第31話 ゾーズ・フーアノット・ラブドゥ・バイ・ピープル・キャン・ノット・ラブ・ピープル
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――〈大日本帝国企業郡式正規兵刀戦術〉
数撃足らずで、ユキカゲの胴はがら空きになった。神速の太刀捌き。初手の軌道は刃先で捻られた。覆っていた筈の
いや違う。ユキカゲはあまりに恐ろしい現実に気づき、寒気を感じた。斥力反射を読んだのだ。大気の流れに生じる不自然さを読み取ったのだ。なんという男だ。彼に戦慄が走る。
戯れるような剣さばきが最中、一際後ろに、肘と太刀を引いたと同時に遠近法を以てクロウの空いた片掌がユキカゲの視界を覆った。しかし、一瞬だ。だが、ユキカゲは一瞬の恐怖と価値を知っている。
――〈
その一瞬が過ぎ去った後、ユキカゲの瞳は歪んだ刃を捉えた。かと思えば旋風が如く走った。突きだ、恐らくは。あまりの速度に刃そのものが歪んで見えたのだ。ユキカゲは自身の動体視力。強化の施された視界を凌駕する刃を前に腕をクロス。手前に備えた精神は驚くべき速度にも対応してみせた。刃の到達の刹那手前、
だが構わない。そのまま、ユキカゲは前に踏み込む。突進。刃が十全に力を発揮できない距離。太刀が最も力を発揮するのは切先三寸だ。根本、鍔上に近づく程、力が伝わり難く、切れが鈍る。決して切れぬわけではないが致命とはなりえない。肉を断たせ、骨を砕く為にガードを崩さない突進による接近をユキカゲは選んだ。
――〈
しかし、それこそがクロウの誘導であるとはユキカゲが知るはずもなく。
「掛かったな?」
喜色満面とばかりに耳朶を叩く言葉。ユキカゲが間違いを悟った時には既には遅かった。罠を悟ったユキカゲの視界からクロウが完全に消え失せた――いや、まだだ。まだ追っている。突進を
そして、完全にクロウが消え失せた。風切り、地を蹴った残滓。認識した刹那、頬に熱く、ぬるりと何かが落ちる感覚――斬られた。察したその時、背後より来る小さな殺気。反射的に拳を突き出した。
キィン! 金属音が高く一つ。音源は、ユキカゲの頭上。頭部から股下までたたっ斬る程の猛烈な斬撃だった。しかし、ブラフをかいくぐったユキカゲの拳が見抜いていた。空中で態勢を崩したクロウへと人外的反射から
「ハッハァッ!」
快活と一声。死地でこそ笑え。笑って死を迎え撃て。放たれた拳を踏みつけ、飛び上がるクロウ。化け物じみた身体コントロールと体幹が死地を駆け抜ける為の力となる。
だが、ユキカゲも読んでいた。態勢を持ち直すと、自身の渾身を利用すると疑いなく信じていた。
――次撃、音だけが戦場を撃ち抜いた。釣りは血飛沫。地面を濡らす赤雫。
しかして、鳴り響いた音色は――――斬と肉断つ悲鳴。
苦痛の色を確かに宿したユキカゲは一気に距離を取った。切先の届かない距離。一歩二歩では届かない距離。だがそれは、彼自身の領域から遠ざかることも意味していた。
そうして出来上がったのがこの膠着である。微塵と譲らなぬ睨み合い。時折、どちらかが距離を動かし、隙を伺う素振りを見せる。すると、片方が距離を測り、隙を探す様な素振りを、誘い込む魂胆を見せる。それが続く。
以前も記したが、達人の剣とは、累積した経験の
ただ、それは間違いなく彼を、クロウ=Y=オキタを有利にする。この心理戦に置いて、無数の経験は彼を有利にする。現状を述べると間違いなく。
いつの間にか剣先は足元を向いていた。下げた切先は無軌道にふらつく。ユキカゲは思わず不気味を覚えた。双眸も、ニヤついた口元も変わらず。自然体がそこにある。自然体の修羅など条理を逸している、馬鹿げていると彼は思う。
御堂ユキカゲも修羅だ。唯一人と信じる肉親の為そう成った。他と変わらず
