第33話 テイク・オン・サムバディ・フォア 1

 

 

 

 

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 ――粒子加速ステップを刻む事は叶わなかった。

 全力の加速。この瞬間に音を超え、光を超え、物質界の法則すら届き得ないミクロの奥底へと身を躍らせながら飛び込む所業に、ケンゴ/狩人は再び踏み出す事は出来なかった。踏み込むには動作が要った。踏み出す。それだけ。足を前に運んで跳ねる、それが要った。イメージの問題だ。咬切ケンゴの体が決めた事。自然に決まった事。それをケンゴ/狩人は出来なかった。

 

 何故か? 答えは見れば分かること。

 

 まず、足が凍り付いた。関節一つ一つが丁寧に氷結し、細胞膜の底の底まで冷気は浸透し、凍らされた。粒子加速ステップに踏み切ろうとしたケンゴ/狩人は自身の力で足を失った。ばきりと硬く折れろ音をたてて、重力に引かれた。つまるところ顔面から地面に落ちていった。

 次に反射が顔面を守るために手を突こうとした。しかし腕はもう無かった。ケンゴ/狩人の視界には映らなかったが、腕は肩口から斬り裂かれて空中でモズの早贄になっていた。軽い体。四肢を損失した彼はもう芋虫同然――いや、芋虫以下だった。自由に動くことも叶わずただ転がるだけ。

 そんなケンゴ/狩人の視界が上がる。彼の意思は関係ない。他の意思がそうさせた。ちらりとケンゴ/狩人は下に、違和感を際限なく発する腹の方にやってみた。すると一つ大きな氷の柱が生えていた。青白い仮想電脳神経路ラインが無数に走る氷の柱。ぐっとどうにか背中の方に視線をやってみると鋭い切先が見えた。円錐型で赤黒く染まった鋭いもの。

 ここでケンゴ/狩人は気づいた。今、この瞬間、生殺与奪の権利は自身の手ではなく、他者の掌で握られているのだと。気づきは激痛を呼んだ。灼熱が大穴の開いた腹でのた打ち回る。

 

 「ァッ――――!」

 

 痛みというものに慣れはない。内蔵の破損より生じた雷撃が如く神経を打ち鳴らし、蹂躙の騒乱を引き裂いて響く肉体の絶叫に、ケンゴ/狩人は瞼を見開く。苦鳴を零しそうになるのを歯を食い縛って抑えつけながら彼は、改めて実感していた。

 

 

 「やあ、ケンゴ。気分はどうかな」

 

 勝利を確信した声を聞いた。この場に居るものはケンゴと一人しか居ない。

 

 「最低、だな……!」

 

 持ち上げた視線の先がエンボルトと絡み合う。不敵に笑う自身と同じ顔に、ケンゴ/狩人は苛立ちを隠せなかった。

 

 「親らしいことはあまり出来なかったからね。 こういうのも人間の間で躾などと言うのだろう?」

 

 「一世紀以上は、前のッ……概念だな、そりゃ……! はっ、脳のアップデートでも忘れたか」

 

 インターセプトしてきた知識を口走る。挑発もついでとばかりに手を引かれて出ていった。

 

 「あはは、」見下ろしから膝を曲げてエンボルトは視線を合わせ「勿論、これでも科学者の端くれだ。アップデートは当然だ」

 

 エンボルトは手を持ち上げるとすっと人差し指を伸ばした。

 

 「だから、君もアップデートしよう。その口調も矯正しなくてはならないね」

 

 「何を、する気だ……!」

 

 動けない。逃げられない。動けば動くほど内側で食い込みが酷くなり、苦痛も増した。それを諸共せずに抜け出そうとケンゴ/狩人は抵抗するが返しでもあるのか。底なし沼に嵌ったが様に足掻きは無意味と化す。

 

 「躾は時間を費やすものらしいが、残念、私達は無限に近くとも人々は無限たり得ない」

 

 「意味が分かんねえっつてんだろ……!」

 

