第13話 ハロー・アンダーワールド

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「あーもーファッ○ン○ット!!」

 

 カレンは激怒した。

 とりあえず枕を壁に打ちつけた。

 どうせ近所などいないのだからと、思う存分に彼女は暴れ狂っていた。

 

 「ばっかじゃねえの!!!!」

 

 何に激怒したかと思えばこの世に蔓延る理不尽である。


 なぜ、ボクが我慢しなければならないのか。

 なぜ、ボクが気を使わなければならないのか。

 

 そう、カレン=T=オールドリッチは怒っていた。

 

 「態々なんでダーリンとお邪魔虫を一緒にしなければならないわけ?!」

 

 強く壁に打ち付ける。

 

 「しかも虎の子の銭湯無料券を使ったし!!」

 

 強く壁に打ち付ける。

 

 「ダーリンと入るのに使う予定だったんだぞ!!」

 

 と言った具合に溜まりに溜まった激情が吹き出していた。

 

 ――ちなみにその銭湯に混浴はない。

 

 そう、がちゃがちゃバタバタと防音を貫いて外に聞こえんばかりにひとしき暴れた後。

 

 「……はぁ」

 

 スイッチが切れたか様に平坦な、先までの激情を感じさせない様子で彼女は傍のベットに転がった。

 ……疲れたのだ。

 

 しかし、やることはある。

 

 脱力したままのカレンの視界でホロウインドウが幾つか展開。

 即座に彼女の望むものが開く。

 現れたウインドウに並んだフォルダが開かれたと思えば、作業枠エディッタが起動した。

 ずらっとエディタ上部にタブが開く。

 タブを開けば、アルファベットと数字と記号の群れ。

 あり大抵に言えば、文字化けしていた。

 

 「っと」

 

 それも一瞬更新が入ったと思えば、即座に人の解する形へと整えられた――。

 

 戦闘ログとミッションログ。

 記録がきちんと分割されていて見やすいのは良いことだ、と広がった無味乾燥なテキスト郡と出力された動画ファイルに意識視線を滑らせて彼女は思う。

 偶にぐちゃぐちゃになってたりするからホント人の事を考えて作ったほうが良いともカレンは思う。

 

 ――これは御堂ユキカゲの生体組込式端末バイオデッキに記録されていたログだ。


 ケンゴとの喧嘩後、倒れているユキカゲの生体組込式端末バイオデッキから抜いておいたのだ。

 ファイアーウォールを抜け、かつ痕跡を残さない――までは当たり前だが管理AIに感知されないようログを漁るのは中々に骨が折れた。何せ型落ちといえど〈富士山〉製の強化外骨格エクソスケルトンの補助までこなす管理AIだ。

 あまり相手はしたくない。

 しかしそれを掻い潜るのに見合う収穫はあった。

 

 それを今、一斉に展開していた。


 まず戦闘ログから目を通し始めた。

 ほぼ動画だった。

 レポート用に使ったのであろうテキストの残骸もあったが、あまり役に立たない。

 早々にそれを他にやり、動画を再生。

 流れ始めたのは、屍山血河の斬殺劇場――血肉飛び交い鮮血吹き出す内蔵ボロンのR18スプラッタ。


 これは違う、と横に退ける。


 次にミッションログ。

 これが本命だった。最新のファイルを開く。

 あったのは、チャイニーズマフィアの殲滅指令。

 緊急指令。場所の指定以外の情報はない。

 

 ――これが特に引っかかった。

 

 幾つかサンプルに拾っておいたログも開封してみる。


「ふうん……」


 ヨシカゲに多く割り振られていたのか、それとも彼が通常の倍額以上の報酬に釣られたのかは分からない。

 そこそこの頻度で彼はこういった危険度の高いミッションメニューを受けていたようだ。

 

 そうやってログに目を通し終えた頃。

 分針が幾らか進んでいた。

 時刻は、九時を幾らか回ったくらい。

 

 「さて、と」

 

 首筋に、手をやる。

 軽くなぞる。

 するとスルリと音もなく皮膚がスライド。

 現れたコネクタにベット脇のパネルからケーブルを伸ばすと――――躊躇いなく差し込んだ。

 

