カレンには言い返しが効かない。だから、押し黙る。

 

 「しかし、君は幸運だ。もし私に辿り着いていればこうやって雑談をする暇すら与えなかった」

 

 「っ……!」

 

 思わず、カレンは、後退っていた。気圧された。明確な殺意、いや、違う。極自然な排除の意思。例えるならば、腕を這い上がる蟻を潰し転がす様な人としてありふれた殺意。それも瞳の圧力だ。言葉の厚みだ。

 そこで、カレンは気づく。ああ、ダーリンも兄さんも、皆、こういうものに対面してきたのだと。

 

 「……ははっ」――唇が緩む。

 

 気づいて、尚。

 

 「笑っているのか?」

 

 「いんや、別に?」

 

 分かっていても、性根は変わらない。この期に及んで、カレンは嗤う。己の性にひたすら正直であるが故。

 

 「なるほど」対する、エンボルトは真逆「撤回だ。似てないな」引潮めいて、笑みを消した。

 

 刹那、仮想電脳神経路ラインは瞬く。赤がしたたかと格子状の防壁を打ち据える。それ以上にはならない。ただ打ち据えるだけ。酷く軽いとエンボルトは感じ。

 

 「囮か。懲りないな」

 

 呟き、振り向く事無く、背後へと吹き出る青の仮想電脳神経路ライン。猛烈な加速を纏った赤色の球体がぶつかり砕けた。

 その時、空を震わすエキゾーストノート。高く鳴って、地面を掻き砕く。真紅の大型機関二輪エンジンバイクを呼び出し、跨ると同時に引き絞られたアクセルとブレーキは、砂埃を巻き上げて、コンパスのように回る。すると仮想電脳神経路ラインは煌々とタイヤ痕を辿って、円を明確に。

 

 「逃がすか」

 

 エンボルトの視線先に迸る即席破壊式ブレイカー。だが、円に沿って立ち上がる円柱型の障壁が弾けて殺す。

 

 「むっ……」破片を腕で薙いで「……潜ったか」淡々と呟いた。

 

 カレンの居た場所には、先程描いた底無しの穴。黒が口を開け、エンボルトを見ていた。

 

 「鬼ごっこ、か。幼少の頃以来だ」

 

 うっすらと微笑んで、彼の足裏が虚空を踏み抜く――――。

 丁度その頃、カレンは反射的にアクセルを吹かしていた。タイヤが硬い地面に食い込んで、車体を押し出せば、砲撃が降ってきた。一発で済まず、何発も何発も降り注いで乾いた大地に盛大な爆炎を上げる。それが予想できたからだ。

 

 「どこだここ!」

 

 どことも知らぬ古い都市。高度な発展は見受けられず、古びた様式が支配していた。

 そんな都市を破壊する、浮遊戦車ホバータンクの砲火と戦闘機ジェットファイター空対地ミサイルASM。渦巻く火勢と破砕の衝撃は、瞬く間に古き世界をこの世から抹消していく。

 強化外骨格エクソスケルトンに身を包んだ兵士達は歩調を緩めず、まるで一個の機械のように進軍する。

 ふっと注視すれば、強化外骨格エクソスケルトンにはどこかの企業軍の社章が見える。ならばここは企業郡所属軍の戦場だ。

 企業郡は超資本主義だ。何よりも資本を優先し、資本を与え奪う。ならば、これはある種の取り立てだ。企業群を拒んだか、押しつぶされる古い体制、国家の終わる刹那の光景だとカレンは戦場を駆けながら理解した。

 そうした取り立てに、人々は蹂躙されていた。


 「くっ……」

 

 いつまでも混乱してはられない。ここも記憶なのは間違いない。本物同然の砲撃が飛んでくるが、所詮、仮想だ。リアルではない。だがあまりにもダイレクトに視覚と聴覚、触覚に訴えかけるものに、カレンは慄く。だから視線と仮想電脳神経路ラインを全力で運用させ、走査する。

 グズグズとして居られなかったからだ。

 

 「やあ」

 

 角を曲がったカレンの目の前にエンボルトが現れた。

 