 「何、簡単なことさ」口端を持ち上げ「この世全ての人々への救済を行うのに、人々が居なくては叶わないのは道理だろう」

 

 「だから――」エンボルトの片手がその口を塞ぎ「すぐに分かるさ」伸ばした指がケンゴ/狩人の額に突き刺さった。

 

 

 

 

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 「――なるほど、これが君の世界か」

 

 部屋だ。咬切ケンゴの部屋に、エンボルトは土足で上がり込んでいた。

 

 「はは、狭いねえ。世界の広さを知らない。つまるところ、世界の苦しみも知らない」

 

 見渡し、嘲笑う。小さな世界だとエンボルトは断言する。他人の心象に許しを得ず踏み入れる侵略者の笑みは酷薄だった。

 

 「利己的だ。とても利己的だ。いけないことだよ、ケンゴ」

 

 重ねて否定する。咬切ケンゴという一個人、狩人の一部になりつつあるケンゴを集合ではなく、個人でエンボルトは否定していく。 

 「ぐちゃぐちゃと、人の中でくっちゃべってんじゃねえよ……!」

 

 答えるようにケンゴが現れる。彼の心象だ。彼のプライベートに彼が現れるのは当然だろう。なにより自由にできるのは狩人としての技能に他ならない。

 しかし、ケンゴの姿はどう見ても自由とは言えない。拘束されていた。黒の拘束衣。硬い革ベルトが各所を縛り上げ、身動きを封じていた。ここまでの経緯を見るに、恐らくはエンボルトの仕業だろう。現実にてケンゴを貫いたあの矛先がこの様な状態を招いたと考えるのが

 

 「追いかけてきたのか。やるじゃないか。総体への同化は順調に進んでいるようだな」

 

 言葉とは裏腹な痛ましげな表情を浮かべたエンボルトは、ケンゴを見やり。

 

 「実に残念なことだ。早く、君をあの癌細胞共から切除し無くてはならない。同化が完了しては面倒だ」

 

 「余計な、世話だ」ぎちりと拘束衣が微かな悲鳴を上げる「お前に世話を焼いてもらう義理はない……!!」

 

 睨み、叫ぶ。体は動き、どうにか拘束を振りほどこうとケンゴは藻掻いていた。だが、意味はない。そして、エンボルトはケンゴの叫びや刺し貫く様な視線を受けてもにこやかな、穏やかな調子を崩す事無く、一歩とケンゴに近づいた。

 何をされるのか分かったものではない――だからだろうケンゴは額に汗を浮かべていた。気にもせずに拘束をどうにか脱しようとしていた。重ねて言えば時間も無い。狭い部屋だ。数歩となくエンボルトはケンゴに到達してしまう。焦燥は強くケンゴを焼いた。

 それを知ってか笑みを深めるエンボルトは、また一歩、かつりと踵を鳴らす。

 

 「――――何時だったか」

 

 事は出来なかった。踏み出す足を宙に留める。突然の声に反応した為だ。エンボルトは声の方に、先程まで自分が立っていた場所に振り返る。いや、振り返らない――飛び退いた。一瞬後、今の今までエンボルトが居た位置目掛けて降り注ぐのは――西洋剣。種別としてロングソードと呼ばれるもの。しかし、実用剣にありがちな簡素な趣はない。どちらかといえば装飾過多。黄金の鍔と柄先には巨大なルビーやサファイア等などの宝石。そして、剣が剣たる所以の刃は白金が如く煌めき、周囲を映す鏡のよう。内には金の装飾が張り巡らされ、芸術的な幾何学模様を宝石の彩りと共に描いている――星の煌めきを宿した、剣であった。

 ただ、剣は剣達である。数々の剣がフローリングに刀傷を刻み込んでいた。現実ならバカみたいな修理代だっただろう。敷金どころの騒ぎではない。

 

 「お前は我に言ったはずだ。『郷に入っては郷に従え』と」

 