――ただこの修羅道は不純だ。自然に生まれ落ちたのでは無いが故の、不純さ。クロウを前にして、ユキカゲはそう思い到った。眼の前の修羅はこんな不純ではない。不純ではないが故に、空恐ろしい。
ユキカゲの歩む修羅道には、慰めが入っていしまった。自身を蝕む病を諌める為に血道を上げた。血肉と臓物で塗り固め、心の根底に沈む病を貶め、腐らせ、土に還してしまう為に。分かりやすく言えば苦痛を無くそうとしていた。だが耐え難いのは確かで、血に酔わなければユキカゲには一時の忘却すら難しかった。
だからか、直感的に気づいた。生まれてこの方、常道――眼の前の男と比べればやはり――を歩き続け、極普通、とも言い難いが就職後にこの道に踏み入れた。それまでが自身を削り取る日々なら、そこからは他者を削り潰す日々。前述の通りだ。
それを前提にすると、目の前の男は、間違いなく生まれてこの方ずっと修羅道だ。場数が違う。年齢は大差無いはずなのに、そう感じさせらてしまう。滲む血臭は噎せ返る程に濃密。隠す気がないのか。隠せないのか。誇示しているのか。理由など知ったことはない。後者二つが当てはまるなら獣めいているが、このブラフを撒いて、本命を包む術理は本能で駆ける獣に出来ることではない。
それに、オキタ、いいや、沖田。ユキカゲは沖田の意味を知っている。
沖田。それは強者の姓だ。何も、これはかの剣豪を指すわけではない。代を重ね、血縁などあってないようなものだ。ただ、沖田というのは力を持っていた。さして珍しくはない姓であるが、〈富士山〉という企業に置いて紛れもなく。彼という
強敵なんというものではない。難敵、もしくは大敵。無茶無謀の極みだ。先の一合で理解したではないか。ユキカゲの脳裏に無数の諦めが走る。
走ったその視界に影が一つ、映り込んで――思い出す。
――――ああ、駄目だ。これは、駄目だ。これでは、駄目だ。
ヨシカゲの姿。この戦いを見続ける彼の姿をユキカゲは捉えた。諦めに絡みつかれた思考が、ヨシカゲ一人で冷静さを取り戻したのだ。愛の成し得る業とでも言おうか。
この土俵で戦うのは間違いだな。と、ユキカゲは睨み合いを振り払う。完全に相手の土俵に呑まれていたのを彼は察したのだ。察した上で、視線を切って、新たな温度を彼は視線に乗せる。乗せるのは唯一つ。最初と変わらぬ唯一念――望む日常をこの掌に。ひたすらに願い続けてきたものを今、この瞬間の先に見出すのだ。
故に、活路を。ファイティングポーズ一つ。揺るがぬ双眸に凛と殺意を宿して、愛の下に勝利を掲げる為に。
「…………へえ」
対敵の変化に、クロウは思わず関心の息を零す。
打ち合って何合か。もう種は知れたと、次にかかって来るので終わりにしてやろうと算段をしていた前で、起きた事。クロウは思う。悪くないと。技量も悪くはないが、今まで斬ったのとそう大差はなかった。見飽きた類だった。クロウの所感としてそうで、丁度興も削がれたところに嬉しいスパイスだ。まだ、楽しませてくれるらしい。
笑み深め、クロウの握る切先が動き変えて疾く揺れる。不規則を高めて、起こりを分かりづらくする手管。加速は刃をさらなる混迷に溶け込ませていく。
「来るか」
クロウが問えば、笑みでユキカゲは答える。
「愛を成せと囁かれるものでしてね」
思わぬ言葉にクロウは吹き出すと。
「はっ、愛! 愛! 何をほざくと思えば! 俺の前で愛を説いたのは我が母上と下らぬ塵が幾匹かだったかな?」
嗤う。心底おかしげにクロウは哄笑を上げた。此処が戦場ど真ん中であることを忘れたかのように。跳弾と誤射と流れ弾を斬り捨ててながら。
「外付けの感情にしか頼れない弱いもの。はは、可笑しいな」
抱腹絶倒せんばかりに声を上げ、クロウは堪えきれずに浮かんだ眦の涙を指で拭う。
「そこらの有象無象と一緒にされては困りますね」
ユキカゲは眉をハの字にする。笑みは絶やさずにこやかに。
「では、どう違う?」