 「なっ!?」

 

 キィィッ! 高くブレーキ音。

 景色が変わっていた。どこかの都市、どこかのハイウェイ。〈エンパイア〉程で無くとも複雑と絡み合った道や橋は複雑に見え、道の両脇に建ち並ぶ高層ビルディング、輝く営みの光も遜色はない。先の古い都市に比べればかなり先進的な雰囲気だ。

 ここはどこか。エンボルトの中で、先までと地続きであるならここも彼の記憶領域だろう。

 ブレーキを掛けたことから分かるように、カレンは走行中だった。

 

 「いくら埃を被っていたとしても、一応、私の中なものでね」肩を竦め、「逃げ場はない」断言した。

 

 「……ここもアンタの記憶の中?」

 

 「ああ、そうなるね。ほら、あれを見ると良い」

 

 おもむろにエンボルトは指を持ち上げた。指先は、ハイウェイから外れ、真っ暗な都市上空に。カレンが見上げたその時――炸裂エクスプロード

 閃光だ。凄まじい輝きが上空で爆音と同時に炸裂して、その規模を瞬く間に広げていく。光に触れた傍から建造物は元の形を失い、砕け散っていく。呑まれてしまえばもう、光の密度が覆い隠すから見えなくなってしまった。

 見る見る内、いや、見る間も無く、光は拡大し、人々を、都市を、ハイウェイを喰らいつくさんと指を伸ばす。逃げる暇のないエンボルトとカレンも例外なく呑み干していった。

 

 直後、カレンは落下した。落下。落下。落下。ごうごうと耳元でどこかへと消えていく風達は、カレンに構いもしない。周囲に、彼女は視線を向けた。瞳を焼いた輝きはどこにも見えず。あるのは無限かと思う蒼穹と、反対側、つまり、下。今、カレンが向かっている先には都市が地平線の果てまで広がっていた。上空から見れば豆粒だがそれは無数と群れ、連なっていた。

 

 「――――ッ」

 

 あまりの事で、カレンは言葉が詰まる。脳裏に過る死の一文字。けれど、これは仮想空間だ。理解しているのだが、あまりのリアルさに思考が麻痺を起こしている。

 そんな彼女の目の前で、都市が膨れ上がった。言葉の通りだ。大きく、まるで膨らむ風船の様に都市の建造物が全て、空目指してせり上がっていく。それは見渡す限り、都市という都市、いいや、大地という大地が隆起していた。臨界はすぐにやってきて――――。 

 

 ぱんっと、弾けた――ブラックアウト。

 

 

 「……なに、今の」

 

 次の瞬間には、カレンは元の場所、穏やかな広陵に戻されていた。抵抗も無意味な殺戮の輝きを目にしたカレンは、全身の震えを止められなかった。

 

 「前者が、反物質弾アンチマテリアルボム」滔々と言う「後者の大地を捲りあげたのが、地殻断裂弾クラストシェイカー

 

 「第一次企業群戦争で使われた兵器達だよ」

 

 そこで、ふっと笑みを消し。

 

 「私が消し去りたいのはこうした人類の狂気だ。見知った狂気を正しもせず封じもせず、野放しにし、異形を生み続けるこの世界の形を壊したい」

 

 至極真剣な顔で彼は語る。

 

 「後の主役は君の様な、仮想電脳神経路ラインを自在と扱う、自我の自立を高度に成し得た人々になる。私は、意思を電脳に移行した新たな形を望む。発狂なき平穏を」

 

 その上で、と前置き。

 

 「君は今見た狂気を捨て置けるのか。捨て置いたまま、知らぬ存ぜぬを通すか。どうする」

 

 「……そんなの、知らない」

 

 問いかけに、カレンは首を振る。

 

 「知ったこっちゃない。誰かが死ぬなんて当たり前だし、人が人を殺すなんて当たり前じゃん。人は人を殺す生き物だ。同族殺しを否定して肯定する生き物だ。いくらでも理屈をたてて殺すもんだ。知ってるだろ、アンタだって」

 