 ――没入ジャックイン

 

 視界が無数の光彩に彩られた。

 

 電子の海。電脳の空。雷界の大地。

 墜ちるように、翔ぶように、沈むように。

 彼女の意識は没入していく。

 

 ――いずれ。それは瞬きのような刹那。

 

 カレンの意識はそこに辿り着いた。

 

 

 ――――電脳世界フロムスペース

 

 

 此処は人の叡智が成した異界。

 意思と電子。それらが織りなす電脳の空間。

 中枢電脳メインコアを中心に渦巻く螺旋。

 

 脚が、床と認識した光彩をかつりと踏む。

 それを中心として波紋めいた余韻が床を波打った。

 

 目を開く。

 

 意識と電子の空間に五感が適応できるよう噛ませた幾つかのバッチスタートアップ

 視界を与えウォッチ手足を形作りクリエイト思考を促進するアクセラレイト

 ぐるりと廻ってローディング

 彼女の意識は世界を捉えられるようになる。

 

 四角い空間だった。

 透明な壁と床と天井があって、赤を基調とした極彩色が外を流れている。

 現実と変わらぬ姿でそこに立つカレンは、

 

 「さてと」

 

 ぽつりと再度呟く。

  

 ――日課だった。

 

 この電脳世界フロムスペース没入ジャックインし、埋没する世界から情報を浚うのは実用を兼ねた日課、趣味であった。

 潜る事自体は、自分の性癖を満たすため。

 神経と自意識を、生体組込式端末バイオデッキ越しとはいえ電子の海に晒すのは非常に危険だ。

 通常の生体組込式端末バイオデッキからは例外なく外されているオミット

 理由は幾多にあるが、まず焼付インストールなどと違い、死に直結するからだ。

 

 此処に溢れかえった情報データの中には異様なセキュリティやまだ見ぬ電子的疑似生命ウイルスが潜んでいる。

 通常の運用なら問題無くとも、一度没入ジャックインすれば。


 ある時は、生体組込式端末バイオデッキを過剰加熱させ、脳を焼き切る。

 ある時は、生体組込式端末バイオデッキを伝って、神経系を丸ごと乗っ取る。

 ある時は、生体組込式端末バイオデッキをからあらゆる記憶が引き摺り出される。

 

 想像を絶する悪夢的な罠。

 それらは受動的である場合もあり、能動的にターゲットを検索する場合もある。

 此処に潜れるようになるというのは、肉体を神経を心を、全てを曝け出すと同義だった。

 

 だが、そんな危険を掻い潜り、時に打ち壊して隠匿された技術を可能性を秘密を奪い取る。

 スリルジャンキーの彼女にはそれが堪らなかった。

 死の感触を、鼻先を掠る悪意が彼女の心を昂ぶらせ、離さなかった。

 だからこそ彼女は日々、没入ジャックインする。

 

 ――しかし。

 彼女が没入ジャックインする理由はそれだけではなかった。

 只々、この世界を悪戯に掻き乱し、奪い取るのではない。

 

 

 ――――昔から、誰かの為だった。

 

 

 今は、彼女がダーリンと呼んで恋慕してやまない彼の為。


 獲物は、ついさっき手に入れた情報の裏付けだった。

 確実な真偽の証明が必要だった。

 

 ――あの御堂ヨシカゲはチャイニーズマフィアを殲滅したという。

 先の問、はある種の鎌掛だった。

 彼がどう思って、どう認識してあのビルに攻め入ったのか、その確認だった。

 やっていたことはドローン越しに見ていた。

 ――ケンゴに関わろうするもの、関わる全てを彼女は監視している。

 ヨシカゲの監視もその一環だった。


 訊くまででもなかった、というのはカレンの感想。

 そして、何かがあると彼女は直感していた。

 ケンゴに取り巻く危険を事前に察知する。

 それも彼女は自身の使命と自ら課していた。

 

 「……木を隠すには森の中って言うしな」


 呟いて、瞬きと共にウインドウが空に消え去った。

 彼女の周囲にあった壁や床も取り払われていた。

 