 薄暗い部屋に、ぱっと一つスポットライト。ケンゴとエンボルトの境にそれは真円を作り、四方に影を引く。影があるならモノがある。モノとは者で、先まであった剣と同じかそれ以上かの豪奢な椅子があり、腰掛けているこの声の主も劣らない気配があった。 

 

 「First:13th……いいや、エンボルト。久し振りだな。壮健で何より」

 

 皮肉げな口ぶりで頬杖をつくのは、緩く流れる白銀の海に数多の星々を浮かべたような白き貴人――First:5th。

 

 「First:5th」対してエンボルト、こちらは憎々しげな様子で名を呟き「君の相手をしている暇はない。そこをどけ」

 

 「釣れないな。折角久々に同輩――いや、幼馴染・・・に会ったんだ世間話の一つでもどうだい?」

 

 「下らん」文字通り斬り捨て「どけと言った。邪魔だと言った。なら私が何を望んでいるのかは分かっている筈だ」

 

 「……相変わらずだ」まるで噛み付くような反応にFirst:5は肩を竦めると「もう少し余裕を持ったらどうだ?」

 

 「重ねて言おう――下らん」辛辣に吐き捨て「時間がない。私は、君たちからケンゴを救い出さなければならない」

 

 だから、退け。もう一度、同じ言葉を作り、真正面から叩きつけた。

 

 「ふっ、買いには売りだ――嫌だ」せせら笑い、跳ね返す「どけと言われて退くくらいなら最初から出て来ないぞ? なあ」

 

 背もたれ越しに、First:5thはケンゴへ言葉を送ると。

 

 「ま、確かにな」同意が返り「取り敢えず、暫く壁しててくれ。俺はこれをどうにかする」

 

 「壁とは不敬な」ややむすっと頬を膨らませ「どちらかと言えば山だろう! それもただの山ではない! エベレスト山ぞ!」

 

 いやあ……どうでもいい。ケンゴは頭の中でぼやきながらも口にはしなかった。それくらいの機微くらいは備えているつもりだった。実際、壁より山派なのは確かだったが、今はそんな話に集中力を裂きたくなかった。

 

 「っとまあ、茶番はそこまでにして」コホンと咳払い「エンボルト、お前の目的は変わりないか?」

 

 「無論」即座と頷き「私の目標は変わらない。不変だ。揺るがぬ信念があったから君たち狩人総体より脱せれた」

 

 「……そうかもしれないな。お前はいつまでも変わらない」瞳鋭く細め「そんなにこの世界が憎たらしいか、エンボルト」

 

 「当たり前だ」即答「君や私を此処に居るよう仕向けた世界が憎たらしいよ」言葉は微かな親愛を乗せていた。

 

 「エンボルト、本当にお前という奴は変わらない」

 

 悲壮めいた色合いで染めた言葉をFirst:5は作っていた。本当の感情。心根から出力されたものだった。欺瞞など無く、嘘一欠片も無い。

 

 「先も言っただろう。不変だと。私は今も、昔もこの世界を壊すために居る。壊して、創り直すためにこの身を砕いている」

 

 「お前が此処エンパイアに居るのは――ああいや、愚問だった」

 

 嘆息と共に杖にしていた肘を持ち上げ、その手で顔を覆うとFirst:5は横に振る。

 

 「ああ、不変だ。私の成すことに無駄は無く揺るぎない」エンボルトは逆に頷き「そして、此処で終わりだ」

 

 「なに?」眉を顰め「お前、何をするつもりだ」

 

 「破壊だ。破壞し、創造する。二つの世界の境を砕き、二つを混ぜ合わせる。そもそもの起こりは片方の憧れなのだから。憧れを抱く対象がなくなれば、一つとなれば、おのずと異形などという不条理は生まれない――道理だと思わないか?」

 

 「二つの世界を混ぜ合わせる……?」眉を顰め「何を馬鹿な――」

 