 「……あくまで、君は知らぬ存ぜぬと?」

 

 「五月蝿い。人の話は最後まで聞けっての。僕はそんな話をしてるんじゃない。アンタは分かっているはずだ。人は繰り返す。最初は良くてもいつか必ず」

 

 「だから、私は世界構造ごと、人の精神自体を作り変える。狂気などというくだらない機能を廃する為に」

 

 「壊れないものなんて無い。だって、私の世界は何度も壊れている。だから、アンタの言う完璧も必ず壊れるよ。人は愚かだから繰り返す。私もそういうくだらない人間だからよく分かる。それに、」

 

 言葉を切って。

 

 「アンタの言う世界は、絶対につまらない」

 

 エンボルトはゆっくりと首を横に振り。

 

 「……平行線か。残念だ」

 

 「残念も何も、当然だっての」カレンは鼻で笑い「そもそも、刺激――ダーリンの居ない世界なんてクソ喰らえ」

 

 「では、どうする。また逃げるかい?」

 

 「……正直」いや、非常に癪だけど。と内心で付け加え「アンタから逃げ切れるとは思ってないぜ」

 

 カレンは、未だ続く震えに笑う膝に鞭打ちながら、エンボルトをまっすぐに見る。

 

 「だから、ちょっとばかし逃げの一手を打ってみたんだ。目の前だとコソコソしづらいし? まあ、失敗したけどさ」

 

 エンボルトは、口を噤み、じっと見つめる。観察だ。目の前のこの少女が何をする気なのかを見ていた。それは余裕であり、可能性を見てみたいという欲求から生じたものだった。

 

 「だから、次は……」

 

 振り上げた右腕、凛と天を突く。瞳に赤を滾らせ纏い、カレンはまっすぐと視線に答え。

 

 「こうするのさ!」

 

 

 

 

 ――黄金は雷の様に落ちてきた。

 


 

 

 「これは……」

 

 驚愕の声音から、直後、エンボルトの足裏が地から離れた。跳んだのではない。跳ねたのでもない。しかし、確かに離れていた。彼の首に巻き付くものがある。それは荒縄模様を肌に刻み込む。締め付けは瞬く間に強まり、エンボルトの首を締め上げる。

 つまるところ、

 

 「ハング、ドマン……!」

 

 エンボルトは、これを知っている。

 

 

 

 

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 エンパイア南端空港、VIPルームの一室。豪奢な内装。しかし、微に入り細を穿った埃、いや、糸くず一つ見逃さない清掃と飛行機を待つ客が最大限リラックスできるよう快適さを求めたこの部屋は、ただブランドだけを高めたのではないのが見て取れた。

 

 「あーファックよ! ファックファック!! ファックオブファック!! いいじゃん! 私、協力したんだから見逃してよ!」

 

 そんな部屋の中で、一時の主であるブラッドフォードは没入ジャックインしたプライベートルームで喚いていた。おかしい。私は私の義務を果たしたはずだと。ことさら声を大にして。それでもしっかり手は動かしている。ホロキーボード。腕よりも多いホロキーボードを浮かべ、目よりも多いホロウィンドウに目を向け、指を走らせている。

 

 『うるさいなー。ぐちゃぐちゃ言ってないでさっさとしてよ』

 

 異物が一つ合った。部屋の調度品や空気にあまりにそぐわない風貌のそれは、〈蝸牛〉と呼ばれる八本脚の自動機械オートマタであるのをブラッドフォードは知っている。それは彼女の居る現実と仮想の両方に居た。だからこそ喚いていた。

 

 「ほんともう、やってらんない!」

 

 『おらー! 口より手を動かしなさーい! 蜂の巣するよー!』

 

 一瞬の緩みを許さなず、マシンアームから突き出た機関銃の銃口で、無防備なブラッドフォードの後頭部をこつこつ叩く。現実と仮想の両方で。

 

 「ひぃっ」

 

 死の恐怖。今仕掛けている相手も大概だが、目の前の物理的恐怖には劣った。没入ジャックインの最中、体を壊され死ぬなんて、走者ランナーとして文字通り致命的な死に方だった。