無論。とユキカゲは口を開き。
「重みが、」一気呵成。「違うんですよォッ――!」
両の
全力だ。御堂ユキカゲの全力が此処にあった。
「感情の重さなど、測れないものを、さも自信有りと嘯くなあァ?!」
下段から袈裟と刃先が、不規則な揺らめきを斬り裂いて、ユキカゲを股ぐらから斬り裂かんと伸びる。
「重さのない拳に何の意味があるか! 何より、測れないのは貴方が知らないだけですよ!」
言葉を返しながらユキカゲは
「貴方には欠如してるものだ、愛なき修羅よ! 戦場しか知らぬ幼子が、他人がそんなに羨ましいですかぁ!」
「は、要らんし、知らんし、不純だねえ! なにより貰った玩具がそんなに大事か!」
刃の向こうで、クロウが吐き捨てる――今までの余裕綽々とした分厚い面の皮が剥げ落ちかけていた。奥底に燻る何かが顔を覗かせようとしている。それは真の、このクロウ=Y=オキタという男の心根か。内に根を張る感情か。純然たる修羅は、まるで子供のような感情/苛立ちを纏わせる。
「違いますよ、違いますとも!」
叫ぶ! 間違いを正すのだ。ユキカゲは自身のアイデンティティを否定する者を否定すべく、叫んで放つ。
「貴方は、勘違いしている! 愛とは、与え、受け取り、与えるものです!」
鍔迫り合いを離す。拮抗を崩す。ユキカゲは受け止めた腕をずらし、支える手で刃を流す。そのまま
「ッ――!」
距離を取ったクロウが痛みに顔をやや顰める。後ろに飛んで行動不能は避けたらしい。だが、確かな感触をユキカゲは感じていた。
「最初に与えなければならない! ならばッ――」
そして、これまで以上に、ユキカゲは強く叫んだ。声高に主張する。自身の主柱を揺るぎなく、戦技で敵わぬのならば精神面で上をとる魂胆らしい。心技一体と示すように、全てはバランスの上にある。
震脚。路面を粉砕する踏み込みは、一瞬でクロウへユキカゲを弾丸の如く到達させる。
「――貴方は、私の前に立ち塞がる石壁だ。愛を以て、砕く障害だ!」
加速を上乗せ、狙うはボディ。水月目掛け、銀弾は一途に迫る。
「……終わりだ」ぽつりと言葉、落ちて「遊びは終わりだ」
落ちる勢いに任せ、迫っていたものを断ち切った。
冷たい声。今の今までで最も冷たい。零下の声。けれど、色合いは子供のそれで。まるで遊びに飽きて、拗ねた子供のような。
「お前は、不快――」いや、首を横に「不愉快だ」
瞳を覆い尽くしていた愉悦の膜を食い破り現れたのは不愉快と憎悪の汚濁。思い通りにいかない現実を前にして、クロウの本性が曝け出されようとしていた。致命的なまでの利己的さ。肉体を置き去りにした精神の幼稚さ。それも、悪辣な部分のみをあくまで幼いまま肥大化させた醜悪な様。あからさまな欠点。修正されずに、ただあるがまま生きてきた男の総決算。
人の腕にあるまじき重々しく金属質な騒々しさを伴って、ユキカゲの右腕は地面に転がった。
勢いは止まらない。ユキカゲの体はバランスを崩したまま吸い込まれるように自身の生み出した加速で、クロウへと向かっていく。それを迎え入れるようにクロウの刃は反転して、来た道を辿るように振り上げられた。
「――――ああ、」クロウはぽつりとこぼして「やっぱり」絡み合う刃と刃を映した瞳に、再び愉悦を宿すと。
「来ると思ったぜ? なあ!」
太刀の腹に抑え込まれた切先をクロウは鍔上まで滑らせ、下段、足元に互いの刃先を向けた鍔迫り合いから叫んだ。
「御堂、ヨシカゲェ!!」
「やらせは、」ギリと歯を噛み締め「しない……!」
ヨシカゲは真正面から向けられる殺気に立ち向かっていた。上から抑え込ませた太刀に伝わる剛力で刃を砕かれぬよう、潰されないように。恐ろしいまでの力だ。
だが、彼はそんな事を一ミリたりとも考えていない。今、彼の内側に滾るのは。
「絶対に、兄さんを殺させやしない!!」