 はっと気づき、瞬時に浮かぶあの翼と異形。異械形ホラーマータと彼女が名付けた異形の姿。

 

 「あの異形は、あの異械形ホラーマータはその為に……?」

 

 ほとんど確信めいた言葉だった。仕組みは分からずとも、状況が答えを示している。間違いなく、あの異形こそが事の真相に近く、エンボルトの望みを背負ってるに違いないとFirst:5thは気づいていた。

 

 「炸裂エクスプロージョンだ。〈エンパイア〉には世界の境を破壊する大破局エクスプロージョンを起こしてもらう」

 

 「この都市を――?」問かけて「ここで、異械形ホラーマータか」理解したように呟く。

 

 「そうだとも。あれは、この都市に異形という存在を接続するための接続端子アダプターだ」

 

 「なるほど……納得した。異形を都市に繋げ・・・・・・・・・都市機関を・・・・・炸裂させる・・・・・

物理的な破壞と非物質界的な破壞をもって次元の壁を破壊する気というわけか。

 よく練られた計画だ。相当な時間を費やして作られたのだろう」

 

 「ああ、気が遠くなるほど撒き続けた種がようやく実ったくらいの話さ。苦労は――した介はあったけどね」

 

 「そうか」頷き――直後、吹き出る殺気「貴様、一体どれほどの人と異民を犠牲にした……!」

 

 「数え切れないほどだとも」極当たり前の様子「必要な犠牲だった」

 

 「もう、いい」空間が軋む。白魚の如き指の下で肘掛けが砕けた「口を、つむれ。息を吐くな」

 

 「一応の幼馴染に言う事と、放つ殺気ではないな」

 

 次に言葉はなかった――星の剣が無数となってエンボルトに迫ったからだ。剣風が吹き荒れ、言葉など掻き消してしまう。

 

 「残念ながら」余裕すら感じる声色で「この空間で、私は無敵だ」嗤う。

 

 青き仮想電脳神経路ラインは黄金の剣に絡みつく。樹木の枝葉が如く、エンボルトより生えた仮想電脳神経路ラインは青い枝を刃に伸ばし受け止めて、一気に自身の枝葉の色に染め上げた。

 同時にエンボルトの足元から仮想電脳神経路ラインが根を張っていく。空間への侵食ハッキングだ。乗っ取りと書き換え。二つが平行に行われていく。

 

 「仮想電脳神経路ライン自体は、この計画の副産物だった」

 

 剣の後ろから槍が迫る。視界一面を埋め尽くして、矢継ぎ早とばかりの弾幕はエンボルトの血肉を求めてその痩躯を疾走させる。

 

 「認識を以て電子と数理に神経路ラインを走らせる。この都市のあらゆる電子機器や機構を効率よく操作し、効率よく異形を作成するのに非常に役立った」

 

 星光が狭い部屋の隅々まで照らしていく。際限なくFirst:5の周囲で生み出されていく武装の数々は留まりを知らない。まるで流星。星の神威を纏て、First:5は原初の力を惜しげもなく叩き込む。

 

 「人は実にストレスに弱い生き物だ。少し部屋の様子が変わる。気に食わない臭いを嗅ぐ。嫌いな人間と接する。そういった不特定に出現するストレスから、内的に自己から発生するストレスもある。自己嫌悪や劣等感――欲求不満もここに該当する」

 

 フローリング材を突き破ったラインが連なり壁となる。それもまた言語化不可能なまでの破砕音を上げて、First:5thの眷属達は無残な亀裂を刻んでいく。

 

 「そんな致命的な脆弱性ストレスを人は進んで作りたがる。最たるものこそがこの社会システムだ。効率よく人を運用するのには有用だが、精神的負荷を考えればこれほどに人を締め付け弱らせる仕組みもあるまい。

 ――特に今の時代は地獄に等しい」

 