 なにせ至極当然、当たり前のリスク管理が出来ていないのと同然だからだ。

 故、滑らかに指はタイプする。

 

 

 

 

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 うっとおしい――伸ばした手へ新たな荒縄模様が刻み込まれる。動かせない――けれど、即座に焼き切られた。エンボルトの即席破壊式ブレイカーが青い炎のエフェクトを散らした。

 

 「ちっ……」

 

 矢継ぎ早と放たれる。際限がないと思わせるほど、幾つも幾つも絡みつき、エンボルトの処理を阻害した。微々たる遅延であろうが確かな妨害になっていた。

 さらなる新たなる刺客がエンボルトに襲い来る。それは四足を黒に染め上げ、黄金を身に這わし、鋭角より来る猟犬の名ティンダロスを冠するもの。

 〈ティンダロス〉は顎門を広げて、エンボルトへと襲いかかった。が、瞬時に蒸発。青いエフェクトだけが空中に散った。

 けれど、また〈ティンダロス〉は湧き出る。総力戦だ。その様に、ブラッドフォードは強要されている

 カレンと同程度のブラッドフォードランナーを〈蝸牛〉がバックアップして初めて生まれた隙。生かさないわけにはいかない。だから、チャンスだと、カレンは確信した。

 故に迷う。ここが・・・間違いなくやつにとっての急所ウィークポイントなのは分かっている。この広陵のどこかにあるはずなのだ。

 確信。確信には理由が要る。至った理由が要る。

 きっかけは最初にある。最初からおかしいと思っていたのだ。

 何故、エンボルトが出てくるのか。即座に反応ができるならもっと効率よく捕縛なり、処分なりすればいいのだ。

 なのに、何故か――答えは一つだ。エンボルトの焦る何かがここにある。つまり、急所ウィークポイント。あるいは、近しいもの。

 だが、どうすればいい。どこにある。

 

 「困っているようだな」

 

 「っ!」

 

 振り返る。聞いた声と同時にカレンの体は振り返り、瞳で赤が強く瞬いて。

 

 「まあ、待て待て」苦笑いで手を振り「手伝いたいだけだ」と、カレンが目を丸くする程の美女はそう言う。

 

 銀河の様な人だった。目を背けたくなる程の煌めきを放つ天の川を擬人化したような白銀の女性。彼女は優雅に微笑を浮かべ、カレンの後ろに居た。

 First:5th。狩人総体、原初の5。その人が今、此処に居た。


 「First:5th! 何故、ここ――」驚愕の声をエンボルトは上げ「あの時か……!」確信に至る。

 

 あの時が指すのは、そう、ケンゴの中にエンボルトが入り込んだ時。

 

 「その通り。流石だ」――First:5thは、お見事とばかりに軽く拍手を。

 

 知り合い……? カレンは状況についていけなかった。この、人の名前をしていない人はなんなのか。

 

 「アンタ、誰さ」

 

 カレンは女だ。そして、恐れを知らない。いや、恐ろしいのはケンゴが居なくなる、一緒に居られなくなることだ。だから、この女は怖くない。だから不躾に訊く。

 

 「First:5th」短く応える。「偽名じゃん」呆れ声をカレンが返せば、「名前は捨ててきた。許せ」First:5thは苦笑した。

 

 「……なあ、エンボルト」躊躇いがちに彼女は口を開き「思い直さないか」彼に問うた。

 

 「――――答えは、告げたはずだ」

 

 青の燐光が一瞬、強く強く瞬いたと思えば、エンボルトを阻害していたものがまとめて蒸発した――自手はない。あれだけのリソースを吐き出した上、まるっと焼き払わられたのだから大元たるブラッドフォードもかなりのダメージを負っているだろう。

 

 「吐いた唾を呑む気は毛頭無い」

 

 「……分かった」小さく息を吐き「では、さようならだ。エンボルト」

 

 「何を……?」眉を潜め、放たれようとする二の句を「こういうことさ」遮るように、First:5thはしゃらんと刃鳴らせた。

 