 ――虚空に投げ出される。

 

 渦を巻くように、流れるように。

 濁流のような、せせらぎのような。

 轟音が耳を穿つが如く、静やかな囁きの如く。

 データはそう流れ行く。

 

 ――――その奔流に彼女は身じろぎ一つなく、それに呑み込まれた。

 

 今、彼女が居た場所がローカルサーバプライベートなら、彼女が呑まれたそれこそが電脳世界グローバル

 あらゆる色に塗れていて、情報が到るところに貼り付けられていた。

 瞬き一つでもすれば、数多の情報が流れていってしまう。

 

 ――電脳は、巨大な街の姿をしていた。

 積み重なるように立つ超高層建造物の群れ。それが遥か彼方まで広がっていた。

 どこかの路地。人気の無いそこにカレンは居た。

 天を仰ぎ見てあるのはカレンが呑み込まれた奔流そのもの。

 それから分岐したのか、それともそういうものなのか。何処からか流れ出る小さなそれが今も彼女の周囲を微風のように漂っていた。


 まずは、舞台となったビルそのものの購入記録。次にそこへの武器や人員の搬入、つまりは周辺の交通記録や港の入島記録。

 ミッション記録を信用するならばよればビル自体は廃棄建造物指定を不法占拠したもの。

 購入記録など無いはずだが……。

 そうカレンは行き先を決めながら、路地を出ようと足を動かす。

 

 「あんまり当てになんないし……」

 

 狭い路地の壁、メガフロートを彩る摩天楼の夜景よりも輝くデータの光彩へと刻まれているアドレスへと目を配り、

 

 「0か1か。はっきりしてるのは良いことだ」

 

 カレンの指先が壁をなぞる。

 軌跡を辿って、赤いラインが引かれた。


 形は、丸。


 軽く指に押されて反発するように生み出されたのは、球体の何か無機物めいていて幾何学的模様の入ったモノ。

 

 色は、赤。

 

 彼女の好みを実直に反映していた。

 これは所謂、botというやつだ。

 彼女に書き込まれた命令、パラメータの通りに行動する自動機械存在プログラム

 

 「だから、これもハッキリさせておくべきだ」

 

 ただ指でなぞって生み出したように見えたそれはその時に組込まれたパラメータの通りに何処かへと飛んでいった。

 彼女の言葉から推測するにその建造物の購入記録に当たったのだろう。

 

 見届けもせず、カレンは歩き――路地を出たそこから歩みを止めた。

 この電脳世界フロムスペースは広大だ。

 見た限り、電脳は現実と同じ姿をしている。

 けれど、決定的に違うのは電脳というのはネットワークに繋がるものがあればそこを基点に広がるという点だ。

 現実にある全てのネットワークに繋がった機器は此処から通じているし、逆も然り。

 物理的な制約に縛られ続ける現実よりも此処は広い。

 

 だから移動手段を彼女は常に用意する。

 

 それは―――鋼の咆哮を上げる。

 路地を出たカレンの前に赤い粒子を散らしながら虚空より現れたのは、彼女が疾駆する為に現実でも彼女の足となる大型機動二輪エンジンバイク

 現実と変わらぬその威容、艶のある赤のフレーム。地を砕く二輪。

 それがそこにあった。

 

 跨がり、手首を捻る。

 唸る。それは彼女の鼓膜を心地よく震わせた。

 

 ――この所作に意味はない。

 電脳の世界において必要なのはこの世界を生き抜く意思と電脳への深い造詣。

 究極的には、人としての動作は不要なのだ。

 歩む必要も、人の形も必要ない。

 けれど、彼女にとってこれは必要だった。

  

 そうして電脳を疾走するは、0と1に編まれた鉄騎。

 赤い軌跡を残しながら電脳の道を、現実と変わらぬ電子の道を行く。

 彼女を乗せて、吹かしたアクセルのままに電脳を駆けていく。

 後には、彼女が居たという残滓エフェクトだけ。

 

 

 ――それも、0と1の旋風が吹き払った。

 

 

 

 

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