 猛撃を受けた結果、盾を失ったエンボルトに好機とばかりにFirst:5thは次を撃つ。やはり迎え撃つのは無数の枝葉ライン。青々とした枝葉が巨大な壁を作り上げ、剣に槍に受け止め、飲み込んでいく。First:5th、舌打ち一つ。すると剣と槍の圧が増して、次いでバリエーションが増える。斧と鎚が出現し、空中で縦に回転すれば――吹っ飛んだ。

 

 「エンパイアは加速装置アクセラレータだ。地獄の中の小地獄。必然的に、異形の出現も増える。まあ、そういう風に設計したんだけどね」

 

 「異械形ホラーマータを生み出すためだとしても、何故その様な手間を……?」

 

 疑問であった。First:5thにはあまりにも婉曲に思えた。

 

 「……人は必ず異形のメカニズムを解明し、新たなステージに立つ。既にその予兆はある。人は柔軟で、実に欲深い」

 

 独白めいてエンボルトは切り出す。

 

 「この加速は確かに人の先を見せた。ならこの先、異形の出現は更に増すだろう。それこそ、人の手にあまる程にね。

 ――その時、狩人に全てを殺せるか?」

 

 言葉の合間も途切れぬ嵐は、枝葉ラインの壁を無残と叩き砕く。絡みつく枝葉ラインを質量と回転が生み出す暴力は物ともしない。

 

 「いや、無理だ。間違いなく不可能だ」

 

 エンボルトの目鼻先に迫る。その頭を叩き潰さんと丁度脳天付近に振り下ろされた――が寸前で止まる。回転運動が殺されたのだ。柄に絡みつく無数の枝葉ラインが主犯だった。

 

 「だから、今の形を壊すと?」

 

 「その通り」然りと頷き「――それも全て、あの子の為か?」刹那彼の瞳に何とも形容できない感情が過り、また、頷く。

 

 「まだ、お前は……!」First:5thは悲壮に顔を歪め「忘れられないのか……!!」

 

 一層強く、怒涛の五月雨とばかりに武具の雨はエンボルトへ降り注ぐ。

 

 「――忘れて、たまるものか」今度こそ、エンボルトは感情を露わにした「君は、忘れたのか――!?」

 

 「忘れられないから、は、未だに此処にいる! 原初の五として此処に居る!」

 

 「ならッ!」叫ぶ。「が何故此処に居るのか分かるはずだ!」

 

 「ああ、分かるとも! 分かっている! だからこそ、止めなければならない! 友であるからこそ、お前がこれ以上引き返せない場所に行かないように」

 

 「ならば、あの時どうして俺と来なかった!」エンボルトの双眸が怒りを宿す「そう思うなら、共に根絶を目指すべきだった!」

 

 「……性急が過ぎるお前のやり方は、あまりにも世界に優しくない。皆も言ったはずだ」

 

 いつしか、First:5thの語調は激しさを失っていた。失ったというよりも、あまりにも哀しかった。幼少を、青春を、酸いも甘いも、痛みも喜びも、何もかもを分けてきた友の姿があまりにも彼女には辛い。

 

 「世界など、世界など! こんなにも悲壮に塗れた世界など必要か?! いつ崩れるか分からない営みを延々と行うだけのこの世界が! 何よりも、無意識に他者を犯し、狂わせるこの世界を! この正されぬ世界に私は絶望している!」

 

 「……まだ、我らは待てるだろう? 終わりなき我らなら――」

 

 First:5thにやりきれない悲しみが宿る。射出の速度が精彩を欠いたようにも思えたが、直ぐに彼らの視界を星の煌めきは埋め尽くす。手加減は無用であると理解していたからだろう。

 

 「いいや、」否定「待てない。何より、は十分待った。もう待つ必要はない」

 

 「お前のやり方では、人も異民も生きれぬぞ」

 

 エンボルトが今まで語らなかった、彼の持論、その急所ウィークポイントをFirst:5thは突いた。

 