 鮮血は、エフェクトとはまた違う色合いで鮮やかな緑を上書きする。First:5thは、自身の首を何の躊躇いもなく斬り裂いていた。それでいて、彼女はなお笑う。


 「お前の急所は、あの子だろう?」

 

 倒れゆく最中。First:5thは寂しく微笑いながら、エンボルトに言った。

 

 「我が愛しき妹よ。彼の想い出と共に逝け」

 

 呟くFirst:5thの姿が乱れる。走るノイズを見、ハッとカレンは気づく。丘の上に自身に似た女性が居ないことに。それからまた、First:5thの居た場所を見ると自分の写し身が如きあの女性が倒れていて。

 直後、カレンは何かが砕ける音を聞いた。エフェクトとして、彼女の知覚を刺激する。これは、間違いない。音源は眼の前のFirst:5thだったもの。

 カレンがエンボルトを知らぬがゆえの隠し場所だった。だが、First:5thには通じない。

 

 桜色の唇が「やれ」――そう、言葉を描くのを見たカレンの判断は早かった。

 

 地に転がる剣を執って、振り下ろす――!!

 

 「――――――――!!!!」

 

 直後、絶叫めいて、エンボルトは彼女の名を叫ぶ。それは在らざる名。いつかの愛しき名。そして、応えなき名。代わりに何かが砕ける音がする。致命的で確実な終わりの音。エンボルトの表情が明確に歪む。今まで彼が浮かべてきた感情の色とはまた違う激しさを孕んでいた。

 

 「――――!!」叫ぶ。名を。応えなき名を、「―――――――――――!!」幾度と叫ぶ。

 

 胸を鷲掴みにする。両手を重ねて、エンボルトは掠れた苦鳴を零す。あの剣は何かを砕いていた。エンボルトの中枢を成す何かを。 それは数理や技工であり、エンボルトを今まで立たせていたもの。幾数の年月を超えるに値したもの。

 

 彼は、「――――……」消えゆく名をうわ言のように呟き。

 

 すれば、激情を宿した青き燐光はことさら強く瞬いて――放たれた即席破壊式ブレイカーは世界を地獄へ変えた。

 

 

 

 

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 凍結の波が収まった。いや、乱れている。止まっているものが落ち、止まっていないものが止まる。綺麗に真円を描いていたのに、虫食いが自らの範囲を拡大していた。

 いずれ、この凍結は効力を無くすだろう。しかし、いずれが来るのを待つ程、ケンゴ/狩人は悠長ではない。

 目に見えてわかる凍結の緩みを落ちるように駆け抜ける。ご存知の通り、ケンゴ/狩人にとっての一歩は、粒子加速ステップ――肉薄、寸前と打ち出される翼の豪雨。逆さに降る雨はケンゴ/狩人の左腕を消し飛ばした。

 歪む表情に苦痛を表す、即座に再生。新たな腕が黒の衣を纏て、現れる。再びの粒子加速ステップ――踏み出した瞬間、足裏がこそぎ落とされた。

 読まれていた――蠢く無数の眼球が、ケンゴ/狩人を答え代わりに映し出す。振りかぶり、振り下ろす様も克明と映し出されている。

 

 「――――ッ」

 

 しかし、かち上げるように振り上げられた上顎が見事と肉切り鋸包丁チョッパーを弾いた。すれば勿論、開かれた顎門が内側の暗がりをケンゴ/狩人に見せつける。ものの一瞬で、牙が乱立する死地はケンゴ/狩人に影をさし、外気から彼は遮断された。

 ケンゴ/狩人の視界が黒く染まる。上下の恐るべき圧力は即座に彼を挽き潰すだろう。

 

 ――しかし、彼の瞳は輝きを見出した。

 

 見出した、というのは些か違うか。青い炎。喉奥から吹き上がり、瞬く間にケンゴ/狩人の視界を埋め尽くしたのだ。

 

 「来た」――にぃとケンゴ/狩人は唇を歪めた。

 

