第14話 イン・ザ・アンダーレイヤー 1

 

 

 

 


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 「ふう……」

 

 大きな息が出た。

 溜息ではない。

 染みる湯。傷にではなく、心地の良い湯加減は感覚的に骨身に、心までも沁みてくる。

 それを感じると思わず大きな息が自然と溢れていた。


 低層。セーフルーム近くにある銭湯の大浴場。

 汚れを落とすため、彼女に部屋を追い出された二人は此処を訪れていた。

 

 銭湯の壁には立派な――自由の女神と手足のあるエッフェル塔が戦う銭湯絵。

 他の客は、電気風呂で痺れている骨と皮の爺。さっきからジャグジーで潜水し続けてる七、八歳の少年。自前であろう懐かしい形の石鹸で体を擦る低層特有な肉体労働帰りらしき筋肉質な男。

 それくらいだった。

 

 「良い湯だ……」

 

 浸かり始めてから最初に出てきた言葉はそれだった。

 

 「爺臭いな」

 

 少し離れたところ、大浴場の角にダルげにもたれ掛かったケンゴは毒を吐く。

 

 「ふ、いい湯にいい湯と言わずしてなんとするんだ」

 

 しかし、不敵だった。

 

 「ああ、そうかい」

 

 そう会話を面倒くさげに放り投げた。

 

 あの殴り合いの傷は二人の体にはもう見えなかった。青痣も打撲痕も切り傷も擦り傷も、何もかも。

 ケンゴは既に狩人として固定されているため、時間があれば必ず復元される。

 しかし、ヨシカゲは生身だ。

 さあ、どんなからくりかと言えばまあ何、大したことはない。

 

 ――強化外骨格エクソスケルトンの補正機能だ。

 

 強化外骨格エクソスケルトンは装着者の状態コンディションを最適化する。

 人間の行動可能領域まで補修や修復を行う緊急処置とでも言うべきだろうか。

 まるで部品のような扱いだが、実際そうだから仕方がない。

  

 「……なあ」

 

 浸かり始めて幾らか経った頃、ケンゴがおもむろに口を開いた。

 

 「なんだ」

 

 「どうしてお前、傭兵なんてやってんだ」

 

 ケンゴにとっての一番の疑問だった。

 肉体労働。傭兵。鉄火場。

 どれをとってもこの誠実な男には似合わない。ケンゴにはそう思えた。

 

 「何故、か……」

 

 揺れる湯船に視線を向けて、ヨシカゲは言葉を吟味するよう。

 

 「……お前、確か成績よかっただろ」

 

 指摘。ヨシカゲと相対的にケンゴは天井に視線をやっていた。

 上がる湯煙。白く揺らいで、彼の視界をぼやかせる。

 

 「そういうことを憶えているのは意外でその質問も含めてだけど、らしくないな」

 

 「……そうだな」ケンゴは呟く。「だからこそだ。だからこそ」

 

 視線がヨシカゲへ向けられた。

  

 「どうしてお前は人殺しなんてやっている?」

 

 意外だと。ケンゴは彼の中にあるイメージから酷くかけ離れたことに手を染める彼に、

 

 「それはお前らしくない、と俺は思う」

 

 そう言った。

 

 「金だよ。金が必要なんだ」

 

 答えはすぐに返ってきた。

 

 「……特待生とか、そういうのあんだろ?」

 

 ケンゴは頭の隅で埃の積もった知識を掘り返して口にする。

 

 「俺の頭だとさ、俺が生きていくくらいにしかならないんだよ」

 

 苦笑。無力が言葉の端々に見え隠れする。

 

 「俺の母さん。覚えているか?」

 

 「……ああ、覚えてる」

 

 いつの間にかケンゴの視線はまた逸らされて、湯船へと向いていた。

 ――綺麗な人だった、と。

 ケンゴは記憶していた。

 どうやらケンゴの答えが嬉しかったらしい優しげにヨシカゲは笑っていた。

 

 「……そうか。母さんも喜ぶ」

 

 先程まで口端にあった苦さは見えない。

 

 「その母さんが病を患ってな。重い病らしくて治療に色々と入り用だった」

 

 強い意思が見えた。

 折れない心が見えた。

 ヨシカゲの瞳は、手段を問わない決意の光を灯していた。

 

 故に肉体労働――傭兵家業へ手を出したということだろう。

 肉体労働者というのはある種の最終手段だ。

 無論、肉体労働というのにも下も上もある。

 