 「その通りだ。しかし、新たな世界に適応出来る者たちは既に生まれている。この都市に張り巡らせた電脳で、仮想電脳神経路ラインを使い熟す、次代は芽吹いている」


 彼の言葉が指すのは、ブラッドフォードやカレン。彼女ら、電脳世界フロムスペースを駆ける走者ランナーだ。彼女たちこそが新世界の子供たちだとエンボルトは確信していた。

 

 「そうでないものも、いずれ私が迎え入れる。私は世界を憎悪するものだ――機構システムに虐げられる者らに恨みはない」

 

 双眸は輝きを宿して、理想を語る。

 

 「ああ、そうか。そうだな――だが」

 

 ――その時、「もう、お前が見ることはねえさ」切先は首元に差し出されていた。

 

 振り返る暇はない。エンボルトの瞳は大きく見開かれ、映したのは鋸刃の様――刹那、血飛沫は散った。

 

 「……浅いか」

 

 いつの間にかエンボルトとFirst:5thのせめぎ合いが終わっていた。あまりにも激しい応酬に部屋は見る影もない。

 

 「少し、不意を打たれた。熱が入り過ぎていたね」

 

 冷や水で打たれたような声色だった。頬を伝う赤い雫を指で拭って、エンボルトは皮肉げに唇を歪めて言う。

 

 「助かったよ、ケンゴ」

 

 「こ、の、野、郎……!」

 

 ぶちんと、ケンゴ本来のチンピラ脳が脊髄反射する。

 

 「止めておけ。この調子では千日手だ」

 

 「分かっている」

 

 舌打ち鳴らしたケンゴの姿がエンボルトの側からたちまち消え、First:5thの背後に姿を現した。

 

 「話の続きだ。エンボルト」冷たく目を細め「問おう、その理想論に確実性はあるか?」

 

 「無いとも。天地開闢の淵を作り上げ、創生の神が如く世界を練り上げる所業に確実性などあってたまるか。

 だが、私は必ず成し遂げる。それだけは断言できる」

 

 「お話にならんな」First:5thが溜息一つ「違いねえな」ケンゴが同意する。

 

 「ではどうする?」エンボルトが問う。

 

 「徹底抗戦だ」二人の言葉が揃った。

 

 「そうか……残念だね。どうやら、私一人でこの偉業を達せなければならないらしい」

 

 「はっ、ほざくなよ」

 

 黒衣がケンゴを覆い尽くす。すると、ケンゴの姿は一瞬で狩人へと変貌する。

 

 「テメエの思い通りにはしねえよ」First:5thより一歩前に出「一応の故郷だ。簡単に消し飛ばされてたまるか」

 

 形成したての肉切り鋸包丁チョッパーの切先をまっすぐ、エンボルトに突きつけた。

 

 「だが、君は私に勝てるか?」挑むような視線で問う「First:5thも、結局、君の心しか守ってくれない。現実で私に勝てるかな?」

 

 「そうだな。悔しいが、今の俺は勝てないだろう」渋々と言い「だが俺たちなら、どうだろうか」

 

 「君たち、二人でか?」訊けば「ああ、」ケンゴは頷くと口端を歪めて。

 

 「三人だがな」――言葉の終わりを、いや、始まった時には事は起こっていた。 

 

 仮想電脳神経路ラインが伸びた。鮮やかな翡翠色の、エンボルトの・・・・・・ものではない・・・・・・仮想電脳神経路ラインだ。エンボルトの反応が微かに遅れる。遅れて二つの仮想電脳神経路ラインが衝突して――。

 

 「……なるほど」

 

 大きく息を吐いて、エンボルトは苦笑い。

 

 「もう一人、居たか」

 

 エンボルトの背後、小さな暗がりから一人、男が姿を見せた。金髪を揺らす、眉目秀麗の男。緑瞳を湛えた双眸がしっかりとエンボルトを見据えている。首を動かし、視界に彼を捉えようとするエンボルトを制するように、胸元で交差した腕が指の締め付けと共に強く胸の前に引く。すると、ぎしりとエンボルトの体が見えない何かで締め付けられた。