 待っていたものが何か、ケンゴ/狩人は知らない。けれど、彼は確かにこれを待っていた。

 内から湧き出る炎とは、炎であって炎でない。このドラゴンに炎を吐く機能ブレスはない。今の今まで吐く素振りを一つとして見せなかったのだからそうだろう。事実、そうだ。

 

 だからこそ、この青い炎はどこから来たのか――――答えは一つ。

 

 やはり、ドラゴンの中。ドラゴンの底の底。張り巡らされた電脳の奥底で燃え上がった炎が物理現象へと成った。

 

 そう、これがケンゴ/狩人が望んだものだ。通り過ぎ、自身以外を焼き尽くす青き炎に、ケンゴ/狩人は確信した。

 

 時を捕らえようとした凍結は一転して、ドラゴンに牙を剥いた。苦悶の声。咆哮は凍結はじわりじわりと熱をはらみ、急速に己が凍結した時空間を解凍していく。なにより、異形である自身の結びつきすら溶かし、燃やす。燃焼は運動だ。微細につく微細。ミクロ下による結果が燃焼という象を現す。

 止めていた時が押し留めていた者へ牙を剥く。今までの不満を発散するように、自由を奪われたものが自由をもう一度手に入れた、反作用の様な事が今起きていた。

 

 そうやって、歪な在り方が燃えていく。ありえない形で、世界を歪めて在り続けていたものの結合が焼き切れていく。 

 

 葬送の炎と言えた。異形の中で凍結され捉えられた魂たちに送る暖かな終焉。縛りや結びを破壊され、煙や熱が上を目指すように無色透明かつ、観測不能な21gたちは続々と次に旅立つ。


 いくつもの視線がそれを見ていた。彼らが、沈黙と共に結果を見守る中、そうしてドラゴンは静かに燃え尽きた。


 ドラゴンの居た場所に、二つの人型がある――――ケンゴとエンボルトだ。


 「…………やって、くれたね」

 

 「…………俺は信じただけだ」

 

 灰が降る。しんしんと穏やかに舞い上がった灰はひらひらと緩やかに重力に引かれて、落ちていく。無軌道で無差別に、世界は灰色に染まりつつ合った。二人の体も例外ではない。灰色が彼らを同様に。

 

 「そうかい」

 

 「そうだ」

 

 言葉を交わし、灰の一片が空を泳いだ時、ケンゴは狩人装束をまた纏う。灰色の世界を一滴のインク落ちて浮かんだ。

 

 「――使うつもりは無かった」

 

 呟き、翳した手に収まるのは、肉切り鋸包丁チョッパーが一振り――握ったのは、エンボルトだ。

 

 「……ああ、こういうところも似通ったな」

 

 感慨深げに言い、緩く、ぶんと振った。久方ぶりの肉切り鋸包丁チョッパーの具合を斜めと横と正眼に振って、エンボルトは確かめる。

 

 「それは…………」ケンゴ/狩人が驚愕を浮かべれば。「然り」とエンボルト/狩人は頷く。

 

 灰の雨に浮かぶインクは二滴だ。二つの黒は、揃って同じ風貌に同じ装束を纏て向かい合う。

 すると、一陣の風が強く吹く。風は灰を弄び、空に散らしてしまう。落ちいく灰も、落ちた灰もすべからく。

 

 一振り――互いの肉切り鋸包丁チョッパーが砕けた。折れた刃先はくるくる空中で回る。

 

 二振り――新たな肉切り鋸包丁チョッパーが噛み合う。刃鳴りが連なる。すれ違い、掠めた鋸歯が二人の肉を抉った。

 

 三振り――瞬く仮想電脳神経路ラインは青く、きりきり舞いに角ばって。散る雷鳴は、粒子加速ステップの尾を引かず、あまりに峻烈と。

 

 四振り――もう一度、舗装が灰に染まる頃。決着はついた。

 

 刃は思い思いに振り翳され、元の鞘とばかりに積もり直した灰達は、何も言わず、崩れ落ちた黒を柔らかく受け止めた。

 落ちた二つは広がって、灰をじわりと赤に染めゆく――――。

 

 

 

 

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