 例えば、そこの男。今も体を洗う筋肉質な男。

 この超多重構造高層建造物から生まれた天蓋によって陽の光が届かぬというのに、天候操作により日差しが制限されているというのに良く日に焼けた褐色の肌。

 潮風に晒され痛みきった髪。

 つまるところ、彼の職場は天候操作やこの天蓋の届かぬところにある。

 恐らく外縁部よりも外、海上施設――化石燃料やその他レアメタルの採掘現場など――だろう。

 そこできっと彼は過酷な労働に励んでいるのだ。

 肌に刻まれた消えない痕が、生傷がその証拠だった。

 

 格付けするならば彼は下に当たるだろう。

 しかし、やはり――条件だけは覆らない。

 肉体労働は精神や頭脳、そして名の通り、肉体の全てを捧げさせようとする。

 だからこその高報酬。

 

 そう、その中でもヨシカゲは幸運だ。

 彼には頭脳があり、恵まれた体格、運動能力がある。だからこそ彼は傭兵という立場を勝ち取れた。

 何百倍もの倍率を勝ち抜いた上で、他者の屍の上に、文字通りのそれの上に。

 

 「だから手っ取り早い金を稼げる方法を選んだ、か」

 

 承知の上。彼の覚悟を承知の上でケンゴは彼を見れなかった。

 ――あまりに痛々しい。

 その在り様は、全てを他者のために捧げることのできる在り方はあまりにも。

 ……あくまでも、自分のことは棚に上げた上で。


 「まだアルバイトだけどな」

 

 肩を竦めてまた苦笑い。

 

 「じゃ、次はお前だ。ケンゴ」

 

 「……何がだ」

 

 怪訝な顔のケンゴに、ヨシカゲは笑って。

 

 「何がって……俺ばっか喋っても面白くないだろ?」

 

 矛先を向けられたケンゴは思わず口を噤む。

 

 「だからほら、お前の理由を教えてくれよ」

 

 ――聞きたかった。

 友の決意が、友の意思が。

 何を思って、人ならざるもの達との戦いを選んだのか。友として、何よりも。

 向けられた言葉の切先を前に、ケンゴはそのまま暫し沈黙。

 

 「……お前さ、見ただろ?」

 

 何処かで水滴が落ちた時。彼は口を開いた。

 

 「何をだ?」

 

 「教室の、だ」

 

 逸らされたままの視線。小さな嘆息。仕方無しげな口調で言葉が付け加えられる。

 ――察しが悪いと言わんばかりに。

 

 「ああ……」

 

 目端がピクついたのをどうにか抑えてヨシカゲはそう、納得したように声を漏らす。

 

 「俺はもう、ああいうのだ」

 

 文字通りの人でなしと、言外にケンゴは自分を定義する。

 

 「何度も言っただろ」湯船に体を深く沈めて、縁に頭を預ける「――俺は、ただ異形を殺す」

 

 「ああ」嘆息混じりに肯定。「そうだな。それはもう聞いた。理解した」

 

 ヨシカゲは少しばかりウンザリしたような口調で続けた。

 

 「だからこその理由だ。ただ殺すなんて出来るわけ無いだろう。

  食うわけでもない。奪われたわけでもない。虐げられた訳でもない」 

 

 一息吐いて、

 

 「理由のない殺戮は、精神破綻した快楽殺人者の十八番だ」

 

 鋭い視線がケンゴへと向けられる。

 

 「お前は、違うだろう?」

 

 願望、確信、予測。彼の視線はそういうものが込められていた。

 

 「……俺は、俺が選ばれた理由を探している」

 

 話の切り出しはそうだった。視線は湯船の奥底を見つめるだけ。二人が向き合うことはなかった。

 

 「選ばれた?」

 

 疑問――肯定の頷き。

 

 「俺は狩人として選ばれた。人と異民が交わって異形となるように、俺は狩人だった誰か・・・・・・・・・と混ざって狩人になった」

 

 「……代替わりでもするのか?」

 

 「前任者の記憶は無いが、前任者がどうやって異形を狩っていたかは分かる――俺がその証拠だ」

 

 素人が人の力を超えた力を手に入れたとして、直ぐにあのように戦えるとは思えない。

 喧嘩慣れした素人であっても、あれだけの戦いはできない。

 ヨシカゲは素人ではない。傭兵として、殺戮を生業にしているヨシカゲには理解できた。

 

 「それで、その……前任者ってのが後継をお前にした理由を突き止める為にお前も狩りをしてると?」

 

 「……ああ」

 

 一瞬の沈黙、後、再度肯定。次いで、沈黙が二人の間に落ちてきた。

 

 ――さて、なんと言ったものか。

 

 ヨシカゲは友との久方ぶりの会話をして思う。想像を遥かに超えて難解だった、と。

 答えに困って口を噤んでしまったヨシカゲの前で、

 

 「……それが偶然か必然か。理由があったのかは知らない」

 