啖呵を叩き付ける。内を熱く染め上げる衝動をそのまま言葉に変えてみせる。
その言葉が全てだった。ヨシカゲにとってどうあろうと、肉親なのだ。父であろうと兄であろうと。たった二人の家族だから。兄は、ユキカゲは愛を叫んだ。その有り様が歪んでいても根本は純粋に見えた。なによりも家族を護るのは当然じゃないか――ヨシカゲの瞳に宿る意思は強固だった。
――なにより、目の前の男と兄。天秤に乗せるまでもない。奪わせるものかと、剣筋は伸びた、
「ハッハァ!」唇を曲げ、握った手を「それを待っていたァ――!」開いた。
太刀を手放した。すると伝わっていた力がふっと緩む。当然だ。だが、意識をそちらにやっていたヨシカゲの意表を突いたのは間違い無く、そして既に、太刀で斬り合える距離を超えていた。踏み込み強く、低く大気を乱す。短く素早い動作でヨシカゲの腹を突くのは――寸打。衝撃が
「ガ――――」
悲鳴とも取れぬ声と共に、肺に詰め込んだ空気を吐き出してヨシカゲの体が吹き飛ぶ。
「ヒハハハハハハハハハッッッッ!!」
嗤いながらクロウは前のめり、胸を地にすり合わせるような態勢でふっ飛ばしたヨシカゲへと迫る。ついでと落ち行く自らの太刀を掬うように取った。大道芸めいた挙動。下段のまた下。回避を取れないヨシカゲの腸を貪らんと脇腹に斬り上げられる。
「させ、るか!」踏みつけ、太刀を地に縫い止める。「やるねえ、お兄ちゃん!」血色に半身を染め上げたユキカゲの足裏だ。
顔面を大きく歪めて「虫唾が走る……!」痛みかどうかはともかく、額面通りの意味もあるだろう。
踏みつけが弾かれた。その勢いのままユキカゲは垂直に飛び上がる。腕を片方もがれたとしても、ユキカゲは
「チェリャァッ!!」
気合一声。猿叫めいた発声、かっと見開かれた双眸。腹筋と足の力でユキカゲを弾いたクロウは後ろに大きく反り返っていた。それを今、彼は元に戻そうとしている。弾性があるものを抑え、曲げるとする。抑えを取ればそれはすぐに下に戻る。加えていた力の分、強く戻る。絞りに絞った弓が如く。捻りに捻った輪ゴムが如く。これから起こることもそれになぞらえば、目に見えていた。真正直なまでの振り下ろし。迎撃の手段として、唯一クロウに残された技だった。間違いなく、乾坤一擲。この危機を脱するための大上段。
「―――――あ”っ?」
――の筈だった。
白閃があった。ほんの一瞬だけ、確かに瞬いた。閃の言葉の指す通り。閃光はクロウの正面から駆け抜け、気づけば通り過ぎていた。彼に背中に目を向ける余裕と、向ける方法があれば気づけただろう。そこに、太刀を鞘に仕舞うヨシカゲの姿があったのを。
乾坤一擲を捧げたのは、何もクロウだけではない。その証左。
――〈大日本帝国企業郡式傭兵刀戦術〉
更に重ねれば、彼が態勢を崩し、正面に視線を向けていればヨシカゲが鞘に納刀し、居合の構えにあったのにも気づけた。
直後、クロウの全身に細く深く切創が花開く。音速超過の居合が生んだ無数の真空波がクロウの筋繊維を纏めて斬り刻んだのだ。
――〈
「
ほんの小さな微笑みと、それよりも小さな納刀する音がした。
故に、クロウは力の伝達を阻害された。もうその切先がユキカゲを邪魔する事はない。然らば、起こる事は一つだけだ。
「唸れ……!」ユキカゲは「叫べ……!」呟き。
力が増加する。斥力とは弾く力。遠ざける力。引力の逆位置。それが今、増加する。増加は加速を生み出した。それは、ユキカゲに手繰られる。慣れた行為だ。この力にユキカゲは幾度と傷つけられた。斥力と名付けられた力の形は人の手に余る。
しかし、ユキカゲには腕がある。
「逝けよッ――!!」
振り下ろされ――――太刀を振り上げかけて止まったクロウへ、ユキカゲの全身全霊は炸裂した。
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