 コールド=J=オールドリッチ。彼が居た。

 

 「まんまと罠に嵌ってしまったようだね。やられたよ。しかし、彼もFirst:5thと同じ――」

 

 まさに一瞬。ものの一瞬でエンボルトの余裕が凍りつく。現状にあからさまにおかしな点があったのに気づいたのだ。

 

 「その、仮想電脳神経路ライン……! 真逆」

 

 「手先が器用なもんでね」コールドは不敵に笑う「こういうのは性に合ってるし、何より」


 コールドの脳裏に浮かぶ妹の、カレンの姿。ありがとうな。内心で呟き。

 

 「俺はずっと近くで見てきた――――!!」

 

 エンボルトを拘束する不可視の鋼糸が、翡翠の輝きを纏う。すれば走り抜ける仮想電脳神経路ライン。強烈な光が部屋の隅々までも届いて、満ちていく。

 

 「がッァ……!!」

 

 呻き声。目を見開き、エンボルトが歯を食い縛る。此処まで来て、ようやく、この男はダメージらしいダメージを受けていた。

 

 「はっ、死んでようやく開く程度の才能で、」ばちりと何かの弾ける音「私を縛れるとでも……?!」

 

 「思ってはいないさ」コールドは鼻で笑う「俺は器用貧乏なだけでね。大抵の事は出来るが、極める事は何一つ出来なかった」

 

 するとコールドの手元で赤い飛沫が派手に上がる。出血、というにはいやに鮮やか。そもそも、彼に肉体は無い。ならば何か――破壊クラックだ。今、コールドは逆探知からの反撃を受けている。一度エフェクトが迸れば、もう見る見るうちに彼の体が破壊されていく。手を砕き、そのまま腕を登っていく赤と青のエフェクト。苦悶がコールドの表情を歪める。

 

 「確かにこのザマだ」自嘲気味に唇を歪め「だが、今お前を止めるのにはその程度でも十分だってことだなぁ?!」

 

 「このォッ――!!」

 

 明確な敵意と共にエンボルトよる紡がれる仮想電脳神経路ラインが恐るべき極光を放つ――何かが来る。

 それを見て、手を拱いているケンゴにFirst:5thではない。

 星光の掃射がエンボルトを再び襲う。コールドを巻き添えにすることすら厭わない様だ。遠慮と躊躇いが欠片もない。

 すり抜けて、掃射を辛うじて受け止めるエンボルトの頭上より降るのがケンゴ。黒衣を翻して、切先が素っ首叩き落とさんと振りかぶられた。

 三方向からの同時攻撃――――結果はいかなるか。

 

 

 

 

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 戦場は現実へと遷移した。同時に、ケンゴ/狩人の体に大穴を空けた青い柱達は即座と砕けた。破片は空中に散ったが直ぐに溶けるように消えていった。塵一つ残らない。何故なら、それは認識によって支えられた現象であるからだ。

 ただ一人エンボルトの、双眸と思考を通し現出する質量を持つ幻想に他ならない。

 つまるところ、エンボルトの体が、頭脳が、思考が、仮想電脳神経路ラインという存在を維持できる状態で無くなったという事を意味する。

 そして、ケンゴ/狩人の体は開放される。しかし激痛は無くならない。だが、重要なことではない。

 

 ――弾き出されていた。エンボルトのほぼ捨て身同然の一撃と彼らの一撃が生み出したのはそれだった。意識が弾き出され、来た道を辿り戻る場所は決まっている。

 

 エンボルトの姿をケンゴは捉える。エンボルトも同じだ。同じ色の瞳が、同じ姿を互いに映す。

 二人の視線がぶつかる――彼我の距離は、変わらず、ほぼ、零。

 ならば、為すべきことも見えている。


  

 

 

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 そして、血風は吹き荒れた――――低層街、瓦礫の山で膝を着く影は一つ。

 

 

 

 

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