 ケンゴの言葉は続いていた。

 ヨシカゲが答えを作ろうとした前で、淡々と語られる。


 ――――言葉が、加熱し始めていた。

 

 「それは今探している真っ最中で、これから分かる」

 

 胸に手をやって、己の心臓を掴みださんばかりに手を握る。

 強く、強く。その胸板に指跡が残りそうなほどに。

 

 「だけど。それ以上に」

 

 陶酔が言葉の端に見え隠れした。

 瞳が、何かに酔っていた。

 狂気が彼から滲んでいた。

 

 「胸の空が埋まる感覚。無くした一ピースが埋まった快感。俺はやっと俺に成れたという実感」

 

 強い意思を、ヨシカゲは感じた。

 求めていたものを漸く手に入れた者の強い、強い感動が言葉にあった。

 

 「狩人が俺を選んでくれたことに、心から感謝したよ」

 

 満ち満ちていた。

 あの仏頂面の、不機嫌に形を与えたような男の表情を今、正に。

 

 凶相が彼を彩っていた。

 

 ヨシカゲは驚きながらも、思わず拳を握っていた。

 怒りではない。自身の無力さにだ。親友の心象を聞いて、自身の無力を痛感していた。

 もっと気遣っていれば。もっと分かる事ができれば。もっと見ていれば。

 傲慢なのは分かっていた。しかし、そう思わずにはいられなかった。

  

 虚無のようにケンゴが無気力的なのは知っていた。

 常人にはない特質が、才能が彼にはあるというのに彼は、誰よりも無で、誰にも何にもにも対してもそうだった。

 見誤っていた、彼は後悔に小さく唇を噛んだ。

 

 「聞けてよかった」

 

 ケンゴは知らぬ、ヨシカゲの苦悩から出たのは真剣な言葉と表情であった。

 苦悩の結論は、彼は友の言葉を真摯に受け止める。狂人の戯言と受け流さず、真正面から、真っ直ぐに。

 なによりも友であるから、友で居たいから。

 

 「……戯言だ。聞き流せよ」

 

 馬鹿みたいに真顔なヨシカゲを見て、はっと我に返ったケンゴはバツ悪そうな表情で目を逸らすと浴槽に頬杖をついた。

 その時、通知音一つ。ヨシカゲのものだ。生体組込式端末バイオデッキである以上、彼のみに聞こえている。


 「もうこんな時間か。少し出てくる」

 

 湯船からヨシカゲは腰を上げてからそう言う。

 

 「今、稼ぎ時なんだ」

 

 「……稼ぎ時?」

 

 少し興味を抱いたのかケンゴは聞き返す。

 

 「ああ」頷き、「この間の外縁部であった事故、覚えてるか?」

 

 ――外縁部。

 超大型メガフロート〈エンパイア〉の全長は約八千キロメートル。

 円形に近い形の人工島には積み重ねた鋼の積み木が如き超多重構造高層建造物の上層と中層。そしてその下にある下層というのが主な構成となっている。

 その沿岸部に広がる区域をその言葉は指し示していた。

 外向けの商業区画や観光区画、港や飛行場などが展開されており、このメガフロートが最も広く面する海との玄関口だ。

 このメガフロートで最も外の人間が多く、出入りが多い。

 必然的に〈エンパイア〉における屈指の軍事的重要区域であり、防衛ラインの一つだ。

 

 しかし、今そこに本来あってはならない大穴が空いていた。

 

 「あれだけ派手な事故は早々忘れられねえよ」

 

 外縁部の商業特区。大規模崩落事故。

 酷い様だったとケンゴも知っていた。

 

 「AIやマシンのお陰で死者は居なかったが……防衛線は大きく欠けた」

 

 「……外か」

 

 察したケンゴにヨシカゲは頷く。

 

 このメガフロートで生み出される富や技術を狙う者。正式に入場が出来ない者。そして、今は問題がなくとも島の中で牙を剥く者。総じていえば反企業郡テロリストに類するものは無数に存在している。

 先の推定マフィアもその一つだ。

 事故と復興作業もあり、そういった連中が普段に比べ侵入しやすくなっていたのだ。

 警備も普段以上に動員しているが、何せ大事故だったせいもあって把握しきれない穴が空いてしまっていた。

 

 「夜勤の穴埋めなんだが、これが結構儲かる」

 

 「そりゃよかったな」

  

 「じゃ、また来るよ。オールドリッチさんに宜しくな」

 

 別れを告げながら、ケンゴが湯船から足を出した。

 

 「いや、もう来なくていいぞ」

 

 ケンゴは苦々しく答えた――直後であった。

 

 

 ――――湯気を散らす極光が吹き荒れた。

 

 


 

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